クリストフ・ドミニシ
フルネーム | クリストフ・ドミニシ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
生年月日 | 1972年5月20日(51歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | フランス トゥーロン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 1.72 m (5 ft 7+1⁄2 in) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 82 kg (181 lb) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
クリストフ・ドミニシ(Christophe Dominici、1972年5月20日 - )はフランス、トゥーロン(ヴァール県)出身の元ラグビー選手。ウィングあるいはフルバックとして、フランス代表とスタッド・フランセ・パリでプレーしていた。
サッカー選手としてキャリアをスタートしたが、後にラグビーに転向。まず、スタンドオフとしてプレーをし、次いでセンターとなり、最終的にウィングのポジションに落ち着いた。
2007年5月、自伝『心はブルー(Bleu à l'âme)』を発表した。
経歴
サッカーからラグビーへ
クリストフ・ドミニシはスポーツ選手としてのキャリアをサッカーから始めた。父親がコルマールやイエール(Hyères)のチームでゴールキーパーをしていた関係からで、ドミニシは自宅のあったヴァール県のソリエス=ポンで非常に若い時にサッカー連盟への登録をしている。この頃、18歳以下の全国大会であるガンバルデラ杯でリリアン・テュラムが所属するASモナコと戦って敗れている。
ラ・ボーケールとの試合の際に乱闘が起こり、気づくともう1人のチームメイトとたった2人で敵チームの選手11人を相手に乱闘をしていた。他のチームメイトたちは逃げ出していたのである。このことが原因でサッカーをやめ、よりチームプレーが重要とされるスポーツ、ラグビーへと転向した。
17歳のとき、ソリエス=ポンのラグビーチームに入る。地方大会でまずスタンドオフとしてプレーし、チームは3部リーグに昇格。ドミニシは1軍とジュニアの部の両方で試合に出ていた(特にジュニアの部では地方大会で数々のタイトルを獲得した)。
二年後、2部に昇格したラ・ヴァレットに移籍。ここではセンターにポジションを移してプレーしていたが、チームは一試合差で1部昇格をのがす。ラ・ヴァレットで2年間過ごした後、ドミニシは移籍シーズンの最終日にトゥーロンの会長ヴィクトール・アゴスティーニを介してRCトゥーロンからコンタクトを受けた。
トゥーロンでのキャリア
このようにして、クリストフ・ドミニシはコート・ダジュールのメジャーチームであるRCトゥーロンでプレーすることになり、ウィングのポジションに移った。何度かスタメンに選ばれることもあったが、ほとんどは控えだった。トゥーロンでの初試合の相手はペルピニャン、初スタメンの相手はボルドーだった。その当時のボルドーの監督は前フランス代表監督であるベルナール・ラポルトだった。
ドミニシはトゥーロンに4年間在籍していたが、ちょうどこのときフランスラグビーはプロ化への転換期にさしかかっていた。RCトゥーロンはこれにうまく対応できず、その結果が後のチームの凋落に繋がるわけであるが、ドミニシは監督ジャン=クロード・バラトールに会いに行き、自身の給料および選手全員の給料を上げるよう要求するが、受け入れられなかった。
そこで同僚のフランク・コンバと共にマックス・ガッジーニにコンタクトをとった。ガッジーニは1部に昇格したばかりのチーム、スタッド・フランセ・パリの会長であり、クラブをフランスで有数の強豪チームに育てようとしていた。
キャリア
クラブ
- 1989-1991 ソリエス=ポン(Solliès-Pont)
- 1991-1993 ラ・ヴァレット(La Valette)
- 1993-1997 RCトゥーロン
- 1997-2008 スタッド・フランセ・パリ
フランス代表
1998年2月7日、ファイブネイションズ(現シックスネイションズ)のイングランド戦で初キャップ。この試合でドミニシは1トライをあげ、1トライ防がれたもののフランスは24-17で勝利した。
ドミニシはラグビーワールドカップ1999の準決勝でニュージーランドを相手に決めたトライで名を成した。
ラグビーワールドカップ2007後、2008年1月6日に代表引退を表明。これからは自分のクラブであるスタッド・フランセ・パリに100%貢献したい、2011年のワールドカップに向けて若手選手を中心にチーム作りを進めていって欲しいと語った。
タイトル
クラブ
- Top14
- 優勝:1998, 2000, 2003, 2004, 2007。
- 準優勝:2005。
- ハイネケンカップ:準優勝:2001, 2005。
- フランス・カップ
- 優勝:1999。
- 準優勝:1998。
- ジュニアの部、ヴァール県大会優勝。
フランス代表
- 67セレクション。
- 25トライ、125得点。
- 年ごとのセレクション:4(1998), 10(1999), 4(2000),8(2001), 9(2003), 7(2004), 5(2005), 8(2006), 12(2007)。
- シックス・ネイションズ
- グランドスラム:1998, 2004。
- 優勝:2006, 2007。
ワールドカップ
- 1999年:5セレクション(カナダ、フィジー、アルゼンチン、ニュージーランド、オーストラリア)。
- 2003年:5セレクション(フィジー、日本、スコットランド、アイルランド、イングランド)。
- 2007年:5セレクション(アルゼンチン、グルジア、ニュージーランド、イングランド、アルゼンチン(三位決定戦))。
3大会で15試合に出場。ワールドカップでのトライ数は8であり、フランス代表では最多記録である。
個人受賞歴
- オスカー・ミディ・オランピック
- 金賞:2000。
- 銀賞:1999, 2005。
関連作品
- Dominici, Christophe; Dominique Bonnot (2007-04-30) (フランス語). Bleu à l'âme. Paris: Le Cherche Midi. ISBN 978-2-7491-0858-2