クリス・カーペンター

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クリス・カーペンター
Chris Carpenter
セントルイス・カージナルスでの現役時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューハンプシャー州エクセター
生年月日 (1975-04-27) 1975年4月27日(48歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 MLBドラフト1巡目(全体15位)でトロント・ブルージェイズから指名
初出場 1997年5月12日 ツインズ
最終出場 2012年10月2日 レッズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

クリストファー・ジョン・カーペンター(Christopher John Carpenter, 1975年4月27日 - )は、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州エクセター出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。愛称はカープ(Carp)

経歴[編集]

プロ入りとブルージェイズ時代[編集]

1993年MLBドラフト1巡目(全体15位)でトロント・ブルージェイズから指名を受け入団。

1997年5月12日のツインズ戦でメジャーデビューを果たした。しかし3試合目までの成績が0勝2敗・防御率12.71と低迷したためマイナーに降格し、7月29日のメジャー復帰まで2か月半を要した。8月19日のホワイトソックス戦でメジャー初勝利。9月9日のエンゼルス戦でメジャー初完封を達成した。新人投手が完封を記録するのは球団史上11年ぶりだった[1]

1998年以降は先発ローテーションに入り、2001年までの4年間でシーズン平均10.5勝を挙げるも、敗戦も同じくらい多かった。ロジャー・クレメンスパット・ヘントゲンという2人のサイ・ヤング賞投手から多くを学んだブルージェイズ時代だった[2]が、2002年に右肩を痛め9月に手術、オフに解雇されたことで幕を閉じた。

カージナルス時代[編集]

カージナルスと契約した2003年はメジャーでの登板機会がなく、マイナーでも8度の先発登板のみに留まる。シーズン終了後、一旦は引退も考えたカーペンターだったが「カムバックしなければ後悔する」と妻アリソンに説得され、現役続行を決意する[2]

2004年は9月18日のダイヤモンドバックス戦で右上腕二頭筋を痛め、4回途中で降板[3]。その後、登板すること無くシーズンを終えたが、15勝5敗・防御率3.46を挙げ復活。シーズン終了後にカムバック賞を受賞。

2005年はカージナルスのエースとして5月12日から9月8日にかけて22試合連続クオリティ・スタート(QS)を記録。ナ・リーグでは1968年ボブ・ギブソンが22試合連続QSを記録して以降最長となった[4]。その間の6月14日から9月8日にかけて13連勝。初めてオールスターゲームに選出され、ナ・リーグの先発投手を務めた。最終的には21勝・213奪三振(ともにリーグ2位)・防御率2.83(同5位)・四球/三振比率4.18(同3位)という成績を残しサイ・ヤング賞を受賞。カージナルスの選手が受賞というのは1970年ボブ・ギブソン以来の快挙となり、押しも押されもせぬ一流投手となった。

2年連続のサイ・ヤング賞受賞が2006年9月16日に15勝を挙げた時点で濃厚だった[5]。その後21日に8回6失点、26日に7回6失点を記録。勝ち星を挙げられず、防御率は2.79から3.09まで悪化。シーズン最終戦で登板する予定でいたが、ポストシーズンに備え登板を回避し[5]、結局サイ・ヤング賞の投票では3位に終わった。ポストシーズンではワールドシリーズ第3戦で勝利投手となり、カージナルスのワールドシリーズ優勝に貢献した。シーズン終了後の12月には5年総額6500万ドル(6年目の2012年はオプション)で契約延長[6]

2007年は開幕戦で登板後に右肘の違和感を訴えて故障者リスト入り。7月24日にトミー・ジョン手術を受けたためシーズンを棒に振った[7]。手術から1年後の2008年7月30日に復帰を果たした。8月5日のホーム戦ではファンから大声援を受けたが、3試合目の登板となった8月10日に右上腕三頭筋の張りで6回途中で降板し、翌11日に故障者リスト入りとなった[8]。故障から復帰し、9月2日のリリーフ登板がシーズン最後の登板となった。

2007・2008年と2年間勝利がなかったが、2009年シーズン初登板となった4月9日のパイレーツ戦で2年ぶりの勝利を記録。4月14日のダイヤモンドバックス戦で左胸郭を痛め、故障者リスト入りとなった[9]。5月20日のカブス戦でメジャー復帰を果たし、7月5日から9月7日にかけて11連勝を記録。最終的に17勝4敗、防御率2.24で最優秀防御率のタイトルを獲得。シーズン終了後には5年ぶり2回目のカムバック賞を受賞。

2010年は投球回数が大幅に増えたものの内容は昨年に及ばず、ほとんどの成績が微減した。それでもオールスターに選出されている。

2011年は投球回数でリーグ最多を記録するも、内容は例年に比べて良いとはいえなかった。しかしプレーオフ進出のかかったヒューストン・アストロズとのシーズン最終戦では2安打完封勝利、フィラデルフィア・フィリーズとのディビジョンシリーズ最終戦では3安打完封勝利、そしてテキサス・レンジャーズとのワールドシリーズでは、緒戦で6回2失点、第5戦で7回2失点と要所で好投。第7戦では中3日という強行日程でシリーズ3度目の先発登板。6回2失点で勝ち投手になり、チームのワールドシリーズ制覇に貢献した。

