ジェローム・ボアテング
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バイエルンでのボアテング (2015年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Jérôme Agyenim Boateng | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ドイツ ガーナ | |||||
生年月日 | 1988年9月3日(35歳) | |||||
出身地 | ベルリン特別市 | |||||
身長 | 192cm | |||||
体重 | 90kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | バイエルン・ミュンヘン | |||||
ポジション | DF (CB) | |||||
背番号 | 17 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1994-2002 | テニス・ボルシア・ベルリン | |||||
2002-2006 | ヘルタ・ベルリン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2007 | ヘルタ・ベルリンⅡ | 24 | (1) | |||
2007 | ヘルタ・ベルリン | 10 | (0) | |||
2007-2010 | ハンブルガーSV | 75 | (0) | |||
2010-2011 | マンチェスター・シティ | 16 | (0) | |||
2011- | バイエルン・ミュンヘン | 107 | (3) | |||
代表歴2 | ||||||
2004-2005 | ドイツ U-17 | 4 | (1) | |||
2005-2007 | ドイツ U-19 | 17 | (2) | |||
2007-2009 | ドイツ U-21 | 15 | (1) | |||
2009- | ドイツ | 53 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年8月22日現在。 2. 2015年9月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジェローム・ボアテング(Jérôme Agyenim Boateng, 1988年9月3日 - )は、ドイツ・ベルリン出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘン所属。ドイツ代表。ポジションはディフェンダー。ガーナ代表のケヴィン=プリンス・ボアテングは異母兄弟である。
経歴
ヘルタ・ベルリンの下部組織出身。ヘルタで約5年間過ごし、2007年8月22日、ハンブルガーSVへ移籍。
メスト・エジル、マルコ・マリンを擁したUEFA U-21欧州選手権2009ではU-21代表の一員として優勝に貢献。A代表のヨアヒム・レーヴ監督もボアテングの活躍に注目し、2009年10月10日のロシア戦でA代表デビュー。このデビュー戦で退場処分を受けてしまうが、レーヴ監督からの評価は落ちることはなく、11月18日のコートジボワール戦でもスタメンとして起用され、一躍右サイドバックのレギュラー候補に名乗りを挙げた。
2010年6月5日、マンチェスター・シティFCに移籍金1000万ユーロの5年契約で移籍した。その後に臨んだ南アフリカW杯では主に左サイドバックとして5試合に先発出場を果たした。準決勝でスペインに0-1で敗れたものの、3位決定戦ではウルグアイを3-2で下しドイツは2大会連続で3位に入った。
W杯での活躍からシティでも即戦力として期待されたが、パブロ・サバレタ、アレクサンダー・コラロフ等とのレギュラー争いで後れを取ってしまい、結局16試合の出場に留まった。
2011年7月14日、バイエルン・ミュンヘンへ移籍してドイツ復帰。本人はセンターバックとしての出場を希望しているが、右サイドバックとしての起用も多い。
2015年12月18日にバイエルン・ミュンヘンとの契約を2021年まで延長したことを発表した[1]。
人物
- ガーナ人とドイツ人のハーフであり、兄弟もそれぞれサッカー選手である。ただし、父親は同じ(ガーナ人)だが、兄とジェロームは母親(それぞれドイツ人)が違う。
- 長兄はアマチュア選手としてプレーしているジョージ・ボアテング。これはオランダのサッカー選手、ジョージ・ボアテングと同姓同名だが、全くの別人。
- 次兄はジェローム同様ヘルタの下部組織出身のケヴィン=プリンス・ボアテング。2010 FIFAワールドカップを前に、ガーナサッカー協会から代表入りを求められ、それまでドイツ国内でU-21代表はあったがA代表に選ばれたことのなかったケヴィンはガーナ代表としての資格を有していたため、そのまま国籍をガーナに変更し、ガーナ代表となった。その後大会直前に、ドイツ代表の有力候補であったミヒャエル・バラックと所属クラブの対戦中に交錯し、バラックが負傷しワールドカップへの参加が事実上不可能となったため、ドイツ国内から厳しい批判を浴びることとなった。さらに奇しくもガーナとドイツはグループリーグで同組となり、両国の対戦時にジェロームとケヴィンはそれぞれメンバーに選ばれ、ワールドカップでは珍しい「兄弟での対戦」が実現した。当日、ケヴィンはドイツサポーターからは大ブーイングを浴びた。
- 母方の祖父は1954 FIFAワールドカップ優勝メンバーであるヘルムート・ラーンの従兄弟。
所属クラブ
- ヘルタ・ベルリンⅡ 2006-2007
- ヘルタ・ベルリン 2007
- ハンブルガーSV 2007-2010
- マンチェスター・シティFC 2010-2011
- バイエルン・ミュンヘン 2011-
タイトル
- FAカップ 2010-11
- ブンデスリーガ 2012-13, 2013-14, 2014-15
- DFBポカール 2012-13, 2013-14
- DFLスーパーカップ 2012
- UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13
- UEFAスーパーカップ 2013
- FIFAクラブワールドカップ 2013
- 代表
脚注
- ^ 各国名門には落胆 バイエルン、ミュラーら主力4選手と契約延長GOAL.com 2015年12月18日