ジャンプ放送局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。NWG (会話 | 投稿記録) による 2016年2月22日 (月) 14:10個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ジャンプ放送局(ジャンプほうそうきょく、略称:JBSJump Broadcasting Station))は、1982年10月から1995年12月まで集英社の少年向け漫画雑誌週刊少年ジャンプ』において連載された読者投稿コーナー

概要

全体を放送局(JBSという名称と開始当時のロゴがTBSのパロディ)、各コーナーをテレビ番組に見立て、テレビ番組や芸能、友人に関すること、スポーツ、ゲーム、ジャンプ連載の漫画など、多岐に渡るテーマで投稿ハガキを募集し、構成担当(放送局長)のさくまあきらによって選ばれたハガキが誌面に掲載されるという形を取っている。また当時の漫画誌の投稿コーナーには無かった「半年を1レースとし、掲載されるごとにコーナーに応じて得点が加算され、1レースを通じての総合得点を競う」という形態をとった。レースで競い合うことなどから、投稿者を「投稿戦士」「戦士」と呼称している。 開始当初は土居孝幸によるオリジナルキャラクターの局員達が誌面をにぎわせていたが、程なくスタッフ(実在)たちも頻繁に誌面に露出するようになった。

ハガキ1枚採用につき、そのコーナーの掲載得点分のJBS缶バッジ(約30種類。次々に新作が加わった。絵柄はランダムに選ばれたものが送付された。最初はステッカー→カセットレーベル→缶バッチと変更された)と、リーフレットの「JBS新聞」が送られた。優勝した場合は、豪華賞品のほか、集英社ジャンプ編集部に招待(同時に取材を行い、その模様が冒頭2ページに独占掲載された)、また、新規参戦の戦士でレース内で最も高得点を獲得した投稿者には、新人賞が(ただし、過去に1枚でも採用された者が、次のレースでペンネームを変えて高得点を獲得しても新人賞にはならない)、ランキングベスト10に入った場合は単行本1ページを自己PR等に使用できる(1期6代目までは3分の1ページ)という権利が与えられた。

ジャンプでは読者コーナーも他の連載漫画作品と同じく雑誌付属の葉書による読者人気アンケート調査の対象とされており、厳しいランキング競争を勝ち抜き、長期に渡り連載を続けていたことも大きな特徴である。そのため、ジャンプ本誌に掲載されている漫画は『ジャンプ放送局』の読者アンケート順位を上回れるかが連載継続の1つの目安とされていた。このことについては、「投稿コーナーより人気の無い作品はまずい」「数々の連載が打ち切りに追い込まれて申し訳ないと思っている」とさくまが話している。

読者参加型の投稿ページとしては13年2ヶ月(3期計27レース)の長期にわたる連載期間も異例であったが、その間、読者アンケートでも安定した人気を誇る事態は編集部も想定外であった。また同社のコミックスと同じレーベルから他に類を見ない単行本がジャンプ・コミックスから刊行されるという異例尽くしであった。その巻数も全24巻におよぶなど、漫画雑誌の巻末投稿コーナーの1つの金字塔を打ちたて、当時のジャンプ黄金時代を支えた要素の1つであると言っても過言ではない。実際、ジャンプ放送局開始以降、影響を受けた投稿コーナーはジャンプ系のみならず、他誌にも多数見受けられ、「放送局」形式は今やひとつのフォーマットとして定着している。

しかし連載が長期にわたる中で、さくまあきらが眼精疲労、頚椎椎間板ヘルニア等により体調を崩してしまい、毎週送られてくる4万通という膨大な量の投稿ハガキに目を通し選定を続けるのは体力的に無理となったという事情から、1995年12月に終了した。なお、コミックスの発売時期などから誤解されがちであるが、さくまが脳内出血で倒れたのはJBS終了後、『チョコバナナ』の編集長を務めていた時のことである。また、JBS終了の告知は本誌より先にJBS新聞で先に発表されていた[1]

