ガールズケイリン
ガールズケイリン(GIRL'S KEIRIN)とは、女性の競輪選手による競輪として、2012年7月1日から復活した女子競輪(じょしけいりん)の正式な愛称である。
本項では、かつて競輪の創生期に実施されていた昭和期の女子競輪についても記述する。
概要
かつて、昭和の時代である1949年(昭和24年)から1964年(昭和39年)まで、女性の競輪選手による競走として「女子競輪」が存在したが、後述の通り、人気面の低落などから廃止となった。廃止以後、女子競輪はしばらくの間、競輪界では黒歴史扱いされてきた[注 1]。
だが、1980年代に競艇が女子レース(レディース競走)を新たな起爆剤とするべく女子選手の大量養成に踏み切り、なおかつ一定の人気を博すようになった影響を受ける形で、競輪界においても幾度となく女子競輪復活の話が持ち上がった。また、橋本聖子や大菅小百合[注 2] らによる夏冬両オリンピック出場も、女子競輪復活への契機へと繋がった。
さらに、2005年に日本自転車振興会(当時)会長に就任した下重暁子が、就任当初より女子競輪の復活に意欲を見せ[1][2][3][4][5]、これを受けて2008年から2011年まで各地の競輪場で日本の女性自転車競技選手を集結させてケイリンのエキシビションとして実施させた。2010年9月30日、日本自転車振興会の後継統括団体であるJKAが、女子競輪の実施概要を明らかにしたことで、復活が事実上決定[6]。2011年4月より合格者を日本競輪学校(当時の名称。現在は日本競輪選手養成所)に入校させて1年間の訓練を経た後、2012年7月より「ガールズケイリン」として48年ぶりに正式に復活させることになった。
復活したガールズケイリンは、2012年7月1日、平塚競輪場にて女子1期生となる102期生33名により48年ぶりに開催された。以後、毎年20名程度の新人選手がデビューしているが、2014年後期(7月 - 12月)より男子選手同様に登録審査制度(いわゆる『代謝』制度)が導入された[7][8] ことにより、2015年後期末以降、各期(半年)ごとに対象となった数名が成績不良により登録消除となり強制的に引退させられている。
2021年6月1日時点では、102期生21名、104期生13名、106期生9名、108期生12名、110期生20名、112期生13名、114期生18名、116期19名、118期21名、120期21名の計167名が選手として登録されている[9][注 3]。
ガールズケイリン(エキシビション)
21世紀に入り、弥彦競輪場における「すぴRITS」や、松戸競輪場における「LOVE9」、小倉競輪場における「SUN FLOWERS(後のスペースエンジェルズ[10])」といったユニットによる模擬レースとは異なり、「レディース・ケイリン」と題して女子競輪が行われた。しかし、これは主に地元で集められた女子選手による模擬レースであり、ファンサービスとしてのアトラクションの一部のため、実際に同レースは車券発売の対象とはなっていない。
また、上記「レディース・ケイリン」とは別に、佃咲江と和田見里美の2人が北京オリンピックに出場したことを契機に、女子自転車選手の強化の一環として、2008年からエキシビションとして「ガールズケイリン」が行われた。これには世界選手権自転車競技大会やUCIトラックワールドカップクラシックスへの出場がままならない、日本の女子自転車競技界の底上げという狙いがある。加えて2012年開催のロンドンオリンピックでは女子ケイリンも正式種目として採用されることが決まり、オリンピックを睨んだ強化策の一環という意味合いもあった。
そして、この頃から水面下では女子競輪の復活が関係団体において議論されており、本格実施に向けた試行としての意味合いが大きかった[11]。
2008年
2008年に佃咲江、和田見里美の2人が北京オリンピックに出場したことを契機に、女子自転車選手の強化の一環という意味合いにより実現。2008年7月から9月まで、「サマービーナスシリーズ」と題して3戦行なわれた。石井寛子が3戦中2戦、岡希美が同1戦優勝。
2009年
2009年には1月から3月まで「2009 Venus Series」と銘打って、全6戦で各地の競輪場で行なわれた。このシリーズに先立ち、サマービーナスシリーズよりも中身の濃いレース内容を目指すべく、合宿も6回行なわれた。なお、競技規則は、国際自転車競技連合(UCI)が定めるケイリンのルールで行なわれ、1日で予選と決勝を行なった[12]。
優勝者は次の通り。
2010年
2010年も2009年同様、1月から3月まで全6戦行われた。同年シリーズ戦では第2、第6戦において、外国人選手の参加も見られた。優勝者は次の通り。
2010年 - 2011年
第4弾となるシリーズが下記の通り行なわれた[13]。
- 第1戦 京王閣 - 石井寛子
- 第2戦 小倉 - 加瀬加奈子
- 第3戦 立川 - 石井寛子
- 第4戦 高松 - 前田佳代乃
- 第5戦 岸和田 - 中止
ガールズケイリン
女子競輪の復活決定
現在では世界自転車選手権において2002年よりケイリン女子が実施されていることや、オリンピック種目としてのケイリン女子正式採用をにらみ[注 4]、昨今の競輪の売り上げ低迷打開策の一環として、2009年11月にJKAより2012年3月から女子競輪の開催を復活させることが発表された[15][16]。
ガールズケイリンの要項と育成
JKAは当初のスケジュールとして、2010年5月に女子1回生となる日本競輪学校(当時)入学者(定員35名)を募集し、合格者は2011年1月から12月まで同校で養成され、2012年3月にデビューの予定としていたが、競輪場廃止に起因する男子選手の応募要綱変更などがあったため正式の発表がずれこみ、2010年9月30日の記者会見でようやく女子選手の応募要綱等が発表された[17]。
その後の発表で女子選手の募集および養成は、2011年4月に日本競輪学校(当時)へ入学する日程で試験などが実施され、2012年7月のデビューで女子競輪を開始するスケジュールとなり、2011年2月25日に1次・2次にわたった日本競輪学校(当時)入学試験の合格者が発表され、18歳から48歳(当時)の36人が合格した。また復活する女子競輪の愛称は公募されたものの、結局はエキシビションで行われたレースと同称の「GIRL'S KEIRIN(ガールズケイリン)」とすることが発表された[18]。
