スリム・ボルグッド
スリム・ボルグッド | |
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基本情報 | |
フルネーム | カール・エドワード・トミー・ボルグッド |
国籍 | スウェーデン |
出身地 | 同・カルマル県ボリホルム |
生年月日 | 1946年11月25日(77歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1981-1982 |
所属チーム |
'81 ATS '82 ティレル |
出走回数 | 15 (10スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 1 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1981年サンマリノGP |
最終戦 | 1982年アメリカ西GP |
カール・エドワード・トミー・"スリム"・ボルグッド(Karl Edward Tommy "Slim" Borgudd, 1946年11月25日 - )は、スウェーデン出身のミュージシャン、元レーシングドライバーである。ATS、ティレルよりF1に参戦した。
経歴
ボルグッドの初期のキャリアはミュージシャンとしてのもので、主にジャズ・ロック・バンドでドラマーを務めた。著名なバンドでは、メイド・イン・スウェーデン(Made In Sweden)、ソーラー・プレクサス(Solar Plexus)に参加した。また、ABBAの初期の数曲でドラムを担当した。ビョルン・ウルヴァースとは、ABBA以前にもフーテナニー・シンガーズ(Hootenanny Singers)でともに活動した。
ボルグッドは1960年代中盤にロータスのフォーミュラ・フォードでレース活動を開始した。ボルグッドのレース活動が本格的になるのは1972年のことで、このシーズンはクラブイベントのスポーツカーレースで5勝を挙げた。ボルグッドは1972年から1975年までスウェーデンツーリングカー選手権に参戦し、ヒルマン・インプとボルボ・122をドライブした。1972年は同選手権で2位となった。ボルグッドは並行して参戦した同年のスカンジナビアン・フォーミュラ・フォードでも2位となり、翌1973年には同選手権でタイトルを獲得した。
1976年、ボルグッドはF3にステップアップしたが、1977年までは散発的な参戦にとどまった。1978年にボルグッドは自らのチームを立ち上げ、スウェーデンの国内シリーズとヨーロッパシリーズにラルト・トヨタでフル参戦を果たした。ボルグッドは1979年にスウェーデンシリーズのチャンピオンを獲得し、ヨーロッパシリーズでは選手権3位を獲得した。1980年、F2へのステップアップに失敗したボルグッドはモナコグランプリのF3レースに参戦した。このレースでは3位まで順位を上げることに成功したが、ボディワークが緩み、ボルグッドはボディを片手で押さえながらレースをフィニッシュした。
1981年、34歳のボルグッドはついにF1デビューを果たした。サンマリノGPでATSから参戦したボルグッドのマシンには、ABBAのロゴがサイドポッドに貼られていた(ロゴのみでスポンサー料は無かった)。しかしこれは優良なスポンサーであり、他の出資者の魅力となった。ボルグッドは予選落ちを続けたが、1981年イギリスグランプリでは前車のリタイヤにも助けられながらも1ポイントを獲得した。以後も奮戦を続けたが、それ以上のポイントを獲得することはできなかった。
1982年、ボルグッドはケン・ティレルと契約し、ミケーレ・アルボレートのチームメイトになった。ボルグッドは1981年には数回にわたりアルボレートよりも上位の予選順位を獲得していた。ボルグッドはこのチームに適応することができず、自身が持ち込んだスポンサーマネーが底をつくと、シーズン序盤に突然チームを去った。
1983年から1985年まで、ボルグッドは散発的にレース活動を行い、1985年にはマカオグランプリに参戦した。1987年にはル・マン24時間レースに参戦し、1989年にはイングランドのツーリングカーレース、ウィルハイア24時間(en:Willhire 24 Hour)でフォード・シエラをドライブして勝利を挙げた。ボルグッドは1986年からトラックレースで名をなした。1986年、ボルグッドはヨーロッパ・トラックレーシングカップのディビジョン2のチャンピオンとなり、翌1987年にはディビジョン3のチャンピオンを獲得した。1992年にはクラスが改められた同シリーズで、クラスBの3位となった。
1993年、ボルグッドはフルタイムのレーシングドライバーとして復帰した。ボルグッドはマツダのワークスチームに加入し、 クセドス6をドライブして英国ツーリングカー選手権(BTCC)に参戦したが、成績を残すことができなかった。ボルグッドは翌1994年に同じマシンでノルディックツーリングカー選手権に参戦し、チャンピオンを獲得した。マツダは翌1995年にBTCCへ復帰する計画を立てたが、その計画は頓挫した。
1994年、ボルグッドはトラックレーシングカップの第一線に戻り、シーズンを通じてタイトルを争ったが、イギリス人のスティーブ・パリッシュに敗れた。翌1995年には、ボルグッドはパリッシュとマルクス・エストライヒに大差をつけてタイトルを獲得した。1996年と1997年のボルグッドは選手権5位と4位に留まると、他のドライバーを優遇しているとメルセデス・ベンツを非難し現役からの引退を発表した。以後、ボルグッドはアマチュアレベルのレースに散発的に参戦した。
F1での年度別成績
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
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1981年 | ATS | D4 | USW | BRA | ARG | SMR 13 |
MON DNPQ |
20位 | 1 | |||||||||||
HGS1 | BEL DNQ |
ESP DNQ |
FRA DNQ |
GBR 6 |
GER Ret |
AUT Ret |
NED 10 |
ITA Ret |
CAN Ret |
CPL DNQ |
||||||||||
1982年 | ティレル | 011 | RSA 16 |
BRA 7 |
USW 10 |
SMR | BEL | MON | DET | CAN | NED | GBR | FRA | GER | AUT | SUI | ITA | CPL | NC (20位) |
0 |
(key)
References
先代 アンデルス・オロフソン |
スウェーデンF3チャンピオン 1979 |
次代 トルビョルン・カールソン |