ジェド・ラウリー
オークランド・アスレチックス #8 | |
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アスレチックス時代(2013年8月24日) | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オレゴン州セイラム |
生年月日 | 1984年4月17日(40歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 遊撃手 |
プロ入り | 2005年 ドラフト1巡目(全体45位)でボストン・レッドソックスから指名 |
初出場 | 2008年4月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジェド・カールソン・ラウリー(Jed Carlson Lowrie , 1984年4月17日 - )は、アメリカ合衆国・オレゴン州セイラム出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投両打。MLB・オークランド・アスレチックス所属。
経歴
アマチュア時代
スタンフォード大学時代の2004年にはPac-10の年間最優秀選手賞を受賞、さらにベースボールアメリカ、ルイビルスラッガーそしてスポーツウィークリー各誌で全米オールスターのファーストチーム選手に選出。2005年にもベースボールアメリカ、ルイビルスラッガー、全米大学野球記者協会から全米オールスターのファーストチーム選手に選出された。
プロ入りとレッドソックス時代
2005年のMLBドラフトでボストン・レッドソックスから1巡目(全体45位)指名を受け入団。
レッドソックス入団後は2005年から2007年にかけてマイナーで過ごし、2007年にはAA級のイースタンリーグのオールスターチームに選出。傘下のAA級ポートランド・シードッグス最優秀選手、レッドソックス・マイナーリーグ最優秀攻撃選手にも選ばれた。シーズン終盤にはAAA級ポータケット・レッドソックスに昇格。ベースボールアメリカが選ぶインターナショナルリーグ有望株ランクでは20位中5位にランクインした。
2008年は開幕をマイナーで迎えたが、4月10日にレッドソックスの正三塁手マイク・ローウェルが故障者リスト入りしたためメジャー初昇格を果たす。4月15日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャー初出場を果たした。三塁手としてスタメン出場。併殺崩れの間に初打点を挙げ、さらに次の打席では2点タイムリーヒットを放ち、初安打も記録した。また2008年のロサンゼルス・エンゼルスとのア・リーグディビジョンシリーズでは、第4戦でサヨナラタイムリーヒットを打ち、チームのリーグチャンピオンシップシリーズ進出に貢献した。
2009年は、メジャーリーグで5試合に出場しただけで手首を故障し、復帰の為のリハビリも時間がかかったので[1]、最終的には32試合の出場で打率.147・2本塁打・11打点という成績に終わった。しかし、安打数は10ながらも二塁打と本塁打を2本ずつ放った。
2010年は、キャンプ中に伝染性単核球症にかかった影響で、7月下旬まで故障者リスト入りする羽目になった[2]。しかし、復帰してからは49安打中、二塁打14本と本塁打9本(全安打の約47%が長打)を放ち、OPS.907を記録した。また、四球と三振の数が同じ(どちらも25)だった。 2011年は開幕直後は好調だったが、その後は故障もあって失速し、定位置獲得はならなかった。
アストロズ時代
2011年12月14日にマーク・マランソンとのトレードでカイル・ワイランドと共にヒューストン・アストロズへ移籍した[3]。
2012年2月8日にアストロズと115万ドル+出来高の1年契約に合意[4][5]。4月6日に15日間の故障者リスト入りし[6]、4月12日に復帰[7]。復帰後は遊撃手の定位置を獲得し、80試合に出場していたが、7月15日に右足首の故障で15日間の故障者リスト入りした[8]。9月11日に復帰。この年は97試合に出場し、16本塁打42打点2盗塁、打率.244だった。
アスレチックス時代
2013年2月4日にクリス・カーター、ブラッド・ピーコック、マックス・スタッシとの2対3のトレードでフェルナンド・ロドリゲスとともにオークランド・アスレチックスに移籍[9]。この年は主に遊撃手として自己最多の154試合に出場し、自己ベストの打率.290・2年連続15本以上となる15本塁打・自己ベストの75打点を叩き出した。また、ア・リーグ2位の45二塁打を放ち、長打を量産した。打撃面では高い成績を残した一方、守備面は低レベルな成績に終わった。119試合で遊撃の守りに就き、16失策・守備率.962・DRS -18という低数値だった。
2014年1月17日にアスレチックスと525万ドルの1年契約に合意した[10][11]。開幕から正遊撃手として起用されていたが、8月15日に右人差し指の故障で15日間の故障者リスト入りし[12]、9月1日に復帰[13]。この年は136試合に出場したが、打率は.250に届かない.249に終わり、2012年からの2年間で30本以上放ったホームランも6本まで減少した。遊撃の守備力も相変わらずの低さで、13失策・DRS -10という成績に終わった。オフの10月30日にFAとなった。
アストロズ復帰
2014年12月15日に古巣のアストロズと総額2300万ドルの3年契約(2018年・2800万ドルの球団オプション付き)を結んだ[14][15]。
アストロズ復帰1シーズン目の2015年は、超大物ルーキーであるカルロス・コレアの台頭やマーウィン・ゴンザレスの成長などもあってか、出番が大幅に減って69試合の出場に留まった。打撃不振に陥り、打率.222・9本塁打・30打点という低調な成績に終わった。守備面では、ショートよりもむしろサードを守る機会が増え、47試合のサード守備で3失策・守備率.966・DRS +1という成績を残した。本業の遊撃守備は17試合で守っただけで、DRSも -4と低調だった。
アスレチックス復帰
2015年11月25日にマイナー選手1名とのトレードでオークランド・アスレチックスに移籍した[16]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2008 | BOS | 81 | 306 | 260 | 34 | 67 | 25 | 3 | 2 | 104 | 46 | 1 | 0 | 2 | 8 | 35 | 0 | 1 | 68 | 8 | .258 | .339 | .400 | .739 |
