ギュゲースの指輪
ギュゲースの指輪(ギュゲースのゆびわ)は、自在に姿を隠すことができるようになるという伝説上の指輪である。リュディアの人ギュゲスが手に入れ、その力で王になったという。
伝説
ギュゲスの指輪の話は、プラトンの著作『国家』(ポリテイア)に記されている。ギュゲスという羊飼いは、あるとき地震によって開かれた洞窟に入り、青銅の馬をみつけた。馬の体の空洞には金の指輪を付けた死体があった。この指輪は玉受けを内側に回すと周囲から姿が見えなくなり、外側に回すと見えるようになるという不思議な力をもっていた。ギュゲスは王に家畜の様子を報告する使者の一人となって宮殿に入り、王妃に近づいて姦通した。それから二人で密謀して王を殺し、王位を簒奪した[1]。ギュゲスは豪富によってギリシャ人によく知られたクロイソス王の先祖である。
しかしヘロドトスの『歴史』には、透明になる指輪の話はなく、王に強いられていやいや王妃の裸を覗き見した臣下ギュゲスが、怒った王妃に王殺しを迫られたと伝える[2]。古代ローマのキケロは、指輪の話が事実でないと考えられていたことを紹介している[3]。
ギュゲスの指輪の倫理問題
『国家』の中でギュゲスの指輪の話を紹介したのは、プラトンの兄グラウコンである。グラウコンは、誰にも知られず不正を行なうことができる場合に、ギュゲスのように不正を行なって栄華を極める人と、正義を貫いて何も得ない人と、どちらが良い人生を送ったと言えるのかとソクラテスに質問した。正義を勧めるときに、世の人々は良い評判が利益につながることを理由として挙げるが[4]、それは、人に知られず不正を働き、良い評判を得たまま利益もおさめられればよいという考えにつながらないかという疑問である。ソクラテスの(あるいはプラトンの)答えは、不正に身を委ねるのは、自らを精神の中の醜く汚れた部分の奴隷にすることであり、外的な状況がどうあろうとその状態はみじめだというものであった[5]。
キケロは『義務について』で有利さと道徳的高貴さの関係を論じる中で、ギュゲスの指輪問題に触れた。道徳的高貴さは自然の理法にかなっており、人間が究極的に求めるべき唯一のものであるから、利得のほうが良いと考えるべきではない、というのがキケロの意見であった[6]。
脚注
- ^ 『国家』第2巻第3節、ステファヌス全集359頁D-360頁B、岩波文庫上巻108-109頁。
- ^ ヘロドトス『歴史』第1巻8-12、岩波文庫版上巻16-19頁。
- ^ 『義務について』第3章9節、岩波文庫版160頁。
- ^ 『国家』第2巻、ステファヌス全集363頁E、岩波文庫版上巻116頁。
- ^ 『国家』第9巻、ステファヌス全集588頁E-590頁A、岩波文庫版下巻292頁-29頁。
- ^ 『義務について』第3章9節、岩波文庫版160-161頁。
参考文献
- キケロ著、泉井久之助訳『義務について』、岩波書店(岩波文庫)、1961年。
- プラトン著、藤沢令夫訳『国家 (対話篇)』(上・下)、岩波書店(岩波文庫)、1979年。
- ヘロドトス著、松平千秋訳『歴史』上巻、岩波書店(岩波文庫)、1971年。