キリマンジャロ

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キリマンジャロ
Kilimanjaro
キリマンジャロ
タンザニア側より 高さは2倍に誇張されている
標高 5,895[1] m
所在地 タンザニアの旗 タンザニア
キリマンジャロ州
位置 南緯3度04分 東経37度21分 / 南緯3.067度 東経37.350度 / -3.067; 37.350座標: 南緯3度04分 東経37度21分 / 南緯3.067度 東経37.350度 / -3.067; 37.350[1]
山系 独立峰
種類 成層火山
初登頂 ドイツの旗 ハンス・メイヤー
キリマンジャロの位置(タンザニア内)
キリマンジャロ
キリマンジャロ
キリマンジャロの位置(タンザニア
キリマンジャロの位置(アフリカ内)
キリマンジャロ
キリマンジャロ
キリマンジャロの位置(アフリカ
プロジェクト 山
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キリマンジャロスワヒリ語: Kilimanjaro) はタンザニア北東部にあるで、標高5,895m。アフリカ大陸の最高峰。山域がキリマンジャロ国立公園に指定されている。山脈に属さない独立峰としては世界一の高さを誇る。

概要

キリマンジャロ周辺の地形を表わしたCG画像。キリマンジャロ(中央の山)には山脈はなく独立峰であることがわかる。
キボ峰の氷冠
(上:1993年、下:2000年)
2009年12月の航空写真

東南約50km、南北30kmに広がった成層火山である。西からシラ峰(Shira、3962m)、キボ峰(Kibo、5895m) 、マウエンジ峰(Mawenzi、5149m)の3つから成る。南東部には巨大なカルデラがある。中央にあるキボ峰が最高峰で、頂上はスワヒリ語で「自由」を意味するウフル(Uhuru)と呼ばれている。これは1961年のタンザニア独立を記念して命名されたもので、ここにはタンザニア初代大統領ジュリウス・ニエレレの言葉が刻まれたレリーフがある。シラ峰とマウエンジ峰は死火山であるとされるが、キボ峰は休火山であるとされ、ここからガスが出ていることがあり、2003年の調査でマグマは頂上から400mの深さにあると推定された。約100万年前に噴火が始まり、最後の大噴火は15万年前から20万年前と推測されている[2]。最近の火山活動は200年前に記録されている。

赤道付近にもかかわらず、キボ峰の頭頂部には、20世紀後期までレブマン氷河などの巨大な氷河が存在していた。最大のものはレブマン氷河(Rebmann Glacier)であるが、ほかにもアロー氷河(Arrow Glacier)、バランコ氷河(Barranco Glacier)、クレデナー氷河(Credner Glacier)、デッケン氷河(Decken Glacier)、東氷床(Eastern Ice Field)、フルトウェングラー氷河(Furtwängler Glacier)、ヘイン氷河(Heim Glacier)、ケルステン氷河(Kersten Glacier)、ペンク氷河(Penck Glacier)、ラトゼル氷河(Ratzel Glacier)、アーリグ氷河(Uhlig Glacier)といった氷河が存在する。近年は気候変動(降水量の減少など)にともなって規模が極端に縮小しているが、とはいえ、現在でも年間を通して氷雪を見ることができる。しかし、19世紀末に比べて2000年には氷河は12%にまで縮小し[3]1970年代に比べて2002年には氷河は半分以下になってしまい[4]国連環境計画によれば「2020年までに完全に消滅する可能性がある」(2008年6月)とされている[5]。この原因については、地球温暖化の影響によるものだという説と、降雪量の減少とともに常に山頂近くの気温が氷点下となっているため、山頂部の氷が直接昇華してしまい、消えていくといった地域的な要因によるものだという説があり、原因がはっきりと確定しているわけではない[6]。キリマンジャロの山頂付近の気温はこの100年で0.5℃しか上昇しておらず、このことが氷河減少が温暖化が原因のものではないとする論の有力な根拠となっている。それに対し、山頂付近の降水量はこの100年で20%以上の減少を示している[7]

キリマンジャロの「キリマ(kilima)」はスワヒリ語で「山」、「ンジャロ(njaro)」はチャガ語で「白さ」であり、全体として「白く輝く山」を意味するというのが通説だが、実は正確な語源ははっきりしていない。3つの峰の名前もチャガ語に由来するといわれているが、こちらも語源についても諸説挙げられている。マサイ人はこの山をンガジェンガ(神の家)と呼ぶ[8]