2011年5月9日にガールズケイリン1期生となる35人(1人は入学辞退)が日本競輪学校(当時)に102期生徒として入学し、2012年3月22日に卒業レースが行われ24日に33名が卒業した(1人は退学処分、1人は停学処分・留年)。そして5月1日をもって正式に日本競輪学校(当時)を卒業した33名が競輪選手(当時はA級2班)として登録され、7月1日からの平塚競輪場を皮切りとして48年ぶりに女子競輪が開催された。
現在では、日本競輪選手養成所(以下、養成所)を卒業した候補生たち(偶数期、20名前後)が毎年3月の卒業式当日ないし翌日に選手登録され、同年5月以降に全国各地の競輪場にてデビュー(5月から6月は新人戦。本格デビューは7月以降)している。但し、養成所において競走成績・学業がともに優秀な場合は例外的に入所した年末に早期卒業することもでき、通常より早く翌年1月にデビューできる可能性もある。
2012年7月以降
全ての選手が原則として毎月2開催(稀に3開催も)の斡旋を受けられるようになっており、失格や欠場をしない限り、毎月6走以上できるようになっている。参考に、毎月月末に刊行されている『広報 KEIRIN』によると、ガールズケイリン選手の月間平均斡旋回数は概ね2.1〜2.3回程度(補充などイレギュラーは除く)で6〜7競走くらいとなるが、月によっては男子のS級・A級よりも平均斡旋回数がやや多くなることもある[19]。
1開催につき女子は2個レース(14選手)のみだが、2014年には3概定番組の「オールガールズシリーズ(AG)」も一部で実施された[20]。2015年には1概定番組(優勝者は3名でなく1名)に変更され[21]、2016年には同じく女子6個レース(42選手)が組み込まれた形での開催が「ガールズドリームトーナメント」という名称で行われた[22][23]。
2013年3月より、毎年(2015年度を除く)短期登録選手制度により来日した外国人女子選手4 - 5名が、約2か月間ガールズケイリンに参戦している。なお、2020年以降は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で来日が難しくなっており参戦していない。
2018年4月26日 - 29日開催の函館競輪「GIIIナイター スターライトクラウン」では、毎日3レースがガールズケイリン「FII スターライトティアラ」として行われ、ガールズケイリンとしては初めて4日間開催が行われた[24]。
2020年より、新人選手のPRを兼ねて、新人戦『競輪ルーキーシリーズ』がスタートした[25][26]。118期以降は、まずは毎年5月から6月にかけて行われるこの『競輪ルーキーシリーズ』(3〜4場所で開催)に参戦し、そこでの成績を基に算出された競走得点をもって下半期期初となる7月以降に本格デビューを果たしている(養成所早期卒業者は除く)。
ガールズケイリン選手になるには
ガールズケイリン選手になるには、男子の競輪選手と同じく、基本的に毎年12月(各年度の第1回[27])ないし翌年2月または3月(同第2回)に実施される、国家試験である競輪選手資格検定(以下、資格検定)[注 5]に合格しなければならない。ただ、資格検定の受験だけで競輪選手になった者は(男子も含めて)おらず、ガールズケイリン選手になるためには、まず養成所の入所試験に合格し、同所にて教育・訓練を受けることが大前提となっている。
全国各地にある日本競輪選手会のいずれかの支部に所属することを前提に、資格検定に合格すれば養成所を卒業となり、養成所卒業式当日ないし翌日付けで正式にガールズケイリン選手として登録される。現在は5月から6月にかけて行われる新人戦『競輪ルーキーシリーズ』が実質のデビュー戦であり[25]、下半期期初となる7月以降に先輩選手に混じって本格デビューすることとなっている[注 6]。なお、養成所在所中に養成所が定める早期卒業要件を全て満たした上で、候補生自らが早期卒業を希望する意思表示を行った場合のみ第1回資格検定を受験でき、かつその資格検定に合格することを条件に、養成所を年内で早期卒業し通常より早く翌年1月よりデビューすることも可能となっている[注 7]。なお、ガールズケイリンにおいては120期までで早期卒業を果たした選手はいない。
ガールズケイリン選手の中には、加瀬加奈子、石井寛子、豊岡英子などのようにプロデビュー前から自転車競技で実績を残してデビューした選手のほかにも、自転車競技未経験ながら選手となった者も多い。中でも、男女通じて史上初となる、養成所で複数回ゴールデンキャップを獲得しワールドカップなど世界規模のレースで活躍する小林優香は自転車競技未経験であったため旧競輪学校時代の入学試験は技能試験ではなく適性試験で受験した。また、小林と同じくワールドカップなど自転車競技に重点を置く太田りゆ、2018年・2019年・2020年と3年連続の賞金女王児玉碧衣なども適性試験合格者である。特に尾崎睦と土屋珠里は適性試験での入学ながら、卒業記念レースでは予選を含めて全て1着の完全優勝を果たした。前職も、他のプロスポーツから転向した者(金田洋世や尾崎睦、猪頭香緒里など。金田と尾崎はビーチバレー、猪頭はスノーボード[29])、教師(奥井迪や田仲敦子など)、美容師(長澤彩、亀川史華[30])、看護師(伊藤のぞみ)、自衛官(吉岡詩織[31])のほか、モデル(田中麻衣美、亀川史華[30])、お笑い芸人(山路藍[注 8])、グラビアアイドル(日野未来)、声優(太友花[32])といった元芸能人など、様々みられている。
ガールズケイリンのルール
ガールズケイリンは、従来の競輪とトラックレースとしてのケイリンの折衷となる新しい競走形態の先頭固定競走(インターナショナル)で施行される[33]。
従来の競輪ルールとの違いは以下の通り。
- 最大7車立て
- 男子の競走で見られるラインをあからさまに組むことは禁止[34]
- 競走距離は、バンク周長によるが1500 - 1666m。333mまたは335mバンクでは5周・400mバンクはで4周・500mバンクはで3周[35]
- 先頭誘導員はスタートラインの半周後方から発進し、スタートライン通過と同時に号砲となる[35]
- 先頭誘導員の退避地点は、333m・400mバンクは残り1周半、500mバンクは残り1周[33]
- 誘導中は、先頭を走る選手の前輪先端が誘導員の後輪後端より前に出てはならない[35]
- 内外線幅の約2倍以上の押圧・押し上げを行ってはならない[35]
- 男子の競輪でも、2014年1月より上記のルールを適用した『KEIRIN EVOLUTION』が実施されている[36][注 11](2020年以降は休止中)。