2010年8月30日に、ニコニコ動画で連載当時のスタッフが集結して『帰ってきたジャンプ放送局』が放送された。同年11月27日には第2回が放送された(後述)。

主なスタッフ

さくまあきら(放送局長:構成担当)
開始当初から構成を担当。連載途中からイラスト上、頭の上に葉っぱ付きのリンゴのヘタが付くようになった。熱狂的な横浜ベイスターズファンとして知られる。元々は『月刊OUT』で読者コーナーの構成をするなど、ライターとして活動していた。現在は『桃太郎伝説』、『桃太郎電鉄シリーズ』(以下「桃太郎シリーズ」)のゲームデザイナーとしての顔が一般に知られている。
土居孝幸(イラスト担当)
通称「どいん」。開始当初からイラストを担当。桃太郎シリーズでのキャラクターデザインも手がける。斉藤由貴の大ファンと公言していた。「スケベ」「独身」「冷たい男」というキャラ付けがなされていたが実は彼女がいた(結婚はしていない)。公表しなかったのは、女性にモテない独身男としていじられるキャラだったためイメージが崩れるのを避けるためだったと後に語った。作中では阪神タイガースのファンとして描かれていた。なお、VTR10では「VTR20までに嫁さんの顔が見たいよなぁ〜」の読者からのネタが投稿され、VTR20ではそのネタが投稿されていたことをネタに「結局、見ることはできませんでしたね」と別の投稿者からされ、最終巻・VTR24でも「今度会うときは嫁さんの顔が見たいよなぁ〜」と、さらに別の投稿者からダメ押しのネタにされている。
青木澄江(レイアウト担当)
初代レイアウト担当。本人がスキンダイビングを趣味にしていたのでイラスト上では「ビキニにゴーグル」という姿。当時ヒットした一風堂の楽曲「すみれ September Love」のパロディで「すみえ 三段腹 デブ」というネタが載ったことがきっかけとなって「三段腹」「デブ」というキャラ付けがされ、好き放題ネタにされた。コミックスのカバーを取った時、表紙の真ん中に描かれている人物である。実際の容姿はイラストとは異なり、個性的、且つ妙齢の美女との噂。有名ファッション雑誌のレイアウトなども手がけているが「どの編集部に行ってもJBSの話をされて恥ずかしい」とのこと。1984年を以ってJBSを脱退。なお、単行本のカバー下にある表紙にはVTR1から最終巻であるVTR24まで彼女がイラストで登場している。「永久欠番扱いであり、決して版下を差し替えるのが面倒だったわけではない」とのこと。
榎本一夫(レイアウト担当)
通称「えのん」。青木に代わって1985年からレイアウト担当として加入したが、当初は名前がクレジットされたのみで初登場は猫乃都が卒業時。雑誌デザイン会社「バナナグローブスタジオ」代表取締役社長。
スタッフ表記では「榎本32歳」のようにその時の年齢が入った[2] 。40歳を迎えてからは「榎本ナタデココ」を名乗ったこともある。イラスト上では、いつも裸に腰巻きやふんどし姿(しかも登場当初は「えの〜ん」としか声を発しない不気味キャラ)で「でか頭」「尻出し」「ビンボー」キャラで投稿者からもいじられることが多く、本人もそれを楽しんでいた。また、キャラクターとしては当時ひょうきん族島崎俊郎が扮していた「アダモステ」がモチーフとなっている。
本職はグラフィックデザインを手掛けるデザイナー、経営者、代表取締役、会社社長の顔を持つ。ドラゴンクエスト(初代)のロゴデザインをしたことでも知られている。故に実際は貧乏と無縁の生活をしているが、そのことは一切公表しなかった(コミックス限定の企画で榎本の会社を訪問しており、その内情は前述の通り)。またイラストレーターとしても堀井雄二による月刊OUT誌上のコーナー「ゆう坊のでたとこまかせ」のイラストを担当するなどしてきた。桃太郎シリーズの「貧乏神」のモデルになったことで有名。15巻では実際に尻出しの写真が掲載されている。当時のヤクルトスワローズのファンとしても描かれていた。
鈴木みそ(アシスタント)
初期のころのアシスタント。1984年の一時期(1期4代目レース)、スケジュールの都合で一時離脱したさくまあきらに代わり構成担当をしたこともあった。現在は漫画家として活動、週刊ファミ通で『あんたっちゃぶる』『おとなのしくみ』などを発表。
猫乃都(アシスタント)
1985年に青木澄江と入れ替わる形でレイアウト見習いとして参加するも、加入時わずか16歳であったためマスコット扱いとなる。イラスト上では、ロッカー風ファッションで「〜だぜ!」が口癖。1年後、榎本一夫と入れ替わりに去る。映画監督山本晋也の娘であるが、ここでは公表しなかった。後にドラゴンクエスト4コママンガ劇場児嶋都名義でホラー漫画を描く。
横山智佐(アシスタント)
1987年、高校3年末期に「ちさ姫」としてスタッフに加入、後に愛称が「ちさタロー」と変わる。イラスト上でも当初はマスコットアイドル的キャラだったものの、1〜2年後には「貧乳」ネタが出始めそのキャラが定着することに。15巻では水着姿を披露したが「直角な線分」と揶揄され、しまいには「ちさタロー定規」というネタまで掲載されてしまう。さらに当初の語尾は「じゃん」だったが前述の貧乳ネタから「〜チチ」「チチショー(ちきしょうと乳小のもじり)」「くやチチ(くやしい)」などの「ちさ語」まで使うようになった。あまりのイジられぶりに、家族が本気で心配したという逸話もある。
加入当初、駆け出しの声優であり、女子高生だった自分がJBSにおいて、どのような役割・ポジションを担っているのか掴めず、テキパキと仕事をこなす周囲に取り残されたような気持ちになったこともあった、と後に語っている。徐々に仕事を与えられたが、さくまの徹底した厳しい仕事ぶりに幾たびも涙を流したという。後に「仕事をすることの責任と自信を勉強させてもらった」とも語っている。
ダジャレを口にすることが多い、大ボケキャラとしても定着していた。また、巨人、特に桑田真澄投手の大ファンとしても描かれていた。落合博満(1994年入団)の巨人入りには反対していた。なお、JBSデビュー時には既に声優事務所に所属しており、「ちさタローの声優だより」「ちさタローの悪食大好き!」というスミコーナーがあった。ちなみに当時、他誌でJBSの仕事を紹介するときは「コラム連載」扱いとなっていた。JBS時代から長らく独身であったが、2009年に結婚した。現在も声優、女優として活躍している。
コミックス巻末のマンガ「これがジャンプ放送局だ!!」のいたずら書きなどでは独自のイラストキャラクターを多数披露。中には「ばびょ〜ん」「うるりらー」など、投稿ネタに発展したケースもある。
連載中にオーストラリアに語学留学していた時期があり、その際は彼女抜きで連載が続けられた(のちに仕事のときだけ一時帰国するようになった)。4人の中ではもっともキャラデザインの変遷が激しく、初登場時の黒髪ロングヘアー+黒ぶち眼鏡から、黒髪ロング(眼鏡なし)、黒髪ショート、茶髪ポニーテールなどと、その当時の横山のヘアスタイルに合わせてキャラデザインがその都度変えられていた。
過去の企画では、コミックスにおいて子供の頃の写真で彼女の過去を振り返るヒストリーや、読者サービスとして希望者から送られた往復葉書に自身の直筆サインを書く企画・本誌とコミックスにおいて彼女の写真集企画として「ちさの散歩道」が掲載されている。
中西日出海(協力)
編集作業で投稿ハガキをコーナーごとに仕分けする作業に携わる、細身で垂れ目、八重歯の生えた男性。(読者のネタを別にすれば)本誌には全く登場せず、コミックスの巻末マンガ「これがジャンプ放送局だ!!」にのみ登場する。JBS開局から最終巻までずっといた(ただし1巻のスタッフ紹介ではクレジットされていない)のだが、経歴などは一切明かされていなかった。その後さくまのホームページの日記にて、さくまの中学時代の同級生で、後に長年にわたりさくまのマネージャーを務めていたことが明かされている(さくまが脳内出血で入院してからは榎本の会社に勤めている)[1]
マンガでも数えるほどしか台詞を発さず、他の局員達ともほとんど絡まず、黙々とハガキを仕分けする。その動きは年々速くなっていったそうで、付けられる効果音は「サッ、サッ、サッ」から「しゅたたたた」とパワーアップし、さらに残像千手観音のごとく手が何本にも見えるという描き方をされていた。局員達との旅行などにも付き合うが、やはり台詞は発さずメンバーの横でただ微笑むのみ。ただし焼肉などではハガキの代わりに肉で「しゅたたたた」の動きを披露するのが持ちネタ。
ショッカーO野(協力)
さくまの会社出身ということもあって、一時期編集作業を手伝っていた。先述の中西の仕事の補佐で、投稿ハガキをコーナーごとに分ける。さらに「字の読めないハガキ」「住所氏名が書いてないハガキ」などを振り落とす作業もこのときに行われていた。他には力仕事などの雑用も手がける。現在は専門学校講師、ライブのMCなど様々な顔を持つ。桃太郎シリーズにも実名で出演、作品中のイベントに顔を出している。先述の横山をさくまたちに紹介したのも彼だという。
菊池晃弘(協力)
先述のショッカーと入れ替わりで編集アシスタントを務める。現在は漫画家・イラストレーターとして『Vジャンプ』などで活躍。加入後しばらくして投稿者出身のどんちゃん(後述)もアシスタントになり、彼とは後年『ジャンプ魂』で共に読者コーナーを手がけることになる。
マシリト(初代担当編集者)
JBSでは担当に付いた編集者もキャラクター化され、本誌やコミックスで活躍した。鳥山明の担当編集者としても知られる、現・集英社専務取締役の鳥嶋和彦。縦長の顔、薄い眉毛、細い目、尖ったあご、などの特徴ある顔立ちが似顔絵でも誇張付きで再現されている。その姿はほとんどDr.スランプドクターマシリトそのままだった。榎本が登場する以前の放屁ネタの持ち主で、「映画の試写会などに行って、公開前の作品のストーリーをバラしてしまう」「誰彼構わずヘッドロックをかます」などの困ったちゃんキャラとして描かれていた。担当期間はコミックスの1-2巻だが、その後も脇役でたびたび登場している。桃太郎シリーズの「天邪鬼」のモデル。
ゲゲゲのハセガワ(長谷川)(二代目担当編集者)
コミックス3-7巻の間の担当。なぜかゲゲゲの鬼太郎のような横縞ストライプのちゃんちゃんこを着ている。「エグゾセミサイル」「マイナーハセガワ(飲み物などの注文のときに複雑なものを頼む癖がある)」などのあだ名がある。担当開始時は20歳だったらしい。先輩のマシリトなどに押される「いじられキャラ」で、「かんべんしてくださいよ〜」が口癖。4巻の巻末漫画は彼がメインの話だった。JBSと平行で新沢基栄の担当でもあった。
パラ坊オーハシ(大橋)(三代目担当編集者)
コミックス8-9巻の間の担当。パラ坊とはパラボラアンテナのもじりで、大きな耳を揶揄したものらしい。イラストでも耳を誇張した姿で描かれ、さらにネズミのごとく前歯が二本出っ歯になっており、顔立ちはとんねるず木梨憲武にも似ている。「あのですね」が口癖。JBSと平行で車田正美の担当でもあった。ドラゴンボールのキャラクターマジュニアが彼に似ているとの投稿もなされたことがある。10巻の写真ページにも登場、横山とのツーショット写真を披露した。
ウータン大塚(四代目担当編集者)
コミックス10-17巻の間の担当で、担当編集者であった期間が歴代で最長。本名は大塚久永、通称は「攻めの大塚」。大きな口を誇張して描かれており、ウータンとはオランウータンのもじり。8巻あたりから本誌ではイラスト上、局員達が特定のテーマに沿った扮装(時代劇、ファンタジー、F1レースなど)をするのだが、彼以降の編集者キャラはその扮装をして、本誌で局員達と積極的に絡むようになった。その際に「〜だぞよー」という語尾を使うこともある。15巻の巻末マンガで一コマだけペン入れしたらしい。「桃太郎電鉄シリーズ」の「静岡のおもちゃ工場長」のモデル。
レトロのへーちゃん(瓶子)(五代目担当編集者)
コミックス18-19巻の間の担当。18巻冒頭の写真ページで早くも「入社二年目には見えない風貌」と言われている。イラストもかなり似ており、髭を生やし、眼鏡をかけた唯一の担当編集者でもある。イラストの時期によって髭はある時とないときがある。もみあげが長い。「桃太郎電鉄シリーズ」の「大阪のお笑い劇場」のキャラのモデル。ジャンプ放送局終了後WJで始まった漫画『幕張』にて「鬼瓶」の名で登場。
イエローカード関谷(六代目担当編集者)
コミックス20-21巻の間の担当。極端な縦長逆三角形の顔をしている。その名の通り、サッカーの審判よろしく局員の行動に「イエローカード」や「レッドカード」で突っ込みを入れる。年齢が横山より年下であることを突っ込まれ、「セッキー」と呼ばれていた。巨人の元木大介にも似ているらしい。『桃太郎電鉄シリーズ』の「大阪のお笑い劇場」のキャラのモデル。
サンバ大上(七代目担当編集者)
コミックス22-24巻の間の担当。JBSの終幕を見届けた、最後の担当。名前の読みは「おおがみ」ではなく「おおうえ」。上記の瓶子と同期入社で、ジャンプ編集部に来る前は『週刊プレイボーイ』に配属されていた。鼻筋が長い縦長の顔で、土居のイラストが本当に自分にそっくりで感動したらしい。浅草サンバカーニバルに毎年出場しているらしく、初登場シーズンの本誌イラストでは上半身裸に腰ミノ、コステイロ(羽根飾りの背負子)、太鼓というサンバ風の扮装をしていた。

