クロード・ミレール

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クロード・ミレール
Claude Miller
クロード・ミレール Claude Miller
生年月日 (1942-02-20) 1942年2月20日
没年月日 (2012-04-04) 2012年4月4日(70歳没)
出生地 フランスの旗 フランス パリ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 映画監督脚本家俳優
配偶者 アニー・ミレール
著名な家族 ナタン・ミレール(息子)
 
受賞
ベルリン国際映画祭
国際映画批評家連盟賞
2000年魔女たちの部屋
セザール賞
脚本賞
1982年勾留
その他の賞
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クロード・ミレールClaude Miller1942年2月20日 - 2012年4月4日)は、フランスパリ出身の映画監督脚本家

来歴・人物[編集]

1942年2月20日パリに生まれる。

1962年IDHECに入学。

同校卒業後、マルセル・カルネ監督『マンハッタンの哀愁』(1965年)の助監督として映画界に入り、ミシェル・ドヴィル監督『Martin soldat』(1966年)、ロベール・ブレッソン監督『バルタザールどこへ行く』(1966年)、ジャン=リュック・ゴダール監督『ウィークエンド』(1967年)、ジャック・ドゥミ監督『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)などの助監督を経て、『暗くなるまでこの恋を』(1969年)から『アメリカの夜』(1973年)までのフランソワ・トリュフォー作品の製作主任を務め、『アデルの恋の物語』ではプロデューサー。そのかたわら『アメリカの夜』等1970年代前半のトリュフォー組撮影監督ピエール=ウィリアム・グレンを迎え2本の短編を撮る。

1976年、『いちばんうまい歩き方』で長編監督デビュー。セザール賞6部門(主演男優賞、監督賞、作品賞など)にノミネートされ、ブリュノ・ニュイッテンが撮影賞を受賞。

1988年、4年前に死去したトリュフォーがクロード・ド・ジヴレーと執筆した遺稿シナリオをもとに、リュック・ベロー、アニー・ミレールと共に脚色した『小さな泥棒』をシャルロット・ゲンズブール主演で監督。美術デザイナーには晩年のトリュフォー作品を支えたジャン=ピエール・コユ=スヴェルコを起用した。

映画館チェーンのヨーロッパ・シネマ Europa Cinemas社代表も務めた。

2012年4月4日、数ヶ月の闘病の末に死去。70歳没。

監督作[編集]

受賞[編集]

家族[編集]

  • ピエール=ウィリアム・グレンの妹アニー・グレンと結婚。その後は彼女はアニー・ミレールの名でトリュフォー監督作『野生の少年』に夫・息子ナタン・ミレールとともに出演、夫のデビュー作『いちばんうまい歩き方』では編集助手。脚本執筆に参加しつつ、『オディールの夏』以降、夫や息子の作品のプロデューサーとなる。現レ・フィルム・ド・ラ・ボワシエール Les Films de la Boissière社代表。
  • 『いちばんうまい歩き方』に出演していた息子のナタン(当時子役)はのちに『伴奏者』や『オディールの夏』の助監督を経て、短編映画を演出した(1997年)。

脚注[編集]

外部リンク[編集]