- 予選はポイント制だが、第1走(初日)よりも第2走(2日目)のほうが、3着までのポイント設定が高くなっている[37]
ガールズケイリンでは一般的に内枠が有利と言われており、2020年1月から8月までのレースで枠順別連対率を見ると、1枠が16・7%で1位、2枠が15・2%と続き、6位が7枠の13・3%、7位が6枠の12・7%であり、実際に『内枠が有利』というデータが出ている。また、2019年の1年間で見ても、1位と2位は1、2枠で、6位と7位が7、6枠であった[40][41] ほか、2020年10月のミッドナイト競輪全459レースのうちガールズケイリンに限れば1枠の勝率が61%と圧倒的であった[注 12]。男子の競輪とは異なりラインがないため「内枠に入ればいい位置を取れる可能性が上がる」と、枠順に拘りを見せる選手もいる[40][43]。
普通開催では、3日間で14名があっせんされ、最大7名ずつに分かれて2日間かけて予選が2回行われる。3日目は予選2日間で獲得したポイント上位7名が決勝に、下位7名が一般戦に出走する。また、年に一度実施されるナイターGIIIでの4日目制では、初日・2日目が予選、3日目が準決勝(2レース14名)と一般戦、4日目が決勝(準決勝1 - 3着6名と4着1名)と一般戦となっている。なお、コロナ禍の現状では開催途中での補充は行わない取り決めのため、普通開催で3名以上が欠場した場合、最終日は決勝1レースのみとする措置が取られている(詳細はこちらを参照)。
予選2日間のポイントは、下記の表の通り。
ポイント | 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 | 6着 | 7着 | 競走棄権 | 失格および欠場 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
予選1(初日) | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | 0 |
予選2(2日目) | 11 | 9 | 7 |
3日間開催における決勝、または4日間開催における準決勝と決勝における準決勝4着2名のうち1名において、勝ち上がりは次の順序で決定する。なお、予選が中止となった場合は、そのレースは抽せん(ガラポンによるくじ引き[45])により出走予定であった各選手に「見なし着位」が与えられポイントに反映させることになっている[46][47][48]。
(1) 予選2日間の合計ポイントの高い順 (2) 予選2日間の良い方の着順 (3) 予選2の着順 (4) 直近4ケ月平均競走得点(出走表記載)の高い順 (5) 抽せん
ガールズケイリンの自転車
ガールズケイリン専用の自転車は男子の競輪で使用する自転車より軽く[注 13]、モノコックのカーボンフレームに、 前輪はスポークホイール、後輪はディスクホイールを装着させており、タイヤはディスクおよびバトンホイール向けとスポークホイール向けでサイズが若干異なる[34]。ハンドルステムは専用部品となるが、ハンドルバーは専用部品または男子向けの部品との選択が可能で、サドルも同様に男子向けとの選択が可能。それ以外の部品は全て男子向けの部品と共用となる[49][50]。本体で30万円ほど[注 14]で、その他タイヤや部品などを合わせるとトータルで40〜50万円ほどかかる。
強風など悪天候の中での競走となる時には、リアホイールが横風を受けたときに操縦安定性の問題が発生することから、主催者の判断で男子同様の金属スポークホイールおよびタイヤに換装して競走が実施される[37]。なおガールズケイリンでは開始時より前輪に3本スポークのバトンホイールを装着していたが、これは縦方向へのジャイロ効果が横方向への操舵に影響を及ぼすこともあり[52]、2016年8月31日の開催より前輪は天候に関わらずスポークホイールとなった[53]。
ユニフォーム
2012年のガールズケイリン開始当初は上下一体となったワンピース型のユニフォームであったが、2016年12月1日より桜をモチーフにしたデザインにリニューアルし、シャツとパンツが別々となった現在のユニフォームとなっている。前年度からイベント用ジャージを担当してきた[54] 株式会社ウエイブワンが制作した[55][56]。
開催・特別競走・競走得点
開催
ガールズケイリンの開催がある場合は、日程表には❤または❤マークが付されている。
ガールズケイリンは、基本的にFIないしFIIのいずれかに組み込まれるが、ガールズグランプリトライアルレースは競輪祭(GI)の前半3日間で、ガールズケイリンフェスティバルはサマーナイトフェスティバル(GII)に組み込まれて行われるなど例外もある。但し、競走格付けは特別競走も含めて全てFIIである。通常の日中開催のほか、モーニング競輪、ナイター競輪、ミッドナイト競輪でも行われることもある。なお、ガールズケイリンが当日の何レース目で行われるかは競輪場により異なる。
2021年10月時点で現存する43競輪場のうち、ガールズケイリンの開催実績がないのは小松島競輪場[注 15]と、旧千葉競輪場跡地に建設されたTIPSTAR DOME CHIBAのみである(旧千葉競輪場では開催実績あり)。
なお、TIPSTAR DOME CHIBAで行われている250競走「PIST6」[61]ではガールズケイリンの開催予定はない[62]。
ガールズケイリン選手で全場制覇を達成したのは石井寛子のみで、開催実績がない小松島と、2021年10月まで開催実績がなかった小田原、そして自身に配分のなかった旧千葉を除く40場全てで競走参加し優勝を果たした[63]。
特別競走
ガールズケイリンにおける特別競走は、年間で以下の5大会[64] が実施される。格付けは全てFII。太字は優勝賞金が200万円以上のレース(「ガールズケイリンコレクション」8月開催はガールズドリームレースが該当)。
- オッズパーク杯ガールズグランプリ(2012年 - )
- 年1回、KEIRINグランプリシリーズ(寺内大吉記念杯競輪)の初日(基本的に12月28日)に実施。7名出場による単発競走。
- ガールズケイリンコレクション(2013年 - )
- ガールズケイリンフェスティバル(2014年 - )
- 年1回、サマーナイトフェスティバルに内包。21名(7車立て×3レース)出場で、3日間(2014年は2日間)走。
- ガールズグランプリトライアル(2018年 - )
