ジョアン・アウヴェス・デ・アシス・シウヴァ

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ジョー
ブラジル代表時代のジョー(2013年)
(左下は川島永嗣)
名前
本名 ジョアン・アウヴェス・デ・アシス・シウヴァ
João Alves de Assis Silva
愛称 ジョー
ラテン文字
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1987-03-20) 1987年3月20日(37歳)
出身地 サンパウロ
身長 192cm
体重 92kg
選手情報
ポジション FW(CF)
利き足 左足
ユース
2000-2003 ブラジルの旗 コリンチャンス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 ブラジルの旗 コリンチャンス 81 (17)
2005-2008 ロシアの旗 CSKAモスクワ 52 (30)
2008-2011 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 21 (1)
2009 イングランドの旗 エヴァートン (loan) 27 (5)
2010 トルコの旗 ガラタサライ (loan) 13 (3)
2011-2012 ブラジルの旗 インテルナシオナル 16 (2)
2012-2015 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 69 (17)
2015-2016 アラブ首長国連邦の旗 アル・シャバブ 13 (8)
2016 中華人民共和国の旗 江蘇蘇寧 17 (5)
2017 ブラジルの旗 コリンチャンス 34 (18)
2018-2020 日本の旗 名古屋グランパス 64 (30)
2020-2022 ブラジルの旗 コリンチャンス 62 (15)
2023 サウジアラビアの旗 アル・ジャバライン 1 (0)
代表歴2
2008 ブラジルの旗 ブラジル U-23 7 (3)
2007-2014 ブラジルの旗 ブラジル 20 (5)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
2008 北京 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2023年2月27日現在。
2. 2014年7月12日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョー)こと、ジョアン・アウヴェス・デ・アシス・シウヴァJoão Alves de Assis Silva1987年3月20日 - )は、ブラジルサンパウロ出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。元ブラジル代表

2017年にブラジルリーグ得点王を獲得し、2018年にはJリーグで得点王を獲得している。

クラブ経歴[編集]

16歳の時コリンチャンスでキャリアをスタート。18歳の時ロシアに渡り、在籍2年半で77試合44ゴールを残した。

2008年、当時のクラブ史上最高となる移籍金1800万ポンド(約38億円[1])でマンチェスター・シティが獲得。しかし結果を残せず、2009年2月からシーズン終了までの期限付きでエヴァートンへ移籍。ここで12試合に出場し5得点を挙げ、シーズン終了後にはレンタルが1年間延長されたが、クラブの許可を得ずにブラジルに帰国し、謹慎処分を受けた[2]。その後レンタル移籍期間が短縮され、マンチェスターCに復帰、直後にガラタサライにレンタル移籍した。その後ガラタサライでの活躍が認められマンチェスターCに復帰した。

2011年7月にインテルナシオナルへ移籍しブラジルに復帰。この頃から酒量が増え、練習の遅刻、遠征に参加しないなどの問題行動が目立つようになる[3]。2012年5月には事実上の戦力外通告を受け[3]アトレチコ・ミネイロへ移籍した。

A・ミネイロではロナウジーニョらと強力攻撃陣を形成し、2013年のコパ・リベルタドーレスでは7得点で大会得点王となり、チームの優勝に貢献した[3]。しかしその後は飲酒・夜遊びの悪癖がぶり返し、妻からは離婚を切り出された[4]。2014年には同年のW杯のブラジル代表に選出されるも良い所無く、大会終了後は気落ちして更に生活が乱れた[4]

2015年6月に当時A・ミネイロを率いていたレヴィー・クルピから戦力外通告を言い渡され[4]、7月1日、UAEのアル・シャバーブへ移籍した[5][6]

2016年2月5日、中国サッカー・スーパーリーグ江蘇蘇寧へ移籍することが決定し[7]、2月12日に正式発表された[8]。しかし、精彩を欠き5か月で退団した[4]