キリマンジャロは、アフリカ大地溝帯の中に位置し、東リフト・バレーに属する。赤道からは350km南に位置し、タンザニア最大の都市で旧首都のダルエスサラームからは500km北西に位置する。キリマンジャロは独立峰であるが、南西70kmの地点に4562mのメルー山がある。南東の方向には標高2463mのパーレ山脈や、それに続くウサンバラ山地があり、インド洋へと続いている。北麓にはタンザニアとケニアの国境線が走っており、200km北北西にはケニアの首都ナイロビがある。北麓のケニア側は、リフトバレー州に属する。東側も山体から少し離れたところに国境線が走っており、ケニアの海岸州に属する。ここの国境の街であるタベタから8㎞北、両国の国境線上にチャラ湖があるが、この湖はキリマンジャロ山体の東端に位置する火山湖で、カルデラの内側にキリマンジャロから流れてきた地下水が湧き出して湖となっている。タベタの南には、やはり両国の国境線上に位置するジペ湖がある。この湖の水源もキリマンジャロの雪解け水であり、湖は西ツァボ国立公園に属している[9]

山全体がタンザニア領のキリマンジャロ州に属する。ただし、主要な山体はすべてタンザニア領であるが、北側のすそ野はケニア領となっており、ここにはケニアのアンボセリ国立公園などが広がっている。キリマンジャロ周辺には適度な雨があり、キリマンジャロの雪解け水などもあるため、南のタンザニア側からはパンガニ川、北のケニア側からはツァボ川などが流れ出している。パンガニ川が南から南東へ流れてインド洋へと注ぎ、ツァボ川はほぼ真東に流れてやはりインド洋にそそぐ。また、キリマンジャロ山体から直接地下に潜って伏流水となり、周辺地域で湧水となって湧き出す水も多く、北側山麓のケニア領アンボセリ国立公園には大きな湧水地があって周辺は湿地帯となっている。アンボセリの乾燥化が進む中、この湿地帯は拡大傾向にある。アンボセリの北は、キリマンジャロから吹き付ける乾燥した風によって降水量が少なく、ニーリ砂漠と呼ばれる砂漠に近い半乾燥地となっている。

キリマンジャロは標高が高いため高山気候となり、標高によって植生が違い、山頂部には氷河が存在する。山麓の標高1000mから1900mまではサバナであり、コーヒーなどのプランテーションや農地が拓かれている。その上、3000mまでは森林地帯であり、降雨量も最も多い。ほぼ3000mで森林限界となり、ここで樹林帯は途切れて草地やまばらな低木が広がるようになる。4400mで植生の限界となり、これ以上は砂礫や岩石のみが広がる。5500m以上は氷雪地帯であり、氷河が広がる[10]氷河期には氷河の先端は3660m地点にまで達していた[11]

歴史

1847年、ケニアの東海岸で布教をしていたヨハン・ルートヴィヒ・クラプフ、ヤーコプ・エアハルト、ヨハネス・レブマンの三人のドイツ人宣教師は、内陸部に頂上がでおおわれた高い山があることを聞いた。この話に興味を持った3人は内陸部に調査に出かけることにし、3人のうちのレブマンが内陸部へと向かった。1848年5月11日、レブマンは内陸部のチャガ人の土地で、頂上が白くおおわれた高山を「発見」する[12]。海岸に戻ったレブマンはヨーロッパにこの高山のことを報告したが、頂上が雪に覆われているというレブマンの報告は、熱帯に雪が存在するはずがないというヨーロッパの地理学者の受け入れるところとはならなかった[13]

ヨーロッパ人による登頂の試みは、ドイツ人将校カール・クラウス・フォン・デア・デッケンとイギリス人の若い地質学者リチャード・ソーントンによる1861年のもの[14]が最初であるが、彼らは8200フィート(2500m)の地点までしか到達できなかった[15]。1862年には、フォン・デア・デッケンはオットー・ケルステンとともに再度の挑戦を行い、14000フィート(4280m)の地点まで到達した[16][17]

ヨーロッパ列強によるアフリカ分割が進んでいくとキリマンジャロはイギリス植民地領(現在のケニア)とドイツ領タンガニーカの境界線に位置するようになったが、後に、アフリカ最高峰だと知ったドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は、イギリスに国境線の変更を要求する。結局、その要求は受け入れられ、1885年ベルリン会議においてこの地域はヴィルヘルム1世の誕生日のプレゼントとしてイギリスからドイツへと割譲された。このため、当初直線だった国境は、キリマンジャロ付近で大きくケニア側に湾曲した線になっており、山麓部分も含めた山体すべてがタンザニア領となっている[18]