2009 | 32 | 76 | 68 | 5 | 10 | 2 | 0 | 2 | 18 | 11 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 0 | 0 | 20 | 0 | .147 | .211 | .265 | .475 | |
2010 | 55 | 197 | 171 | 31 | 49 | 14 | 0 | 9 | 90 | 24 | 1 | 1 | 0 | 0 | 25 | 0 | 1 | 25 | 2 | .287 | .381 | .526 | .907 | |
2011 | 88 | 341 | 309 | 40 | 78 | 14 | 4 | 6 | 118 | 36 | 1 | 1 | 1 | 6 | 23 | 2 | 2 | 60 | 6 | .252 | .303 | .382 | .685 | |
2012 | HOU | 97 | 387 | 340 | 43 | 83 | 18 | 0 | 16 | 149 | 42 | 2 | 0 | 0 | 2 | 43 | 0 | 2 | 65 | 3 | .244 | .331 | .438 | .769 |
2013 | OAK | 154 | 662 | 603 | 80 | 175 | 45 | 2 | 15 | 269 | 75 | 1 | 0 | 3 | 4 | 50 | 3 | 2 | 91 | 17 | .290 | .344 | .446 | .791 |
2014 | 136 | 566 | 502 | 59 | 125 | 29 | 3 | 6 | 178 | 50 | 0 | 0 | 2 | 6 | 51 | 5 | 5 | 79 | 14 | .249 | .321 | .355 | .676 | |
2015 | HOU | 69 | 263 | 230 | 35 | 51 | 14 | 0 | 9 | 92 | 30 | 1 | 0 | 0 | 2 | 28 | 5 | 3 | 43 | 3 | .222 | .312 | .400 | .712 |
通算:8年 | 712 | 2798 | 2483 | 327 | 638 | 161 | 12 | 65 | 1018 | 314 | 7 | 2 | 8 | 30 | 261 | 15 | 16 | 451 | 53 | .257 | .328 | .410 | .738 |
- 2015年度シーズン終了時
背番号
- 12 (2008年 - 2011年)
- 4 (2012年)
- 8 (2013年 - )
脚注
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、66頁。ISBN 978-4-331-51439-9。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』廣済堂出版、2011年、79頁。ISBN 978-4-331-51518-1。
- ^ Tim Dierkes (2011年12月14日). “Red Sox Acquire Melancon For Lowrie, Weiland” (英語). MLB Trade Rumors. 2015年11月26日閲覧。
- ^ “Astros, Lowrie agree to terms on contract” (英語). Astros Press Release. MLB.com. (2012年2月8日) 2015年11月26日閲覧。
- ^ Brian McTaggart (2012年2月9日). “Astros agree on one-year deal with Lowrie” (英語). MLB.com. 2015年11月26日閲覧。
- ^ “Astros Place Lowrie on Disabled List” (英語). Astros Press Release. MLB.com. (2012年4月6日) 2015年11月26日閲覧。
- ^ “Jed Lowrie To Be Reinstated From Dl, Brian Bixler Optioned To Triple A” (英語). Astros Press Release. MLB.com. (2012年4月12日) 2015年11月26日閲覧。
- ^ “Astros Place Castro, Lowrie on DL” (英語). Astros Press Release. MLB.com. (2012年7月16日) 2015年11月26日閲覧。
- ^ “A's acquire Jed Lowrie from Astros” (英語). Associated Press. ESPN. (2013年2月6日) 2015年11月26日閲覧。
- ^ “A's Agree to Terms with Four Players on One-Year Contracts” (英語). Athletics Press Release. MLB.com. (2014年1月17日) 2015年11月26日閲覧。
- ^ Greg Johns (2014年1月17日). “A's close book on arbitration with all but Reddick” (英語). MLB.com. 2015年11月26日閲覧。
- ^ “A's Place IF Lowrie on 15-Day DL; Recall IF Parrino from Triple-A Sacramento” (英語). A's Press Release. MLB.com. (2014年8月15日) 2015年11月26日閲覧。
- ^ “A's Reinstate Lowrie from the DL; Add Three Players from Sacramento” (英語). A's Press Release. MLB.com. (2014年9月2日) 2015年11月26日閲覧。
- ^ “Astros agree to terms with free agent Jed Lowrie on 3-year deal” (英語). Astros Press Release. MLB.com. (2014年12月15日) 2015年11月26日閲覧。
- ^ Brian McTaggart (2014年12月16日). “Astros sign Lowrie to 3-year deal” (英語). MLB.com. 2015年11月26日閲覧。
- ^ Jane Lee (2015年11月25日). “A's strike deal with Astros to bring back Lowrie” (英語). MLB.com. 2015年11月26日閲覧。