ジャPAニーズ
ジャPAニーズ | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル | アイドル |
活動期間 | 1978年 - 1982年 |
事務所 | ジャニーズ事務所 |
共同作業者 | 田原俊彦(1980年 - ) |
メンバー |
細野謙治 吉野明男 乃生佳之 板野俊雄 |
ジャPAニーズ (ジャパニーズ)は、かつてジャニーズ事務所に所属していたバックダンスグループである。愛称はジャPA。旧名は「ジャパニーズ」。1978年結成。1982年5月18日解散。
概要
- 1978年に川崎麻世のバックダンサーとして「ジャPAニーズ」結成。但し、当初のグループ名表記は普通に「ジャパニーズ」だった。
- 1979年4月 - 7月に日本テレビで放送されていたダンス番組『ミュージック・ボンボン』に、「ピラミッド」と共にレギュラー出演。
- 1980年6月1日、2人のメンバーと入れ替わりで板野俊雄が加入すると同時に、グループは新しく田原俊彦のバックダンサーとなる。ダンスだけではなく、田原の「ジャクソンズメドレー」ではバックコーラスも担当した。
- 『レッツゴーヤング』(NHK総合)にバックダンサーとしてレギュラー出演。松田聖子の『裸足の季節』など、様々なアイドル歌手のバックを務めた。
- 田原俊彦の『恋=Do!』のバックでの、女の子の着ぐるみ「チャチャ人形」の役は、乃生佳之が担当。
- 1982年5月18日、渋谷公会堂での田原俊彦のコンサートにて解散。
メンバー
- 細野謙治 (リーダー)(愛称・トミー、トミーリーダー。振付担当)
- 現在は「小林謙治」に改名。
- 長野県出身。松商学園高等学校卒業。 ジャPAニーズの解散後はジャニーズ事務所で振付師やマネージャー業をしていた。その後更に「ヒラタオフィス」で伊藤さやか、工藤夕貴や古沢みづきのマネージメント業を経て芸能プロダクション「トミーズアーティストカンパニー」を1986年1月に設立。木内美歩、北浦共笑、釈由美子、山本梓らを育成した。1998年には、脱退メンバーのデビッド宮原と共に、劇団『前方公演墳』を設立。また、古沢みづきが明石家さんまのラジオ番組『明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送』(ニッポン放送)の二代目アシスタントを務めていた縁で、細野もさんまと大親友となる。以後、さんまのあらゆるラジオやテレビ番組に「トミー」の名で出演している。愛車はジャガー。
- 吉野明男 (愛称・ボビー(Bobby)。同じく振付担当)
- 後に「ボビー吉野」に改名し、ジャニーズ事務所の専属振付師を経て、ダンススクール「ボビー吉野ジャズダンススタジオ」を開校。現在は小柳ルミ子などの振付を担当。
- 乃生佳之(のお よしゆき、1958年6月29日 - )(愛称・のおちん)
- 1983年3月21日に「だいじょうぶマイ・フレンド 」でソロレコードデビュー、同タイトルの映画にも出演。その後「劇団四季」に入団、ファッションデザイナーもしていたが、一時芸能界を引退。大正2年生まれの父親が笹塚駅前で営んでいたうどん屋『白龍・笹塚店』(同店は1996年頃に閉店)にて店長として働いていたが、1988年に「B・D 104」のメンバーとして再び田原俊彦のバックダンサーに復帰。同年12月に設立されたフットワークプロダクションに所属して芸能活動を再開し、結婚式やイベントの司会業も行うようになった。1991年からは音楽事務所有限会社スノーベアにも業務提携で一時期所属していた。その後、化学物質過敏症を発症した事が原因で芸能活動を休止、現在は半引退状態にある[1]。
- 板野俊雄 (1957年4月26日 - 、1980年6月1日から加入)
- 吉野と板野は2019年9月4日、東京ドームで行われた二部制(第一部:芸能関係者、第二部:一般参列者)のジャニー喜多川「お別れの会」に参列した[2]。
主な出演作品
テレビドラマ
- 乃生佳之