- 年1回、競輪祭前半3日間に実施。28名出場により14名ずつ、グループA「トパーズ」・グループB「アメジスト」に分かれ、各グループの優勝者が優先的に同年のガールズグランプリ出場権を獲得できる。
- ガールズ フレッシュクイーン(2019年 - )
- 年1回、4月(第2回は11月)のいずれかの開設記念(GIII)に内包(最終日に実施)。デビュー2年未満の新人選手7名出場による単発競走。
2021年7月時点で、特別競走であるグランプリ、コレクション(3月開催、5月ないし6月開催、8月ないし9月開催のいずれか)、フェスティバル、グランプリトライアル全てで優勝を果たしたのは小林優香のみ。また、石井寛子も優勝賞金が200万円以上あるグランプリ、コレクション(但し5月開催のみ未制覇。8月開催は「ガールズドリームレース」「アルテミス賞レース」ともに制覇)、フェスティバルはいずれも優勝を果たしている。このほか、コレクション3開催全てを制覇したのは小林優香のほかに、石井貴子(106期)、児玉碧衣。
2019年より、新たな特別競走として、男子の競輪での『ルーキーチャンピオンレース』に該当するレースである、デビュー2年未満のガールズ選手を対象とした新人女王戦『ガールズ フレッシュクイーン』(平均競走得点上位7名による一発勝負)が開催されることとなり、同年4月14日の高知開設記念第9レースで初開催され[65]、梅川風子が初代優勝者となった。なお、原則は毎年4月の開催だが、2020年の第2回は11月の開催となった[66]。
このほか、特別競走に準ずる競走として、以下のレースが開催されている。なお、以下のうち「6レース制ガールズケイリン」と「4日間制ガールズケイリン」については出場資格はなく、あっせん計画により配分された選手が出場する。
- ガールズケイリンコレクション(5月開催)トライアルレース
- 1月から2月上旬にかけて開催。同年の5月ステージ出場権を賭けて、選考期間中における平均競走得点上位の出場選手42名が14名ずつ3会場に分かれて対戦する。勝ち上がりのシステムは通常のガールズケイリンと同一。
- 6レース制ガールズケイリン[23][67][68][38]
- 出場選手42名により、主に10月上旬に開催される。初日・2日目は予選、最終日は「決勝」と「選抜」(2レース)と「一般」(3レース)が行われる。
- 2021年度下期の開催では、ガールズケイリンでは初めて予選はポイント制ではなくトーナメント方式を採用。初日は予選で1 - 3着18名と4着3名が2日目の準決勝に進出、準決勝では1 - 2着6名と3着1名が最終日の「決勝」に進出する[39]。
- 4日間制ガールズケイリン[24]
- 出場選手21名により、いずれかのナイターGIIIにおいて開催される。初日・2日目は予選、3日目は「準決勝」(2レース)と「一般」、最終日は「決勝」(準決勝1 - 3着6名と4着1名が進出)と「一般」(2レース)が行われる[69]。
競走得点
ガールズケイリンでは定期的に全選手の直近4カ月平均競走得点順位表を公表していたが、現在はkeirin.jpサイト内「ランキング」のページで最新データが毎日更新されており検索が可能である[70][注 16]。なお、特別競走を含めて連勝を続けても直近4カ月平均競走得点は57〜58点台が上限である[注 17]。参考に、ガールズケイリンコレクション(うち8月ステージでは「ガールズドリームレース」)1着の競走得点は62点である(2着以降は2点ずつ減点、7着は50点)[75]。
また、先述の通り、ガールズケイリンでも一定のレベルを保つため代謝制度が導入されており[8]、男子同様に完全実力主義の世界である。6か月ごとに行われる審査期終了時(毎年6月末と12月末)において、「競輪に係る業務の方法に関する規程」第83条第1項第3号に定める競走成績不良による登録消除の基準に該当する選手に対しては、登録消除に係る調査及び審議を行う間は同規程第134条第1項第3号の規定によりその翌月(毎年1月初旬と7月初旬)すぐに出場あっせん保留となる[注 18]。各期末ごとに、3期連続で平均競走得点が47点未満となった選手のうち一番下から3番目までの選手[注 19] が対象となっており、この対象となった選手はいずれも同月中に選手登録を消除され強制的に引退させられる[注 20][77][78][79]。
級班・収入
級班
2017年7月1日より、全員が新たに新設された『L級1班』の格付けとなっている[80]。但し、現状はL級は1班しかなく、昇降級は当面予定にないため、競走得点に関わらず全員が『L級1班』である。なお、2017年6月末までは、全員が『A級2班』の格付けであった。
収入
ガールズケイリン選手の収入は、男子の競輪選手と同じく、レース出走で得られる賞金と手当[注 21] である。通常の3日間開催では、賞金と手当を合算して、全勝の選手では60万円以上、3日間とも7着の選手でも20万円以上の収入が得られる額になっている[81][82][83](ただ、実際はそこから共済会費などが源泉徴収されるため、手取り額はそれらより少なくなる)。
賞金については、最高額はガールズグランプリ1着の530万円(2021年以降)[注 22]。また、通常開催も含めて2019年10月、2021年4月と段階的に賞金は増額されている。
2020年の1年間におけるガールズケイリン選手(当年7月にデビューした118期生、同年中に引退した選手も含む)の賞金平均取得額は、新型コロナウイルス感染症拡大により一時的に開催中止が相次いだ影響で6,040,750円[84] となり、2018年の638万円[85]、2019年の6,468,313円[86] と比べて大幅に減額し、また1,000万円以上を獲得したのは12名に留まった[87](過去は、2015年9名、2016年12名、2017年と2018年14名、2019年は15名)。このほか、新人のみの賞金取得額上位10名についても114期以降で公表されており、118期(2020年5月デビュー[注 23])の最高は尾方真生の6,487,000円であった[88]。なお、ガールズケイリンでは、2021年8月時点で、通算取得賞金額が1億円を超えた選手が6人いる(こちらも参照)。
- ちなみに、他の公営競技における女子選手の年間賞金平均取得額は、競艇では1,000万円程度[注 24]、オートレースでも約900万円あり、それらと比較すると低い[90]。ただし、競艇やオートレースでは時に男子と同じレースに出走することもある[注 25]ほか、特に競艇では1日2走することもある(オートレースでも今後2走化の予定)ため、ガールズケイリンとは一概に比較はできない。