主な投稿戦士

JBSでは投稿者のことを「投稿戦士」と呼んでいた。また『ビックリハウス』、『VOW』、『月刊OUT』、『ファンロード』、『ゲーメスト』などの雑誌の投稿コーナーや『オールナイトニッポン』、『コサキン』などのラジオ番組の、いわゆるハガキ職人の投稿層と重なることが多い。活躍した投稿戦士の中には現在はマスコミ四媒体で活動している者も多い。またミクシィではジャンプ放送局のコミュニティに元・投稿戦士が名を連ねている。ツイッターフェイスブックにおいても、投稿をしていた者が交流を楽しんでいる。

歴代優勝者

ジャンプ放送局
初代:冨田英義(熊本県熊本市) - 記念すべき初代チャンピオンにして、初めて2回優勝を果たす。後に出来た新人賞が「冨田賞」と名づけられた。なお、最終巻の感謝メッセージページでは家庭を持つ父親である近況を明かしている。
2代目:中粗値安拾(静岡県掛川市)
3代目:小平小平(東京都小平市) - 漫画家として、パチンコ雑誌や4コマ漫画誌などに連載を持っていたこともある。
4代目:AUTO・MAG(神奈川県平塚市)
5代目:冨田英義(福岡県福岡市)
6代目:あすなろ明日菜(東京都)
7代目:邦宅杉太(広島県広島市→埼玉県所沢市) - 八神健名義で漫画家として活動。代表作に『密・リターンズ!』(週刊少年ジャンプにて連載)、『ななか6/17』(週刊少年チャンピオンにて連載)などがある。
8代目:土岐和耶(香川県坂出) - 四国勢で唯一の優勝者。
9代目:どんちゃん(神奈川県伊勢原市) - 後にJBSのアシスタントを経て井沢ひろし(井沢どんすけ)としてJBSの後継といえる読者コーナー『ジャンプ団』、『じゃんぷる』、『ジャンプ魂』の構成を担当。
10代目:ちゃん坊太(三重県) - JBSでただ一人新人賞とダブル受賞を果たす。最年少優勝者でもある(当時12歳)。
ジャンプ放送局II
初代:尻の穴に図星(東京都) - 「アメーズメントクラブ」のペンネームで投稿していたが、さくまの勧めにより改名。
2代目:久寿米木元(大分県) - JBSで初めて1レース100点を突破。
3代目:竜王は生きていた(東京都) - 唯一の連覇達成。現在は北本かつらとしてバラエティ番組を中心に構成作家・脚本家として活躍している。また後進を育てる為、講師として教壇に立っている。だいたひかるの元・夫。
4代目:竜王は生きていた(東京都)
5代目:暴風四郎(埼玉県)
6代目:ドットマン(福岡県北九州市)
7代目:岡田です!(群馬県) - 唯一の女性優勝者。
8代目:横浜一(神奈川県横浜市)
9代目:桃太郎丸(宮城県多賀城市) - 島袋光年のアシスタントをしていた。「ささけん」「佐々木健」のペンネームで、読み切り作品を『月刊少年ジャンプ』『週刊少年サンデー』で発表、『KING GOLF』で第56回(平成22年度)小学館漫画賞少年向け部門を受賞した。
10代目:あほのすけ(長野県松本市)
ジャンプ放送局III
初代:猫だまし!ぽん吉(京都府京都市)
2代目:吟遊奇人(茨城県つくば市) - 現在は濱崎達也として、『ONE PIECE』のノベライズなどを手がける。第9回全国高等学校クイズ選手権茨城県代表(竹園高校)で決勝進出。
3代目:ぽんぽこりん(山形県酒田市) - 唯一の完全優勝を達成。「さくまさん、マジで胃がイタいっス」が秀逸で有名。
4代目:いんぐりもんぐり(岡山県岡山市)
5代目:新岡優哉(青森県) - 「勇者ろっと」のペンネームでベストテン入り経験あり。現在はゲーム攻略本などのライターとして活躍している。
6代目:哀☆戦士(大阪府大阪市)
最終:十月の隠者(宮城県仙台市)

