スコット・マシソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Coomm (会話 | 投稿記録) による 2016年3月16日 (水) 11:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎詳細情報)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

スコット・マシソン
Scott Mathieson
読売ジャイアンツ #20
2012年5月13日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 カナダの旗 カナダ
出身地 ブリティッシュコロンビア州バンクーバー
生年月日 (1984-02-27) 1984年2月27日(40歳)
身長
体重
191 cm
104 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト17巡目 (全体509位) でフィラデルフィア・フィリーズから指名
初出場 MLB / 2006年6月17日
NPB / 2012年4月18日
年俸 $ 1,500,000(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

国際大会
代表チーム カナダの旗 カナダ
WBC 2006年2013年

スコット・ウィリアム・マシソンScott William Mathieson , 1984年2月27日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手投手)。右投右打。カナダブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身。

経歴

プロ入り前

高校時代はカナダの学生野球リーグブリティッシュコロンビア・プレミア・ベースボール・リーグでプレー。

フィリーズ時代

2002年MLBドラフトで、フィラデルフィア・フィリーズから17巡目指名(全体509位)を受け入団した。ガルフ・コーストリーグを皮切りにマイナーリーグで経験を積む。

2005年には、オールスター・フューチャーズゲームに世界選抜の一員として出場。

2006年シーズン開幕前には、この年から開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のカナダ代表に選出された[1]。1次リーグ第2戦のアメリカ合衆国戦でリリーフとして1イニングを投げ無失点に抑えた[2]

シーズンでは、6月17日タンパベイ・デビルレイズ戦で、メジャーデビューを果たした。8月1日セントルイス・カージナルス戦では5回3安打3失点でメジャー初勝利を上げる。しかし9月2日アトランタ・ブレーブス戦で右ひじの痛みを訴え降板。同月29日にトミー・ジョン手術を受けた。

2007年8月にAA級レディングで実戦復帰したが、右ひじの違和感を訴え、再び戦線離脱。

2008年に、二度目のトミー・ジョン手術を受けた。

2009年6月下旬に実戦復帰し、ガルフ・コーストリーグで22試合に登板した。

2010年は、AAA級リーハイバレーで開幕を迎え、6月18日ミネソタ・ツインズ戦で4年ぶりにメジャー復帰。しかし、シーズンの大半はマイナーで過ごし、54試合の登板で3勝6敗26セーブ、防御率2.94、WHIP1.13だった。

2011年もリーハイバレーで開幕を迎え、5月8日のアトランタ・ブレーブス戦でメジャー昇格。同月22日にマイナー落ちし、翌6月30日に再昇格するも7月5日に再降格。その後は昇格することなくシーズン終了。この年は復帰後初めて先発でも起用され、リーハイバレーでは12先発を含む30試合の登板で2勝2敗5セーブ、防御率3.28、WHIP1.47の成績を残す。11月29日に契約を解除した。12月2日読売ジャイアンツと1年契約を結ぶ[3]

巨人時代

来日1年目の2012年は守護神候補として期待されたが、春季キャンプで加治前竜一の頭部に死球を当てるなど制球難を露呈し[4]、開幕1軍入りは逃した。ファームで調整中に豊田清二軍投手コーチから、投げ急ぐ癖とフォークボールの握りを修正されたことで復調すると[5]4月15日に中継ぎの人材補充のため1軍昇格した[6]。昇格後はリリーフで11試合連続無失点を記録[7]。5月3日には来日初勝利を挙げ、「きょうは球団の方が妻にボックス席を用意してくれたので、感謝している。この1勝は妻にささげたい」と語った[8]。同月9日には初セーブも挙げるなど、セットアッパーとして好投を続け、6月29日の中日ドラゴンズ戦から西村健太朗に代わって抑えを任された[9][10]7月5日にはプロ野球史上4人目となる球速160km/hを記録[11]オールスターまでに10セーブを挙げたが、7月27日に右ひじの違和感で登録を抹消し[12]、専門医の治療を受けるため一時帰国する[13]。10月5日の横浜戦で戦線復帰[14]CSでは5イニングを投げ失点0被安打1と活躍。日本シリーズ第2戦では9回表に2アウト1塁3塁というピンチの場面で登板、一球で二岡智宏を打ち取り、日本シリーズでは初となる「一球でセーブ投手」を達成[15]。日本一のかかった第6戦でも1点差の8回表に登板して無失点に抑え、チームの日本一に貢献した[16]

