コンブリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Combrit-Sainte-Marine

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) フィニステール県
(arrondissement) カンペール郡
小郡 (canton) ポン=ラベ小郡
INSEEコード 29037
郵便番号 29120
市長任期 ジャン=クロード・デュプレ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays Bigouden Sud
人口動態
人口 7083人
2010年
人口密度 690人/km2
住民の呼称 Combritois, Combritoise
地理
座標 北緯47度53分16秒 西経4度09分32秒 / 北緯47.887778度 西経4.158889度 / 47.887778; -4.158889座標: 北緯47度53分16秒 西経4度09分32秒 / 北緯47.887778度 西経4.158889度 / 47.887778; -4.158889
標高 平均:m
最低:0m
最高:62 m
面積 24.13km2
Combrit-Sainte-Marineの位置(フランス内)
Combrit-Sainte-Marine
Combrit-Sainte-Marine
公式サイト Site de la commune
テンプレートを表示

コンブリCombrit)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューンコンブリ=サント=マリーヌCombrit-Sainte-Marineブルトン語:Kombrid Sant-Voran)の名が知られており、コミューンの公式サイトではコンブリ=サント=マリーヌの表記となっている。

地理[編集]

コンブリのオデ川河口にはサント=マリーヌのマリーナがあり、河口の対岸はベノデである。サント=マリーヌ地区はリゾートが盛んである。

歴史[編集]

20世紀初頭に撮影された、コンブリの小学校

町には、新石器時代とガロ=ローマ時代の遺跡が残る。

コンブリはおそらく6世紀頃に誕生したキリスト教の古い教区であった。この教区は現在のイル=テュディから切り離され、かつてはランブールの一部であった。後にポン=ラベの教区に併合された。中世のコンブリ教区は、ほぼ全体がポン=ラベの男爵領に含まれていた。

コンブリは、1592年から1599年までの間のユグノー戦争で人々が迫害を受けた教区のうちの1つである。当時のコンブリはコルヌアイユ司教区に含まれていた[1]

コンブリのサン・テュグデュガル教会はビグダン地方にあった。1675年6月23日に教区民たちはコスケール領主を攻撃し、この日から印紙税一揆が始まった。教会はその後、1世紀たってから高層部が取り払われ、教会付属の塔がつくられた。これはルイ15世に対して抵抗した、ブルターニュ高等法院の中の反対派首領の1人、ケルサロンのおかげである。塔の建築家の名前のブルトン語発音Bigotは、ビグダン(Bigouden)地方の名の語源になったという仮説がある。

1861年、ポン=ラベからフエナン間の道路が主要道にランク付けされた。ポン=ラベ、コンブリ、フエナンの町は道路の維持管理を行うよう決められた[2]

2008年5月、コミューンは、ブルトン語の日常使用促進を掲げるYa d'ar brezhoneg憲章の批准を可決した。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
2262 2233 2302 2495 2673 3165 3394 3521

参照元:1999年までEHESS[3]、2000年以降INSEE[4][5]

史跡[編集]

ゆかりの人物[編集]

  • リュシアン・シモン - 画家。晩年をコンブリで過ごした
  • アンドレ・ドーシェ - 画家。リュシアン・シモンの義弟
  • ジャック・ド・テザック - 文化人類学者、写真家、慈善家。当時の船乗りは陸に上がると居酒屋で過ごすことが多く、アルコール中毒症が問題となっていた。船乗りのために健康的な宿泊施設をと、アブリ・デュ・マラン(fr、船員待避所)を提唱。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Anatole de Barthélémy, Choix de documents inédits sur l'histoire de la Ligue en Bretagne, Société des Bibliophiles bretons, 1880, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k110009t/f235.image.r=Combrit.langFR
  2. ^ Chemins de grande communication : nouveaux classements, "Rapports et délibérations du Conseil général du Finistère", 1861, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5562885b/f231.image.r=Clohars%20Fouesnant.langFR
  3. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=10002
  4. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  5. ^ http://www.insee.fr