その他の主な投稿戦士

歴代30位以内の投稿者

  • 錯乱坊主(福岡県行橋市) - ベスト10以内の最多回数。「投稿仙人」と呼ばれる。ジャンプ放送局が終了した後に「幕張」でネタにされたことも。現在もさくまあきらの公式サイトの「桃鉄研究所」という参加型のコーナーに投稿している。PNの由来は『うる星やつら』の登場キャラクター・錯乱坊より。
  • 岡戸孝宏(愛知県知立市) - JBS以外にもラジオ番組の常連投稿者としても活躍し、現在は通称「おかどん」としてラジオ番組制作に携わっている。
  • 麻草真紀(神奈川県厚木市) - JBS初代2位。「麻草"ムキタマゴ"真紀」の名前でアシスタントも兼任、さくまあきらの事務所(花伝社)に所属していた時期もある。
  • 小林もんた(千葉県松戸市) - ベスト10以内に5回。5回目では準優勝となる。丁寧なイラストハガキが特徴的。
  • 江渡孝行(大分県竹田市) - ベスト10以内に5回。2レース連続で準優勝という記録を持つ。
  • 植田浩正(大阪府大阪市) - 初めて掲載枚数100枚を突破、「名葉会」(名球会のパロディ)入り。他の投稿戦士の羨望を今も注がれ続けている。現在は大手牛丼チェーン本社にて敏腕人事部長を務めている。渡辺徹に若干似ているとの噂も。
  • MAT☆MAX(岡山県・鳥取県鳥取市) - 12期連続県別チャンピオン(岡山・鳥取)の記録を打ち立てた。
  • 有頂天(北海道苫小牧市) - 4連続ベスト10入りし、しかも全て5位以内という記録を持つ。
  • デッド・ケンジ(北海道札幌市) - 原口一也とともに北海道投稿者を牽引した立役者。
  • はしくん(群馬県) - 江渡孝行と同じく2レース連続準優勝となる。その2レースとも優勝者は「竜王は生きていた」である。
  • 月の聖霊(福岡県) - ベスト10以内に4回。後に『チョコバナナ』でも名誉会員となるほどのイラスト技術を持つ。
  • 翔子の笑顔(新潟県新潟市) - 相羽翔穂名義で成年漫画雑誌等で活躍。
  • 知正一央(青森県弘前市) - 後に『ジャンプ団』でも活躍する。
  • 戦士・路(静岡県浜北市(現・浜松市)) - 最高位が10位ながら、地道に掲載本数を稼いだ。
  • ものくろしねま(福岡県直方市→東京都) - 中期の常連だったが一時期掲載数が減少。しかし後期に復活して追い上げ、最終レースで準優勝する。
  • トリプル役満(兵庫県川西市) - 連続レース掲載記録は岡戸孝宏に次ぐ、地道な積み重ねをした戦士。
  • 原口一也(北海道札幌市) - 上記の井沢ひろしと同じ会社に入り、投稿時代だけでなく仕事でもライバルになったとのこと。現在はライターとして映画の評論などに特筆、情報サイト「映画野郎」においても活躍している。
  • 笹西三択(千葉県市原市) - 歴代新人賞の最高得点(102点)を稼いだ。後に『ジャンポスト』のスタッフとなる。本コーナーのほか、VOWにも投稿経験がある。
  • なんでも消化(東京都) - 女性戦士としては、岡田です!に次ぐ記録を持つ。大胆かつ繊細なネタが多かった。
  • カタストロフ1号(和歌山県) - ホラー映画好きで、悪魔キャラを演じた。
  • ちょこ☆ボール(大阪府枚方市→奈良県生駒市) - 掲載本数70本以上と多いが、ついにベスト10に食い込むことが出来なかった。
  • 咲耶(長野県上田市) - ミスJBSにも掲載されるほどのイラスト実力者。
  • JRよっちー(愛媛県新居浜市) - 四国の投稿戦士。ジャンプ放送局のデータベースサイトを運営。同時にデータを独自に分析・編集をして本に起こし希望者に配布している。また不定期ではあるがJBSオフ会を主宰していた。
  • マミのラジオ伝説(福岡県) - ベスト10以内が1回ながら、後期JBSを支えた有名戦士。PNはJBS読者にも人気のあったラジオパーソナリティー・小森まなみにちなんで。

