サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ
サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ(ポルトガル語:São João Baptista de Ajudá)は、西アフリカの現在のベナンに相当する地域に位置していたポルトガルの飛地。ウィダー市に位置する。
概説
大航海時代終盤の17世紀、ポルトガルはギニア湾一帯に十数カ所の砦(要塞)を築き、商館を建設して現地の貿易を独占するとともに教会も建設し、キリスト教(カトリック教会)の布教活動を行っていた。サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダもその一つである。当時、主な収入源は奴隷貿易だった。ブラジルへ送られた黒人奴隷の3分の1はサン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダを経由し「輸出」されたといわれる。
砦の面積はわずか2ヘクタールだった。
歴史
- 1680年 ポルトガルが要塞を建設するもやがて放棄。
- 1721年 砦を再建し、ブラジルの管轄下に置かれる。
- 1731年 カーボベルデの管轄下に移管。
- 1858年 ポルトガルが砦を放棄。
- 1861年 フランスの宣教師が砦を占領。
- 1865年 ポルトガルが奪還。
- 1869年 ポルトガルは砦を再び放棄。
- 1872年 ポルトガルが再占領。
- 1961年 ダオメー共和国(現・ベナン共和国)が武力接収し、ポルトガルの飛地が消滅する。