2017年、古巣のコリンチャンスと2年契約を結ぶ。同時期に酒を断ち、妻と復縁して心機一転[4]。フィジカルトレーニングに励んでコンディションを取り戻すと、同年のセリエAで18得点をマークし、得点王とMVPに選出された[4]。また公式戦61試合25ゴールを記録した。

2018年、J1リーグ名古屋グランパスに完全移籍で加入[9]。移籍金は1100万ユーロ(約15億円)、年俸は約4億円と報道されている[10][11]。開幕戦となったG大阪戦でJリーグ初出場、初ゴールを決めた[12]。第20節・G大阪戦でJリーグ加入後初のハットトリックを達成し[13]、第24節の浦和戦でも2度目となるハットトリックを達成、8月だけで10ゴールを決めた[14]。第26節の長崎戦で2得点を挙げ、J1ではG大阪に所属していたアラウージョが2005年に記録して以来、13年ぶりとなる3試合連続マルチ弾を達成した[15]。その後は第18節・札幌[注 1]、第33節・サンフレッチェ広島戦で得点を挙げ、得点ランク1位で最終節に臨んだ[17]。残留争いの直接対決となった最終節・湘南戦では、0-2と2点ビハインドで迎えた67分に自ら獲得したPKを決めて1点を返すと、75分にもPKを決めて2-2で試合終了。チームのJ1残留に大きく貢献し、24得点でJ1得点王に輝いた[18][19]。また、J1残留が決まった瞬間には安堵の涙を流している[20]

2019年は開幕戦から2ゴールを決め、5月12日までに5得点を記録していたが[21]、同22日のルヴァン杯・ヴィッセル神戸戦で右足首靭帯を損傷。3週間後の第15節・大分トリニータ戦で復帰するも、痛み止めを打っての強行出場で、復帰後は1得点に終わった[22]

2020年6月17日にコリンチャンスが獲得を発表し、6月21日に名古屋から契約解除が発表された[23]後述)。

2022年6月9日、コリンチャンスとの契約を解除したと発表された。チームへの参加態度などをめぐり、コリンチャンスとの間で確執があったとされる[24]

2023年、アル・ジャバラインFCに加入するも、すぐに環境面への不満を理由に退団、そのまま引退を表明した[25]

代表経歴[編集]

2007年6月5日のトルコとの親善試合でブラジル代表デビュー。

2008年には北京オリンピックに臨むブラジル代表に選出され、主に控えとして出場。3位決定戦のベルギー戦では2得点を挙げ、銅メダル獲得に貢献した。

2008年以降は代表から遠ざかっていたが、レアンドロ・ダミアンの負傷によりFIFAコンフェデレーションズカップ2013に臨むブラジル代表に追加招集され[26]、グループリーグ初戦の日本戦では途中出場し代表初得点を挙げた。

2014年に2014 FIFAワールドカップブラジル代表に選出され、グループリーグ第2戦のメキシコ戦決勝トーナメント1回戦のチリ戦に途中出場した。

名古屋との契約不履行問題[編集]

2020年のコリンチャンスへの入団、および名古屋グランパスからの退団を巡っては主張の対立から訴訟が発生している。

ジョーは怪我の治療を理由に名古屋の1月のキャンプには参加しておらず、新型コロナ感染症の感染拡大により2月22日の開幕戦のあとリーグ戦が長期中断すると、母国に残した2人の子どもを心配して国境閉鎖前に帰国しようと4月初旬にブラジルへと帰国していた[27][28]。6月17日に古巣のコリンチャンスがジョーの獲得を発表すると、名古屋側は契約不履行を主張してジョーとの契約解除を発表するが、ジョーと名古屋側の認識は以下のように異なっていた[29][30]

  • ジョーの主張 : 4月末時点で契約解除されており、6月17日は契約期間中ではなかった。
  • 名古屋の主張 : 帰国は許可しなかったものの契約解除はしておらず、6月17日は契約期間中であった。