賞金・手当以外に、競輪場までの交通費も支給される。但し、自転車等の荷物の輸送にかかる費用、自転車やその部品の購入にかかる費用などの経費は、男子の競輪選手と同じく全て自己負担である。
テーマソング
以下の曲は選手紹介時や選手入場時にも使用される。
- 2012年度:mihimaru GT『バカポジ〜Don't stop the music〜』
- 2013年度:湘南乃風『STAY GOLD』
- 2014年度以降:PiSTE BROTHERS feat.湘南乃風 HAN-KUN『2 The Future』
- ガールズグランプリ2019以降の特別競走:ALLY&DIAZ feat.MINMI&SATOSHI from 山嵐『FLY』[64]
歴代賞金女王
- 2012年:小林莉子(東京) 8,460,000円
- 2013年:中村由香里(東京) 19,489,000円
- 2014年:梶田舞(栃木) 22,454,900円
- 2015年:小林優香(福岡) 29,767,000円
- 2016年:梶田舞(栃木) 24,425,000円
- 2017年:石井寛子(東京) 22,631,000円
- 2018年:児玉碧衣(福岡) 27,184,000円
- 2019年:児玉碧衣(福岡) 28,403,000円
- 2020年:児玉碧衣(福岡) 26,619,000円
主な記録
- 最高齢在籍
- 最高齢出走
- 最高齢勝利
- 最高齢優勝
- 最高齢初優勝
- 最多連勝
- 最多連続優勝
- 通算300勝達成(達成順。太字は表彰対象)
- ガールズケイリンでは、デビューから7年以内に通算300勝を、また年数を問わず通算500勝を、それぞれ達成すると規程によりJKAより表彰される制度がある。
- 最多賞金女王
- 年間最多取得賞金額
- 29,767,000円 - 小林優香(106期/2015年)
- 通算取得賞金1億円達成(達成順)
デビュー場所で完全優勝した選手
ガールズケイリンは現状は全員がL級1班所属のためクラス分けがなく、また基本的に1開催で14名(1日2レース)のみのため、同一レースで競走得点が最上位(56〜58点台)の選手と最下位(43点台)の選手が直接対戦することもあり得る。そのため、デビュー場所での完全優勝を達成するのは困難とされる[注 26] 中で、以下の各選手がデビュー場所で完全優勝を達成している。
なお、118期以降の選手は、新人戦である『競輪ルーキーシリーズ』(5月から6月にかけて開催)がデビュー場所となった(早期卒業者を除く)が、この節では116期以前に合わせて『競輪ルーキーシリーズ』は対象外とする(早期卒業者はデビュー場所を、それ以外の者は下期期初である7月以降で最初に出走した場所を、それぞれ対象)。
選手名(期) - 優勝を達成した年月日・競輪場(特記のないものは400m走路)
- 中村由香里(102期) - 2012年7月10日・京王閣
- 石井寛子(104期) - 2013年5月12日・京王閣
- 石井貴子(106期) - 2014年5月16日・西武園
- 小林優香(106期) - 2014年5月18日・岸和田
- 太田りゆ(112期) - 2017年7月14日・高松
- 鈴木美教(112期) - 2017年7月20日・千葉※改築前の500m走路時代
- 吉岡詩織(116期) - 2019年7月14日・和歌山
放送媒体での実況中継
スカパー!の「SPEEDチャンネル」では、一部の開催を除き中継を行っている。
特別レースでは、年末のオッズパーク杯ガールズグランプリは、2019年までBS日テレ[注 27] やRFラジオ日本[注 28] でも中継が行われる場合があった。なお、2015年まではガールズケイリンコレクションなども放送されていた。
その他
藤田一門
藤田剣次(85期・福岡)のもとに集う、久留米競輪場をホームバンクとするグループ。ガールズケイリン特別競走で優勝歴のある選手だけでなく、日本競輪選手養成所でのゴールデンキャップ獲得者ないし卒業記念レース優勝者、自転車競技でナショナルチームに所属する者など、強豪選手並びに将来有望な選手の中には藤田を師匠とする者が多く見られ、さしずめガールズケイリンにおける梁山泊とも呼べる存在となっている[111][注 29]。これらを称して『藤田一門』と呼ばれている[113]。
師匠を藤田剣次とする主な選手(選手登録番号順)
競輪選手同士の結婚
2014年4月の田口守と三輪梓乃を始めとして、須藤悟と近内稚明(須藤稚明)<引退>[114]、山本紳貴と山本奈知(旧姓、篠塚[注 30])、千沢大輔と大和久保美[115]、川口聖翔と倉野由紀<引退>[116]、野原雅也と小川美咲<引退>、佐藤健太と長澤彩、吉成晃一と中川諒子、吉田将成と小坂知子、魚屋周成と溝口香奈[117]、中野彰人と元砂七夕美、南潤と小林彩乃[118]、田頭寛之と蓑田真璃[119]、小原佑太と出水菜央[120]、曽我圭佑と福田礼佳[121]、久保田泰弘と山本知佳、酒井拳蔵と土屋珠里、平川慎太郎と三宅愛梨、寺﨑浩平と内村舞織、といった選手同士で結婚する例が増えている。他にも、竹井史香や石井菜摘のように、現役引退後に競輪選手と結婚した例もある。
ガールズケイリン開始当初は男子も含め競輪では旧姓での選手登録は認められていなかった[注 31] ため、松井明子や田口梓乃、須藤稚明は結婚・改姓とともに登録名の変更を行ったが、2014年9月1日から戸籍上の名前でなく旧姓でも選手登録が可能となった[122] ため、加瀬加奈子、田中麻衣美、中川諒子、大和久保美、小坂知子、長澤彩、山路藍<引退>、溝口香奈、元砂七夕美、小林綾乃、大久保花梨、出水菜央(選手登録順。公示のあった選手のみ記載)らのように改姓後も登録名を変更せず現役を続けている選手もいる[注 32]。なお、田仲敦子や遥山夕貴らのように、現行制度下でも現姓に合わせて登録名の変更を行った選手もいる。
ママさん選手
昭和期の女子競輪の時代とは異なり、結婚後も現役を続けているだけでなく、妊娠・出産後レースに復帰し、子育てをしながら現役を続ける選手も増えてきている。なお、妊娠が発覚した場合はあっせん保留となり以後あっせんされていたレースは全て欠場扱いとなるが、現状では妊娠は欠場理由にないため、主に『病気欠場』ないし『家事都合欠場』として扱われている。また、妊娠に限らず、疾病や怪我も含めて6か月以上欠場を続けた場合は復帰試験(走行能力調査。1000m独走によるタイム計測)を受けなければならず、これに合格しなければレースに復帰できないことになっている(男子も同様)[125]。
