THE STREET SLIDERS

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THE STREET SLIDERS
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル
活動期間 1980年 (1980) - 2000年 (2000)
レーベル
  • EPIC・ソニー(1983年 (1983)-1988年 (1988)
  • EPIC/SONY RECORDS(1988年 (1988)-1998年 (1998)
  • Epic Records(1998年 (1998)-2000年 (2000)
事務所 ストリート・スライダーズ・オーガニゼイション(SSO)
共同作業者
  • 佐久間正英(プロデューサー)
  • ジェレミー・グリーン(プロデューサー)
  • 今井裕(プロデューサー)
メンバー

THE STREET SLIDERS(ザ・ストリート・スライダーズ)は、日本ロックバンド。1980年 (1980)結成。アマチュア時代はリトル・ストーンズと称されて人気を得る。1983年にEPIC・ソニーからレコード・デビュー。 スライダーズは自らのロックン・ロールにこだわり最後まで貫き通したバンドであり、その人気はファンのみならず多くのアーティストやミュージシャンからも支持を得て日本のロックシーンの絶対的存在となった。2000年に解散。

メンバー[編集]

氏名 愛称 生年月日 担当 備考
村越弘明むらこしひろあき HARRYハリー (1959-01-26) 1959年1月26日(65歳) ボーカルギター 大半の楽曲にて作詞・作曲を手掛ける。
土屋公平つちやこうへい 蘭丸らんまる (1960-10-04) 1960年10月4日(63歳) ギター、ボーカル 3枚目のアルバムから村越と共にJOY-POPSの共同名義で作詞・作曲・編曲を手掛ける。
市川洋二いちかわようじ JAMESジェームス (1959-03-11) 1959年3月11日(65歳) ベース、ボーカル 一部の楽曲にて作詞・作曲を手掛ける。
鈴木将雄すずきまさお ZUZUズズ (1960-12-04) 1960年12月4日(63歳) ドラムス

経歴[編集]

出会いからデビューまで[編集]

1974年

  • 市川洋二、村越弘明が高校1年生の時同じクラスで出会う[1]
  • 土屋公平、鈴木将雄は地元の小学校で出会うが、友達になるのは中学に入ってから[2]

1978年

  • 最初、村越と市川は別々のバンドにいたが市川のバンドに欠員が出たため、ギターとして村越が加入。

1979年

  • 11月、府中市民アマチュアバンド・フェスティバルで土屋と鈴木は客に酒をぶっかけて暴れ回る村越のステージに出会う。その後大学のキャンパス・コンサートの楽屋で知人に村越を紹介される。
  • 12月24日、土屋が雇われマスターをつとめるロック喫茶メロウハウスに村越と市川が顔を出すようになり、自分達のバンドに土屋と鈴木を誘う[3]

1980年

  • 2 - 3月[4][5]、スタジオのセッションに土屋と鈴木が呼ばれる形で“The Street Sliders”が結成される。地元の楽器店や小さなライブハウスの出演から始める。[注釈 1]
  • 5 - 6曲持ち歌ができた頃、地元の知人の紹介で福生にあるライブハウスのUZUや高円寺にあったレッド・クロス、吉祥寺のシルバー・エレファントといった小さなライブハウスにも出始める。

1981年

  • 8月、新星堂ロック・イン・コンテストにストリート・スライダーズで出場[注釈 2]。グランプリを獲得。多くのレコード会社から契約の打診を受ける[6]
  • 10月、SDオーディション(CBS・ソニーオーディション)[注釈 3]にてスライダーズが東京地区最優秀グループ賞を受賞[7]
  • ソニーのSD部担当者がカセットテープに録音した新星堂のオーディションの模様をSDオーディションに出しており、それがEPIC・ソニー企画制作部チーフ・プロデューサー(当時)目黒育郎の目にとまる[注釈 4]

1982年

  • 1982年春、福生の米軍キャンプで“リトル・ストーンズ”と呼ばれ人気を博する。
  • 12月、映画『BLOW THE NIGHT 夜をぶっ飛ばせ』の主題歌と音楽をスライダーズが担当。LIVEシーン収録の為、新宿ACBにてSPECIAL LIVE(冒頭のライブ・シーン)。

メジャー・デビュー[編集]

1983年

1984年

1985年

  • 一部業界人によって大人ファンクラブ「FOOL TO CRY(愚か者の涙)」が結成される[注釈 9]
  • 5月、ホールや会館を中心にした本格的なライブ・ツアー『GIG'85』を開催。
  • 7月21日、4thアルバム『夢遊病』リリース。ロンドンでのレコーディング。セカンド・アルバムから本作まではセルフ・プロデュース。レコーディング・ミキサーを担当したウォルター・サミュエルの要望で、一発録りでレコーディングされた過去3枚のアルバムと異なり、一つ一つのパートを個別に録音するダビング方式が取られた。
  • 9月14日、東京都日比谷野外音楽堂での初ライブとなる『SLIDERS GIG'85 at 野音』を開催。
  • 11月21日、4thシングル「Angel Duster」(エンジェル・ダスター)発売。デビューからこの時点までスライダーズのメンバーはシングル盤を出すことに積極的ではなかった[注釈 10]。しかし前作のアルバム発売後に「Angel Duster」が生まれた時、村越は「ロックとして勝負できる曲ができた」[注釈 11]と確信し、この曲を新しいシングルのA面にしたいと考えたという。
  • 佐久間正英は、今度はベルリン出身のドイツ人で若きエンジニアのマイケル・ツィマリング[注釈 12]を伴って、「Angel Duster」12インチ・シングル録音の為、再びSONYのスタジオにやって来る。

1986年

  • 1月22日、5thシングル「Angel Duster」12インチ・シングル発売[注釈 13]
  • 5月24日、日比谷野音での2度目のライブ。
  • 6月21日、6thシングル「Back to Back」12インチ・シングル発売。ギター土屋の好きなファンクの要素が取り入れられる。
  • 佐久間のリミックスと映像ディレクターの佐藤輝に依頼したプロモーション・ビデオのインパクト、もとより楽曲の確かさが功を奏してテレビの地上波や深夜の音楽番組で話題となり、ストリート・スライダーズの認知度は上がっていく。
  • 8月5日、新宿・都有3号地にて『摩天楼のダンス天国』開催。オープニング・ナンバーは「すれちがい」。後にビデオ・DVDで商品化された(映像ディレクターは佐藤輝)。
  • 11月1日、7thシングル「Special Women」発売。
  • 11月21日、5thアルバム『天使たち』発売。
初の武道館とライブ・アルバム

