ステファン・フース

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ステファン・フース
Stephen Huss
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 同・ベンディゴ
居住地 同・メルボルン
生年月日 (1975-12-10) 1975年12月10日(48歳)
身長 180cm
体重 74kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2000年
引退年 2011年
ツアー通算 4勝
シングルス 0勝
ダブルス 4勝
生涯通算成績 126勝171敗
シングルス 0勝0敗
ダブルス 126勝171敗
生涯獲得賞金 $1,010,831
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2005・07・09・10)
全仏 3回戦(2008・10・11)
全英 優勝(2005)
全米 1回戦(2002・05・06・08-11)
優勝回数 1(英1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 807位(2001年3月19日)
ダブルス 21位(2006年6月26日)

ステファン・フースStephen Huss, 1975年12月10日 - )は、オーストラリアビクトリア州ベンディゴ出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして活動し、2005年ウィンブルドン選手権男子ダブルスでウェスリー・ムーディ南アフリカ)とペアを組んで優勝した選手である。彼は普段からダブルスのみに活動を絞り、ATPツアーでは1度もシングルスへのエントリーがない。2005年ウィンブルドン選手権を含むダブルス4勝を挙げた。日本語では「ステファン・ハス」の表記も見られる。

来歴[編集]

フースは1990年代スウェーデンテニス界を代表するトップ選手だったニクラス・クルティをいとこに持ち、両親ともスウェーデン人の家庭で、オーストラリア・ベンディゴの地に誕生した。彼は1996年から2000年までアメリカ合衆国アラバマ州オーバーン大学でスポーツ科学を学び、副専攻科目として心理学を履修しながら、学生テニス競技大会で93個のダブルス・タイトルを獲得した。大学卒業後の2000年にプロ転向。2002年4月のハサン2世グランプリマイルズ・ウェイクフィールドと組んで男子ツアーダブルス初優勝を果たす。

フースのテニス経歴のハイライトは2005年ウィンブルドン選手権男子ダブルス優勝である。フースはウェスリー・ムーディとペアを組んで予選を勝ち上がり、本戦2回戦でマヘシュ・ブパシ/トッド・ウッドブリッジ組を6-3, 7-6, 6-3のストレートで破って波に乗る。長年にわたってダブルスの王者として君臨したウッドブリッジは、この試合の敗戦を最後に現役を引退した。フースとムーディは、準々決勝でマーク・ノールズ/ミカエル・ロドラ組、準決勝でヨナス・ビョルクマン/マックス・ミルヌイ組と強豪ペアを連破し、決勝では第2シードのブライアン兄弟と対戦した。初の決勝で、伏兵のフース/ムーディ組はブライアン兄弟を7-6, 6-3, 6-7, 6-3で破って優勝した。予選勝者のウィンブルドン優勝は、選手権の歴史を通じて史上初の出来事であり、フースにとっては3年ぶりのATPツアーダブルス2勝目になった。しかし、フースとムーディは全米オープンで男子ダブルス1回戦敗退に終わった。

フースは日本ジャパン・オープン・テニス選手権に6度出場しており、2007年にこの大会で準優勝があった。パートナーはカナダフランク・ダンチェビッチで、決勝でジョーダン・カー/ロベルト・リンドステット組に4-6, 4-6で敗れて優勝を逃した。2008年9月のチャイナ・オープンロス・ハッチンスと組んで優勝し、2005年ウィンブルドン選手権以来のダブルス3勝目を獲得した。

2010年10月の南フランス・オープンでダブルス4勝目を挙げたのが最後の優勝になり、2011年10月に現役を引退した[1]

フースは2009年12月29日にベネズエラのテニス選手であるミラグロス・セケラと結婚した。2011年に第1子の長女が誕生している。

ATPツアー決勝進出結果[編集]

ダブルス: 12回 (4勝8敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2002年4月14日 モロッコの旗 カサブランカ クレー 南アフリカ共和国の旗 マイルズ・ウェイクフィールド アルゼンチンの旗 マルティン・ガルシア
アルゼンチンの旗 ルイス・ロボ
6–4, 6–2
優勝 2. 2005年7月3日 イギリスの旗 ウィンブルドン 南アフリカ共和国の旗 ウェスリー・ムーディ アメリカ合衆国の旗 ボブ・ブライアン
アメリカ合衆国の旗 マイク・ブライアン
7–6(7–4), 6–3, 6–7(2–7), 6–3
準優勝 1. 2005年10月30日 スイスの旗 バーゼル カーペット (室内) 南アフリカ共和国の旗 ウェスリー・ムーディ アルゼンチンの旗 アグスティン・カレリ
チリの旗 フェルナンド・ゴンサレス
5–7, 5–7
準優勝 2. 2007年2月4日 アメリカ合衆国の旗 デルレイビーチ ハード イギリスの旗 ジェームス・オークランド アメリカ合衆国の旗 ヒューゴ・アーマンド
ベルギーの旗 グザビエ・マリス
3–6, 7–6(7–4), [5–10]
準優勝 3. 2007年10月7日 日本の旗 東京 ハード カナダの旗 フランク・ダンチェビッチ オーストラリアの旗 ジョーダン・カー
スウェーデンの旗 ロベルト・リンドステット
4–6, 4–6
優勝 3 2008年9月28日 中華人民共和国の旗 北京 ハード イギリスの旗 ロス・ハッチンス オーストラリアの旗 アシュリー・フィッシャー
アメリカ合衆国の旗 ボビー・レイノルズ
7–5, 6–4
準優勝 4. 2008年10月6日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) イギリスの旗 ロス・ハッチンス ウクライナの旗 セルジー・スタホフスキー
イタリアの旗 ポティト・スタラーチェ
6–7(4–7), 6–2, [6–10]
準優勝 5. 2008年10月20日 フランスの旗 リヨン カーペット (室内) イギリスの旗 ロス・ハッチンス フランスの旗 ミカエル・ロドラ
イスラエルの旗 アンディ・ラム
3–6, 7–5, [8–10]
準優勝 6. 2009年3月25日 アメリカ合衆国の旗 マイアイ ハード オーストラリアの旗 アシュリー・フィッシャー ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ
イスラエルの旗 アンディ・ラム
7–6(7–4), 2–6, [6–10]
準優勝 7. 2010年4月10日 アメリカ合衆国の旗 ヒューストン クレー 南アフリカ共和国の旗 ウェスリー・ムーディ アメリカ合衆国の旗 ボブ・ブライアン
アメリカ合衆国の旗 マイク・ブライアン
3–6, 5–7
優勝 4. 2010年10月31日 フランスの旗 モンペリエ ハード (室内) イギリスの旗 ロス・ハッチンス スペインの旗 マルク・ロペス
アルゼンチンの旗 エドゥアルド・シュワンク
6–2, 4–6, [10-8]
準優勝 8. 2011年1月15日 ニュージーランドの旗 オークランド ハード スウェーデンの旗 ヨハン・ブルンストロム スペインの旗 マルセル・グラノジェルス
スペインの旗 トミー・ロブレド
4–6, 6–7(6–8)

脚注[編集]

外部リンク[編集]