その他の有名投稿戦士

  • ちょろさんの妹(北海道札幌市) -NG大賞の9枚(縦3枚×横3枚)の掲載スペースの独占に成功した唯一の投稿戦士。ベスト10入りの経験もある。
  • 神風投稿隊(北海道江別市) -「御三家」と呼ばれたJBSIIの常連。
  • あるかりでんち(青森県弘前市) - 連続県別優勝者。その絵柄に女性のファンが多かった。
  • ロングヘアー波平(青森県弘前市) - 波平軍団軍団長。青森の常連。
  • かんぴょう巻き(青森県五所川原市) - 東北を代表する常連の一人。
  • (秋田県秋田市) - シュールでインパクトのあるネタと独特のセンスで誌面を盛り上げた。獲得の60点は秋田県の個人最高得点。
  • 決戦は火曜日!!(岩手県→千葉県) -「地獄に落ちろ!!」で大躍進。彼女のいる天気パンダ特攻隊と誌面でバトルを展開した。単行本最終巻ではさくまあきらからランキング入りの存在を忘れられた。
  • うぷぷ山ぽぽ子(宮城県仙台市) - 初期のミスJBSコンテストにおいては常連であり、丁寧な描き込みを施した美麗なイラストを得意としていた。特に同性からの支持が絶大で、編集部にファンレターも多く届いていたという。
  • 殿!お気を確かに(山形県山形市) - JBSIIIラストレースでのベスト10。
  • 昇竜拳(福島県いわき市→岩手県大船渡市) - JBSIIIの常連。コンスタントに掲載した。
  • ぽちむら(埼玉県越谷市→茨城県つくば市) - 旧名・閑古鳥。2つのペンネームでの掲載本数を足すと100本を越す。
  • 明石家サンコン(埼玉県所沢市) - 埼玉を代表するベスト10常連。
  • えぐ長介(埼玉県川越市) - JBSIIIのベスト10経験者。
  • なお(東京都) - Iの9代目レース5位。地味な作品が多かったが、それが逆の効果を奏して「この程度でも掲載されるのか」と女性読者にハガキを出しやすくさせたと一部でささやかれている。のちにラジオ番組への投稿に移行、制作に協力していた時期もあるとのこと。
  • 山本ばなな(東京都) - JBSIIで2度連続のベスト10入り。
  • うんこブリブリ(東京都) - 実力派の常連。
  • 蒙古少年(千葉県) - 独特の世界観を持つイラストを描く常連。
  • 富永一朗大百科(千葉県東金市) - JBSIIで2回連続ベスト10入りを果たした。
  • 大洋優勝(神奈川県) - 初期JBSの常連。さくまあきら同様、横浜大洋ホエールズのファン。横浜ベイスターズに球団が改名した際にも「改名するつもりはない」と「大洋」に身を捧げた。
  • おおたかLIVE(神奈川県川崎市) - ラジオアタック北斗の拳でも常連だった。
  • イカス!生徒会長(神奈川県茅ヶ崎市) - 後期JBSの常連。
  • 梶比樹出原(山梨県→東京都) - 『欽ちゃんの仮装大賞』にチームを組んで数回出場し、2015年現在7度の優勝という大記録を打ち立てる。彼らの代表作『ピンポン』のアイデアは、ペプシの海外でのCMに採用され話題を呼んだ。
  • 白アリの五段活用(岐阜県美濃加茂市) - JBSIIからIIIにかけての中部地区を代表する投稿戦士。
  • ヤンマー部隊隊長(愛知県知多郡) - だじゃれネタや、切れのある短文ネタは特に群を抜いていた。近年は発光ダイオードを用いたシュールなお笑いネタを携えて、素人参加型のテレビ番組に出演することもある。
  • 出羽の花・命(滋賀県) - PNは往年の角界の同名の力士に由来。
  • ああああ(大阪府大阪市) - JBSIII後期の若手常連。『チョコバナナ』にも掲載。
  • 夏草の線路(広島県広島市) - ジャンプ放送局III3代目レースに多数投稿。現在は本名の佐々木修宏名義でルポライターや鉄道写真を手がける。『第14回 全国高等学校クイズ選手権』広島県(祇園北高校)代表。
  • 一堂唯(広島県広島市) - 初期JBSの常連。PNの由来は、新沢基栄原作『ハイスクール!奇面組』の主人公「一堂零」とヒロイン「河川唯」から。邦宅杉太とも親交があった。
  • サザンオールスターズ(広島県→兵庫県) - PNの由来は大ファンのサザンオールスターズより拝借。ジャンルはオールマイティーで、特にイラストを添えたネタを得意としていた。2012年現在はPNを「世迷言☆Baby」と変え、『ジャン魂G!』に投稿、多数掲載され、ランキングにも名を連ねている。
  • 喜奇木鬼(愛媛県) - 中期JBSを代表する愛媛県の常連。読みは「きききき」ではなく、「よろこきもくき」。
  • 福永浩隆(山口県下関市) - JBSIとIIIの常連。III期にはベスト10入り。
  • 博多変態(福岡県福岡市) - 最高齢投稿戦士(当時32歳)。「JBS長老」「日本一有名な投稿変態」と賞賛され、現在でも一目置かれる存在。
  • 山本耕一(福岡県北九州市) - JBS初期の投稿戦士の一人。テレビ長崎アナウンサーを経て、現在は九州フリーアナウンサーとして活躍。
  • JR沖縄(沖縄県) -JR軍団。沖縄県の常連。

ミスJBSコンテストのイラスト常連

  • K・春香(北海道釧路市→札幌市) - 鳥山明の作品に強く影響を受けている。高校時代に商業デビューしている漫画家。現在は自身の漫画の仕事もこなしつつ、漫画やアニメの専門学校で講師として教壇に立ち、後進を育成している。
  • 札幌市(北海道札幌市)
  • あべさより(北海道札幌市) - 漫画家。
  • 海野(うみの)(北海道札幌市) - 『チョコバナナ』名誉会員・光組17番。現在はいわおかめめ名義で漫画家として活動。
  • 藤凪かおる(福島県福島市) - 後に漫画家として4コマ漫画誌で活躍する。
  • くれいじぃ☆がーる(栃木県宇都宮市) - 現在は新井理恵名義で漫画家として活動。「× ―ペケ―」などの作品を発表。
  • 町野変丸(東京都) - 漫画家となり、成年漫画雑誌等に掲載されていたが、後年引退。
  • 水あそび(東京都) - 『クレヨンしんちゃん』の作画監督だった原勝徳が投稿していた。スーパー桃太郎電鉄IIIでの女湯イラストに採用された事もある。
  • ふるじゅん(神奈川県横浜市) - 漫画家の古澤純也
  • だーだーくん(愛知県岡崎市) - 『チョコバナナ』で女性であることが判明。
  • エレメンタル(京都府京都市) - 『チョコバナナ』名誉会員・光組1番。漫画家の川添真理子名義で活動。
  • パープルウォーム(岡山県岡山市) - 『チョコバナナ』名誉会員・光組2番。1997年には『怪物パラ☆ダイス』の主題歌「ランデヴー」を歌い、東芝EMIよりCDを出したことがある。