1987年

  • 1月30日、初めての日本武道館公演『HEAVEN AND HELL(天国と地獄)』開催[注釈 14]。オープニング・アクトはRED WARRIORS[注釈 15]が務めた。後の3月21日に、この公演の模様を収めたライブ・アルバムTHE LIVE! 〜HEAVEN AND HELL〜[注釈 16][注釈 17]をリリース。
  • 4月3日、宝島ファン・クラブ会員1万人達成記念イベントにより芝浦インクスティックにて、ロックン・ロールのカバー曲を集めたライブ《Slippin' And Slidin'》を行う。
  • 10月1日、7thアルバム『BAD INFLUENCE』リリース[注釈 18]。アルバム『天使たち』の後、バンドのその方向性をソウルフルでリズム&ブルース色の強いサウンドに自らシフトしていった時期になる[8]。オリコン・チャート初登場3位を記録し、売上という意味ではメジャー・デビュー以降、最も成功したアルバムである[9]
  • この頃のスライダーズはバンドとして大きな局面にあり、中堅のバンドというイメージから日本の音楽シーンにおいて確たる存在感を示し始める。
  • 8月22-23日、熊本県の県営野外劇場アスペクタで行なわれた12時間オールナイト野外ライヴ『BEAT CHILD[注釈 19]に出演。激しい雨と風の中、スライダーズは深夜に登場した。

最初の活動休止[編集]

1987年

  • 9月、ドラムスの鈴木が交通事故[注釈 20]で入院。アルバム・リリースに合わせて予定されていた全国50カ所ツアー全公演がキャンセルとなり、バンドは半年ほどの休止状態に入る。休止の間、村越と土屋によるアコースティック・ユニット“JOY-POPS”が始動。土屋は“甲斐よしひろ&プロジェクトK”にも参加。
  • 10月、村越が「風が強い日」のプロモーション・ビデオ撮影のため、単身バリ島へ飛ぶ。

1988年

  • 1月21日、前年発売のアルバム『BAD INFLUENCE』からのリカットシングル「Baby, 途方に暮れてるのさ」を発売。レゲエのリズムを主体とした曲が日本でシングルとして発売されるのは、当時稀有なことであった。
  • 2月、初のベスト・アルバム『REPLAYS』リミックス作業の為、村越と土屋がニューヨークへ飛ぶ[注釈 21]
  • 4月10日、NHK『MUSIC WAVE SPECIAL』(東京・汐溜PIT)収録にてバンドの活動を再開[注釈 22]
  • 4月25日、『復活!ROCK'N' ROLL DEF' TOUR』より本格的に活動を再開。富山を皮切りに全国60カ所のツアーを実施。
  • 6月15日、『夜のヒットスタジオ』初出演。ファン代表として俳優伊武雅刀の電話コメントが紹介され、別スタジオにて「Boys Jump The Midnight」を生演奏した。
  • 6月22日、ストリート・スライダーズ初のベスト・アルバム『REPLAYS』発売。
  • 8月、『ROCK'N' ROLL DEF' SPECIAL』を福岡、名古屋、大阪、東京で開催。東京は日本武道館2日間連続公演。
  • 9月15日、次のアルバム・レコーディングに入る。レコーディング終了後、メンバー全員でインドへ。

1989年

  • 1月21日、9thアルバム『SCREW DRIVER』発売。再び自分達でプロデュースを手掛け、国内でレコーディングを行うようになる[注釈 23]
  • 『SCREW DRIVER』リリース以降、ルーティンでのアルバム・リリースよりもライブ・ツアーでの活動を優先するようになる。結果、毎年1枚のペースで発表していたアルバム・リリースの間隔がこの頃から少しずつ伸び始める[注釈 24]
  • 9月〜、メンバー各人、充電期間に入る。その間、村越と土屋はJOY-POPS初のスタジオ・レコーディングを行う。その後土屋は単身インド旅行へ。市川は2か月ほどロンドンへ。鈴木のみ詳細不明。
  • 12月9日、16thシングル「ROUTE S・S」発売。スライダーズ、JOY-POPS、土屋のソロ3作を缶ケースに納めた企画物CDシングルであったが、スライダーズのロックとは別のアコースティック・サウンドであるJOY-POPS、土屋のソロといった新たな側面と可能性を生むきっかけにもなった[注釈 25]

1990年

  • 2月-5月、『ROUTE S・S TOUR』開催。このツアー中、“子供の日”と“大人の日”の2日間に分けたライブを名古屋、大阪、東京・日本武道館、福岡にて開催。
  • 6月2・3日、東京・日比谷野外音楽堂で3度目のワンマン・ライブ『Get Wet When It Rains』開催。初日はFC会員限定。

リズム・セクションの変化[編集]

レゲエのリズム
  • アルバム『天使たち』から『BAD INFLUENCE』にかけて、スライダーズの曲やアレンジに黒っぽさ(ブラック・ミュージック)が加わってくる。『BAD INFLUENCE』のレコーディングでは「…メンバーが昔から聴いているレゲエやその他溜まっていたものが欲求として出てきたので、バンドとしても新陳代謝があっても良いのではないかと思った」と村越がインタビューで答えている[注釈 26]
  • 前年の『ROUTE S・S TOUR』や日比谷の野音のあたりから「…ZUZUとジェームスのリズム・セクションを中心にバンドのサウンドに新しい感触を感じていた」と話す4人のインタビュー[注釈 27][注釈 28]が残されている。
  • 12月21日、10thアルバム『NASTY CHILDREN』発売。共同プロデューサーに今井裕が名を連ねており、アルバムの半分はロンドン・レコーディング。曲のクレジットは全編JOY-POPS [注釈 29][注釈 30]
  • 8thの『BAD INFLUENCE』と10thの『NASTY CHILDREN』では、レゲエへの関心が強かった鈴木と土屋の影響もあり、スタジオで音出しする中、アレンジで自然に取り入れられていくようになる[10]ブルースやロックン・ロールが中心だったスライダーズのレパートリーに以降、レゲエの要素が加わっていく[注釈 31][注釈 32] [注釈 33]

1991年

  • 1月6日、日本武道館他、5カ所にて『BIG BEAT, DANCE SPECIAL'91』開催。このツアーで「バンドがステップ・アップした分、個人として新たなテーマができた」「今回リズムの部分で新たな面が出せたのはよかった」「有意義な旅だった」[11]と語るメンバーのコメントが出されている。

二度目の活動休止[編集]

1991年

1992年

  • 3月1日、バンドが活動休止の間、未CD化だった12インチシングルをCD化した11thアルバム『RARE TRACKS』発売。

1993年

  • 3月5・6日、デビュー10周年に当たるこの年、無期限の活動休止から約2年を経て日本武道館にて『Live‘93 沈黙の答え』を地区限定で行う。ライブ終了後、バンドは再び活動を休止する。

1994年

  • 4月1日、1991年の活動休止から約3年経過の春、全国30カ所にて『TOUR 不滅』を開催[注釈 36]
  • 秋、4年ぶりにメンバーでスタジオに入り、次作アルバムの録音開始。

活動再開から解散まで[編集]

1995年

  • 4月21日、12thアルバム『WRECKAGE』発売。バンドの活動休止から4年4カ月ぶりとなるアルバムは、それまでのアルバムの流れを断ち切り、4人の今の新しいフィーリングを表す再出発的な一枚となっている。[注釈 37]
  • 10月1日、ライブ・アルバム『GET THE GEAR!』発売。

