ジェイアールバス関東東京支店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。123.198.0.251 (会話) による 2016年1月6日 (水) 15:48個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎現在の所管路線)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

東京支店(イベント開催時に撮影)
三ヶ日営業所(2階に入居)
東京支店で待機する車両群
東京支店上空。白い枠で囲まれている部分が車庫敷地。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

ジェイアールバス関東東京支店(ジェイアールバスかんとうとうきょうしてん)は、東京都江東区塩浜にあるJRバス関東の営業所。

JRバス関東の基幹事業である高速バスの一大拠点であり、日本最大級の高速バス営業所でもある。

所在地

東京支店

三ヶ日営業所

概要

JRバス関東では最大の支店で、乗務員仮眠所を有する。また、子会社であるジェイアールバステックの東京高速バス管理所、バスクリーンアップ部門、社員食堂「しおはま食堂」を併設している。車両整備工場は 他の支店の車両の点検・車検を受注することもある。JRバス関東の高速バス運行における最重要拠点である。

他の営業所に先がけて「東京営業支店」という組織に変更され(現在の東京営業支店とは別組織)、その後全営業所の支店制度採用により東京支店となった。

東京支店になってからしばらくは、第一課と第二課に分かれていた。第一課が東名高速線・京阪神方面へのドリーム号を担当し、それ以外の路線を第二課が担当していた。他支店や第二課で運転経験を重ねた上で、社内試験を受けて合格した乗務員だけが第一課に配属となるなど、社内でも別格扱いの部署であり、第二課にあたる担当路線が各支店へ移管された後も、入社当初からの東京支店配属はない(これは公式ページの乗務員募集要項にも明記されている)。

支店ごとの独立採算性を重視する施策に伴い、当支店配置の車両も他の支店へ路線と共に移管されることになったが、運用上の都合から当支店に管理となっていたものもあった。

共同運行会社の大半もここに入庫することから、日本で最も多くのバス会社・ナンバーを見ることが出来る営業所でもある。入庫するバス会社はJRバス関東・ジェイアールバステックを含めて27社、ナンバーは42種類に及ぶ。

その入庫車両の多さから、一時は近隣の江東区新砂(現在の「BEAMS WARE STATION」)および古石場(現在の「タイムズ古石場3丁目」)に土地を確保して車両を置いていた時期がある。

沿革

  • 1969年(昭和44年)- 東京都墨田区両国に国鉄関東地方自動車局 東京自動車営業所を開設。
  • 1984年(昭和59年)- 両国国技館建設に伴い、現在地に移転。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道 関東地方自動車事業部 東京自動車営業所に改組。
  • 1988年(昭和63年)4月1日 - 分社化に伴い、ジェイアールバス関東 東京営業所に改組。
  • 1989年(平成元年)- 組織改変により、東京営業支店に改組。
  • 1992年(平成4年)10月1日 - 全社支店制度導入に伴い、東京支店に改称。

現在の所管路線

下記に列記しているのは、当支店常駐の車両で運行する路線である。

ジェイアールバステックに運転業務を委託している路線

過去の路線

車両

当支店配置・常駐の高速車の車種構成は、JRバス関東全体の車両概況の縮図と言っても過言ではない。

国鉄バス時代は、長らくの間東名高速線ドリーム号専門の営業所であり、配置されていた車両はトイレ付の国鉄専用型式ばかりであった。1983年に東京湾岸線が開業し、初めてハイデッカー車が配置された。1984年からは東名高速線専用車としては初のハイデッカー車としてMS735SAが配置された。主に三菱車が在籍していた。

JR化と同時に「つくば号」を受け持つことになり、バス分社化後には常磐高速バス・東関東高速バス・夜行高速バスが次々と運行開始され、車両も急速に増備された。特に三菱エアロクィーンMが大量に配置され、一気に所属台数が増えた。このことだけが理由ではないが、両国(現在江戸東京博物館のある場所)から塩浜へ営業所を移転している。

