ジプシー (駆逐艦・2代)

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艦歴
発注
起工 1934年9月5日
進水 1935年11月7日
就役 1936年2月22日
その後 1939年11月21日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 基準:1,350トン
満載:1,854トン
全長 323 ft (98 m)
全幅 33 ft (10 m)
吃水 12.4 ft (3.8 m)
機関 アドミラリティ式重油専焼水管缶 3基
パーソンズ式オール・ギヤードタービン 2基
34,000shp、2軸推進
最大速力 36ノット (66.7 km/h)
航続距離 5,530海里/15ノット
乗員 145名
兵装 Mark IX 4.7in(120mm) 単装砲 4基
12.7mm 4連装機銃 2基
533mm 4連装魚雷発射管 2基
爆雷
爆雷投射機
爆雷投下軌条

ジプシー (HMS Gipsy, H63) はイギリス海軍G級駆逐艦

艦歴

スコットランドのフェアフィールド社ゴーヴァン造船所で1934年9月5日に起工。1935年11月7日に進水。1936年2月22日に就役。

就役後本国艦隊の第20駆逐群に短期間所属した時期以外は、ジプシーは第二次世界大戦前は地中海艦隊の第1駆逐群に所属していた。1938年6月2日から7月30日までの期間、ジプシーはデヴォンポート工廠で修理を受けた[1]

1939年9月に第二次世界大戦が始まると、第1駆逐群はアレクサンドリアを拠点として地中海東部で哨戒任務や禁制品の取り締まりに当たった。10月、駆逐群はプリマスウエスタンアプローチ管区に転属となった。11月12日、ジプシーは第22駆逐群への転属のためハリッジへ向かう途中で同型艦のグレイハウンドと衝突したが、ジプシーの損傷の程度は軽かった。11月21日、ジプシーはハリッジ港外で3人のドイツ航空兵を救助し、港へ戻って陸軍へ引き渡した。同日夕刻、ジプシーは駆逐艦グリフィンキースボーディシアとともに北海の哨戒へと向かうため出港した。だが、港の外でジプシーは触雷し沈没した。艦長を含む30人が死亡し、115人がほかの駆逐艦によって救助された[1]。ジプシー沈没の原因となった磁気機雷は、およらくこの日ジプシーが救助した乗員の乗っていた機により敷設されたものである。

脚注

  1. ^ a b English, p. 95

参考文献

  • English, John (1993). Amazon to Ivanhoe: British Standard Destroyers of the 1930s. Kendal, England: World Ship Society. ISBN 0-905617-64-9