スペースシャトル・エンデバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Endeavour
OV-105
スペースシャトル・エンデバー
STS-12739A番発射台
スペースシャトルエンデバー2009年7月15日撮影
型名 OV-105
アメリカ合衆国
契約 1987年7月31日
名の由来 HMS エンデバー
現況 引退
初飛行 STS-49
1992年5月7日 - 同月16日
最終飛行 STS-134
2011年5月16日 - 同年6月1日
ミッション数 25回
乗客数 148人
宇宙飛行
総時間
296日3時間18分35秒
軌道数 4,671周
飛行距離 197,761,262 km (122,883,151 mi)
輸送衛星 3機
ミールとの
ドッキング
1回
ISSとの
ドッキング
12回
接近するエンデバー国際宇宙ステーションから撮影(STS-118)

スペースシャトル・エンデバー英語: Space Shuttle Endeavour, OV-105)は、スペースシャトル・オービターチャレンジャー事故による機数減少を受けて「エンタープライズを改修するよりも安い」との判断の元、ストックされていたスペアパーツを用い製造された機体である。初飛行は1992年5月7日のSTS-49。2011年6月の引退までに計25回の飛行を行った。

概要[編集]

Endeavourエンデバー)の名前は、キャプテン・クック南太平洋探検の第1回航海の帆船 Endeavourエンデバー号)に由来している。なお、努力という意味はそれぞれイギリス英語: endeavourアメリカ英語: endeavorとなるが、本船は固有名詞であるクックの船名に由来するイギリス英語: Endeavourが正しい。2007年7月には、NASA自身が作成した射点の横断幕でEndeavorと書いてしまうミスがあり、米国では話題になった[1]1971年に打ち上げられたアポロ15号の司令船の名称もエンデバー(Endeavour)である。

フィクションではアーサー・C・クラークSF小説「宇宙のランデヴー」の主役宇宙船の名称もエンデバーだった。2001年宇宙の旅の主役宇宙船ディスカバリーと共にクラークの著書に登場する宇宙船と同じ名前のオービターである。

退役後はロサンゼルスのカリフォルニア科学センターに展示されている[2]

日本人宇宙飛行士とエンデバー[編集]

エンデバーは日本人宇宙飛行士の搭乗率が高く、毛利衛はSTS-47とSTS-99、若田光一はSTS-72とSTS-127、土井隆雄はSTS-123でそれぞれエンデバーに搭乗した。また、土井が搭乗したSTS-123では日本初の有人宇宙施設「きぼう」の船内保管室を、若田が搭乗したSTS-127では船外実験プラットフォームを宇宙に運んでいる。

また、作られたばかりのエンデバーをカリフォルニア州パームデールの工場からケネディ宇宙センターに輸送したのは、かつて日本航空にJA8117として所属したN911NA(この時がこの機材の初仕事でもあった)であり、この時点から既に日本と縁のあるオービターであったとも言える。

飛行記録[編集]

打ち上げ日 任務名 備考
1992年5月7日 STS-49 通信衛星インテルサット6号を捕捉、修理の後、再放出
1992年9月12日 STS-47 スペースラブ実験 SL-Jミッション。毛利衛搭乗(日本人初)
1993年1月13日 STS-54 データ中継衛星TDRS-Fを放出
1993年6月21日 STS-57 SPACEHAB-1。ヨーロッパのEURECA衛星回収。
1993年12月2日 STS-61 ハッブル宇宙望遠鏡の第1回目の修理
1994年4月9日 STS-59 地表探査用の宇宙レーダー実験(SRL-01)
1994年9月30日 STS-68 宇宙レーダー実験(SRL-02)
1995年3月30日 STS-67 スペースラブ アストロ-2(Astro-2)実験
1995年9月7日 STS-69 Wake Shield Facility (WSF)-2及び他の実験
1996年1月11日 STS-72 日本の実験衛星Space Flyer Unitの回収
1996年5月19日 STS-77 SPACEHAB-4
1998年1月22日 STS-89 宇宙ステーション ミールへの8回目のドッキングミッション。交代要員移送
1998年12月4日 STS-88 国際宇宙ステーションの建設 (2A)、ユニティ取り付け
2000年2月11日 STS-99 地表探査レーダー実験 (Shuttle Radar Topography Mission)
2000年11月30日 STS-97 国際宇宙ステーションの建設(4A)、P6トラスを運搬
2001年4月19日 STS-100 国際宇宙ステーションの建設(6A)、カナダアーム2取り付け
2001年12月5日 STS-108 国際宇宙ステーションの補給フライト(UF-1)、交代要員移送
2002年6月5日 STS-111 国際宇宙ステーションの補給フライト(UF-2)、交代要員移送
2002年11月23日 STS-113 国際宇宙ステーションの建設(11A)、P1トラス運搬、交代要員移送
2007年8月8日 STS-118 国際宇宙ステーションの建設(13A.1)、S5トラス運搬
2008年3月11日 STS-123 国際宇宙ステーションの建設(1J/A)、「きぼう」日本実験棟船内保管室とカナダのSPDM「デクスター」の運搬
2008年11月14日 STS-126 多目的補給モジュール(MPLM)を使った、装備品の搬入や物資の補給等(ULF-2)
2009年7月15日 STS-127 国際宇宙ステーションの建設(2J/A)、「きぼう」船外実験プラットフォームなどの運搬
2010年2月8日 STS-130 国際宇宙ステーションの建設(20A)、トランクウィリティーキューポラの取り付け
2011年5月16日 STS-134 アルファ磁気分光器エクスプレス補給キャリアの取り付け
同機の最終ミッション

これまでに使用された徽章[編集]

これまでにエンデバーの任務で使用された徽章
エンデバー号のフライトミッションの記章
STS-49 STS-47 STS-54 STS-57 STS-61 STS-59 STS-68 STS-67
STS-69 STS-72 STS-77 STS-89 STS-88 STS-99 STS-97 STS-100
STS-108 STS-111 STS-113 STS-118 STS-123 STS-126 STS-127 STS-130
STS-134

トヨタ タンドラでの牽引[編集]

退役後ロサンゼルスのカリフォルニア科学センターに保管されることになる。2012年10月ロサンゼルス国際空港からカリフォルニア科学センター迄の12マイル(約19キロ)の移動が始まった。しかしシャトル運搬用の4台のロボティックドーリー(全輪操舵/駆動の遠隔操作式台車)とシャトルの合計重量が50万ポンド(約227トン)を超える為、この道中にある橋がこの荷重に耐えられない危険性があった。そのことからタンドラが牽引する際に使用する台車との組み合わせのほうがより軽量だからという判断になった。

2012年10月12日計画が実行され約250mをタンドラが引っ張って走行した。タンドラの本来の牽引能力は1万ポンド(約4.5トン)だが、エンデバーは、機体単体重量の約15万ポンド(68トン)に加え、トレーラーなどを含めると総重量は30万ポンド(約136トン)というサイズだった。

トヨタは、この日より前からカリフォルニア科学センターとスポンサー契約を結んでおりタンドラが使用されることとなった。

脚注[編集]

関連項目[編集]

このほかに模型のパスファインダー(Pathfinder) もオービターとしてカウントされることがある。

外部リンク[編集]