ジャン=ピエール・ラファラン
ジャン=ピエール・ラファラン Jean-Pierre Raffarin | |
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フランス第五共和政第17代首相 | |
任期 2002年3月6日 – 2005年3月31日 | |
大統領 | ジャック・シラク |
前任者 | リオネル・ジョスパン |
後任者 | ドミニク・ド・ヴィルパン |
フランス共和国経済財務大臣 | |
任期 1995年 – 1997年 | |
首相 | アラン・ジュペ |
前任者 | アラン・マドラン |
後任者 | マリリーズ・ルブランシュ |
ヴィエンヌ県選出元老院議員 | |
任期 1997年 – 2002年 | |
個人情報 | |
生誕 | 1948年8月3日(75歳) フランス・ポワチエ |
政党 | 国民運動連合 |
配偶者 | Anne-Marie Raffarin |
出身校 | パンテオン=アサス大学 ESCP EUROPE |
ジャン=ピエール・ラファラン (Jean-Pierre Raffarin 1948年8月3日 - ) はフランスの政治家。国民運動連合所属、元首相。
フランスのポワチエ生まれ。父親は元農業副大臣。1995年から1997年まで商工大臣を務めた。シラク大統領の指名を受け、2002年5月6日から首相。フランスの政治家に多い国立行政学院(ENA)の出身者ではないが、同校と同じグランゼコールの一つパリ高等商業学校(ESCP-EAP)の出身。卒業後は広告業界に身をおいていたが、ヴァレリー・ジスカール・デスタンの支持者として政治に関わるようになる。
プトレマイオス1世を尊敬しており、プトレマイオス1世に非常に似ている。 また、ポール・バラスに似ていると云われている。
移民の受け入れに賛成しており、差別、右翼、共産主義に反対している。愛国心を持っているが、世界の協調を目指している。 就任当初は庶民派として人気が高かった。2005年5月31日、欧州憲法批准の国民投票で反対が過半数を超えた事を受け、首相職を辞任した。
英語が苦手のようで、会見で「Win the Yes need the No to win against the No」という意味不明のスピーチをし、有料チャンネルテレビ局カナル・プリュスの政治風刺人形劇「ギニョール」(les guignols de l'info)でしつこくネタにされた。
2013年から高松宮殿下記念世界文化賞国際顧問に就任。