2012年はキャンプ中に胸郭出口症候群に見舞われDL入り。シーズン絶望とも言われたが9月21日に復帰し、ポストシーズンに間に合わせた。

2013年は右腕の状態が思わしくなく、1度もメジャーでの登板がないままシーズンを終え、シーズン終了後の11月20日に現役引退を発表した。[10]

選手としての特徴[編集]

バランスのいいスリークォーターから、同じ腕の振りで伸びのあるフォーシーム、低めに沈むツーシーム、縦横2種類のカーブ、決め球のカット・ファスト・ボールを投げ分けた。フォークボールも武器の1つであった。特に速球のコントロールが素晴らしく、低めに球を集め、テンポ良く打者を追い込んだ[11]。また、牽制が抜群に上手かったため、カーペンターが投げているときに二塁への盗塁を試みる走者は少なかった[12]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1997 TOR 14 13 1 1 0 3 7 0 0 .300 374 81.1 108 7 37 0 2 55 7 1 55 46 5.09 1.78
1998 33 24 1 1 0 12 7 0 0 .632 742 175.0 177 18 61 1 5 136 5 0 97 85 4.37 1.36
1999 24 24 4 1 2 9 8 0 0 .529 663 150.0 177 16 48 1 3 106 9 1 81 73 4.38 1.50
2000 34 27 2 0 0 10 12 0 0 .455 795 175.1 204 30 83 1 5 113 3 0 130 122 6.26 1.64
2001 34 34 3 2 1 11 11 0 0 .500 930 215.2 229 29 75 5 16 157 5 0 112 98 4.09 1.41
2002 13 13 1 0 0 4 5 0 0 .444 327 73.1 89 11 27 0 4 45 3 0 45 43 5.28 1.58
2004 STL 28 28 1 0 0 15 5 0 0 .750 746 182.0 169 24 38 2 8 152 4 0 75 70 3.46 1.14
2005 33 33 7 4 3 21 5 0 0 .808 953 241.2 204 18 51 0 3 213 5 0 82 76 2.83 1.06
2006 32 32 5 3 1 15 8 0 0 .652 896 221.2 194 21 43 3 10 184 3 0 81 76 3.09 1.07
2007 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 29 6.0 9 0 1 0 1 3 0 0 5 5 7.50 1.67
2008 4 3 0 0 0 0 1 0 0 .000 63 15.1 16 0 4 0 0 7 0 0 5 3 1.76 1.30
2009 28 28 3 1 2 17 4 0 0 .810 750 192.2 156 7 38 1 7 144 1 0 49 48 2.24 1.01
2010 35 35 1 0 0 16 9 0 0 .640 969 235.0 214 21 63 4 13 179 3 0 99 84 3.22 1.18
2011 34 34 4 2 1 11 9 0 0 .550 996 237.1 243 16 55 5 6 191 3 1 98 91 3.45 1.26
2012 3 3 0 0 0 0 2 0 0 .000 72 17.0 16 2 3 0 2 12 0 0 7 7 3.71 1.12
MLB:15年 350 331 33 15 10 144 94 0 0 .605 9305 2219.1 2205 220 627 23 85 1697 51 3 1021 927 3.76 1.28
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

脚注[編集]

  1. ^ "1997 Career Highlights," The Official Site of The St. Louis Cardinals. 2008年4月13日閲覧。
  2. ^ a b ナガオ勝司 「サイ・ヤング賞★クリス・カーペンター[カージナルス]CHRIS CARPENTER/歓喜と涙と“三つ目の夢”」 『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボール・マガジン社、2005年、雑誌08625-1、26-29頁。
  3. ^ Doolittle, Brian (2004年9月18日). “Carpenter exits with biceps strain” (英語). MLB.com. 2009年12月30日閲覧。
  4. ^ ST. LOUIS (AP) (2005年9月8日). “Carpenter collects 21st win against reeling Mets” (英語). ESPN.com. 2009年12月30日閲覧。
  5. ^ a b 出野哲也ホフマンがもう一つの栄光を手に入れる!?」『スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌05456-12、18 - 21頁
  6. ^ Leach, Matthew (2006年12月4日). “Cards to keep Carpenter through 2011” (英語). The Official Site of The St. Louis Cardinals. 2009年3月19日閲覧。
  7. ^ Berk, Daniel (2007年7月24日). “Notes: Carpenter has surgery” (英語). MLB.com. 2009年12月30日閲覧。
  8. ^ 澤田敏典 「MLB30球団最新レポート&全選手個人成績 セントルイス・カージナルス/STL エースの復帰は本物ではなかったのか」『スラッガー』2008年10月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-10、86頁。
  9. ^ Sanchez, Jesse (2009年4月15日). “Carpenter out with left rib-cage strain” (英語). MLB.com. 2009年12月30日閲覧。
  10. ^ Ace of Cards' title teams, Carpenter calls it a career
  11. ^ SLUGGER 「スカウティング・レポート vol.54」 『月刊スラッガー』2005年12月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-12、18-21頁。
  12. ^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、312頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]