ジェロ・ビアフラ

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ジェロ・ビアフラ
Jello Biafra
ジェロ・ビアフラ(2011年)
基本情報
出生名 エリック・リード・バウチャー
Eric Reed Boucher
別名 Occupant、Count Ringworm、Osama McDonald
生誕 (1958-06-17) 1958年6月17日(65歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コロラド州 ボルダー
ジャンル パンク・ロックスポークン・ワードハードコア・パンク
職業 ボーカリスト、演者、レコード・レーベル・ディレクター、アメリカ緑の党政治家
担当楽器 ボーカル
活動期間 1976年
レーベル Alternative Tentacles
共同作業者 デッド・ケネディーズ、The Witch Trials、メルヴィンズ、No WTO Combo、ラードリヴォルティング・コックス、モジョ・ニクソン、1000 Homo DJs、トゥーモア・サーカス、ジェロ・ビアフラ・アンド・ザ・グアンタナモ・スクール・オブ・メディシン、ノーミンズノー
ジェロ・ビアフラ(2003年)

ジェロ・ビアフラ (Jello Biafra、本名:エリック・リード・バウチャー1958年6月17日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン、政治活動家。

彼は1979年にデビューしたパンク・ロックバンド、デッド・ケネディーズのリード・ボーカルをつとめていた。バンド解散の後彼はソロ・アーティストとなり、詩の朗読活動を行う。政治活動では、彼はアメリカ緑の党の活発なメンバーであり、その進歩的な政治理念に基づく活動に参加している。彼は自称無政府主義者であり、政治的変革の名の下に市民の抵抗と悪ふざけを主張する。ビアフラは伝統的イッピーとして市民権社会正義、反企業の主張にハイライトを当てるため、不条理なメディア戦術を使用することが知られている。またサンフランシスコの市長選挙に出馬したこともある。

「ジェロ・ビアフラ」の名は、ゼリー菓子の登録商標である「Jell-O」と、1966年にナイジェリアからの独立を試みた「ビアフラ共和国」を組み合わせたものである。非栄養的で大量生産される企業食品と、大量飢餓を組み合わせた皮肉なコンビネーションである。

経歴[編集]

生い立ちとデッド・ケネディーズ[編集]

ビアフラはコロラド州ボルダーでスタンリー・ブーシエとその妻ヴァージニアの間に生まれた。彼は幼少時から国際政治への関心を抱いた。両親は彼の政治学への関心に対して激励した。子供の時から彼は熱心にテレビニュースを見た。幼年期における最も初期の記憶の一つはジョン・F・ケネディ暗殺事件である

外部リンク[編集]