1996年

  • 11月21日、14thアルバム『NO BIG DEAL』発売。スタジオ・アルバムとしては本作が最後となる。

1998年

  • 4月1日、ベスト・アルバム『HOT MENU BEST OF THE STREET SLIDERS』発売。

2000年

  • 3月5日、結成20周年のこの日から毎月5日、新宿LIQUIDROOMにて4カ月連続のマンスリーLIVE『THE LATE SHOW』開催。Twilight Stage、Night Stageの1日2ステージ。
  • 10月29日、日本武道館での『LAST LIVE』を最後に解散。17年間のメジャー活動の中で23枚のシングル盤と15枚[注釈 38]のアルバム、全国で計689回のライブを行った。

スライダーズデビュー40周年[編集]

2023年1月23日、The Street Slidersデビュー40周年を記念してオフィシャル・サイトがオープン。豪華トリビュート盤とオリジナル音源の2枚組発売の告知と同時にYouTube Channel、専用Twitterアカウントも立ち上げられる。

デビュー40周年アニバーサリー・イヤーに発売されたトリビュート盤及びリマスター再発アルバム、Blu-ray等に関する詳細は「ディスコグラフィ」の項参照。

トリビュート&オリジナル音源2枚組[編集]

  • On The Street Again -Tribute & Origin- スライダーズデビュー40周年記念プロダクツ第1弾。 トリビュート&オリジナル音源2枚組(完全生産限定盤)
  • 豪華12組のアーティスト陣により独自に解釈し制作されたトリビュート音源(Disc1)と、現代に語り継ぐべく当時のオリジナル・アナログマスターを使用、リマスタリングしコンパイルした全16曲のオリジン盤(Disc2)の2枚組。
  • 2023年3月5日、デビュー記念日。公式YouTube Channelにて「オリジン盤先行全曲試聴会(爆オン上映会)」を一度きりで発売に先駆けて日本各地で開催。デビュー40周年を祝う。
  • FM COCOLOとFM802でザ・ストリート・スライダーズのトリビュート音源及びオリジナル音源をセットでデビュー日の3月5日から9日間連続でオンエアされる。
  • トリビュート盤がアナログ2枚組のLPで2023年12月20日に発売される。

SPECIAL PREVIEW GIG(豊洲PIT)[編集]

トリビュートアルバムのCD購入者を対象に日本武道館ライブの前夜祭として4月28日東京の豊洲PITにおいて「The Street Sliders 40th ANNIVERSARY SPECIAL PREVIEW GIG」を開催。全11曲、約1時間弱ではあったが、解散後4人が同じステージに上がるのはこれが初となる。

The Street Sliders Hello!!(日本武道館公演)[編集]

2023年5月3日に東京の日本武道館で「The Street Sliders Hello!!」ライブが行われ、解散後22年と半年振りにメンバー4人がステージに再集結。バックステージ開放席、立ち見席も含めた約1万4千人分のチケットは全て完売した。終演後、秋に全国ツアー『ROCK’N ROLL』を行うと発表。
衛星基幹放送事業(BSデジタル放送)WOWOWより日本武道館からライブの独占生中継及びストリーミング配信も行われた。

THE LIVE! アニバーサリー・エディション[編集]

40周年記念プロダクツの第2弾。1987年1月30日に行われた第一回日本武道館のライブが『天国と地獄 LIVE AT BUDOKAN 1987 40th Anniversary Edition』で初映像化。同時にCD音源もリマスターで未公開分を含めLPジャケットサイズのスペシャルパッケージで発売。

The Street Sliders TOUR 2023 「ROCK’N’ROLL」[編集]

日本武道館ライブ『Hello‼︎』終演後、2023年秋のツアー『ROCK’N’ROLL』が行われると発表された[12]
9月1日より関東、大阪、愛知、宮城、福岡の全9ケ所。入手困難となったチケットは全て完売した。

ツアー初日。埼玉のライブ会場で40周年記念のビジュアル・ヒストリー・ブック、及び新たなアナログ盤の発売が告知される。

ライジング・サン・ロック・フェスティバル[編集]

2023年8月11日。毎年夏に北海道石狩市に野外特設ステージを設けて開催される国内最大級の野外オールナイトロック・フェスであるライジング・サンに出演。スライダーズ40周年アニバーサリーイヤーで、スライダーズが野外の音楽フェスに出演するのはこの一箇所のみとなる。

40th Anniversary Final: The Street Sliders 「Thank You!」[編集]

前回のツアー『Rock’n’ Roll』最終日の大阪公演終演後、2024年春に40周年アニバーサリー・イヤーを締めくくるファイナルツアーを発表。[13]
2024年3月6日より全8ケ所を予定。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

全シングル収録曲は、デビュー35周年記念シングル集CD『THE SingleS』に収録。
# タイトル リリース 品番 収録曲 最高位 備考
1st Blow The Night! 1983年3月5日 (1983-03-05) 07・5H-149
SIDE A
  1. Blow The Night!
SIDE B
  1. のら犬にさえなれない
7インチ・シングル
2nd カメレオン 1984年11月1日 (1984-11-01) 12・3H-150
SIDE A
  1. カメレオン (Long Version)
SIDE B
  1. カメレオン (English Version)
12インチ・シングル
3rd New Dance 1985年7月1日 (1985-07-01) 12・3H-168
SIDE A
  1. NEW DANCE (Long Version)
SIDE B
  1. NEW DANCE (English Version)
4th Angel Duster 1985年11月21日 (1985-11-21) 07・5H-276
SIDE A
  1. Angel Duster
SIDE B
  1. No Down
7インチ・シングル
5th Angel Duster 1986年1月22日 (1986-01-22) 12・3H-206
SIDE A
  1. Angel Duster-Long Version (Special Extended Mega Mix)
SIDE B
  1. Party Is Over
  2. No Down
12インチ・シングル
6th Back To Back 1986年6月21日 (1986-06-21) 12・3H-231
SIDE A
  1. Back To Back
SIDE B
  1. Lay down the city
  2. Back To Back (Special Extended Version)
7th Special Women 1986年11月1日 (1986-11-01) 07・5H-324
SIDE A
  1. Special Women
SIDE B
  1. Up & Down Baby
7インチ・シングル
8th Boys Jump The Midnight 1987年1月21日 (1987-01-21) 07・5H-335
SIDE A
  1. Boys Jump The Midnight (Single Version)
SIDE B
  1. VELVET SKY
9th EASY ACTION 1987年7月22日 (1987-07-22) 07・5H-354
SIDE A
  1. EASY ACTION
SIDE B
  1. HOLD ON
10th 風が強い日 1987年11月21日 (1987-11-21) 07・5H-386
SIDE A
  1. 風が強い日
SIDE B
  1. のら犬にさえなれない (Live Version)
11th Baby, 途方に暮れてるのさ 1988年1月21日 (1988-01-21) 07・5H-398
SIDE A
  1. Baby, 途方に暮れてるのさ
SIDE B
  1. Back To Back (Live Version)
12th Don't Stop The Beat 1988年3月21日 (1988-03-21) 07・5H-3019
SIDE A
  1. Don't Stop The Beat
SIDE B
  1. Sunshine Eye Angel
13th TOO BAD 1988年4月30日 (1988-04-30)
  • 07・5H-3027
  • 10・8H-3027
SIDE A
  1. TOO BAD
SIDE B
  1. Day Dreamer
  • 7インチ・シングル
  • 8cmCDシングル
  • ※アナログ盤リリースは本作まで
14th ありったけのコイン 1988年9月21日 (1988-09-21) 10・8H-3039
  1. ありったけのコイン
  2. ハートに風穴
34位
  • 8cmCDシングル
  • ※本作よりCDのみリリース
15th Baby, Don't Worry 1989年1月11日 (1989-01-11) 10・8H-3082
  1. Baby, Don't Worry
  2. Rock On
8cmCDシングル
16th ROUTE S.S. 1989年12月9日 (1989-12-09) ESDB 3051/3 THE STREET SLIDERS (ESDB 3051)
  1. いい天気
  2. BADな女

