サヴァ川

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サヴァ川
サヴァ川 2000年2月19日撮影
ドナウ川との合流点(ベオグラード)
延長 940 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 95,720 km²
水源の標高 -- m
河口・合流先 ドナウ川
流域 スロベニア
クロアチア
ボスニア・ヘルツェゴビナ
セルビア
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流路

サヴァ川(サヴァかわ, セルビア語:Сава,クロアチア語:Sava,ドイツ語:Save, ハンガリー語:Száva)は、東ヨーロッパを流れるである。ローマ時代にはSavusと呼ばれていた。

地理

スロベニアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナセルビアの各国を流れ、セルビアの首都ベオグラードドナウ川合流する。この川がバルカン半島の北端の付け根とされることが多い。

サヴァ川には主な水源が2つあり、ともにスロベニア北西のアルプス山脈に存在する。1つの水源はクランスカ・ゴーラ近郊のサヴァ・ドリンカの泉である。「小さいサヴァ」を源とするもう1つの支流は、一度ボヒン湖に流れ込み Sava Bohinjka として流れ出ている。二つの支流はラドヴリツアで合流し、サヴァ谷を流れていく。

主な支流としては、リュブリャナで合流するリュブリャニツァ川サヴィンジャ川クルカ川ソトラ川クパ川ウネ川ヴルバス川ボスナ川ドリーナ川などがある。

歴史

歴史的にサヴァ川より北側はヴォイヴォディナに相当する。ヴォイヴォディナはハンガリー王国歴史的地域に相当する。ハンガリー王冠は1526年以降、ハプスブルク家によって世襲されたため、以降第一次世界大戦が終結する1918年までハプスブルク君主国に内包された。

第一次世界大戦時にはサヴァ川がオーストリア・ハンガリー帝国セルビア王国の国境であった。即ち、セルビアの首都であるベオグラードはサヴァ川を挟んで、オーストリア・ハンガリーと直接対峙していた事になる。このため、オーストリア・ハンガリー軍がサヴァ川を渡河し、ベオグラードに侵攻するのが、この方面の戦線でのハイライトになった。

流域の都市

アダ・ツィガンリヤ近辺(ベオグラード)

サヴァ川は、以下の都市を流れる。

航行

サヴァ川のベオグラード市内の水域を航行する貨物船

サヴァ川は、クーパ川が合流するシサクまで船でさかのぼることができる。小さな船であれば、さらに上流まで行くこともできるが、気象条件などにより深さなどが変動するため一概には言えない。

文学

19世紀のスロベニアの詩人フランツェ・プレシェーレンは、有名な英雄叙事詩 "Krst pri Savici" を書いている。