コローニ・C4

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コローニ・C4
カテゴリー F1
コンストラクター コローニ
デザイナー クリスチャン・バンダープレイン
先代 コローニ・C3C
後継 アンドレア・モーダ・S921
主要諸元
シャシー カーボンファイバーモノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド
トレッド 前:1,810 in (4,597.4 cm)
後:1,660 in (4,216.4 cm)
ホイールベース 2,800 in (7,112.0 cm)
エンジン フォード DFR 3,494 cc (213.2 cu in) V8
ジャッド GV 3,496 cc (213.3 cu in) V10 NA
トランスミッション コローニ 6速
重量 505 kg (1,113.3 lb)
燃料 アジップ
ガルプ
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム コローニ・レーシング Srl
アンドレア・モーダ・フォーミュラ
ドライバー ポルトガルの旗 ペドロ・チャベス
日本の旗 服部尚貴
イタリアの旗 アレックス・カフィ
イタリアの旗 エンリコ・ベルタッジア
初戦 1991年アメリカグランプリ
出走優勝ポールFラップ
16000
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コローニ・C4、2001年のプライベートテストで。

コローニ・C4 (Coloni C4) は、コローニ・レーシング Srl1991年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー[1]。デザイナーはクリスチャン・バンダープレイン1992年アンドレア・モーダアンドレア・モーダ・C4B (Andrea Moda C4B) として使用した。

開発

コローニ・C4はクリスチャン・バンダープレインが設計したコローニ・C3の進化型だった。それは1990年型のC3Cを元にして作成され、シャシーとサスペンションはC3Cの物を流用[2]、ボディの造形も非常によく似ていた。サイドポッドの形状やドライバー頭上のエアインテイクなど、わずかに改訂されていた。コローニは資金が不足しており独自の開発部門を持っていなかったため、ペルージャ大学の学生によるデザインが採用された[3][4]。エンジンはフォード・コスワース DFRを搭載し、第4戦までラングフォード&ペック、それ以降はブライアン・ハートがチューニングを行った[5]。ラングフォード&ペックのチューンしたエンジンはハート製よりも出力が劣っていた。 コローニ・C4は2台が製作された。チームはシーズン後半、エンジンを1基しか持っていなかった[6]

レース戦績

F1世界選手権

コローニは1991年シーズン、15戦に参戦した。チームはマールボロからの支援を受けるアンドレア・デ・チェザリスを起用したかったが、チェザリスはジョーダンに加入し、ルーキーのペドロ・チャベスを起用した。シーズン終盤の2戦ではチャベスに代わって服部尚貴が起用された。両名ともF1での経験は無く、1度も予備予選を通過できなかった。チャベスの母国ポルトガルでは唯一のエンジンがウォームアップランで壊れたため、予備予選にも参加できなかった。チャベスは成績を残せなかったのはテストが十分に行えなかったためだとした[7]


ボローニャ・スプリント

シーズン終了後、コローニ・C4はボローニャ・モーターショーで行われたエキシビジョンレース、ボローニャ・スプリントに参加した。このレースは6名のドライバーが2名ずつのスプリントレースを行い勝ち抜いていくというものであった。C4はアンドレア・モーダ・フォーミュラから参加し、カラーリングは黒に変更されていた。ドライバーはアントニオ・タンブリーニが起用された。タンブリーニは1回戦でミナルディ・M191をドライブするジャンニ・モルビデリと戦い2回戦に進んだが、ロータス・102をドライブするジョニー・ハーバートに敗北した[8]


アンドレア・モーダ・C4B

1991年シーズン後、コローニ・レーシングはイタリアの靴メーカー、アンドレア・サセッテイに売却され、アンドレア・モーダ・フォーミュラと改名した。C4はアンドレア・モーダによってC4Bとして1992年シーズンに投入される。車体は後方が大きく改修され、開幕戦ではエンリコ・ベルタッジアアレックス・カフィによってドライブされるはずであったが、チームは新チームに課せられる参入保証金を納めていなかったことで出走できなかった。チームは第2戦にシムテック製の新車を用意し、C4Bは1度もレースに参加できなかった。C4Bは1990年代にエンジンをコスワース製に換装され、時折プライベートテストに使用された。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1991年 コローニ・レーシング Srl フォード DFR
V8
G USA
アメリカ合衆国の旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
MEX
メキシコの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
0 NC
ペドロ・チャベス DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ
服部尚貴 DNPQ DNPQ
1992年 アンドレア・モーダ・フォーミュラ ジャッド GV
V8
G RSA
南アフリカの旗
MEX
メキシコの旗
BRA
ブラジルの旗
ESP
スペインの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
0 NC
アレックス・カフィ EX
エンリコ・ベルタッジア EX

参照

  1. ^ Diepraam, Mattijs. “Grand Prix car designers”. forix.autosport.com. 2011年5月9日閲覧。
  2. ^ Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1945, S. 58.
  3. ^ Hodges: A-Z of Grand Prix Cars 1906-2001, S. 69.
  4. ^ Burchkalter, Galoron: Tout sur la Formule 1 1991, S. 114 ff.
  5. ^ Geschichte des Cosworth-Formel 1-Motors auf der Internetseite www.research-racing.de (abgerufen am 15. Februar 2011).
  6. ^ Motorsport aktuell, Heft 35/1992.
  7. ^ Coloni - Full Profile”. f1rejects.com. 2011年5月8日閲覧。
  8. ^ Ergebnisse des Bologna Sprint 1991 auf der Internetseite www.silhouet.com (abgerufen am 28. Mai 2014).

外部リンク