主なコーナー

TVいちゃもんいっちゃうもん(いちゃもんTV)
さまざまなテレビ番組、テレビCMにクレームや突っ込みを入れるコーナー。後に「いちゃもんテレビ」という番組名に改題(コミックス11巻より)。JBSで最も長寿だった番組で、最終レースの最終週の最後に載った番組だった。基本的ネタは「やい!」「おい!」「こら!」というように怒鳴り口調で書く。以下のあらゆるコーナーに派生する。
ありがちテレビ
「いちゃもんテレビ」より派生。グルメ番組などの決まったジャンルの番組にありがちな展開を挙げるコーナー。
いちゃもんテレビDELUXE
テレビ番組別にテーマが決められる「いちゃもんテレビ」。
スポいちゃテレビ
スポーツ関連の番組(野球中継、スポーツニュース等)に特化した「いちゃもんテレビ」。野球や大相撲のネタが多かった。特に、当時大相撲で人気を集めていた大徹のインパクトのあるまわしの色が変わった際には、1ページ丸ごと大徹のまわしリニューアルと冠した異例の扱いで、大徹人気を底上げする結果となった。
CMいちゃもん
コマーシャルネタのみに特化した「いちゃもんテレビ」。
そっくりテレビ
有名人とそっくりな「モノ」を探し出すコーナー。初期は文章・イラストの両方の投稿が採用されたが後にイラストのみに一本化された。駒田ネタや工藤静香ネタが頻発されていた。
あらへんテレビ
あり得ない出演者の番組を考え出すコーナー。作品は「あらへん、あらへん。」というフレーズで締めくくられる。泉谷しげるネタだけの泉谷特集も組まれた[3]
テレビ五七五
テレビ界の様々な現象をネタにした川柳。単行本収録時には「頼む!頼むからみんなちゃんと五七五に書いてくれ!」とさくまが悲鳴を上げた。
匠の人々
さまざまな業界の素晴らしい人物を紹介し、褒め称えるコーナー。
男の子をぶっとばせ!
女性の目から見た男の子の腹の立つ行動、おかしな事などに突っ込むコーナー。以下の「ぶっとばせ!」「ぶちのめせ!」も同じ趣旨でテーマが違うコーナーである。一応は投稿資格者は女性のみであった。さくま曰く、男性からの反発を期待していたが、逆に「コーナーで指摘されている部分を直したら女性にモテるようになりました」などと感謝のハガキが多く寄せられ、拍子抜けしたという。
なお、新番組告知で「若者をぶっとばせ!」という姉妹企画もあったが、投稿資格が30歳以上という限定であったためハガキが集まらなかったのか、一度も掲載されることなく企画倒れしている。
政治をぶっとばせ!
日本の政治や政治家に対する突っ込み。時期的に「リクルート事件」や「消費税」のネタが多かった。
評論家をぶっとばせ!
ゲームや料理など、様々な業界の「評論家」に対する不満をぶちまける。後述の「ホビーにくびったけ!(ゲームにくびったけ!)」に寄せられた「ゲーム雑誌批判」ネタが呼び水となった。ちなみにさくま自身も元は「漫画評論家」だったのだが、当時はその事をすっかり忘れていたようだ。
日本史をぶちのめせ!
日本史の授業に関すること、また歴史の登場人物などに対する不満をぶちまける。
数学をぶちのめせ!
数学に関する不満をぶちまける。さくま曰く「ギャグを通り越した心の叫びが多く、読んでいて圧倒された」。
英語をぶちのめせ!
英語に関する不満をぶちまける。コミックスには収録されなかった。
世界史はじめて物語
日常でありがちなことを「世界で初めて○○した(例:自転車に鍵をかけたまま、漕ぎ出してしまった)人」という形でピックアップする。
織田の信ちゃん
戦国時代に特化した歴史パロディ。「天才○○(例:信長)」と「バカ○○」とでリアクションの違いを考えるのが基本パターン。
もしももしももしも
  • もしもII:
  • もしもIII:
  • もしも私が…
「もし私が○○(芸能人の名前)ならこうする」というのを考える。
牛玉さくちゃん
地獄の釜が開く日
語呂合わせで○○の日を作るコーナー。
鏡の国の河馬
上から読んだときと下から読んだときで意味が変わる言葉を紹介するコーナー。
1918年米騒動
サービスの悪い店に対する怒りをぶちまけるコーナー。途中からは店側からの客に対する怒りも投稿されるようになった。
リットン調査団
ほんのチョイ係から派生した教養コーナー。「しゃっくりの止め方」や「半島」の区別の仕方等の疑問を取り上げ、その答えを掲載するもの。
スポーツ新ルール
スポーツの新ルールを考案するコーナー。主にプロレス、野球(特に南海ホークス大洋ホエールズ)、卓球が取り上げられた。
夜のジャンプニュース
家庭内での小さな勘違いを発表するコーナー。おばあちゃんシリーズが好評だった。
ザ・ジャンプテン
ザ・ベストテンのパロディ。ランキング1位から10位までの曲名をダジャレにするコーナー。ジャンプ放送局開局当時、最も投稿が多かった。同じネタが届いた場合は、最初に届いたハガキを採用していた。
3年B組カンペン先生
学校にある物をダジャレにするコーナー。
ジャンプ・アイ
ひとつの物を投稿者独自の視点から描くイラストコーナー。(例・真下からみたバスケットリンク、ウルトラマンの後ろ姿)「第2回視聴率調査」で打ち切りが決まったが、直後に「なんで打ち切ったんだ」と抗議が殺到したという。
ど田舎自慢西東(1巻)
田舎自慢のコーナー。途中みかんの生産地として愛媛、和歌山、静岡などが自分達のみかんを自慢しだし、他の果物の生産地なども巻き込んで自慢合戦が繰り広げられた(JBSみかん戦争と呼ばれた)。
奇特人間大賞(1巻 - 24巻)
身の回りにいる変な人間を特集するコーナー。開局当初は「○○な奇特なお方」というスタイルが主流を占めていたが、徐々に「○○な奇特なN」とイニシャルトークになっていった。看板番組の一つであり、放送終了までトップクラスの人気が続いた。なお、「奇特」とは「大いに感心すべき」という意味が正しく、「変な」という意味で使うのは誤用である。しかし、世間一般にこの誤用が浸透し、使用されている背景には「奇特人間大賞」の影響が大きいのではないかと、2012年7月10日付の日本経済新聞の記事に取り上げられた[4]
気の毒笑学校
奇特人間大賞から派生したコーナー。いろんな行事にテーマにして気の毒な奴を募集した。
NG大賞(1巻 - 24巻)
開局当初のタイトルは「恐怖のNG」。字が汚いハガキや漢字を間違えているハガキを晒すコーナー(掲載されると減点)だったが、いつの間にかなんでもありのフリーコーナーになっていた。本誌では年に1回「NG大賞スペシャル」と題し、JBSの全てのページを使って100枚以上の作品を一挙に掲載していた。
2コマ名作劇場
NG大賞から派生したコーナー。最初は普通の2コマ漫画を投稿するコーナーだったが、途中からは日常生活でありがちな一瞬を描いた作品がメインになっていった。
ドラゴンボール大特集!!
別名「ドラゴンボールパロディ」、略称「ドラ・パロ」。元々はジャンプに掲載されていた漫画を抜粋してパロディにしていたものでドラゴンボール連載前から存在していた[5]ものだが特にドラゴンボールのネタが多くなったためNG大賞から派生し、ドラゴンボール全盛期を陰で支えた。一コマ内のふきだしの台詞を面白くしたり、ベジータサザエさんヘアーにするなど絵に手を加えた物等が掲載された。なおこの特集の最終回以降はドラゴンボール以外の漫画のパロディもNG大賞に掲載されなくなった。
JBS-HI句
えのんを探せ!
ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』内のコーナー、「ナンチャンを探せ!」のパロディで、あからさまに立っていたり、風景の中に潜んでいたりしているえのんを探すコーナー。実際のイラストだけではなく「貧乏ネタ」等を使った物もあった。また、派生して各局員を探せも稀に掲載されていた。
ミスJBSコンテスト(2巻 - 15巻、17巻 - )