ジョーの主張では4月末に名古屋側から日本に戻るように指示があり、再来日の手配をしたものの渡航直前に契約解除を通告されたとしているが[28]、名古屋側では契約解除したしたという認識はなく平行線となった。主張が対立したことから判断はFIFAの紛争解決室に委ねられ、2020年11月にジョーとコリンチャンスが340万ドルの賠償金を支払うことが命じられる[30][31]。FIFAの決定に納得できないジョーとコリンチャンスはスポーツ仲裁裁判所へと訴えるが、2022年6月に賠償金は260万ドルまで減額するものの45日以内の支払期限が定められた判決が下されるが[30][32]、支払期限を過ぎても賠償金は支払われていない[33]

人物[編集]

日本食が大好物で、ジョー曰くCSKAモスクワ時代に現地で初めて食べて以来大好物だという。特に好きな日本食は寿司[34]

グランパス退団後、日本での暮らしについて「日本に行くまでに5か国で暮らしたため、ただ言葉が違うだけだろうと思っていたが、そうではなかった」「我々とはまったく逆の文化で、人々がとても冷たく閉鎖的。彼らはアメリカとの戦争に負けて、(小学校から)抑圧されているため、熱意と喜びに欠けている」「外国人という事で街の人から疑うような目で見られることも多かった。」「英語を話せる人がほとんどいない」と本音を打ち明けた。ただし、「非の打ちどころのないセキュリティ、けた違いの衛生面、オーガナイズされている」事を長所として絶賛している。選手としては大きく活躍したが、プライベートでは水が合わなかった[35]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

クラブ リーグ戦 カップ リーグカップ ヨーロッパ 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
コリンチャンス 2003 14 1 0 0 0 0 0 0 14 1
2004 42 8 0 0 0 0 0 0 42 8
2005 25 8 0 0 0 0 0 0 25 8
合計 81 17 0 0 0 0 0 0 81 17
CSKAモスクワ 2006 18 14 7 7 0 0 5 1 30 22
2007 27 13 4 1 0 0 7 4 38 18
2008 8 3 2 1 0 0 0 0 10 4
合計 53 30 13 9 0 0 12 5 78 44
マンチェスター・シティ 2008-09 9 1 2 0 0 0 6 2 15 3
合計 9 1 2 0 0 0 6 2 15 3
エヴァートン (loan) 2008-09 12 5 0 0 0 0 0 0 12 5
2009-10 15 0 1 1 0 0 7 1 23 2
合計 27 5 1 1 0 0 7 1 35 7
ガラタサライ (loan) 2009-10 13 3 2 0 0 0 0 0 15 3
合計 13 3 2 0 0 0 0 0 15 3
マンチェスター・シティ 2010-11 12 0 5 0 1 1 5 2 23 3
合計 12 0 5 0 1 1 5 2 23 3
クラブ リーグ戦 州リーグ リーグカップ 南米カップ 期間通算
SCインテルナシオナル 2011 16 2 16 2
合計 16 2 16 2
アトレチコ・ミネイロ 2012 29 10 29 10
2013 21 6 13 6 2 0 14 7 50 19
2014 16 0 9 4 2 0 8 4 35 8
2015 3 1 3 1 0 0 3 0 9 2
合計 69 17 25 11 4 0 25 11 123 39
クラブ リーグ戦 カップ戦 ACL その他 期間通算
江蘇蘇寧 2016 17 5 1 0 6 4 0 0 24 9
合計 17 5 1 0 6 4 0 0 24 9
クラブ リーグ戦 州リーグ リーグカップ 南米カップ 期間通算
コリンチャンス 2017 34 18 17 6 5 1 5 0 61 25
合計 34 18 17 6 5 1 5 0 61 25
クラブ Jリーグ ルヴァン杯 ACL 天皇杯 期間通算
名古屋グランパス 2018 32 24 3 1 - 1 0 36 25
2019 32 6 5 2 - 0 0 37 8
2020 0 0 0 0 - - 0 0
合計 64 30 8 3 0 0 1 0 73 33
総通算 395 128 74 30 16 6 61 21 544 185

