クリーヴランド管弦楽団

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クリーヴランド管弦楽団
The Cleveland Orchestra
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オハイオ州クリーヴランド
ジャンル クラシック音楽
活動期間 1918年 -
公式サイト The Cleveland Orchestra
メンバー 音楽監督
フランツ・ウェルザー=メスト
桂冠音楽監督
クリストフ・フォン・ドホナーニ
副指揮者
サーシャ・マキラ

クリーヴランド管弦楽団(クリーヴランドかんげんがくだん、英語: The Cleveland Orchestra)は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーヴランドを本拠地とするオーケストラ

概要[編集]

アメリカ5大オーケストラ("Big Five")」[1]の1つとして世界的に広く知られる。冬季はクリーヴランドのセヴェランス・ホール英語版で、夏季はカヤホガフォールズのブロッサム・ミュージック・センターで、ジョージ・セルが1968年に創設した「ブロッサム音楽祭(英語版)」のレジデントオーケストラとして演奏を行なっている。

沿革[編集]

1918年にアデラ・プレンティス・ヒューズにより、ニコライ・ソコロフを常任指揮者に迎えて創立された。

発足当初から、米国東部全体で演奏旅行を行い、ラジオ放送への出演やレコード制作にも取り組んできた。1960年代からは西海岸にも進出して演奏旅行を行なっている。

ジョージ・セルの20年以上に亘る音楽監督時代に、大幅な楽員入れ替えや猛烈なトレーニングにより、「セルの楽器」と呼ばれるほど空前絶後の精緻なアンサンブル能力を獲得し、それまでのアメリカの平凡な地方オーケストラの一つから、全米トップファイヴの一つに上り詰め、以来世界のトップオーケストラの一つとして評価される基礎を作った。

セルの没後、大幅に減少した定期会員を呼び戻し、皆無になっていたレコード会社との契約を3社にし、華やかなソリストを連れてきたのがロリン・マゼールである。ウィーンへ転出するまでの11シーズンに、厳しいトレーニングによりセル時代の規律を取り戻し、かつ馥郁たるプレゼンスをオーケストラにもたらした。このコンビは交響曲・オペラ・バレエのディスクで国内外の賞を獲得した。

マゼールの後任のクリストフ・フォン・ドホナーニはクリーヴランドに住居を構え、腰をすえて音楽監督の仕事にあたった。セルやマゼールが行ったようなドラスティックな改革こそないものの、古典から現代までのレパートリー拡張に努め、かつ鍛えに鍛えあげたアンサンブルを背景に戦後の米国オーケストラとして初めてヴァイオリン対向配置(両翼配置)をレギュラー化した。ドホナーニの任期中にホームのセヴェランスホールの3600万ドルに及ぶ大改装に着手した点も見逃せない。この改修工事によりクリーヴランドの聴衆はセルがコンクリートで覆い隠してしまったパイプオルガンを、数十年ぶりに舞台上に見ることが出来たのである。

歴代の音楽監督とともに残してきた膨大な録音点数に加えて、ウラディーミル・アシュケナージオリヴァー・ナッセンクルト・ザンデルリングヨエル・レヴィリッカルド・シャイーマイケル・ティルソン・トーマスらとも録音活動に取り組んでいる。近年は、内田光子がレジデントプレイヤーに就任し、内田の弾き振りを含め、共演する機会が多い。

歴代首席指揮者等 [編集]

※太字は音楽監督

歴代コンサートマスター[編集]

主な現役楽団員[編集]

来日公演[編集]

来日公演における指揮者、おもなプログラム、期間については、以下の通り。

エピソード[編集]

脚注[編集]

注釈・出典[編集]

  1. ^ 他の4つはシカゴ交響楽団ニューヨーク・フィルハーモニックボストン交響楽団フィラデルフィア管弦楽団[1]
  2. ^ 1959年 - 1962年

外部リンク[編集]