ガールズケイリンにおいて妊娠・出産後レースに復帰した選手は、加瀬加奈子、田口梓乃、大和久保美[126]、猪頭香緒里[29]、山本奈知、山路藍<引退>、溝口香奈[117]、元砂七夕美がいる[127](登録番号順)。特に加瀬加奈子は復帰後も優勝を果たした[128] ほかガールズケイリン最高齢優勝記録を更新する[94] など、産休前と変わらぬ活躍をしている。
このほか、高松美代子と森美紀(ともに引退)のように、競輪選手になる前から既に母親となっていたケースもある。
ガールズケイリンカフェ
GI・GII開催中の競輪場を始め、競輪場以外でも自転車関連のイベントなどで、不定期にオープン。当日斡旋のないガールズケイリン選手数名が、場内の特設ブースでカフェ店員として来場者をおもてなしする企画。
選手自らが先頭に立ってグッズやドリンクなどの販売を行うため、ファンにとっては選手と直接触れ合える機会とあって人気は高く、開門と同時に押し掛けるファンも見られている[129]。開催予定日と開催予定競輪場は、特設サイトやfacebookなどで告知される。
2015年3月、日本選手権を開催中の京王閣競輪場で初めて開設。最初に店員として登場したのは、地元・京王閣を拠点とする高木真備。それから2016年6月まではガールズケイリンの特別レースが行われる競輪場限定で出店されていたが、それ以降はGI・GII開催中の競輪場で出店しているほか、2016年10月に宇都宮市で行われた「ジャパンカップサイクルロードレース2016」でもオープンするなど、自転車関連のイベントでも特別に出店することもある。
2020年に入ってからは、新型コロナウイルス感染症拡大の影響もあり実施されていない。
顔より太もも。
ガールズケイリンをPRするために制作された、ポスターをメインとしたビジュアル広告。『顔より太もも。』のキャッチコピーとともに、現役のガールズケイリン選手がモデルとなり、毎年12月頃に新作が公開されてきたが、第7弾は製作されていない。
- 第1弾
- 田中麻衣美
- 第2弾
- 白井美早子、加瀬加奈子、猪子真実(3人集合のものと、各人のものとで計4種類製作)
- 田中麻衣美、石井寛子、青木志都加(3人集合のものと、各人のものとで計4種類製作)
- 第3弾(2015年12月 - 2016年12月)
- 高木真備、小川美咲(2種類製作)
- 第4弾(2016年12月 - 2017年12月)
- 高木真備、小川美咲 ※2年連続
- 第5弾(2017年12月 - 2018年12月)
- 山本レナ、元砂七夕美
このほか、特別レースのみの特製ポスターも製作されており、ガールズケイリンを題材とした漫画「閃光ライド」が起用されたりした。
パチスロ
コナミアミューズメントより、パチスロ(6.1号機)「~ガールズケイリン~GIフェアリーグランプリ」が2020年11月より導入された。
主人公の新人ガールズケイリン選手「武井リン」とともに、サイコロ目やレア役でサイコロを獲得し、スゴロクマップで「武井リン」を育成しながら全国の競輪場を巡って数々の実名レースに参戦、リンを育成しながら「ガールズグランプリ」制覇を目指す、というゲーム性となっている[131]。
昭和期の女子競輪
昭和の競輪創世期には、女性のプロ競輪選手だけで行われた競輪「女子競輪」が存在し、代表的な女子選手として、奈良の田中和子や神奈川の渋谷小夜子、山口の畑田美千代などがいた。
『競輪の生みの親』とされる倉茂貞助は、競輪創設時に「競馬に対抗するためには何とか新機軸をひらかねばならん」という考えから、(ショービジネス的な側面も含めて)女を走らせなければ自転車競技に新鮮味を持たせることができない、としきりに言って女子競輪の開催にこぎつけた[132]。
まずは103名を募集し[133][注 33]、1948年11月、小倉競輪場での競輪初開催と同時に女子競輪もオープンレースとして開催された[134]。倉茂は女子のレースも男子のそれと同様に車券の対象としたかったが、一条信幸[注 34] に強硬に反対されたこともあり、当初はオープンレースとしての開催となった[132]。だが、観客からは拍手喝采で迎えられ、その反応は車券の対象となる男子の競走にも劣らないものであった[134]。1949年10月に行われた第2回全国争覇競輪で正式な競輪としてのレースとなり[135]、当初は女性の新職業として大いに脚光を浴びた[134]。
のち日本サイクリストセンター(現在の日本競輪選手養成所)が設立されてからは、1951年の男子に続いて1952年4月に女子選手の全国一斉募集が行われ(ただし応募は25歳までという年齢制限があった)、この時は100名程度が採用され、2か月程度の期間で訓練が行われた[136]。
女子選手の格付けは、開始当初はA級・B級の2層(当時の男子はA級・B級・C級の3層)とされた[137] が、1951年3月の全国競輪施行者協議会の総会において、男子はA級・B級の2層とした上で、女子は男子B級待遇とすることが決まり、B級1班・2班の2班制となった[137][注 35]。
当時の自転車はリムが木製であり[139]、またバンク地面がセメントではなく板張りのところもあった。元選手によると、移動は夜行列車が中心で、四人が向かい合うボックス席の座席と座席の間に板を渡して、足を伸ばして寝ていたこともあった。賞金は、大卒の初任給の平均が9,000円の時代に、多い時で4万円あったという。他に優勝者には副賞として賞品もあり、18金ネックレス[140]、着物、鶏肉、タンスなどが贈呈されたが、宅配便などなかった時代であり、荷物はすべて自分で持って帰っていたという[141]。
開始当初は女性誌等のグラビアで取り上げられる[142] など、多方面に話題を提供したこともあった[143]。また、主に開設記念で年に1度「ミス・ケイリン」と題した女子選手のみでの開催が行われていたことがあり[144]、特に京王閣競輪場の開催ではオール女子選手による開催でも売り上げはそれ以外の普通開催にも劣らなかったことから、その企画が賞賛されたこともあった[145][146]。
女子競輪においても特別競輪(現在で言うGIレースに相当)があり、当初は全国争覇競輪、高松宮妃賜杯競輪、全国都道府県選抜競輪、競輪祭にて女子の部が開催されていた。だが、1957年の第12回全国争覇競輪の女子の部が直前になって突如中止されて以降は徐々に縮小され、競輪祭は1958年の第4回大会以降では実施されず、また全国都道府県選抜競輪でも1962年の第19回大会が最後となり、女子競輪が廃止された1964年時点では高松宮妃賜杯競輪のみとなった(各大会の優勝者はそれぞれの項目を参照のこと)。