代表での得点[編集]

日時 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 2013年6月15日 ブラジルの旗 ブラジリア  日本 3–0 3–0 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
2. 2013年6月19日 ブラジルの旗 フォルタレザ  メキシコ 2–0 2–0
3. 2013年9月6日 ブラジルの旗 ブラジリア  オーストラリア 1–0 6–0 親善試合
4. 2–0
5. 2013年9月10日 アメリカ合衆国の旗フォックスボロ  ポルトガル 3–1 3-1

タイトル[編集]

クラブ[編集]

コリンチャンス・パウリスタ
アトレチコ・ミネイロ
CSKAモスクワ

代表[編集]

ブラジル代表

個人[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ J1第18節・名古屋対札幌戦は、台風12号の影響で10月28日に延期となった[16]

出典[編集]

  1. ^ マンCの元ブラジル代表FWジョー、母国インテルナシオナルへ
  2. ^ Moyes suspends Jo over Brazil trip
  3. ^ a b c グランパス入り濃厚な元ブラジル代表 ジョーは、波瀾万ジョーな凄いヤツ(2ページ目)”. Sportiva (2017年12月31日). 2018年10月4日閲覧。
  4. ^ a b c d e f グランパス入り濃厚な元ブラジル代表 ジョーは、波瀾万ジョーな凄いヤツ(3ページ目)”. Sportiva (2017年12月31日). 2018年10月4日閲覧。
  5. ^ 昨夏のW杯にも出場したブラジル代表FW、UAEへ移籍 qoly 2015年7月1日
  6. ^ الشباب يتعاقد مع المهاجم البرازيلي جو لمدة ٣ مواسم アル・シャバブ公式サイト 2015年7月1日
  7. ^ ミランFWを逃した江蘇蘇寧、元マンCのアタッカーを確保。大物3選手を獲得 footballchannel 2016年2月6日
  8. ^ 中国・江蘇がW杯ブラジル代表FWジョーを獲得…ACLでFC東京と対戦 soccerking 2016年2月12日
  9. ^ ジョー選手、移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)名古屋グランパスエイト、2018年1月3日http://nagoya-grampus.jp/news/pressrelease/2018/0103post-895.php2018年1月3日閲覧 
  10. ^ 名古屋、元ブラジル代表の大物FW獲得』(プレスリリース)フットボールチャンネル、2018年1月3日https://www.footballchannel.jp/2018/01/03/post248722/2018年1月3日閲覧 
  11. ^ J1復帰を決めた名古屋が4億円で元ブラジル代表・ジョー獲得へ』(プレスリリース)デイリースポーツ、2017年12月24日https://www.daily.co.jp/soccer/2017/12/24/0010843543.shtml2017年12月24日閲覧 
  12. ^ 名古屋グランパス ジョー”. 2018年8月11日閲覧。
  13. ^ 名古屋FWジョー、圧巻ハットトリックで母国に反響 「日本での冒険で最高潮の活躍”. 2018年8月11日閲覧。
  14. ^ Jリーグが8月度の月間MVPを発表!J1はジョー、J2は平戸太貴が初受賞”. Soccer digest web. 2018年9月13日閲覧。
  15. ^ 名古屋ジョー7戦14発、13年ぶり3連続マルチ弾”. 2018年9月16日閲覧。
  16. ^ 2018明治安田生命J1リーグ 第18節 名古屋グランパス vs 北海道コンサドーレ札幌 代替開催日決定のお知らせ』(プレスリリース)J.LEAGUE.jp、2018年8月29日https://www.jleague.jp/release/post-55438/2018年12月1日閲覧 
  17. ^ 得点王出すクラブが降格危機 残り1試合果たして…”. 日刊スポーツ (2018年11月28日). 2018年12月1日閲覧。
  18. ^ 名古屋、ジョーの2発でJ1残留!湘南との直接対決でドローに終わるも磐田敗戦で15位浮上”. SOCCER DIGEST Web (2018年12月1日). 2018年12月1日閲覧。