JOY-POPS (ESDB 3052)

  1. GET OF MY MIND
  2. EMPTY HEART

土屋公平 (ESDB 3053)

  1. 届かぬラブレター
  2. 蜜の味
  • 8cmCDシングル×3
  • ※缶ケース入りBOXセット
17th COME OUT ON THE RUN 1990年10月21日 (1990-10-21) ESDB 3163
  1. COME OUT ON THE RUN
  2. IT'S ALRIGHT BABY
48位 8cmCDシングル
18th FEEL SO SAD 1995年3月24日 (1995-03-24) ESDB 3556
  1. FEEL SO SAD
  2. Hello Old Friends
53位
19th WAVE'95 1995年8月2日 (1995-08-02) ESCB 1608
  1. WAVE'95 (REMIX)
  2. 日暮し (REMIX)
  3. CHAMELEON (Extended English Version)
最高96位 / 0.2万枚 / 1995年度 年間940位 12cmCDシングル
20th On The Road Again 1996年9月21日 (1996-09-21) ESDB 3707
  1. On The Road Again
  2. 愛の痛手が一晩中
68位 8cmCDシングル
21st Can't Get Enough 1996年10月21日 (1996-10-21) ESDB 3716
  1. Can't Get Enough
  2. Cacth a Fire
86位
22nd Shinin' You 1997年11月21日 (1997-11-21) ESDB 3809
  1. Shinin' You
  2. いつか見たかげろう
23rd Get Up & Go 1998年8月21日 (1998-08-21) ESCB 1903
  1. Get Up & Go
  2. Ride on fuckin' age
  3. Get Up & Go (REMIX)
12cmCDシングル

アルバム[編集]

オリジナル[編集]

# タイトル リリース 備考
1st SLIDER JOINT 1983年3月5日 (1983-03-05)
2nd がんじがらめ 1983年12月1日 (1983-12-01)
3rd JAG OUT 1984年11月11日 (1984-11-11)
4th 夢遊病 1985年7月21日 (1985-07-21)
5th 天使たち 1986年11月21日 (1986-11-21)
7th BAD INFLUENCE 1987年10月1日 (1987-10-01)
9th SCREW DRIVER 1989年1月21日 (1989-01-21) アナログ盤リリースは本作まで
10th NASTY CHILDREN 1990年12月21日 (1990-12-21) 2023年8月アナログ盤(リマスター)リリース
12th WRECKAGE 1995年4月21日 (1995-04-21) 2023年8月アナログ盤(リマスター)リリース
14th NO BIG DEAL 1996年11月21日 (1996-11-21) 2023年8月アナログ盤(リマスター)リリース

ライブ[編集]

# タイトル リリース 収録曲 備考
6th THE LIVE! 〜HEAVEN AND HELL〜 1987年3月21日(初版)2023年リマスター及び再編集 1987年1月30日 (1987-01-30)、初の日本武道館公演『天国と地獄』を収録。後日ベルリンにてミックスされたライブ・アルバム。2023年に武道館ライブの映像作品付きアナログのリマスター盤が発売された(「デビュー40周年」の項参照)
13th GET THE GEAR (LIVE) 1995年10月1日 (1995-10-01) 1995年6月11・12日、東京NHKホール『'95 GREEN DRAGON TOUR』を収録したライブ・アルバム。
16th LAST LIVE 2001年1月24日 (2001-01-24) 2000年10月29日 (2000-10-29)日本武道館で行われた解散コンサートを全編収録した、2枚組ライブ・アルバム。

ベスト[編集]

# タイトル リリース 収録曲 備考
8th REPLAYS 1988年6月22日 (1988-06-22) 新録音の2曲を加えた全14曲をニューヨークにてリミックスを行った初のベスト・アルバム。
11th RARE TRACKS 1992年3月1日 (1992-03-01) 12インチ・アナログ・シングルやアルバム未収録など、レア音源を収録した企画盤。
15th HOT MENU BEST OF THE STREET SLIDERS 1998年4月1日 (1998-04-01) オリジナル・バージョンによる初の2枚組ベスト・アルバム。
- The LEGEND 2003年1月1日 (2003-01-01) EPICレーベル25周年記念のベスト・アルバム・シリーズの1枚。限定盤CD
- THE SingleS 2018年4月25日 (2018-04-25) デビュー35周年を記念したCD4枚組のシングル全曲集。リマスター&ハイレゾ化[14]

ボックス・セット[編集]

タイトル リリース 規格 カタログ番号 備考
ROX IN THE BOX 2001年3月28日 (2001-03-28) 11CD ESCB 2204/14 オリジナル・アルバム10枚に加えて、シングル・アルバム未収録曲・未発表曲(Run Silent, Run Deepのデモトラック)を編集したアルバム『Let Things Slide』(Disc-11)を加えた計11枚組ボックス・セット。今まで発表された全曲を完全網羅したコンプリート盤。全アルバム・デジタルリマスター、紙ジャケット仕様、未発表写真を含む200P写真集付。限定盤。
SLIDERS Collection BOX 2008年3月26日 (2008-03-26) 12CD MHCL 1301/12 紙ジャケット仕様での完全復刻によるオリジナル・アルバム10枚に加え、さらに12inchシングル・コレクション『Selected 12inch Singles』とSelectシングル・コレクション『Selected Singles』を加えた計12枚組ボックス・セット。限定盤。

デビュー40周年記念盤[編集]

タイトル リリース 収録曲 備考
On The Street Again -Tribute & Origin- 2023年3月22日 (2023-03-22) Disc1のトリビュート盤には12組の参加アーティストがスライダーズの楽曲を独自に解釈して制作した音源を収録。
オリジン盤(オリジナル音源)は、それぞれの曲がミックスダウンされた当時のオリジナルアナログマスターを使用しリマスタリングして収録。