畑田美千代が田中和子に取って代わって優勝した1956年の第11回全国争覇競輪あたりまでが女子競輪の人気のピークであった[143] が、後述の理由で次第にその人気は下火となり、多くの競輪場が女子競輪の開催に及び腰となっていった[注 36]。最盛期の1952年には669名もの女性選手が在籍した[注 37]が、体力の限界や結婚などで引退する者が相次ぎ、選手数も1959年には394人、1961年には294人にまでその数を減らしていき、またデビュー当時18 - 19歳だった選手らも徐々に高齢化したため、晩年には「ミセス・ケイリン」とまで揶揄される有様であった[146]。デビューする新人選手の数も大きく減り、1954年から3年間は0人で、その後1958年と1960年[注 38]にそれぞれ30名程度が採用されデビューしたのが最後となった[136]。なお、旧日本競輪学校に入学してデビューした女子選手は332名であり、全登録者のうちおよそ1⁄3程度であった[136]。
結果的に女子競輪の人気は長続きせず、廃止直前の1964年の時点では女子選手1人当たりの斡旋回数は1か月間で平均1回程度[147] という有様であった。そして同年8月、末期まで残った230人[147][148][注 39]の女子選手全員の登録消除が決定し、9月8日に開催された名古屋競輪場でのレースが最後となり[135]、10月31日付けで選手登録消除[注 40]となり全員が引退し、開始から僅か15年ほどで昭和期の女子競輪は幕を閉じた。そして翌11月に各地区の自転車競技会単位で送別会が行われ、最後まで残った女子選手全員に記念品と感謝状が贈呈された[149]。
その後、1965年6月8日に行われた第16回高松宮杯最終日にて、かつて高松宮妃賜杯に参加した元女子選手のうち13名[注 41]が招待され、近江神宮にて参拝後に座談会、閉会式では高松宮殿下を囲んでの歓談と記念撮影が行われた[151][152]。
なお、女子選手が男子選手と結婚[注 42] し、その子供も競輪選手になったという例としては、中野浩一、佐々木和徳・昭彦・浩三の三兄弟、大森芳明、近藤幸徳などがあげられる。共に競輪選手であった福田明・恵津子夫婦は、陽生・祐治・匡史・篤司の4人の息子が競輪選手になり、さらに篤司の息子の拓也[153]、祐治の娘の礼佳[154] も競輪選手になった。特に、恵津子と礼佳は、祖母と孫娘が競輪選手という現在まで唯一の例である。大森芳明の息子、慶一・光明[155] や、近藤幸徳の息子、良太(故人[156])・龍徳もともに競輪選手となり、特に龍徳はヤンググランプリを制覇するなどトップレーサーに登り詰めている。姉妹兄弟としては西本喜美子が2人の弟が競輪選手だったことから興味を持ち、自らも選手となったことで三姉弟選手が誕生した例がある[157]。
昭和期の女子競輪の様子と社会情勢については、元選手である原田節子の自伝『女子競輪物語 青春をバンクにかけて』に詳しい記述があるほか、1956年公開の映画『女競輪王』では主人公が女子競輪選手となり女子競輪で活躍する姿が描かれている。
女子競輪衰退の理由
昭和期の女子競輪が衰退していった理由としては
- 男子と比べれば選手の数が少ない上に、元々選手間での力の差があり過ぎてレースが堅く収まってしまうことが多かった。
- 施行者側が、以下の理由で女子競輪の開催を敬遠するようになった。
- 女子選手は上記の田中や畑田などのように西日本に多かった一方で、比較的女子競輪の人気が高かったのは南関東など東日本であり、施行者側も人気強豪選手を呼ぶには多額の交通費を支払うことになるため、経費面がネックになっていった。また特定の地区に選手が偏っていたこともあり、斡旋する側も番組編成に困難をきたしていた[145]。
- 「家庭の都合」などを理由に競走不参加を続ける不真面目な選手も多く見られるなど『プロ意識』に欠ける選手も多く、施行者側としても選手確保に頭を悩まされた。他にも、競走参加の意思表示をしながら前検日に競輪場に現れず"ドタキャン"する選手や、勝ち目がないと分かると無気力に走る選手などがおり、特にこれらについては施行者側から改善するよう要望書が出されたほどであった[160]。ただ一方で、以下のように著しく抑えられた斡旋回数に対して真剣に改善を訴える選手もおり、1961年2月には代表して7名の女子選手が当時の全選手の署名を集めた陳情書を携えて通産省(当時)などに陳情に訪れている[161]。
- 女子競輪は八百長と誤解されるようなレースが多く見受けられた[162]。当時の競輪でも「男子B級および女子選手にして競走成績を続けて15回、出走実員数の半ば<端数を生じた場合は切り上げ>に達しない着位[注 44] となった場合は、登録をまっ消する」という、現在の代謝制度に通ずる制度があり、クビがかかった選手のために協力して上位の着順に引き上げる、という『互助的な八百長』があった模様。特に選手層が薄く全員がB級であった女子は、助け合いの横行が全選手の問題とされた[163]。
- 元々男子と比べて賞金体系が低く設定されていた上に、人気低下から女子競輪の開催自体が減少したため、収入面から競輪選手に対する魅力が薄れ、新たに競輪選手を目指そうとする女性が減少し新陳代謝が進まなかった。
- 男子は競輪が開始される以前から、古くは明治より新聞社等の主催による自転車競技大会が盛んに行われてきたため「ノンプロ(アマチュア)選手」としてそれなりの下地を積んだ選手が少なからず入ってきたが、女子は当時、自転車競技そのものに取り組む選手が皆無同然だったため、ごく一部の選手を除いて最初から選手の質の維持に問題があった。
などが挙げられている。
脚注
注釈
- ^ 月刊競輪(月刊誌としての発行期間は1976年 - 2012年)の毎年2月号に掲載される年間記録集を見ると、1980年代までは女子の特別競輪優勝者の掲載が全くなかった(1990年代以降は再び掲載されるようになった)。
- ^ なお、この2人は本職はスピードスケート選手であり、自転車競技はトレーニングの一環で取り組んでいたものであった。
- ^ 但し、妊娠・育児などで長期欠場している者もいるため、実働選手は150名ほどである。他にも、短期登録制度により外国人選手が登録されることもある(期間は2年間。例年4〜5名が登録されるが、2020年と2021年はコロナにより入国制限を行っている影響で登録者はいなかった)。