水着姿、セーラー服姿の女学生、女戦士などテーマに沿って美少女の絵を投稿するイラストコーナー。初期は堀井雄二が外部審査員として参加していた。常連でも掲載される事が難しく、このコーナー限定の常連も存在した。毎回、必ず露骨なネタ絵が載せられるのも定番化していた。一度だけテーマとしてミスターJBS(男性を描く。テーマは「勇者」)が企画されたことがある。なお、本誌掲載時には「ガンバレもう一息」[6] で絵が載らなかったボツ作品も、コミックスでは大量に掲載された。投稿作品のレベルの高さを惜しんださくま自身の手により、JBS終了直後、イラスト投稿誌『チョコバナナ』として独立デビューした。
ほら自慢西東
ど田舎自慢西東のデタラメ版。「琵琶湖はあまりにも大きいので、滋賀県民は県境にへばりついて歩かないと落ちてしまう」などのホラネタを募集する。世界各国を巻き込んだネタも多数。
大人はずるっ子
子供から見て、大人はずるいと思えるシーンを募集するコーナー。途中から「両親(その他)のプロポーズの言葉」もネタにするようになった。
人間の条件
天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「お坊っちゃま」コーナーを元に始めたコーナー。「金持ちの条件」、「せこさの条件」など。
ちゃんねるジョーク
テレビの番組司会者のスタイルで一発ギャグやダジャレを言うコーナー。
あいつは誰だ!?
芸能人の名前をダジャレに折り込むコーナー。コンセプトはのちに「JBS人名辞典」として復活する。
有名人になる
有名人でたとえ話を作るコーナー。
華麗なる一瞬
日常の些細な出来事をピックアップし、「〜だと思う一瞬」という形式で、その有様を形容する。
ありがち先生
「いちゃもんテレビ」の先生版。学校の先生にありがちな癖等を挙げるコーナー。
私立へリクツ学園
先生からの質問や問題を屁理屈で答えるコーナー。
31の伝言板
31文字以内で文章ギャグを作る。
えのサン横断ウルトラクイズ
榎本33歳(当時)にちなんだ33問のエピソードクイズ。そのあまりにも常軌を逸した榎本の過去に、絶賛も大不評も浴びまくった。
ヘタで悪いか!
「○○で悪いか!」と自分のコンプレックスを挙げて、逆にその利点をポジティブに紹介するコーナー。
おうちゃく大発明
「投げたゴミをキャッチするゴミ箱」などおうちゃくな発明品を考察するコーナー。
変じゃねーか?
大工のタメさんが主人公のコーナー。「『根掘り葉掘り』っていうけど、根は掘れても葉は掘れねーぜ。変じゃねーか?」など、日常で「これは変じゃないか?」ということに突っ込む。ネタは「変じゃねーか?のフレーズで締めくくられる。
21世紀の日本語
誰か挑戦しないか!?
日常の様々なことで「○○した(例:髪の毛を3m伸ばした)やつはいるが、××した(例:鼻毛を3m伸ばした)奴はいない。誰か挑戦しないか?」と呼びかけるコーナー。
全日本統一協会
「電池の大きさ」「鉄道会社の回数券の名前」など1つに統一して欲しいものを投稿するコーナー。
地獄へ落ちろ!
街中のラブラブカップルへの突っ込み、怒りを投稿するコーナー。
路傍の立て札
元々は前・中・後編のつもりだったが投稿数が多く、定期コーナーに昇格。いわゆる三段オチをテーマ別に募集するコーナー。非常に人気が高く、中期 - 後期の主力番組の一つにもなった。
わくわくだじゃれランド
野菜や魚などをテーマにダジャレをはがき一杯に揮毫する企画。ネタの面白さ、文字の勢いなどが掲載の決め手となっていた。13巻で終了するも後に「だじゃれの王様」として復活する。
天下一形容詞大会
「美しい」、「恥ずかしい」、「臭い」等の形容詞をテーマにし、ネタの面白さを競うコーナー。ジャンプ放送局のスタッフを用いた形容詞ネタはルールとして禁止されていた。
遠くて近き言霊たち
アクエリアス」と「おかえりやす」といったような良く似たフレーズをネタにしたコーナー。
王様の日曜日
もしも王様になったら何がしたいかというコーナー。
クイズこの音なんだ!?
日常生活でよく聞く音を文字で表し、答えを添えて発表するコーナー。
なるほどザ・ニックネーム
タイムカプセル
はるか遠い未来人が開けるという前提で、もしもタイムカプセルに何か入れるとしたら何を入れるかというコーナー。
ほんのチョイ係
ページの最後にあるコーナー。元々はNG大賞の枠内で紹介していた普通のおたよりを1985年に正式にコーナー化し最後のページに固定。コミックスには傑作選としてページの柱に掲載されていた。人気が高いコーナーであり、新人の投稿戦士のハガキが優遇されていた。1枚掲載で4点と高得点であり、どうでもいい話題を2枚掲載させた投稿戦士がいきなりランキングに登場するという事もままあった。またNG大賞の枠内の頃に一度だけハガキのまま掲載された事がある。
活字の体操
ほんのチョイ係から派生したコーナー。鉛筆等の物やある一時の状態を文字の羅列のみで表現するコーナー。写植者泣かせのコーナーでもあった。
ピュタゴラスの友愛
さまざまな言葉を語呂合わせによって数字のみで表現するコーナー。
ハイパー加減乗除
」×「」=「」等、様々な物や状態を加減乗除で表現するコーナー。
ウルトラおもちゃ塾
テーマに沿って新しいキャラクターを考案するイラストコーナー。『ミスJBSコンテスト』のヒーロー版として登場し、最初は本格的なロボットやヒーローのイラストが掲載されたが、後に「台所用品ロボット」などのギャグキャライラストが掲載されるようになり、終了した。
ホビーにくびったけ!・ゲームにくびったけ!
中期 - 後期の主力番組(「ゲームに〜」は「ホビーに〜」からの分立)。「オセロで一面真っ黒で負けた」など色々な種類のおもちゃやゲームに関する出来事を取り上げた。ここに掲載されたネタから『桃太郎電劇2』で操作キャラに夜叉姫が追加されるなどいくつか桃太郎シリーズに反映された。
これだけは嫌だ!
III4代目からスタートし、JBS末期の人気コーナーとなる。その名の通り、毎回決められたテーマに沿って「こんな○○は嫌だ」と思えるネタを投稿する。しかしコミックスではテーマ「こんな刑務所は嫌だ」は諸事情(差別用語・表現等多数)により未収録となった。
JBSクエスト
3週連続で実施されたコーナー。HP、攻撃力、守備力、素早さの4項目に合計100ポイントとなるように数値を振り分けられた各都道府県代表のキャラクターがコンピュータによる1対1のオートバトルを行い、優勝を決める大会。2回実施され、2回目のキャラクターは各都道府県の名物をキャラクタ化したものという指定がついていた。優勝キャラは第1回が大阪府代表の『いかりのひでよし』、第2回は岐阜県代表の『うっ☆マンボ』であった。
新桃太郎伝説のほほえみの村でのだじゃれ大会や桃太郎電鉄シリーズの選挙では類似したシステムで対決をする。
一番素晴らしい人生
投稿ネタをつなぎ合わせて、一人の人間(クリストファー藤堂Jr)の「誰よりも恵まれた」生涯の物語を作る。さくま曰く「開局当時からやりたかった」とのこと。
言い訳番長
不良とメガネの優等生の会話コント。不良にありがちな言葉(「ぶっとばしてやる!」等)に対して、優等生が面白い答え(「安全運転でお願いします」等)を返す。タイトルの元ネタは『夕やけ番長』。
朝まで紙テレビ
遷都問題や内閣総理大臣の選び方、交通渋滞など社会問題をテーマにして、様々なアイデアを募るものであったが、さくまの意図に反して、完全にジョークやネタだらけのコーナーとなってしまった。コミックスには未収録。
すちゃらかテレビ
ベストテン形式。放映中のテレビ番組のタイトルをだじゃれにする。
JBS祭り
年末恒例のJBS祭りは、83-89年まであり、レコード大賞・アイドル部門・TV大賞の3部門に分かれている。レコード大賞には「新人賞」がある。アイドル部門は「アイドル部門」・「タレント部門」の2種。TV大賞は「TV大賞」・「CM部門」・「流行語部門」の3種。