▼完全生産限定盤 ESCL-5765 LABEL : エピックレコードジャパン B4サイズスペシャルBOX仕様 [CD 2枚組] ・Disc 1:The Street Sliders Tribute ・Disc 2:The Street Sliders Origin [付属品] ・7 inchサイズ紙ジャケット ・ブックレットカード ・完全復刻「SLIDERS GIG ’84」ツアーパンフレット:(B4サイズポスター20枚セット) ・40th Anniversaryアクリルブロックオブジェ(サイズ:100×148×15mm、重量:265g) ▼通常盤 ESCL-5768~5769 LABEL : エピックレコードジャパン CDサイズジュエルケース+ブックレット仕様 [CD 2枚組] Disc 1:The Street Sliders Tribute Disc 2:The Street Sliders Origin

天国と地獄

LIVE AT BUDOKAN 1987 40th Anniversary Edition (完全生産限定盤)

2023年5月3日 (2023-05-03)

ザ・ストリート・スライダーズ1987年の第一回日本武道館公演がデビュー40周年を記念してついに初映像商品化。同ライブ音源全21曲を完全収録したCDと、レア映像満載の『SLIDERS on eZ TV』初Blu-ray化の4枚組。
▼完全生産限定盤 MHXL-129~132 LABEL : エピックレコードジャパン LPジャケットサイズパッケージ仕様 BUDOKAN LIVE BOOK(40P) 2Blu-ray+2CD

映像作品[編集]

# タイトル リリース 収録曲 内容
1st SLIDERS GIG 1985年6月21日 (1985-06-21) 1984年11月5日 (1984-11-05)埼玉会館
2nd 摩天楼のダンス天国 1986年12月21日 (1986-12-21) 1986年8月5日 (1986-08-05)新宿都有3号地で行われたLIVE映像。2003年12月17日 (2003-12-17)、「Re-PRICEシリーズ」にて初DVD化。
3rd Suck The Blues 1988年4月21日 (1988-04-21) Promotion Clip Collections
4th ROCK'N' ROLL DEF' SPECIAL 1988年10月21日 (1988-10-21) 1988年8月12日 (1988-08-12)日本武道館
5th MADE IN JAPAN 1989年3月21日 (1989-03-21) Promotion Clip Collections
6th Hot Beard -LIVE DOCUMENT- 1989年11月1日 (1989-11-01) 1989年8月17日 (1989-08-17)、富士急コニファーフォレスト
7th Harry Sings 1990年7月21日 (1990-07-21) 1990年4月23日 (1990-04-23)福岡市民会館
1990年4月26日 (1990-04-26)、沖縄ヒューマンステージ
8th Get Wet When It Rains 1990年9月1日 (1990-09-01) 1990年6月3日 (1990-06-03)、日比谷野外音楽堂
9th Children's Children 1991年3月21日 (1991-03-21) Promotion Clip Collections
10th BIG BEAT, DANCE '91 1992年3月25日 (1992-03-25) 1991年1月5日 (1991-01-05)、日本武道館
11th 1996 BIG SIGHT LIVE 1996年11月21日 (1996-11-21) 1996年8月27日 (1996-08-27)東京ビッグサイト西棟屋上
12th SLIDERS on eZ TV 1998年10月31日 (1998-10-31) エピックソニーで制作されたTVプログラム“eZ”(1988年 (1988)~1992年 (1992)、全58回ON AIR)用に収録され、eZでしか見ることの出来なかったメンバーのスタジオ映像、ドキュメント映像を収録。2003年12月17日 (2003-12-17)、「Re-PRICEシリーズ」にて初DVD化。
13th Early Sliders LIVE 1983-1987 1998年10月31日 (1998-10-31) デビューした1983年 (1983)久保講堂のライブから1987年 (1987)日本武道館公演まで、年代を追って316本のステージからセレクトされた8公演より13曲を収録。2003年12月17日 (2003-12-17)、「Re-PRICEシリーズ」にて初DVD化。
14th LAST DAY 2001年1月24日 (2001-01-24) 2000年10月29日 (2000-10-29)、日本武道館
15th "THE LATE SHOW" FILM 2002年 (2002) 2000年3月 (2000-03)〜6月、新宿LIQUIDROOM
※販売元:株式会社フープ
16th History of THE STREET SLIDERS 2007年10月31日 (2007-10-31) Disc1:解散の翌年に行われたFILM CONCERTのパッケージ化。
Disc2:未発表映像の1999年9月19日 (1999-09-19)に行われた日比谷野音Live。
17th SLIDERS THE VIDEO 1983-2000 2016年3月30日 (2016-03-30) EPICレーベル在籍期(1983〜2000)に発表した映像作品12タイトルを収録した7枚組のDVD BOX。12タイトルのうち10タイトルが初DVD化。加えてボーナス映像として、解散ライヴ前夜にViewsic(現:MUSIC ON! TV)で放送された特別番組を収録。
- ROCK'N' ROLL DEF' SPECIAL 2019 REMASTER 2019年1月9日 (2019-01-09) 1988年 (1988)日本武道館ライヴ映像に加え、オリジナル映像商品には収録されなかった5曲を追加した、映像・音のレストア・リマスターによる再発。

関連書籍[編集]

タイトル 発行 著者、撮影者 発刊日 内容
タイクツってやつに、ケリいれて! 音楽専科社 1984年7月 (1984-07) 音楽雑誌『アリーナ37℃』で、1983年 (1983)の夏から約1年連載された記事をまとめたもの
ROCK PIX シンコーミュージック 撮影:ハービー・山口 1985年8月10日 (1985-08-10) ロンドン写真集
夢の跡 JICC出版局 著者:宇都宮美穂、沼崎敦子 1986年5月15日 (1986-05-15) 1985年 (1985)のツアーに同行した著者の、インタビュー形式のエッセイ
UP & DOWN 音楽専科社 撮影:三浦まり子 1987年11月22日 (1987-11-22) ライブ写真集
THE STREET SLIDERS DEF' シンコーミュージック 撮影:庄嶋與志秀 1988年4月14日 (1988-04-14) 5年間63曲の全詩掲載ビジュアル詩集
蘭丸 音楽専科社 撮影:おおくぼひさこ 1989年3月3日 (1989-03-03) 土屋公平ソロ写真集
1988-1989 CBSソニー出版 撮影:新山健次、三浦まり子 1989年3月25日 (1989-03-25) Book① 写真集 撮影地/インド北海道ニューヨーク
Book② ROCK'N' ROLL DEF'ツアーのライブフォト、インタビュー、ライブヒストリー
Drive ストリート・スライダーズ写真集 扶桑社 撮影:杉山芳明 1991年1月25日 (1991-01-25) 写真集
らんまるのわがまま 音楽専科社 著者:佐伯明 1992年11月2日 (1992-11-02) 音楽雑誌『アリーナ37℃』で、1989年3月 (1989-03)号から1992年6月 (1992-06)号まで連載されたコラムの単行本化
ダイヤのギター ソニー・マガジンズ 著者:宇都宮美穂 1994年7月15日 (1994-07-15) デビュー当時から追いつづけてきたライター宇都宮美穂が、土屋公平の言葉とギターの音の誘われて足を踏み入れた世界で見たものを綴ったエッセイ
聖者のラプソディー ロッキング・オン 1995年5月30日 (1995-05-30) 音楽雑誌『ROCKIN'ON JAPAN』等で掲載されたインタビューを、1冊にまとめたもの
THE STREET SLIDERS FILE ARENA37℃ 1983.4 ▶ 2000.10.29 音楽専科社 2001年3月31日 (2001-03-31) 音楽雑誌『アリーナ37℃』に掲載された全記事をまとめたもの。1984年 (1984)発刊「タイクツってやつに、ケリいれて!」の復刻版とセット