1887年にはドイツ人地質学者ハンス・メイヤーが登頂を試み、キボ峰のふもとにまで達したが、キボ峰の雪や氷に対処する装備を持っておらず、引き返すことを余儀なくされた。翌年の1888年、メイヤーは地図製作者のオスカー・バウマンとともに再び登頂を目指したが、タンガニーカ海岸部で勃発したアブシリの乱によって中止を余儀なくされた。二人は反乱軍に捕らえられ、1万ルピーの身代金を支払うまで解放されなかった[19]1889年、メイヤーはオーストリア人の登山家Ludwig Purtschellerとともに3度目の登頂を目指した。この一行は2人の地元首長と9人のポーター、コック、ガイドからなっていた。モンバサから徒歩ではじめたこの試みは、あらかじめ各地に食糧供給用のキャンプを設置しておいたことからうまくいった。二人は凍った斜面を登った後、10月3日に火口の縁に到達し、10月6日にキボ峰の頂点に到達した。

1900年ごろからは南麓でチャガ人がコーヒー栽培を開始し、1921年には海岸のタンガ港から南麓のモシまで鉄道が開通した[20]。これによってキリマンジャロ地方の開発が進展し、モシはコーヒーの集散地として都市化していった。1961年タンガニーカが独立すると、キリマンジャロもその領土の一部となった。独立し、1964年ザンジバルを合わせてタンザニア連合共和国となった新政府はウジャマー村と呼ばれる集村化と共同農場化を進めたが、キリマンジャロ山山麓はコーヒー生産を武器とした豊かな農業先進地区であり、こういった共同農業化はほとんど行われなかった[21]。結果的にこれが奏功し、ウジャマー政策が失敗に終わってもキリマンジャロ山麓地域の打撃は比較的軽微なものにとどまった。

1973年に山域の一部、75,575haがキリマンジャロ国立公園に指定され、1987年にキリマンジャロ山域を含むキリマンジャロ国立公園が、世界遺産に登録された[22]

産業

キリマンジャロはタンザニア有数の観光資源であり、多くの登山客が訪れる。2004年には年間35000人が登山を試みた[23]

キリマンジャロ山麓で最も大きな都市は、南麓の中央部にある人口18万人のモシ市である。モシ以外には、キリマンジャロ山麓に都市らしい都市は存在しない。モシの主産業は、キリマンジャロコーヒーに代表されるキリマンジャロ山麓の農産物の集散と、キリマンジャロ山への登山客を相手とした観光業である。モシには観光客相手のホテルのほか、登山客を対象としたガイドやポーターも多くいる。ただし、キリマンジャロ山の観光客がすべてモシの街を拠点とするわけではない。モシの西80㎞の地点にあるアルーシャの街は、キリマンジャロとは別の独立峰であるメルー山の南麓にある町であり、キリマンジャロからは70㎞ほど離れているが、モシと同じくキリマンジャロ観光の拠点となっている。これは、アルーシャの西にはンゴロンゴロ保全地域セレンゲティ国立公園などが広がり、キリマンジャロとセットでサファリ観光を行う際に拠点としやすいことや、人口が41万人とモシの2倍近くあり、その分ホテルのキャパシティも大きいこと、ナイロビから南下してくる幹線道路がアルーシャへと直接つながっていることなどがあげられる。また、日数の限られる日本からなどのツアーの場合、ナイロビを拠点としてナマンガでタンザニアへと入り、そのままキリマンジャロの登山口へと直接向かうコースもある。