2013年1月17日に、第3回WBC本戦のカナダ代表が発表され[17]、代表入りした[18][19]。大会では2試合に登板した。シーズン開幕後は、一時抑えを任された2012年シーズンとは異なり、1年を通してセットアッパーとして起用された。自身に加え、同じくセットアッパーの山口鉄也、抑えの西村健太朗で盤石の必勝パターンを築き、リーグ優勝に大きく貢献。シーズン途中で離脱することなく活躍し、前年より公式球が飛ぶようになったものの防御率・WHIPいずれも向上した。また登板試合数・ホールド数なども前年を大きく上回る成績を残し、42ホールドポイント(2勝40ホールド)を記録。自身初のタイトルとなる最優秀中継ぎ投手を山口鉄也と共に獲得した[20]。(同賞を外国人投手が受賞するのはセ・リーグ初)シーズン終了後は新たに2年の複数年契約を結んだ。

2014年は開幕第2戦の阪神タイガース戦で黒星を喫する。その後も失点するなど序盤は不安定な投球が目立った。その後、抑えの西村の不振で抑えを任される。最終的に防御率は3点台と過去2年と比べると不安定だったが抑えとして30セーブを挙げ、リーグ優勝に貢献した。その一方で阪神戦は前述の開幕第2戦の黒星と福留孝介にサヨナラ本塁打、マウロ・ゴメスに延長勝ち越し本塁打を浴びる等、打ち込まれた。

2015年はこの年からリリーフに転向する澤村拓一とキャンプからオープン戦にかけて守護神争いをしていたが、不調に陥った。一方澤村は好調で守護神は澤村に決定し、自身は2軍落ちし開幕2軍スタートとなった。3月31日に1軍登録されるとセットアッパーに回った。

プレースタイル・人物

オーバースローから投げる平均球速約152km/h[21]、最速101mph(約163km/h。日本での最速は160km/h[22])のストレートを中心に、スライダースプリッターを混ぜる投球スタイル[23][24][25]、稀にカーブチェンジアップなどを投げる。故障から復帰した2009年からはマイナーでの通算奪三振率10.05と高い数値を残している一方で、同通算与四球率4.32と制球に課題を抱えていた。

同僚だったジョン・ボウカーと共に休日返上で練習に励むなど、チームメイトやコーチからは「非常にマジメ」、「何かを吸収しようとする貪欲さは日本人以上」と評されている。また、「肩は消耗品」と投げ込みを嫌う外国人投手も多いなかで、「日本人はやっているし、ピッチングが良くなるなら」と100球以上の投げ込みにも挑戦した[26]

憧れの選手にイチローの名を挙げている[27]

ハンティングが趣味で獲物の七面鳥ワニの肉を好んで食べる[28]

詳細情報

年度別投球成績





















































W
H
I
P
2006 PHI 9 8 0 0 0 1 4 0 0 .200 177 37.1 48 8 16 1 1 28 2 1 36 31 7.47 1.71
2010 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 12 1.2 5 0 2 0 0 1 1 0 3 2 10.80 4.20
2011 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 28 5.0 9 0 3 0 2 5 0 0 0 0 0.00 2.40
2012 巨人 40 0 0 0 0 2 0 10 8 1.000 165 42.0 30 1 11 0 1 48 2 0 9 8 1.71 0.98
2013 63 0 0 0 0 2 2 0 40 .500 235 61.0 36 2 18 0 2 77 5 0 8 7 1.03 0.89
2014 64 0 0 0 0 6 6 30 8 .500 277 65.1 59 8 23 0 1 75 7 0 27 26 3.58 1.26
2015 63 0 0 0 0 3 8 2 28 .273 244 58.1 47 5 21 0 2 55 1 0 22 17 2.62 1.17
MLB:3年 15 8 0 0 0 1 4 0 0 .200 217 44.0 62 8 21 1 3 34 3 1 39 33 6.75 1.89
NPB:4年 230 0 0 0 0 13 16 42 84 .448 921 226.2 172 16 73 0 6 255 15 0 66 58 2.30 1.08
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