The Street Sliders Rock’n Roll Chronicle パルコ出版 ストリート・スライダーズ 2023年9月9日 結成40周年の節目の豪華7大付録付きビジュアルヒストリー本。アーティスト写真、レコード、カセット、ポストカード、フライヤーなどをアルバムごとに収めた年代記。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ジェームスの記憶では、初めてのステージは1980年4月19日、地元にあるヤマハ・スタジオの小さなサロン・コンサート。ZUZUが答えた雑誌のインタビュー記事では、福生のエレクトリック・UZUが初めてと語る。インタビュアー大野祥之「ザ・ストリート・スライダーズ 幼児期から現在までの総集編 彼らのバックボーンを探る」『アリーナ37℃』8月号、音楽専科社、1986年
  2. ^ 演奏は「すれちがい」と「SO HEAVY」の2曲
  3. ^ 1978年に発足した、ソニー・ミュージックエンタテインメントの新人開発・発掘セクション
  4. ^ スライダーズには7社から誘いがあったが、EPIC・ソニーを選んだのはスライダーズの音楽の要を理解してくれていたからと当時の村越は語る。インタビュアー梅原裕子「福岡密着取材第二弾」P19、『アリーナ37℃』8月号、音楽専科社、1983年。
  5. ^ 村越の初めての自作曲は「のら犬にさえなれない」で、デビュー・アルバムとデビュー・シングルのB面にそれぞれ収録されている。デビューからバンド解散に至るまで歌われ続け、スライダーズ初の日本武道館公演、そして解散ライヴでもアンコール最後の演奏曲に選ばれている。「ハリーの行方①」1990年1月インタビュー:佐藤健 p213。『ストリート・スライダーズ 聖者のラプソディ』、株式会社ロッキング・オン、1995年。
  6. ^ ファースト・アルバムのリリース当日、福生UZUのステージに上がらされて前説を行ったEPICソニー宣伝担当(当時)大崎の言葉:『レコード・ショップへ足を運べば、AからZまで、いっぱいのロックのレコードがあります。あたりまえのことだけどジョン・レノンストーンズや、ボブ・ディランが並び、日本では、RCサクセション矢沢永吉が並びます。その中に『SLIDER JOINT』が並びました。まだストリート・スライダーズは点のような存在です。(中略)今は勝ち目がありません。でも、勝たなくてはなりません。日本でロック・バンドが成功するには、たくさんの時間と努力が必要です。死にものぐるいでやって、それでもダメというのが普通です。今日、スライダーズがリングにあがって、ゴングが鳴りました。(中略)スライダーズが大きく成長した日、このスペシャル・ギグを思い出し、語りついでください』『タイクツってやつに、ケリ入れて!』野本健、p71。
  7. ^ アマチュア時代に作った曲のアレンジをし直したり、歌詞を作り直して入れたものがほとんどで「スライダーズらしさを出し過ぎてファンが離れていくんじゃないか」と周りが心配したが、村越は「それだけやり尽くすと次が見えてくる」と後のインタビューで語っている。梅原祐子「THE STREET SLIDERS 只今驀進中‼︎」P63、『アリーナ37℃』8月号、音楽専科社、1984年。
  8. ^ JAG OUT』から作詞・作曲のクレジットにJOY-POPSを使い始め、アルバムの中で土屋が1曲リード・ボーカルを歌うようになる。ベースの市川はアルバム『SLIDER JOINT』と『SCREW DRIVER』で1曲ずつボーカルをとっている。「Feel So Down」では初めてレゲエのビートを取り入れている。
  9. ^ …当時マイナー気味だったスライダーズを明るく応援する為というのが表向きの理由だがその実、取材などで会う時のメンバーのデカい態度につのったウップンを晴らそうとしたのが正しい理由。入会資格はスライダーズを好きな(または嫌いな)健康で勤労意欲に燃える20以上の男女。但し学生、職の無い方は入会不可能》『THE BACK IN THE STREET 5YEARS STREET SLIDERS』、P167、Street Sliders Organization、POP ROCK COMPANY出版、1988年
  10. ^ 1stシングルの「Blow the Night」は映画のサウンドトラックのために書かれた曲。その後発売された2ndシングル「カメレオン」や3rdシングル「NEW DANCE」もオリジナルのロング・バージョンであったり、フル・レングスをエディットしたショート・バージョンであった。
  11. ^ ハリー:「ドーナツ盤は作りたかったんだよね、前から。それなりにロックとして勝負できる曲ができたらってさ。溶け込むためのシングルっていうんじゃなくてさ、これなら勝負できると思うんだよ」、ジェームス:「これならイケるって思った」、ハリー:「“Angel Duster”って曲ができたからシングルを出した。前もって決まっていてその為にやったというのとはまた違う」「Angel Dusterってオレたちにとって新しいことなのね。『夢遊病』終わってから、オリジナルってことに頭が行っててさ。それの第一号って感じなんだよね」『誰もがブッ飛ぶ超強力盤で勝負に出た』インタビュアー:大野祥之、アリーナ37℃臨時増刊 音楽専科社、1986年1月号。
  12. ^ …マイケル・ツィマリングは、ベルリンのハザントン・スタジオのミキサーで、ニナ・ハーゲンやノイバウテンの初期のレコードや、加藤和彦さん、坂本龍一&デヴィッド・シルヴィアンBOØWYのレコードなんかをやった人で、彼自身がBOØWYを気に入っていたこともあり、スライダーズのレコーディングはBOØWYのツアーの合間にやりましたね。ボクもマイケルも普段はスライダーズのような音楽は聴く機会もないし、まさか一緒に仕事をやるなんて考えてもみなかった》『ザ ・ストリート・スライダーズ:アレンジャー佐久間正英スライダーズについて語る』インタビュアー:大野祥之、アリーナ37℃、音楽専科社、1986年2月号。
  13. ^ 二人はスライダーズの音源のリミックスと佐久間のシンセサイザーを被せる作業をスタジオでほぼ24時間行っていた。
  14. ^ アルバム『天使たち』をリリースした1986年頃からスライダーズのライブを観にくる客層にちょっとした変化が見られるようになる。外見的なことを言えば前はいかにもスライダーズっぽいスタイルのファンばかりだったところが、普通の女子高生や坊主頭の少年も入り混じりスライダーズの人気の広がりを見せていた。『THE STREET SLIDERS:1月30日で武道館伝説は終わった』、大桃紀子、アリーナ37℃、音楽専科社、1987年4月号。
  15. ^ RED WARRIORSはスライダーズの登場前に30分ほど演奏したが、彼らが出演することはファンに知らされていなかった。開演時刻と同時にステージに上がってきたメンバー達を見て興奮したファンがステージに押し寄せ一時騒然とする。
  16. ^ 昔から出したいと思ってたんだよね(蘭丸)》《やっぱりさ、イイものは残しときたいじゃん(ズズ)》《いい音ができたからレコードにする訳でさ。俺たちずっと前からライブ・アルバムって創りたかったんだよ(ハリー)》。以前からライブの度に音は録ってあり、いい音が録れたらと機会を狙っていた。トラック・ダウンはベルリンのハンザトン・スタジオ。ミキサーは『天使たち』のマイケル・ツィマリング。この頃のマイケルはスライダーズにとって欠かせない人物になっている。『THE STREET SLIDERS:1月30日で武道館伝説は終わった』、大桃紀子、アリーナ37℃、音楽専科社、1987年4月号。
  17. ^ …武道館での音を聴いた時、彼らは「俺たちのやりたいことがダイレクトに出ている」と感じた。それでベルリンにそのテープを持って行った。ミックス・ダウンを終えて帰ってくると、毎日その“THE LIVE!”を聴いていた》『ザ・ストリート・スライダーズ “ザ ・ライヴ!”』、関陽子、アリーナ37℃、音楽専科社、1987年5月号。
  18. ^ プロデューサーはザ・クラッシュやファン・ボーイ・スリー、トッパー・ヒードンなどを手掛けたジェレミー・グリーン。エンジニアはキース・フェルナンデスが参加している。このアルバムからスライダーズの曲の中にレゲエのリズムが取り入れられていく。