この山の南麓に住むチャガ人は勤勉な農民として知られ、1900年ごろからコーヒーの栽培を開始。キリマンジャロから灌漑水路を引くことで安定した生産を可能にし[24]1932年には協同組合「キリマンジャロ原住民共同組合連合会」を組織して品質の維持に努めた[25]結果、南麓で栽培されるコーヒーはコーヒー豆の銘柄「キリマンジャロ」としてブランド化し、高い評価を得るようになった。これにより、南麓のモシは都市として発展するようになり、農産物の集散地や観光の拠点となっている。キリマンジャロ山麓は適度な降雨に恵まれ土地も肥沃であるため、タンザニアでも特に人口密度の高い地域となっている[26]。山麓ではコーヒーに限らず、バナナサイザル麻トウモロコシなども盛んに栽培されており、タンザニア有数の肥沃な農業地帯となっている。トウモロコシとコーヒーは生育条件が全く違うため、コーヒーは標高の高い土地で、トウモロコシは標高の低い土地で栽培されるが、陰樹であるコーヒーと大きく成長するバナナとは共存できるため、この地域の小農民はまずバナナを育て、この木陰で商品作物として現金収入をもたらすコーヒーを栽培し、さらにその根元でイモ類や豆類などを栽培し、自給用作物と商品作物を同じ畑で同時に栽培している[27]。これらの小農民のコーヒー畑は標高の高い土地にあり、コーヒー豆の風味に定評がある一方、それよりやや低い土地には外国人などによる大規模コーヒー園が広がっている。コーヒーの風味には1日の気温差が重要であるため、このコーヒー園におけるコーヒーの評価はやや低い[28]。キリマンジャロ産のコーヒーの最大消費者は日本であり、特に高品質の豆の多くは日本へと輸出される[29]

また、上記のような高度による果樹建材林・バナナ林・コーヒー低木・菜園の4層からなる作物の植え分けおよび、樹木と作物の混合農業(いわゆるアグロフォレストリー)は伝統農業として高く評価され、Shimbwe Juu Kihamba Agro-forestry Heritage Site (シンヴェジュキとハンバの混農林業)として世界重要農業遺産システム(いわゆる世界農業遺産)に登録されている。キリマンジャロ山周辺は降雨が多く、また上記の観光産業やコーヒー産業などの農業といった基幹産業があるため、タンザニアでは人口密度の高い地域となっている[30]

周辺に住むチャガ人はチャガ語を話すが、チャガ語は方言連続体であり、マチャメ語ルワ語ヴンジョ語ロンボ語など多くの下位言語に分かれる。ただしタンザニアではスワヒリ語が公用語となっており、学校教育はじめスワヒリ語利用がかなり徹底されているため、周辺住民のほとんどはスワヒリ語を話すことができ、一帯の共通語となっている。

アクセス

タンザニアからだけではなく、ケニア側の北麓にあるアンボセリ国立公園からもキリマンジャロの山裾の全容を綺麗に見ることができる[31]

キリマンジャロ登山を目指す場合、キリマンジャロ麓の町、モシまたはアルーシャへ。両方の町には、ナイロビモンバサダルエスサラームから定期バスがでている。かつてはキリマンジャロ山麓のモシおよびアルーシャまで、首都ダルエスサラームからタンガを経由してタンザニア鉄道の運営する鉄道が走っていたが、並行する道路の整備に伴い線路状況の悪い鉄道は利用者が急減し、1990年代前半までに旅客列車は廃止され、貨物列車が走るのみとなった[32]

アルーシャとモシの間あたりにキリマンジャロ国際空港があり、ナイロビモンバサダルエスサラーム、さらにはフランクフルトアムステルダムなどから定期便がでている。アルーシャにはより小規模なアルーシャ空港があり、ザンジバル国際空港などからの定期便がある。

登山方法

大陸最高峰の中では登山がしやすい山であり、登山ルートも整備されているため、登山家でなくても健常者で万全の準備があれば、山頂までの登山を楽しむことができる。このため世界中から多くの観光客が登山を楽しむためにキリマンジャロを訪れ、多いときは月に1,000人近くが山頂を目指している。しかし、登山が容易であるとはいっても標高5000mを超える世界有数の高峰であることには変わりなく、高山病や事故により、毎年数名の死者がでている。

キリマンジャロには雨季乾季があり、登山のベストシーズンは乾季に当たる12月から3月と、7月から9月である。

キリマンジャロ登山には、現地人ガイド同行が義務付けられている。ほとんどの場合、ガイド・ポーター・コックが付随するツアーに参加するようである。登山用品は現地で借りることも可能。キリマンジャロ山は全体がキリマンジャロ国立公園に指定されているため、登山には指定の入園料がかかる。2005年までは入園料は30アメリカドルであったが、同年キリマンジャロ国立公園を管理するタンザニア国立公園公社(TANAPA)が入園料を倍額の60ドルに設定し、観光業界を中心に大論争が巻き起こった[33]。2012年現在も、入園料は60ドルとなっている[34]