記録

NPB
  • 初登板:2012年4月18日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に4番手で救援登板・完了、2回無失点
  • 初奪三振:同上、7回裏に大島洋平から見逃し三振
  • 初勝利:2012年5月3日、対広島東洋カープ6回戦(東京ドーム)、7回表に3番手で救援登板、2回無失点4奪三振
  • 初セーブ:2012年5月9日、対横浜DeNAベイスターズ5回戦(東京ドーム)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初ホールド:2012年5月10日、対横浜DeNAベイスターズ6回戦(東京ドーム)、8回表2死に2番手で救援登板、1回無失点

背番号

  • 47 (2006年、2010年 - 2011年)
  • 20 (2012年 - )

代表歴

登場曲

  • 「Up In Smoke」Blackberry Smoke(2012年 - )

脚注

  1. ^ 2006 Tournament Roster WBC公式サイト (英語) 2015年2月20日閲覧
  2. ^ http://web.worldbaseballclassic.com/stats/boxscore.jsp?gid=2006_03_08_canint_usaint_1
  3. ^ 守護神候補・マシソン獲得発表 背番「20」”. スポーツ報知 (2011年12月3日). 2011年12月5日閲覧。
  4. ^ 【巨人】大荒れマシソン、加治前を病院送りデイリースポーツオンライン、2012年2月17日
  5. ^ マシソン、来日1勝!山口、健太朗と新勝利の方程式だスポーツ報知、2012年5月4日
  6. ^ 【巨人】マシソン1軍合流、14日にも昇格日刊スポーツ、2012年4月13日
  7. ^ マシソン11戦連続0封、2回を無安打3連続5K!スポーツ報知、2012年5月13日
  8. ^ 【巨人】マシソン好リリーフで来日初勝利日刊スポーツ、2012年5月3日
  9. ^ マシソン、新守護神だ!来日後最速156キロで2S スポーツ報知 2012年6月30日
  10. ^ 配置転換で進化した「新方程式」山口、健太朗、新守護神マシソン! スポーツ報知 2012年7月1日
  11. ^ [1] スポニチ 2012年7月5日
  12. ^ マシソンが登録外れる スポーツ報知 7月27日
  13. ^ 【巨人】マシソン再来日「治療は順調」 nikkansports.com 2012年8月13日
  14. ^ 【巨人】マシソン復帰「痛みなかった」 nikkansports.com 2012年10月5日
  15. ^ 【巨人】マシソンがシリーズ初の1球S nikkansports.com 2012年10月28日
  16. ^ 【巨人】マシソン感謝「素晴らしい1年」 nikkansports.com 2012年11月4日
  17. ^ Hardy, Richmond, Tosoni, Taillon added to WBC Provisional Roster Baseball Canada (2013年1月17日) 2015年2月19日閲覧
  18. ^ 2013 World Baseball Classic Provisional Roster Baseball Canada 2015年2月19日閲覧
  19. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト (英語) 2015年2月19日閲覧
  20. ^ 【巨人】山口、マシソンが最優秀中継ぎnikkansports.com 2013年10月8日
  21. ^ 『2014 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、107頁頁。ISBN 978-4-905411-17-8 
  22. ^ 【巨人】マシソン出た160キロ! 日刊スポーツ 2012年7月5日
  23. ^ 『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、52頁。
  24. ^ 『月刊スラッガー』2007年2月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-2、77頁。
  25. ^ Scott Mthieson Pitch FxFanGraphs
  26. ^ 巨人 マシソン こうして「ダメ助っ人」から「陰のMVP」へ”. ゲンダイネット (2012年6月2日). 2012年7月9日閲覧。
  27. ^ 巨人・マシソン 日本行き決断のきっかけはイチロー”. スポニチ Sponichi Annex (2012年1月28日). 2012年1月31日閲覧。
  28. ^ Gの新守護神候補は“ワニ食い男”だった!

関連項目

外部リンク