サルマン・ラシュディ

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サー・サルマーン・ルシュディー
Sir Salman Rushdie
誕生 (1947-06-19) 1947年6月19日(76歳)
インドの旗 インドムンバイ
職業 作家
国籍 イギリスの旗 イギリス
ジャンル 小説エッセイ
代表作 『真夜中の子供たち』
悪魔の詩
主な受賞歴 ジェイムズ・テイト・ブラック記念賞(1981)
ブッカー賞(1981)
オーストリア国家賞(1992)
アンデルセン文学賞(2014)
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サー・サルマーン・ルシュディーSir Salman Rushdie سلمان رشدی सलमान रुश्दी [sælˈmɑːn ˈrʊʃdi], 1947年6月19日 - )は、イギリス作家インドのボンベイ(ムンバイ)出身の元イスラム教徒無神論者でもある。ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジを優等で卒業、現在はニューヨークに在住。

作品

小説の多くがインド亜大陸を舞台にしている。虚構と幻想を現実におりまぜるルシュディーの物語手法は魔術的リアリズムのそれに近いとされる。

2作目の小説『真夜中の子供たち』(1980年)で名声を博し、インド系作家による英語文学の新潮流の端緒となった。現在までのルシュディーの代表作と目されている同書は1981年ブッカー賞を受賞、1993年には同賞25周年の最優秀作品に選ばれている。『真夜中の子供たち』はギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』に主題を借りているが、ルシュディーはこの作品に触発されて書くことを始めたといっている。この作品はインドではネルーガンディー王朝への攻撃とみなされ、ルシュディーはインドを離れることを余儀なくされた。

1983年の "Shame" (『恥』)ではパキスタンの政治的混乱を、ズルフィカール・アリー・ブットームハンマド・ジア=ウル=ハクをモデルにして描いた。これらの作品ではそのスタイルもさることながら、そこに描き出されたルシュディーが目を向け続ける移民の光景が特徴的である。

どの作品よりも多く言及され論争を惹起したのが "The Satanic Verses" (1989年、『悪魔の詩』)である。『悪魔の詩』は、ミハイル・ブルガーコフМихаил Афанасьевич Булгаков1891年3月15日 - 1940年3月10日)の『巨匠とマルガリータ』の影響を指摘されている。

"The Moor's Last Sigh" (1995年)では、ボンベイのポルトガル移民を主人公にして対立とその結末を描き、"The Ground Beneath Her Feet" (1999年)ではアメリカロックがインドに及ぼした影響を描いた。

2002年に刊行された論集 " Step Across This Line"では、イタロ・カルヴィーノトマス・ピンチョンからの影響を告白している。また文学活動の初期には、ジェームズ・ジョイスホルヘ・ルイス・ボルヘスルイス・キャロル、グラス、ブルガーコフから影響を受けた。アンジェラ・カーターとも親交が厚い。

『悪魔の詩』論争

1989年の最初の日に出版された小説『悪魔の詩』は、中東の熱心なムスリムの激しい反発を受けた。詳細については記事『悪魔の詩』を参照のこと。

人権活動

世界各国の作家や学者達とともに人権活動家の劉暁波の即時釈放を求める書簡を胡錦濤国家主席に送っている[1]

主な著作

その他

  • 映画出演
  • 2004年にインド系アメリカ人の有名モデル・女優の(パドマー・ラクシュミー)と4度目の結婚したが、2007年に離婚した。
  • U2 の "The Ground Beneath Her Feet" はルシュディーの同作中の詞にボノが曲を付けたものである。
  • イギリス女王によるナイトの爵位授与に対して、イスラム教国からは強い反発が起きた。

脚注