ジャン・ダルトワ

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ジャン・ダルトワと妻のイザベル

ジャン・ダルトワJean d'Artois, 1321年8月29日 - 1387年4月6日)は、中世フランスの貴族、ウー伯(1351年 - 1387年)。「領地の無いジャン」を意味するジャン・サン・テールJean Sans-Terre)の呼び名で知られた。ボーモン・ル・ロジェ伯ロベール3世・ダルトワとその妻でフィリップ6世王の異母妹にあたるジャンヌ・ド・ヴァロワの間の次男[1]

1331年、父がアルトワ伯領の相続問題に関連して文書偽造罪で告発され、所領を没収されたため、相続すべき資産を残してもらえなかった[2]。1352年、従兄のジャン2世王によりウー伯に封ぜられた。ウー伯爵領はジャン2世王に処刑されたラウル2世・ド・ブリエンヌから没収されたものであった。1356年のポワティエの戦いで負傷し、ジャン2世王とともにイングランド軍の捕虜となっている[3]

1352年7月11日、ドルー伯ピエール1世の未亡人イザベル・ド・ムラン(1328年 - 1389年)と結婚し、間に6人の子女をもうけた。

  • ジャンヌ(1353年 - 1420年) - ドルー伯シモン・ド・トゥアールと結婚
  • ジャン(1355年 - 1363年)
  • ロベール4世(1356年 -1387年) - ウー伯
  • フィリップ(1358年 - 1397年) - ウー伯
  • シャルル(1359年 - 1368年)
  • イザボー(1361年 - 1379年)

脚注

  1. ^ Froland, Louis, Memoires concernans le comté-pairi d'Eu, et ses usages pretendus locaux, (1722), 13.
  2. ^ Anquetil, Louis-Pierre and Gallais (Jean-Pierre, M.), Vincent Marie Viénot, Histoire de France depuis les Gaulois jusqu'à la mort de Louis XVI, (Rue Neuves Des Petit Champs, 1819), 184-185.
  3. ^ Sumption, Jonathon, The Hundred Years War: Trial by Fire, (University of Pennsylvania Press, 1999), 147.