  19. ^ 1987年8月22日 (1987-08-22)、九州熊本県阿蘇郡久木野村にある県営野外劇場アスペクタで行なわれた12時間のオールナイト野外ライヴ。出演アーティストは、佐野元春 with THE HEARTLAND、HOUND DOGBOØWY尾崎豊渡辺美里、ザ・ストリート・スライダースら全13組。県内外から70,000人以上の若者が集まった。野外で行われたこのライヴは、夕方から大雨洪水雷雨注意報が出され、幕を開けた時点で既に激しい雨と風が野外ステージと観客を襲っていた。スライダーズの登場は深夜の真夜中過ぎで、観客の疲労もピークに達する頃であった。翌年の1988年にはマザーグループに所属するアーティスト5組のステージをまとめたフィルム・コンサート『ビート・チャイルド(マザー編)』が全国で行われている。さらに2013年秋にもドキュメンタリー映画として再構成され、合計10組のアーティストのライヴステージと裏方スタッフや楽屋の様子をまとめた映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987』が全国の映画館で限定上映されている
  20. ^ 9月24日に踵複雑骨折
  21. ^ ミキサーはミック・ジャガーのソロ・アルバムを手がけたエド・ステイシアム(ED STASIUM)。
  22. ^ このステージでバンドは「Angel Duster」を、JOY-POPSでのアコースティックの演奏を基本とし、それをフィード・バックした形で、本来とは全く異なるアレンジで演奏した。『THE STREET SLIDERS NOT TOO BAD LIVE!!』、関陽子、アリーナ37℃、6月号、株式会社音楽専科社、昭和63年
  23. ^ 「…今回のアルバムは…まずオレたちがプロデュースする、したいってところがあって、バンドで音を固めていく時も『天使たち』や『BAD INFLUENCE』は、まずオレたちで固めちゃってから後のプラスアルファをプロデューサーやエンジニアに期待してたところもあるし。“やり方”を“見たい”ってところがあった。その人たちがどんな風にやるのかを。でも今回は全部オレたちのセンスでまとめたかったんだ(蘭丸)」インタビュアー佐伯明「ARENA 37°FRONT ISSUE THE STREET SLIDERS “SCREW DRIVER”INTERVIEW」『アリーナ37℃』2月号、音楽専科社、1989年
  24. ^ ジェームス「やっぱりライブの方を中心にやってたって感じかな? ツアーも2回あったし」、蘭丸「レコードの間隔があいたからといって、休んでたわけじゃないしね。《ROUTE S・S》でそれまでとまた違った形で曲を発表しようってことになった。ツアーに挟まれた感じかな。アルバム中心には考えづらいってところはあるよね」インタビュアー佐伯明「THE STREET SLIDERS 馬鹿になったような、利口になったような」『アリーナ37℃』1月号、音楽専科社、1991年
  25. ^ 鈴木の事故によるバンド活動の休止や、この後の無期限活動休止がなければ、ユニットのJOY-POPSや土屋のソロ活動は考えられなかったとインタビューで語っている。
  26. ^ インタビュー大野祥之「THE STREET SLIDERS:スライダーズのBAD感覚」P55-P57『Rockin'f』立東社(発売当時。現アポロコミュニケーション)掲載年月日確認中
  27. ^ 鈴木将雄「(ROUTE S.Sが違った見方を備える引き金に)…個人的には細かいところでなったんじゃないかな?」「一番はやっぱりビート関係だろうね。そこから見えてくるモノは多かった」「まずはオレとジェームスのコンビネーションにおいてすごくクリアになったことがある。(中略)それがバンド全体にも広がったんじゃないかと」、インタビュアー佐伯明「THE STREET SLIDERS 馬鹿になったような、利口になったような」『アリーナ37℃』1月号、音楽専科社、1991年
  28. ^ 土屋“蘭丸”公平「…前回(ROUTE S.S)のツアーあたりから、こう…(中略)ああ、この辺りでメンバーがイイ感じでまとまるんだなって思った。(日比谷)野音で一つ確認できたし。…(中略)言ってみれば、“軽み”みたいなモノでさ。やっぱ新しい感触が手に入れば、新曲にブチ込みたくなる」、インタビュアー佐伯明『アリーナ37℃』1月号、音楽専科社、1991年
  29. ^ (今回のクレジットは全編JOY-POPSになってますが、曲を書く時間よりもそれを整理して絞ってゆく時間の方が長かった?)そうだね。できるまで、音として出てくるまでが長かったからね。》村越弘明。インタビュアー佐伯明『アリーナ37℃』1月号、音楽専科社、1991年
  30. ^ …だから、アルバムのテーマを一つ決めて、それに向かって曲を創っていくってパターンじゃないからさ。日頃やっぱりツアーやってレコーディングやってって大きなサイクルで過ごしてるから。どの時期にアルバム出すかで、自分達を再確認するんだよ。この辺に向かってたんだなってことが曲を見てわかる。(曲の中に)方向性があるような気がするんだ。》土屋“蘭丸”公平。インタビュアー佐伯明『アリーナ37℃』1月号、音楽専科社、1991年
  31. ^ 正確には、7thアルバム『BAD INFLUENCE』収録曲「Baby, 途方に暮れてるのさ」にて既にレゲエのリズムが取り入れられている。
  32. ^ 《…俺達の中からもまた別の欲求が出てきて、気持ちと一緒に変化してきたんではないかと。実際そうでね。《NASTY CHILDREN》や《SCREW DRIVER》とか、あの辺でも、またそういう…自分の中で。それがバンドに反映してくるわけよね、当然ね。結構いろいろ自分の中で、試みた部分というかな(中略)だから《Baby, 途方に暮れてるのさ》もね、結構レゲエにいっててね。まあ、レゲエにいってたというよりもスライ&ロビーにいってたという。そういう部分でちょっとああいうスタイルもさ、自分の中からやってみたいなっていう…。》鈴木将雄。「祝!デビュー10周年特別企画メンバーインタビュー」、P18、『SLIDER JOINT』56号、Street Sliders Community、1993年。
  33. ^ 《これはリズム隊についての話になっちゃうけど、いわゆる16ビートものにしても、レゲエもんにしても、あとバラードにしても、ハッキリしてきたことを一つ演ってみたかったんだよね。(略)新しいレコードに入ってる《PANORAMA》や《FRIENDS》なんかは、今までのスライダーズの解釈からはちょっと離れている。(ZUZU)》鈴木将雄。インタビュアー佐伯明『アリーナ37℃』1月号、音楽専科社、1991年
  34. ^ “『NASTY CHILDREN』の後、なぜこの時期にこうなったのか(長期活動休止)”というインタビュアーの質問に対し、村越が答えるインタビューがある。《…個人的なことを言わせてもらえば、『NASTY CHILDREN』なんかに関してはすごくいい仕事ができたんだけど、こう、ロンドン行って何曲かやって、日本でまた何曲かやってみたいな感じでやってたのがすごくなんか辛かったんですよね。すごく消耗しちゃってね…》《…もう、長い間の積み重ねっていうかね。なんかそういう部分でちょっと神経がまいっちゃったみたいなこともあったんで。》「村越弘明 音楽が持っている力に感謝したい気分です」1995年4月インタビュー:山崎洋一郎、p338-337。『ストリート・スライダーズ 聖者のラプソディ』、株式会社ロッキング・オン、1995年
  35. ^ 『NASTY CHILDREN』の後冬眠するという村越の決断について、後のインタビューで次のように答えている。《…あとは個人的な問題で、魑魅魍魎というかモノノケに取り憑かれてた部分があったんでね、今考えると。その時点ではオレ自身の問題ってのが大きかったんじゃないかと思いますけど。》《…じわりじわりとそれ以前から始まってましたよね。バンドを続けることが逆にマイナスだと思いましたからね。》《…バイオリズムっていうのを感じながらもガンガン行ける時期-たとえば『天使たち』の頃ってものすごく忙しかったんですけど、その頃はこなせたんだよね、全然…と、そうじゃない負の、ハマってしまうほうにどっぷり行く時期もあって…。そっちへ行くとね、それを無視してなにが作れるんだろうってオレは思うんでね…。》インタビュアー佐伯明「THE STREET SLIDERS 12年の時の流れと4年半ぶりに出された結論」『アリーナ37℃』5月号、音楽専科社、1995年
  36. ^ 『TOUR 不滅』の後、大阪、愛知、東京にてツアー・スペシャル『D・D DANCE』を開催。
  37. ^ (WRECKAGEがセルフ・プロデュースだったことについて)《…4人の中にスライダーズを取り戻すっていうことがありましたからね。だからプロデューサーをたてる必要性は感じなかった。今回のレコーディングはゲスト・プレーヤーもいないし、ダビングもすごく少なかった。(土屋公平)》インタビュー阿部康宏「土屋公平・BADな状況から逃げ出さずにやってきたことを誇りに思っています。」、P9-12、『Rockin'f』、立東社(発売当時。現アポロコミュニケーション)、1995年。
  38. ^ 2001年に発売された最後の武道館での解散ライヴを収めたライブ・アルバム『LAST LIVE』は、バンド解散後の発売につき、トータル枚数に加算しない。