- おにいちゃん (1982年7月27日 - 10月26日、TBS) 川﨑麻世と共演
- 年ごろ家族 (1984年1月 - 3月、TBS) 滝井亮一役
- 大型時代劇スペシャル「霧の橋の決闘!みちのく紅花女と必殺男・江戸の中小企業がんばる!」 (1999年7月6日、テレビ朝日、原作は乙川優三郎の第7回時代小説大賞受賞作品)
バラエティ番組・歌番組
- ミュージック・ボンボン (1979年4月 - 7月、日本テレビ)
- 毎週日曜夜7時から30分間放送していたダンス番組で、「ピラミッド」と共に出演していた。
- 乃生佳之
- アップルシティ500 (1982年10月4日 - 1983年5月6日、TBS、小森まなみと共に司会を担当)
- 夜のヒットスタジオ (1983年4月4日、フジテレビ、自身のソロ曲『だいじょうぶマイ・フレンド』を加藤和彦&広田レオナとの共演で披露)
- 欽ちゃんの週刊欽曜日 (TBS)
- アイドル共和国 (1990年、テレビ朝日)
- 桜っ子クラブ (1991年4月20日 - 8月26日、テレビ朝日) 「桜っ子クラブさくら組」のオーディションの審査員として出演。
映画
- 乃生佳之
- ハイティーン・ブギ(1982年8月7日公開)
- だいじょうぶマイ・フレンド (1983年4月29日公開) モニカ役
- Love Forever (1983年8月4日公開)
- 虹の橋 (1993年10月9日公開) 彦十役
舞台
- 乃生佳之
- ラ・ボエーム ’85 ミュージカル 「原宿物語」 (1985年、中野サンプラザ)
- KEI ONO DANCE NUTS公演 「躍らせて 鳥のように」 (1990年3月、新宿シアターサンモール、作/演出:森泉博行、演出:小野恵子)小野恵子は、名倉加代子の弟子で、ジャズダンスの振付師。
- マランドロ ~ チ・ン・ピ・ラ・オ・ペ・ラ (1990年7月6日 - 28日、日生劇場、主演:田原俊彦、振付:前田清実・ボビー吉野)
- 少年隊ミュージカルPLAYZONE1991「SHOCK」(1991年、青山劇場・大阪フェスティバルホール)
- KEI ONO DANCE NUTS公演 「躍らせて 鳥のようにⅡ」(1994年、新宿シアターサンモール、作/演出:森泉博行、演出:小野恵子)
- 音楽劇「ご親切は半分に…」 (1997年3月20日 - 29日、東京国際フォーラム)唐津トミオ役
ラジオ
- 細野謙治(トミー)
- 明石家さんまのおしゃべりツバメ返し
- 明石家さんま・トミー・大岩賞介・藤沢めぐみのヤングタウン日曜日
- 明石家さんま・玉井健二・加藤紀子のヤンタン土曜日 (不定期でゲスト参加) (1992年10月 - 1995年)
- 乃生佳之
- 理佐とノオチンのDOKIDOKIトーク1.5 (1988年、文化放送『15はドキドキ ピンクコング'88』内、立花理佐との共演番組)
- ナヴィとノオチンの今夜もグラッチェ (1989年、文化放送『15はドキドキ ピンクコング3』内、細川直美との共演番組)
- 明星 ノオチンと太田さんのピンコン二人旅 (1989年、文化放送、太田英明アナウンサーとの共演番組。CHA-CHAの西尾拓美がよくゲスト出演していた。)
- さだまさしのセイ!ヤング (1989年 - 、文化放送、西村知美や西尾拓美と共に度々ゲスト出演していた)
- 放送作家だよ!全員集合 (文化放送、小森まなみと共にパーソナリティを務めた特番)
コンサート
- 乃生佳之
- 夏 長崎から さだまさし (1990年 - 1996年、さだまさしの恒例野外コンサート)
ディスコグラフィ
- 乃生佳之・シングル
- だいじょうぶマイ・フレンド (1983年)
- さだまさし「“長崎から雲仙へ” c/w SMILE AGAIN」 (1992年9月25日)
関連項目
出典
- ^ “質問にお答えします|西村知美 公式BLOG”. 2020年5月21日閲覧。
- ^ 今井翼、田中聖も参列 ジャニーさん「お別れの会」主な参列者、元所属タレント一覧2019年9月4日 スポニチAnnex(スポーツニッポン新聞社)