クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー

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Creative Artists Agency
種類 Private Partnership
略称 CAA
本社所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州Century City
設立 1975年
事業内容 タレント・エージェント
外部リンク www.caa.com
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クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシーCreative Artists Agency)は、アメリカ合衆国の大手エージェンシーの1つ。

ウィリアム・モリス・エンデヴァー(WME)、ICMパートナーズ(ICM)、ユナイテッド・タレント・エージェンシー(UTA)、と並び、ハリウッド4大エージェンシーに数えられる[1]

俳優、女優、歌手、脚本家、監督、プロデューサー等、抱える数は約2000名。人数300名。

概要[編集]

同社は1975年創立のカリフォルニア州労働監督庁の支配下に置かれる世界最大のタレント代理業務事業会社。株の公開はしていない。W.M.A.(ウィリアム・モリス・エージェンシー)のテレビエージェントだったマイケル・オーヴィッツが、仲間のエージェントと共に離反。銀行から数千万円の借金をし、WMAの同僚ロン・マイヤー(現・ユニバーサル・スタジオ最高責任者)、ウィリアム・ヘイバー、マイケル・ローゼンフェルド、ローランド・パーキンズの5名でロサンゼルスセンチュリーシティーにC.A.A.(Creative Artists Agency)を設立。

当時の社員は5名、受付は社員の妻達が担当していた。5名のエージェントに車は2台しかなかった。設立当時の会社の社訓は「皆が一人の為に、一人が皆の為に」を掲げ、ハリウッドで初めて日本の会社組織を意識したモットーを取り入れた会社でもあった。ダスティン・ホフマン主演の映画『トッツィー』(1982年公開)に、当時のCAA本社がロケセットとして使用され、映画監督で俳優のシドニー・ポラックが、ホフマンの担当エージェントとして出演している。

オーヴィッツらは設立以来の10年間は当時のアメリカでは珍しいパッケージングにより、映画会社に企画を売り込み、莫大な手数料を得て、1980年代後期には飛ぶ鳥を落とす勢いで、米国の一大新興勢力として君臨。1988年にはビバリーヒルズに中国人建築家I.M.ペイがデザインした本社ビルを構える。

2018年1月より傘下のC.A.A.グローバルの最高経営責任者(CEO)に元ニールセンホールディングスのグローバルプレジデント兼最高執行責任者(COO)のスティーブ・ハスカー氏が就任、C.A.A.の取締役会にも加わる。

社歴[編集]

  • 1975年 ウィリアム・モリス・エージェンシーを離反した若手エージェント5名で、ロサンゼルスのセンチュリーシティに創設。
  • 1989年9月にはソニーのハリウッド進出の代理をし、日米摩擦の起爆剤となった約4,000億円にも及ぶコロムビア映画の買収を成功させ、手数料として約50億円を受け取る(当時の顛末は、キム・マスターズ『Hit And Run』で克明に書かれているが、日本ではキネマ旬報社によって出版予定だったが、発売前に全てソニーによって買取り破棄された)。
  • 1991年には松下電器産業ユニバーサル映画買収を手がけた。米業界誌プレミアマガジンの「ハリウッドで最も影響力のある人物トップ100」で、5年連続1位に輝いた。
  • 1995年、突然オーヴィッツは同社を辞任。ウォルト・ディズニー社の社長として迎え入れられるが、退職金100億円と共に13ヶ月で退任。これが株主による長期に渡る訴訟沙汰の原因になる。
  • 2007年4月には新社屋を元のセンチュリー・シティに完成。
  • 2009年に日本の芸能事務所吉本興業と業務提携する。
  • 2012年に日本のゲーム会社プレミアムエージェンシーと業務提携する。

その他[編集]

拠点[編集]

以下の場所に拠点を置く。

主なクライアント[編集]

俳優[編集]

映画監督[編集]

ミュージシャン・歌手[編集]

スポーツ選手[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2006年6月号「日経エンタテインメント!

外部リンク[編集]