出典[編集]

  1. ^ 『タイクツってやつに、ケリ入れて!』野本健、p16。
  2. ^ 鈴木将雄ヒストリーインタビュー」1995年2月インタビュー:山崎洋一郎 p120。『ストリート・スライダーズ 聖者のラプソディ』、株式会社ロッキング・オン、1995年。
  3. ^ 『タイクツってやつに、ケリ入れて!』野本健、p29-34。
  4. ^ 『タイクツってやつに、ケリ入れて!』野本健、p36-37。
  5. ^ 「土屋公平 俺にとってはロックンロールっていうのは宗教みたいなものなんだ」1989年5月インタビュー:佐藤健p183。『ストリート・スライダーズ 聖者のラプソディ』、株式会社ロッキング・オン、1995年。
  6. ^ 『タイクツってやつに、ケリいれて!』/ The Street Sliders Story』野本健 アリーナ37℃臨時増刊 音楽専科社、1984年。P42
  7. ^ 過去のオーディション1980~”. Sony Music Audition. ソニーミュージック. 2021年5月6日閲覧。
  8. ^ 「村越弘明 音楽が持っている力に感謝したい気分です」1995年4月インタビュー:山崎洋一郎、p325。『ストリート・スライダーズ 聖者のラプソディ』、株式会社ロッキング・オン、1995年。
  9. ^ 都内ホテルで祝賀パーティなども催された。『THE STREET SLIDERS LAST LIVE』、佐伯明、アリーナ37℃、音楽専科社。
  10. ^ 「THE STREET SLIDERS 馬鹿になったような、利口になったような」P395、インタビュアー佐伯明『アリーナ37℃』1月号、音楽専科社、1991年
  11. ^ 「Easy,New Year's Day Tour」、P2、『SLIDER JOINT』46号、Street Sliders Community、1991年。
  12. ^ The Street Sliders TOUR 2023 「ROCK’N’ROLL」https://www.sonymusic.co.jp/artist/TheStreetSliders/live/?_ga=2.95905692.1824815250.1684195245-2015129135.1684195245
  13. ^ 40th Anniversary Final THE STREET SLIDERS「Thank You!」 https://www.sonymusic.co.jp/artist/TheStreetSliders/live/?_ga=2.114732611.598450697.1702382082-2056727509.1702382082
  14. ^ THE STREET SLIDERS、デビュー35周年記念シングル全集リリース”. ナタリー (2018年4月25日). 2018年6月8日閲覧。

参考文献[編集]

書籍[編集]

  • 野本健 『タイクツってやつに、ケリいれて!/ The Street Sliders Story』アリーナ37℃臨時増刊 音楽専科社、1984年。
  • 『THE STREET SLIDERS FILE ARENA37℃ 1983.4 ▶2000.10.29』アリーナ37℃、音楽専科社、2001年。
  • 『ストリート・スライダーズ 聖者のラプソディ』、株式会社ロッキング・オン、1995年

Web[編集]

雑誌[編集]

  • インタビュアー大野祥之「ザ ・ストリート・スライダーズ 幼児期から現在までの総集編 彼らのバックボーンを探る 」『アリーナ37℃』8月号、音楽専科社、1986年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

村越弘明
土屋公平
市川洋二
鈴木将雄
Sony Music
その他
The Street Sliders デビュー40周年記念オフィシャルサイト

©EPIC Records Japan (Sony Music Labels Inc.)

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岡部好