他多数。

コミックス掲載について

  • コミックス1巻は1984年に初版発行されたが、当時は2レースを1冊に纏めて出していた。しかし、年々投稿数が増大したため、4巻の7代目レースからは1レース1巻のペースで出されていった。
  • コミックスの巻末には「これがジャンプ放送局だ!」という短編マンガが描かれていて、その中には各局員の悪戯書きや突っ込み等も記載されている。ちなみに第18巻では『スピスピシーナ』として、『ウゴウゴルーガ[7]のパロディが描かれた。またこの「悪戯書きつきの巻末マンガ」は、「新桃太郎伝説速攻本」にも収録されている。
  • なお、コミックス1冊は約190ページであるため(そのうち、トップ10紹介、前述の短編のページを除くと約170ページ)、本誌で掲載された作品が、コミックス未収録となった作品も少なくない。そのうち、「テレビ五七五」(JBSIII6代目まで続いた)は21巻(JBSIII4代目)しか収録されず、「1918年 米騒動」(五七五と同じ時期まで続いた)は19巻(JBSIII2代目)、21巻(JBSIII4代目)しか収録されていない。また、前後編のみの期間限定番組は1番組ないし2番組程度のみの収録である。
    • 「ホビーにくびったけ」は最終レースまで続いていたが、兄弟番組「ゲームにくびったけ」が開始されてからは後述のほうが収録され、「ホビー」のほうは未収録となった。他にも、「いちゃもんテレビ」も1クール終了の連続ドラマや、期間限定番組などのネタが本誌で掲載されても、コミックス収録時には最終回を迎えてしまい、コミックス未収録となったネタも多数ある。

JBSの呼称について

ジャンプ放送局の通称JBSは前述の通りJUMP Brordcasting Stationの略であるが、実在する放送局(放送事業者)に社会福祉法人視覚障害者文化振興協会の運営する視覚障害者向けラジオ放送であるJBS日本福祉放送がある。日本福祉放送のJBSとはJAPAN BROADCASTING SERVICE FOR THE DISABRED PERSONSの略称である。JBS日本福祉放送の開局は1988年(JBSへの呼称変更は1992年から)であるため、ジャンプ放送局が現存する放送事業者よりも先にJBSの呼称を使用していたことになる。放送局以外では、日本ビジネスシステムズがJBSの略称を使用しており、かつては新日鉱ホールディングス(現・JXホールディングス)の総合人材サービス会社である株式会社JBS(現・JXキャリアサポート)という企業が存在した。

帰ってきたジャンプ放送局

2010年8月30日にニコニコ動画内ニコニコ生放送で『さくまあきらアワー 〜帰ってきたジャンプ放送局〜』が放送された。出演者は、さくまあきらを始めとした連載当時のスタッフがラインナップされ、ジャンプ放送局が復活を果たした。同年11月27日に再び『さくまあきらアワー 〜また帰ってきちゃったジャンプ放送局〜』と銘打った番組が企画され、放送された。さくまと親交のあるお笑いタレントがゲストとして招かれ、ジャンプ放送局への思いを語っている。その中で麒麟川島明鉄拳もハガキを投稿していたというエピソードが語られた(なお、掲載されることはなかった)。

2010年8月30日放送『さくまあきらアワー 〜帰ってきたジャンプ放送局〜』[8]
出演者:さくまあきら(放送局長)、土居孝幸(イラスト担当)、榎本一夫(レイアウト担当)、横山智佐(アシスタント)、ショッカーO野(司会)、どんちゃん
スペシャルゲスト:川島明麒麟
投稿コーナーのお題は「21世紀の奇特人間大賞」「華麗なる一瞬」で、約300通の投稿があった[9]。また、『桃太郎電鉄WORLD』のプレイ動画が初解禁となった。
2010年11月27日放送予定『さくまあきらアワー 〜また帰ってきちゃったジャンプ放送局〜』[10]
出演者:さくまあきら(放送局長)、土居孝幸(イラスト担当)、榎本一夫(レイアウト担当)、横山智佐(アシスタント)、ショッカーO野(司会)、どんちゃん
スペシャルゲスト:鉄拳桜塚やっくん
戦場カメラマンの渡部陽一が出演している『桃太郎電鉄WORLD』のCMおよびNG集のVTRも放送された。
投稿コーナーのお題は「だじゃれの王様〜WORLD編〜」。

脚注

  1. ^ JBS新聞 VOL.47で初出。その後、週刊少年ジャンプ1995年27号の「ほんのチョイ係」で正式に次回が最終レースと告知された。
  2. ^ JBS登場初期は普通に「榎本一夫」名義。VTR24の思い出座談会ではJBSの年号みたいだと懐述している
  3. ^ 初期は大橋巨泉ネタ、中期は、武田鉄矢ネタが非常に多かった。
  4. ^ 少年ジャンプで浸透?「奇特な人=変なやつ」という間違い 2012年7月10日付
  5. ^ ドラゴンボール以前は北斗の拳のパロディが多かった。
  6. ^ JBS末期は、「載せたかったよ~」で、さくまのイラストが描かれてその下に投稿者のペンネームが記載されていた。
  7. ^ アシスタントの横山は、同番組内アニメ『ノンタンといっしょ』にて「うさぎさん」役を務めている。
  8. ^ さくまあきらアワー 〜帰ってきたジャンプ放送局〜(現在は視聴不可)
  9. ^ 仕事人裏日記2010年8月30日
  10. ^ さくまあきらアワー〜また帰ってきちゃったジャンプ放送局〜

関連項目

外部リンク