スタン・コベレスキ

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スタン・コベレスキ
Stan Coveleski
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州シャモキン
生年月日 1889年7月13日
没年月日 (1984-03-20) 1984年3月20日(94歳没)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
166 lb =約75.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 1912年9月10日
最終出場 1928年8月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1969年
選出方法 ベテランズ委員会選出

スタン・コベレスキ(Stanley Anthony "Stan" Coveleski、 1889年7月13日 - 1984年3月20日)は、1910~1920年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手ペンシルベニア州シャモキン生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Covey"(コービー)。1910~1920年代のクリーブランドの主力投手で、1920年以降もスピットボールを投げることを公式に認められていた一人。

略歴

ポーランド系アメリカ人として生まれたコベレスキは、1909年にマイナーリーグのランカスター球団に入団、1912年にアトランティックシティからフィラデルフィア・アスレチックスに入団してメジャーにデビューする。この年は5試合に登板し2勝1敗の成績だった。翌年から3年をマイナーで過ごした後、1915年にポートランドからインディアンズに入団、翌年から本格的にメジャーリーグで投げ始めた。1917年と1918年には2年続けて1点台の防御率を記録、1918年から1921年までは4年続けて20勝以上を挙げるなど、インディアンズの主力投手として活躍する。

1920年にはリーグの最多奪三振投手となり、この年のワールドシリーズに出場、ブルックリン・ロビンズを相手に3戦登板していずれも完投勝利、相手に合計で2点しか与えないという快投を見せ、インディアンズをシリーズ制覇に導く活躍をした。インディアンズには1924年まで在籍し、同年12月にセネターズにトレードされた。

35歳でセネターズに移った1925年、コベレスキは自身2度目となるリーグの最優秀防御率投手となり、セネターズのリーグ優勝に貢献する。しかしパイレーツと対戦したワールドシリーズでは、2戦に登板し2敗に終わった。セネターズには3年在籍した後、1928年にヤンキースで現役を引退した。

1969年にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出。1984年にインディアナ州で死去。

通算成績

投手成績
































W
H
I
P
450 385 3082.0 215 38 142 21 981 3055 66 802 30 35 990 2.89 1.25

獲得タイトル・記録

打撃成績

  • 通算成績:451試合、1058打数168安打、本塁打1、打点81、打率.159

出典・外部リンク