ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ

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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ

ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ(Giovanni Battista Bononcini, 1670年7月18日 - 1747年7月9日)は、イタリアバロック音楽作曲家チェリスト

人物[編集]

モデナ出身。音楽家の家系の生まれであり、父はヴァイオリニストで作曲家のジョヴァンニ・マリア・ボノンチーニ、弟は作曲家のアントニオ・マリア・ボノンチーニ。小ボノンチーニ(Bononcini the younger)と呼ばれた。

ボローニャでチェロを学び、この楽器のための最初の作品を1685年に発表し、1688年にモンテ・サン・ジョヴァンニ教会の楽長となった。その後、オペラの作曲を手掛けるようになり、ミラノローマヴェネツィアベルリンを経て、1698年から1711年までウィーン神聖ローマ皇帝の宮廷に滞在した。1714年にローマに戻り、イタリア各地でオペラの上演を行った。

1720年マールバラ公ジョン・チャーチルの誘いを受けてロンドンに渡ったが、すでにロンドンにはゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルがおり、彼とはライバル関係にあった。概してトーリー党がヘンデルを支持したのに対し、ホイッグ党はボノンチーニを支持した。

しかし1727年作曲したマドリガルに盗作の疑いがかけられた。このスキャンダルのため1733年にロンドンを離れることを余儀なくされ、パリに渡ってコンセール・スピリチュエルのために作曲を行った。1741年に再びウィーンへ赴き、マリア・テレジアから年金を支給されて余生を過ごした。

作品としては、多くのオペラミサ曲及びマールバラ公ジョン・チャーチルのための葬送アンセムなどがある。彼のオペラの一つ《セルセ英語版》(Xerse)及びその中のアリア〈オンブラ・マイ・フ〉は、ロンドンを去ったボノンチーニが残した楽譜を、後にヘンデルが改作したものが有名になった[1][2]

この他『グリゼルダ』のアリア「お前を讃える栄光のために」はアレッサンドロ・パリゾッティが1914年にリコルディ社から出版した "Arie antiche" (「イタリア歌曲集」)の中の一曲として知られている。

主な作品[編集]

オペラ[編集]

Astianatte, c. 1727
  • セルセ Xerse(1694年)
  • Il trionfo di Camilla (1696年)
  • アスタロト Astarto (1720年)
  • 二重の恋 L'odio e l'amore (1721年)
  • グリゼルダ Griselda (1722年)
  • Erminia (1723年)
  • アスティアナッテ Astianatte (1727年)

その他[編集]

  • 小ミサ曲集 Messe brevi (1688年)
  • 室内ディヴェルティメント集 Divertimenti da camera (1722年)
  • 12曲の室内ソナタ集 XII Sonatas for the Chamber (1732年)

脚注[編集]

  1. ^ ボノンチーニの『セルセ』の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクトこのなかにボノンチーニの「オンブラ・マイ・フ」の楽譜があるので比較・参照のこと。
  2. ^ 玉木宏樹『贋作・盗作音楽夜話』北辰堂出版、2010年、ISBN 978-4904086773

関連項目[編集]

  • アーチリュート - ボノンチーニが活動した時期に頻繁に用いられた楽器。彼のオペラ作品にも用いられている。

文献[編集]

  • Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Bononcini, Giovanni Battista" . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.

外部リンク[編集]