ゲゾ

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ゲゾ

ゲゾ(Ghezo)は、ダホメ王国第9代国王(在位1818年-1858年)。ダホメの12人の国王の中で最も偉大な国王とされ、ダホメの全盛期を築き上げた。

ゲゾは第7代国王アゴングロの第2王子として生まれたが、父のあとを継いだ兄である第8代国王アダンザンが無能であったため、摂政に任じられ[1]、やがてクーデターで兄を殺害して自らがダホメ国王の座に就いた。

国王となると、ゲゾは弱体化していた東隣の宗主国オヨ王国からの独立を宣言し、属国の地位から脱した。ついで、乾季ごとに近隣に出兵して大規模な奴隷狩りを行い、それをウィダーにあるポルトガルサン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダの商人フランシスコ・フェリックス・ダ・スーザらに売却して富を蓄えた。[2]この富でゲゾは4000人の女戦士軍団を擁し、銃とサーベルで充分に武装させることでオヨなどの外敵から自国を防衛することに成功した。

一方でゲゾは、奴隷貿易以外の産業振興もおこなった。とくにパームオイルの原料となるアブラヤシの大量生産を行い、これをフランスなど欧米諸国に輸出した。」[3]当時は奴隷貿易が世論の反対などによって衰退する時期にあたっており、これによって奴隷に代わる新たな輸出品を得たダホメはこれ以後も勢力を維持することに成功した。

また、ゲゾは国民の団結を高めるために、「私たちの自由は、水を蓄えることのできない穴だらけの壷のようなものだ。もし、この国の息子たちである、あなた達それぞれが穴を指でふさぐことができれば、壷は水を蓄えることができるだろう」[4]という言葉を残している。この言葉は以後も語り継がれ、1950年の在フランス・ブラックアフリカ学生連盟のモットーに選ばれ、独立運動の際にも引用された。1960年にダオメー共和国が独立し、さらにベナン共和国へと改称後もこの言葉はよく引用され、これをかたどった像も建設された。

脚注

  1. ^ 「世界の歴史6 黒い大陸の栄光と悲惨」第1版(山口昌男)、1977年4月20日(講談社) p167
  2. ^ 服部伸六「アフリカ歴史人物風土記」(社会思想社、1993年11月30日初版第1刷) ISBN 9784390115155 p188
  3. ^ 「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月 p783
  4. ^ 「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月 p782より引用