クロード・ボーソレイユ

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クロード・ボーソレイユClaude Beausoleil1929年 - 1983年3月24日)は、フランス撮影監督である。同姓同名の詩人(Claude Beausoleil)がいるが、まったくの別人。

人物・来歴[編集]

1929年にフランスで生まれる。前歴は定かではないが、1959年、30歳のときに、5歳年上の撮影監督ラウール・クタールの助手として、ジャン=リュック・ゴダール監督の長編デビュー作『勝手にしやがれ』で映画界にデビューする。以来、フランソワ・トリュフォージャック・ドゥミといった作家の作品にいずれもクタールの助手として付き、ヌーヴェルヴァーグの最もみずみずしい時代を現場で体験する。

1965年、36歳のとき、ジャック・ドゥミの妻、アニエス・ヴァルダ監督の『幸福』で、ジャン・ラビエとの共同で撮影監督となる。同年、ゴダール監督の『女と男のいる舗道』、『カラビニエ』、ヴァルダ監督の『幸福』の助監督として現場をともにしたジャン=ポール・サヴィニャックの監督デビュー作『ニック・カーターと赤のクローバー』で完全に一本立ちする。

さらに、撮影監督として、モーリス・ピアラ監督の長編デビュー作『裸の幼年時代』(1968年)を手がけ、また同年、セルジュ・ゲンスブールジェーン・バーキンの出逢いを演出したピエール・グランブラ監督の記念碑的作品『スローガン』を手がけた。

1969年、『スローガン』のプロデューサー、フランシス・ジローが脚本を書いたハンガリーの監督ミクロシュ・ヤンチョーの仏ハンガリー合作映画『シロッコ』(1969年)に出演で協力、同じくフランシス・ジロー製作、マルク・モネ監督の『Léa l'hiver』(1971年)の撮影にたずさわる。その後も、もっぱら新人監督の作品を生み出して行くが、あまり順調とはいえず、またどの監督もさほど続かなかった。

1983年3月24日、死去。53歳没。当時、師のクタールがまだ現役でファインダーを覗いていたのに比べ、トリュフォーの死(1984年)の前年の早すぎる死である。

フィルモグラフィー[編集]

撮影監督[編集]

  • Saturnin Belloir テレビシリーズ(13話、各26分) 1967年 監督ジャック=ジェラール・コルニュ
  • Léa l'hiver 1971年 監督・脚本マルク・モネ、製作フランシス・ジロー、ジャック・ルーフィオ
  • La Révélation 1973年 監督アラン・ラヴァル
  • Le Désir et la volupté 1973年 監督ジュリアン・サン=クレール
  • Ben et Bénédict 1977年 監督ポーラ・デルソル
  • Les Givrés 1979年 監督アラン・ジャスパール、主演ソフィ・ドーミエ

撮影助手[編集]

出演[編集]

外部リンク[編集]