1996年には、東名高速線用としては28年ぶりのいすゞ車が導入された。近年は日野車の比率が高くなりつつある。

東名高速線用の車両については、ハイデッカーで内装もシンプルなものになっているが、交通量が多い東名高速道路でのドライバビリティーを確保するため、ピックアップが重視されており、国鉄時代から一貫して強馬力仕様の車両が投入されてきた。しかし、最近になって他の支店から移籍してきた標準仕様の車両が投入される傾向がある。1997年に三菱エアロバス「SA観光仕様」を導入したが、東名ハイウェイバスでは動力性能が不足気味だったため、1 - 2年で他路線へ転用されている。

Jリーグ「ジェフユナイテッド市原・千葉」チームバスの運行も当支店が担当していたが(現在は東関東支店が担当)、東京近辺のみならず選手たちが飛行機で移動している間に陸路で移動先にバスを回送して、現地でも選手輸送を担当していた[1]

三ヶ日営業所には車両配置はない。

特記事項

  • 夜行高速バスが大変多く、到着車両が順番待ちになる状態(繁忙期には朝方の入庫車両だけで50 - 70台ほどになる。一時期は100台近くになることもあった)なので、ここでは到着後の車両整備(車内清掃・洗車・給油)は全てジェイアールバステックへの外注となっている。このため、到着したバスは会社に関わらずキーを挿したままで担当者に引き継ぐ。通常は乗務員が洗車・給油まで行うが、東京支店の場合は待ち時間が極端に長くなり、特に夜行便では乗務員の仮眠時間まで削られてしまうための措置。
  • 上記の関連から東京駅新宿駅からの回送車を朝の永代通りで多く見ることが出来る。
  • 東京駅日本橋口 - 東京支店間の回送の一部もジェイアールバステックの担当である。
  • 乗務員送迎用のバスを新木場駅などへ運行している。1994年頃までは中型の路線車(東京支店に配置された唯一の一般路線車)を使用していたが、現在はJRマークの入った自家用登録のマイクロバスが使用され、送迎バス運転業務はジェイアールバステックに委託されている。
  • JRバスについては、JR北海道バスJR九州バス以外はほぼ毎日入庫している。JR北海道バスは日本一周ツアーの途中で当支店に入庫したことがあり、JR九州バスは2008年3月にJRバス関東のオフィシャルツアーに使用した後、入庫・停泊したことがある。
  • 深夜急行バスも担当していた時期、平日ダイヤにおける最終到着点呼と翌朝一番の出発点呼までが、わずか1時間程度しかなかったことがある。通常、バス営業所24時間取材の記事では、最後に「しばしの眠りにつく」というような表現が使用されるが、東京支店がバスラマ・インターナショナル24号で取材された記事の最後は「もうすぐ1番便の運転手が出勤」という表現で、「眠らない営業所」というイメージをより強いものにしていた[2]
  • 「バスラマ・インターナショナル」誌上での関係者の談話によれば、社内での支店ランクは「B」(支店単体の収支が黒字であるが、全社の収支にも寄与するには至っていない)であるという。
  • 概要でも述べた通り、当支店はJRバス関東の支店中でも最高レベルの位置付けであり、乗務員の意識も「ここは日本一の高速バス営業所」という自負が強いとされている。しかし、それは逆に「自分たちはチェックなどする必要はない」という意識も生んでしまい、点呼時のアルコールチェックなどが形骸化、結果的に2003年8月の宇都宮支店の乗務員による飲酒運転という不祥事につながってしまった、という見方もされている。

注記

  1. ^ バスラマ・インターナショナル24号に掲載されていたJRバス関東東京支店の24時間取材記事による。
  2. ^ この取材時当日最初の乗務員が出勤したのが4時32分、最終入庫は翌日4時10分となっていた。

参考文献

  • バスラマ・インターナショナル24号「特集:国鉄〜JR東名・名神ハイウェイバス」
  • バスラマ・インターナショナル48号「ユーザー訪問:ジェイアールバス関東」
  • バスジャパン・ハンドブック「18 ジェイアールバス関東」
  • バスジャパン・ニューハンドブック「37 ジェイアールバス関東」

関連項目