登山ルート

登山ルート
ルート 特徴 日数 長さ
ノーザン・サーキット
[35]
北西部山麓のロンドロッシ村(2,250m)が起点。キリマンジャロで最も新しく開発された登山ルートである。山の北側全域を走る非常に長いルートであるため時間がかかり、利用者は非常に少ない。北側山麓をめぐるため、ルート全体にわたって素晴らしい眺望に恵まれる。 9 90 km
(55.9 mi)
レモショ
[36][37]
西部山麓のレモショ村が起点。長い登山道のため利用者は少ない。美しい森の中を通る。山麓を横切りバラフ・ハットへと向かう風光明媚なルートが分岐する。徐々に高度を上げていくため馴化に最適である。 8 (-1) 56 km
(34.8 mi)
マチャメ
[38][39]
南西部山麓のマチャメ村(1,800m)が起点。2番目に人気のあるルートである。美しい森の中を走るルートで、馴化にとても適している。山麓を横切りバラフ・ハットへと向かう風光明媚なルートが分岐する。 7 (-1) 49 km
(30.4 mi)
マラング
[40][41]
南東部山麓のマラング村(1,700m)が起点。最も人気のあるルートである。4,700m地点までの長い区間は勾配がゆるやかであり、基本的な設備ももっとも整っている。美しい森林やムーアの中を走るルート。6日間の日程は馴化には程よい期間である。 6 (-1) 64 km
(39.8 mi)
ロンガイ
[42]
北東部山麓からのルート。長い登山道で、利用者も少ない。あまり手を加えられておらず、眺めも良くなくキャンプ地も少ないが、馴化には適している。 6 65 km
(40.4 mi)
ウンブウェ
[43]
南部山麓のウンブウェ村(1,800m)が起点。最も短いルートであるが、急勾配で難所が続き、登頂にはかなりの体力が必要となる。美しい森や険しい尾根を通るルート。山麓を横切りバラフ・ハットへと向かう風光明媚なルートが分岐する。馴化には向いていない。危険なルートである。[44] 6 (-1) 37 km
(23 mi)

グーグルアースによるルートマップはこのようになっている。[45] 登山ルートは、主要なものは上記のノーザン・サーキット・ルート[46]、レモショ・ルート[47][48]、マチャメ・ルート[49][50][51]、マラング・ルート[52][53]、ロンガイ・ルート[54][55][56]、ウンブウェ・ルート[57][58]の6本で、他にシラ・ルート[59][60][61]や、下山専用のムウェカ・ルート[62]がある。

マラング・ルート(別名コカ・コーラルート:コカコーラが売られているから、またはコカコーラを売っている程、整備された登りやすいルートという意味)が比較的簡単で、山頂まで最短(それでも最低4泊5日かかる)のルート。登山者が最も多い。次に登山客が多いのはマチャメ・ルート(別名ウィスキー・ルート)である。

マラング・ルート概要

マラング・ゲート
ホロンボ・キャンプサイト
奥、キボ峰
氷河(山頂)
第1日目
モシまたはアルージャから車で、マラングゲート(1,700m)へ。ここで入山手続きを行う。昼前から、登山開始する。ジャングルの中を進む。途中昼食を取り、ゲートから3~4時間で、マンダラ・キャンプサイト(2,740m)に到着。マンダラ・キャンプサイトで宿泊。
第2日目
朝出発。ジャングルを抜けて、草原地帯に入る。ジャイアント・セネシオなど独特の植物を見ることができる。昼食を挟み、5~7時間で、ホロンボ・キャンプサイト(3,700m)へ。ホロンボ・キャンプサイトで宿泊。高山病の心配がある場合、ここで2泊することも可能。
第3日目
朝出発。LAST-WATERの看板を抜けると完全に植物の姿は無くなり、砂漠を進む。昼食を挟み、5~7時間で、キボ・キャンプサイト(4,700m)。早めの夕食を取り、仮眠をとる。
第4日目
深夜零時、山頂へ向け出発。4~7時間で、キボ峰のカルデラの淵であるギルマンズ・ポイント(5,681m)に着く。ここで日の出を迎える。体力と時間があれば、ここから1時間でウフル・ピーク(5,895m)。途中、氷河の壮大な風景を楽しむことができる。登頂後、一気にホロンボ・キャンプサイトへ下る。ホロンボ・キャンプサイトで宿泊。
第5日目
朝出発。5~7時間で、マラングゲートへ戻る。

登山記録

最速登頂

2014年8月13日 カール・エグロフ 往復6時間42分 ウンブウェ・ルートのゲートから頂上を経由してムウェカ・ルートのゲートに下りるまでの時間[63]

