ソビエト

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ソビエトロシア語Совет サヴィェート)とは、ロシア革命時において、社会主義者の働きかけもありながらも主として自然発生的に形成された労働者・農民・兵士の評議会理事会)。もしくはそれらの(名目上の)後継組織であるソビエト連邦議会。ラテン文字表記は英語では「Soviet」が一般的。日本語片仮名表記としては「ソヴィエト」も比較的よく用いられる他、まれに「ソヴェト」「ソビエット」という表記もある。

概要

ソビエトは、本来はロシア革命の際に社会主義者を中心とした革命派によって作られた労働者・農民・兵士の評議会である。ロマノフ朝が倒れ、紆余曲折を経て成立したボリシェヴィキ政権は、このソビエトを(少なくとも建前上は)継承する政権であり、新国家にはソビエトの名が冠され(ソビエト連邦)、その議会は引き続きソビエトと呼ばれた。

なお、ロシア語(あるいはその姉妹言語)圏外では、ソビエトという単語は国家としての「ソビエト連邦」そのものを指して使用されることも多いが、「ソビエト(評議会)」と「ソビエト連邦(国家)」は同一のものではない。

さらに、ロシア語において「совет」は「忠告」「会議」などを意味する一般名詞であり、通常はその意味で用いられる(後述)。本項で述べる(固有名詞としての)革命時の評議会「ソビエト」の意味で用いる時は「Совет」のように頭文字を大文字にする。

歴史

帝政ロシア末期の1905年に起こった第一次ロシア革命の際に、ロシア社会民主労働党(後のボリシェヴィキおよびメンシェヴィキ)等の革命派によって、労働者・農民・兵士の評議会(ソビエト)が作られた。首都サンクトペテルブルクのソビエトの指導者はトロツキーであった。この時のソビエトは革命の退潮によって消滅する。

ソビエトは、1917年第二次ロシア革命二月革命)の際に再び結成された。結成当初のソビエトの主要メンバーはメンシェヴィキと社会革命党であり、ボリシェヴィキは僅かな勢力しか持たなかった。その後、レーニンは「全ての権力をソヴィエトに」というスローガンを掲げ、ボリシェヴィキはソビエトの主流派となっていく。レーニンはソビエト権力によって打ち立てられた「ソビエト国家」は、有産者階層や官僚によって築かれた出来合いの既存の国家機構を破壊して、立法と法律の執行が選挙で選ばれた人民代表及び彼らによる新しい官僚組織によって行われてその俸禄は水準化され、廃絶された軍隊や警察に替わって労働者や農民の武装によって守られた新たな国家機関であるとした。しかし、レーニンのスローガンは口先だけであった(レーニン自身はソヴィエトのことを「粗忽者」「ぐうたら」などと罵倒する発言を秘密文書に残している)。十月革命内戦を経てロシア共産党(ボリシェヴィキから改名)は独裁政党となり、政治の実権は共産党が完全に掌握していた。ソビエトを蔑ろにするボリシェヴィキに対し、クロンシュタットの反乱では、「全ての権力をソヴィエトヘ」というかつてのレーニンと同じスローガンが、レーニンに対する蜂起のスローガンとして掲げられた。

トロツキスト的立場からのソビエト

トロツキストやその系統に属する共産主義者等(日本においては反スターリン主義をはじめとした多くの新左翼)においては、「ソ連や中国その他の既存の社会主義党官僚専制支配のスターリン主義国家であり、これを打倒し、ソビエト(評議会)に全権を収めてこそ、真実の労働者国家が実現する」と主張する。

表現・用例に関する留意点

ロシア語の一般名詞としてのソビエト

ロシア語以外の言語では、「ソビエト」という単語は「ソ連」の同意語、ないし「ソ連型社会主義」や「共産主義」に類した語、もしくはそれらと密接な関係を持った語として扱われる場合が多い。しかし、ロシア語においては「ソビエト(совет)」という単語は、「忠告、助言」、「会議、協議、評議」、「協議会、評議会、理事会」などを意味する一般名詞であり、日常会話のなかでは(国家としての)「ソ連」や「共産主義」と特に関係のない文脈において用いられる場合が多い。

例えば、「会議、評議会」としての「совет」は、帝政時代から現在まで国内外の会議・議会等に用いられている。また、ソ連の各級立法・行政機関も「ソビエト」と呼ばれていた。現在のロシア連邦議会上院も「Совет Федерации」(サヴィェート・フェデラーツィイ連邦会議)と表現される。同様に、帝政ロシアや現在のロシアを含む各国の国務院は「Государственный Совет」(ガスダールストヴェンヌィイ・サヴィェート)と呼ばれている。また、国際組織としては、国際連合安全保障理事会が「Совет Безопасности」、欧州連合理事会が「Совет Европейского Союза」、といった形で表現される。

また、この一般名詞「совет」から展開される語としては、「忠告者」、「顧問、参事」を意味する名詞「советник」(サヴィェートニク)や「совечик(女性形:совечица)」(サヴィェーチクサヴィェーチッツァ)、「忠告する」を意味する動詞советовать」(サヴィェータヴァチ)及び「посоветовать」(パサヴィェータヴァチ)、「助言を求める」を意味する動詞「советоваться」(サヴィェータヴァッツァ)及び「посоветоваться」(パサヴィェータヴァッツァ)、「会議、審議会」を意味する「совещание」(サヴィシシャーニイェ)、その形容詞の「совещательный」(サヴィシシャーチェリヌィイ)、「協議する」という動詞の「совещаться」(サヴィシシャーッツァ)などがある。

一方、(固有名詞から展開される形容詞)「ソ連の」「ソビエトの」は、「советский」(サヴィェーツキイ)と表現される。

他言語におけるソビエト

「ソビエト」はロシア語においては本来は一般名詞であるが、「ソビエト」という語は日本語や英語のような他言語においては意味的な訳語を用いることなく固有名詞的に音そのままに「ソビエト」と表現され用いられる場合が多い(音訳)。中国語における漢字表記も音訳の「蘇緯埃」であり、1931年中国共産党の樹立した中華ソビエト共和国も漢字表記は「中華蘇維埃共和國」である。

ただし、いくつかの言語においては意味的な訳語が用いられている(意訳)。ウクライナ語では「議会」を意味する「ラーダ」がソビエトの訳語として用いられており、「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」もウクライナ語では「ウクライナ・ラーダ社会主義共和国」となる(但し、非ウクライナ語圏においては、単に「ラーダ」といった場合は反ボリシェヴィキ派の組織であるウクライナ中央ラーダを指すことが多い)。また、バルト三国リトアニア語(taryba)、ラトヴィア語(padome)、エストニア語(nõukogu)でも訳語が用いられている。ソ連国外ではフィンランド語モンゴル語等で訳語が用いられる。

また、ドイツ革命時に作られたソビエトに相当する労兵評議会は、ドイツ語で「レーテ」(ロシア語の一般名詞としての「ソビエト」とほぼ同じ意味)と呼ばれた。但し現在のドイツ語でソ連やソ連のソビエトを指す「ソビエト」はそのまま「Sowjet」である。

各地のソビエト

ロシア革命からその後のロシア内戦期にかけてロシアとその周辺には、次のようにソビエトの名を冠した国家組織ないし政権統治機関)が各地に誕生した。表中のソビエト系77の内、ソビエトを称したのは55にのぼる。

関連項目