  19. ^ 名古屋FWジョーが24得点でJ1得点王に。最終節はPK2本でチームを残留に導く”. FOOTBALL CHANNEL (2018年12月1日). 2018年12月1日閲覧。
  20. ^ 名古屋 奇跡の残留決定…試合終了後に歓喜の瞬間 ジョーは来日1年目で得点王にデイリー 2018年12月2日
  21. ^ 階級が違いすぎる。名古屋FWジョーは「反則級」。“水と油”のチームで無敵になるまで【西部の目】”. フットボールチャンネル. 2019年12月14日閲覧。
  22. ^ 痛み止め打って出場も6得点止まり…戻らなかったエース・ジョーの輝き”. 中日スポーツ. 2019年12月14日閲覧。
  23. ^ ジョー選手との契約解除について』(プレスリリース)名古屋グランパスエイト、2020年6月21日https://nagoya-grampus.jp/news/pressrelease/2020/0621post-1500.php2020年6月21日閲覧 
  24. ^ 元名古屋ジョーが母国クラブを電撃退団!契約違反巡る裁判に影響も』(プレスリリース)=FootballTribe、2022年6月10日https://football-tribe.com/japan/2022/06/10/245124/2022年6月19日閲覧 
  25. ^ 元名古屋FWジョーが35歳で現役引退「すべてのクラブに感謝している」” (2023年2月27日). 2023年3月23日閲覧。
  26. ^ Médico da Seleção Brasileira confirma corte de Leandro Damião
  27. ^ 名古屋グランパス退団巡る問題を抱える元ブラジル代表FWジョー、CASへ申し立てへ』(プレスリリース)名古屋グランパスエイト、2021年2月13日https://football-tribe.com/japan/2021/02/13/201907/2021年4月5日閲覧 
  28. ^ a b リカルド・セティオン (2023年3月1日). “現役引退の元ブラジル代表ジョーに名古屋グランパス退団時に何があったのか。ブラジルへ突如帰国したその言い分とは?”. web Sportiva. 2023年3月1日閲覧。
  29. ^ サカノワ (2020年11月25日). “ジョー金銭問題決着か!FIFAが名古屋の主張を認め、3億5000万円補償へ”. 2021年3月24日閲覧。
  30. ^ a b c ジョーの獲得を巡り名古屋へ約3.5億円の賠償金を科された名門コリンチャンスが危機!当の選手は電撃退団、クラブは借金まみれで迫る支払い期限に…【現地発】”. サッカーダイジェストWeb (2022年6月22日). 2022年6月22日閲覧。
  31. ^ 名古屋グランパス、ジョーに関するFIFAからの裁定受け入れを発表。「肯定的に受け入れます」”. FOOTBALL CHANNNEL (2020年11月29日). 2021年4月27日閲覧。
  32. ^ 名古屋、ジョーの契約違反問題が決着!賠償金4.5億円から減額の判決』(プレスリリース)FootballTribe、2022年6月18日https://football-tribe.com/japan/2022/06/18/245821/2022年6月19日閲覧 
  33. ^ 名古屋への賠償金支払い期限過ぎるも…ジョー問題でコリンチャンス交渉中か』(プレスリリース)FootballTribe、2022年8月4日https://football-tribe.com/japan/2022/08/04/249202/2022年8月16日閲覧 
  34. ^ “【名古屋】元ブラジル代表FWジョー「本場の寿司を食べられるのはうれしい」”. スポーツ報知. https://hochi.news/articles/20180114-OHT1T50197.html 2020年6月26日閲覧。 
  35. ^ “「日本人はとても冷たく、閉鎖的だった」元J戦士ジョーが名古屋時代の苦悩を母国メディアに激白!”. Soccer Digest web. https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=76431 2024年1月1日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]