最年少登頂

2008年1月21日 キーツ・ボイド、7歳

最高齢登頂

2014年10月2日 ロバート・ホイーラー、85歳

障害者による登頂

2012年1月15日 カイル・メイナード  先天性四肢切断の障害者による登頂(自分の手足を使って自力で)

キリマンジャロを題材とした作品

その他

キリマンジャロはタンザニアでもっとも有名な観光地であり、タンザニアのシンボルとして使用されることがある。タンザニアの国章には、下部にキリマンジャロがあしらわれ、国章の中央にあしらわれた象牙を支えている。この盾そのものも、キリマンジャロ山をあらわしている[64]。また、タンザニアの通貨であるタンザニア・シリングでは、2000シリング札においてライオンとキリマンジャロ山がデザインされている。

脚注

  1. ^ a b "キリマンジャロ". Global Volcanism Program. Smithsonian Institution. 2012年11月9日閲覧
  2. ^ Nonnotte, Philippe; Hervé Guillou; Bernard Le Gall; Mathieu Benoit; Joseph Cotten; Stéphane Scaillet (2008). “New K-Ar age determinations of Kilimanjaro volcano in the North Tanzanian diverging rift, East Africa”. Journal of Volcanology and Geothermal Research 173 (1-2): 99–112. doi:10.1016/j.jvolgeores.2007.12.042. http://hal.univ-brest.fr/docs/00/30/44/58/PDF/Nonnotte_et_al.J.Volc.Geoth.Res-08.pdf. 
  3. ^ 「キリマンジャロの雪が消えていく―アフリカ環境報告」p28 石弘之(岩波新書、2009)
  4. ^ 「朝倉世界地理講座 アフリカI」初版所収「自然特性と大地域区分」水野一晴、2007年4月10日(朝倉書店)p9
  5. ^ Press Releases June 2008 - Environmental Change Re-Draws Atlas of Africa - United Nations Environment Programme (UNEP)2012年11月29日閲覧
  6. ^ ニュース - 環境 - キリマンジャロの雪、十数年で消滅?(記事全文) - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト(ナショジオ)2012年11月29日閲覧
  7. ^ 「キリマンジャロの雪が消えていく―アフリカ環境報告」p30 石弘之(岩波新書、2009)
  8. ^ 「週刊朝日百科 世界の地理107」p187 朝日新聞社 昭和60年11月10日
  9. ^ http://www.kenyarep-jp.com/tourism/park_southern_j.html 「国立公園・国立保護区 SOUTHERN REGION~ サザン地区」ケニア大使館HP トラベル情報内 2015年3月22日閲覧
  10. ^ 「現代地図帳」三訂版 p43 昭和63年3月10日発行 二宮書店
  11. ^ 『新版アフリカを知る事典』p137(小田英郎川田順造伊谷純一郎田中二郎米山俊直監修、平凡社、2010年11月25日新版第1刷
  12. ^ 「コンゴ河」pp190-191 ピーター・フォーバス著 田中昌太郎訳 草思社 1979年12月15日第1刷
  13. ^ アンヌ・ユゴン『アフリカ大陸探検史』p32 創元社,1993年 ISBN 4422210793
  14. ^ Gary Firth: in Target 1992 Portrait des Geologen Richard Thornton
  15. ^ Dundas, Charles. "Kilimanjaro and its People" 1924, Cass London, nTZ.info, accessed February 21, 2011.
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  17. ^ Bernard Verdcourt: Collectors in East Africa – 31. Baron Carl Claus von der Decken 1833–1865 Text extracted from The Conchologists’ Newsletter, No.162, pp. 204–211 published September 2002
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  19. ^ History of Kilimanjaro: The conquest of Kilimanjaro
  20. ^ 『新版アフリカを知る事典』p268(小田英郎川田順造伊谷純一郎田中二郎米山俊直監修、平凡社、2010年11月25日新版第1刷
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  27. ^ 「おいしいコーヒーの経済学 『キリマンジャロ』の苦い現実」p28 辻村英之 太田出版 2009年6月15日第1刷
  28. ^ 「おいしいコーヒーの経済学 『キリマンジャロ』の苦い現実」p97 辻村英之 太田出版 2009年6月15日第1刷
  29. ^ 「おいしいコーヒーの経済学 『キリマンジャロ』の苦い現実」p160 辻村英之 太田出版 2009年6月15日第1刷
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関連項目