キミヤ・サレー

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キミヤ・サレー

キミヤ・サレー(Kimiya Saleh:本名マリアン。1971年 - 2009年)は、日本のベリーダンサー歌手イランテヘラン出身。国際アラビアンダンス協会創設者。

略歴

イランの首都テヘランに生まれる。幼少の頃から祖母からダンス指導を受け、天才少女として注目される。5歳の頃には「キミヤ(=奇跡を起こせる人)」と、ニックネームで呼ばれるようになった[1]

1979年に発生したイラン革命後、イランでは音楽もダンスも禁止され、国内でのダンサー活動ができなくなったため、トルコでの活動を経て1992年(当時22歳)に来日。来日当初は演歌歌手としてビクターエンタテインメントからデビュー(マリアン渡辺)。レコード発売・テレビ出演の活動の中で、歌う曲の間でベリーダンスを披露し、それが話題となりベリーダンサーとしての仕事が増えるようになる。

1999年に来日した妹のミーナ・サレーとともに、講師として数多くの生徒を指導するかたわら、映画やCMへの出演、イベントのプロデュース、衣装デザイン、ベリーダンス関連の書籍やDVDの出版など多岐にわたり才能を発揮。

2009年(当時38歳)膵臓がんにより逝去[2]

主な活動歴

  • 来日前 トルコで開催された国際ダンス大会で自身が振付指導したダンサーが2年連続優勝。3回目同大会で自身も出場し優勝。
  • 1992年 来日。国際アラビアンダンス協会設立
  • 1993年 演歌歌手としてレコード発売・テレビ出演
  • 1996年 カルチャーセンターでのベリーダンスの講座開講
  • 1999年 第1回国際アラビアンダンス協会発表会 プロデュース・振付・出演
  • 2000年 中東文化交流会のレセプションにて文仁親王妃紀子、各国駐日大使夫人の目前でダンス披露
  • 2002年 SONYQRIO」ダンスロボットZINAの振付担当
  • 2003年 トルコ大使館にてダンス披露
  • 2004年 レバノン大使館にてダンス披露
  • 2005年 ・The white Stage プロデュース・振付・出演
  • 2007年 ・The Blue Stage プロデュース・振付・出演
  • 2008年 ・The Emelard Stage プロデュース・振付・出演
  • 2009年 膵臓がんにより逝去(38歳)

メディア出演

テレビ

映画

CD・書籍・DVD

CD

マリアン渡辺として発売

  • 「黄色いおじさん/夫婦花」(ビクターエンタテインメント)
  • 「神無月」(日本アートプロモーション)
  • 「他人/空よりも」(ユニバーサルレコード)

キミヤ・サレーとして企画

  • 「Rakse El Amira 姫の舞」
  • 「Zuhra 華」
書籍
  • 「本場のアラビアンダンスでメリハリボディ&マインド」(2008年、ごま書房
  • 「1日5分 ベリーダンスで姫ボディ!」(2008年、WAVE出版
DVD

脚注

  1. ^ 「本場のアラビアンダンスでメリハリボディ&マインド」キミヤ・サレー、ごま書房、2008年、11ページ、ウィジュアルメッセージ社編集部取材
  2. ^ 「ペリーダンスの官能―ダンサー33人の軌跡と証言―」関口義人青土社、2012年、178ページ

外部リンク