- ^ 女子競輪復活の発表後、ケイリン女子が2012年のロンドンオリンピックから正式種目として採用された[14]。
- ^ 面接、身体検査、実技(200mおよび500mの時間計測や自転車整備技能)のほか、学科(ペーパーテスト)として自転車競技法および同法施行規則といった法規に関する問題や自転車競走実施規則に関するガイドライン、一般教養、スポーツに関する医学知識などが出題される[28]。
- ^ 新人戦のなかった116期以前でも、104期と106期のみ5月にデビューしていた。
- ^ 早期卒業要件を満たしても本人が希望すれば、早期卒業せず翌年3月の卒業まで在所し続けることも可能。なお、早期デビューした選手は『競輪ルーキーシリーズ』には出場しないことになっている。
- ^ お笑い芸人になる前に競技スポーツ(テコンドー)の経験がある。
- ^ 男子の競輪で言う『自在』のこと。先行、捲り、追込何でもできる、という意味。
- ^ 予想紙によっては、各選手の過去のレースでの戦法から判断して『逃』『捲』『追』を付けることもある。
- ^ なお、「オリンピックルール準拠」とあるが、実際は先頭固定競走(インターナショナル)ルールにより実施されている。
- ^ これは、2020年10月以降のミッドナイト競輪においては、全てのレースで競走得点の高い選手より順に1番車、2番車…と車番を振っていることも要因に挙げられる[42]。
- ^ 重さは7kgくらい。男子の自転車は8kgくらい。
- ^ 2021年から、選手の間ではオリンピック仕様のフレームである、66万円もするブリヂストン製自転車が流行している[51]。
- ^ 小松島は、女子選手用の控室が設けられていないためガールズケイリンの開催実績がない。ただし、昭和期の女子競輪においては開催実績がある[57]。ほかに、小田原競輪場においても2021年9月まで小松島同様に女子選手用の控室がなかったためガールズケイリンの開催実績がなかったが[58][59]、2021年10月10日から12日にかけて行われた小田原FII(モーニング競輪)にて初めてガールズケイリンが開催された(優勝は尾崎睦)[60]。
- ^ 「ランキング」では、男子も含め、最新の年間ないし直近4カ月平均競走得点ベスト50位のほか、獲得賞金上位なども検索可能。
- ^ 1着回数が非常に多い小林優香が2017年7月のガールズケイリンフェスティバル優勝で58.06に乗せたが、ガールズケイリンにおける連勝新記録を達成した時点での梶田舞や児玉碧衣、石井寛子でも57点台であった[71][72][73][74]。
- ^ 但し、2020年7月においては、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により特に同年4月から5月にかけて開催中止が相次いだことを鑑みて、例外的に代謝制度の適用は行われなかった[76]。
- ^ 該当選手が3名以上いる場合は3名が対象となるが、2名以下の場合は2人までが対象となる。
- ^ 過去には、デビューから3期連続して47点未満であったため僅か1年半で選手登録消除された者もいる。
- ^ レースに出走すれば(失格や途中棄権となっても)1日あたり出場手当26,000円と正選手手当(日当)5,000円の計31,000円が必ず支給されるため、1開催3日間出走すれば手当だけで計93,000円は必ず得られる。ほかに雨天時・降雪時、モーニング競輪・ナイター競輪・ミッドナイト競輪などといった日中以外の開催、正月三が日の開催などで出走すれば、それぞれに応じた手当が出場手当・正選手手当とは別途で支給される。
- ^ 実際は、副賞(基本的に500万円)込みで1000万円以上の額となる。2019年・2020年では副賞込みで1005万円が贈呈された。
- ^ 118期以降は、5月から6月にかけては『競輪ルーキーシリーズ』(新人戦)に出走し(プレデビュー)、7月より本格的なデビューを迎える。
- ^ 2019年における、競艇の賞金女王は大山千広で5683万6000円。また、ガールズケイリンでは誰も達成していない3000万円プレイヤーは同年だけで13名おり、加えて同年の女子選手の賞金取得額上位20名は全員2000万円以上であった[89]。
- ^ 女子選手の中には、競輪でいうGIに相当するスペシャルグレード(SG)(競艇)やスーパーグレード(SG)(オートレース)の決勝戦に男子選手に混じって進出する有力選手も稀に見られる[91][92]。
- ^ ただ、新人選手が本格デビューとなる7月は、強豪選手が勢揃いする特別競走『ガールズケイリンフェスティバル』が開催されることから、特に中旬前後に開催されるガールズケイリンフェスティバル以外のレースでは最上位選手の参加が少ないため、新人選手でも勝つチャンスが高まる。
- ^ 2016年・2017年はTOKYO MXが東京ローカルで放送したため放送せず。2020年は放送が組まれなかった。
- ^ 年度によりネットする放送局あり、2020年は放送が組まれなかった。
- ^ 2021年のガールズグランプリトライアルでは小林優香、児玉碧衣、大久保花梨、尾方真生が出場し、さらに同年末のガールズグランプリ(7名出場)には小林優香、児玉碧衣、尾方真生の3名が出場権を獲得した[112]。
- ^ デビュー直前に入籍したため、選手登録は当初から山本姓。
- ^ 男子では、横田努が齊藤努に登録名を変更したなどの例がある。
- ^ 男子でも、蓑田真璃と結婚した田頭寛之が、蓑田家に婿入りしたため蓑田姓に改姓した[123] が登録名は変更していない[124] 例もある。
- ^ この頃は現在のような資格検定の制度はなかったため、各地区の自転車競技会と日本競輪選手会とでそれぞれ独自にプロテスト(実技と学科試験)を実施していた[57]。
- ^ 競輪創設メンバーの一人。戦前から自転車競技大会の運営に携わり、日本サイクリストセンター(現在の日本競輪選手養成所)初代所長にもなった人物。
- ^ 当時の男子はA級5班・B級2班による2層7班制[138] で、KPK実施までこれが維持された。
- ^ それでも西宮競輪場や甲子園競輪場などのように、晩年でも積極的に女子競輪を開催した競輪場もあった。
- ^ 昭和期の女子競輪における最終登録番号は1016番であり[137]、1000人強が選手として活躍したことになる。
- ^ 昭和期の女子競輪としては最後の募集となった1960年については、日本競輪選手会が発行する会報誌「プロ・サイクリスト」(1959年5月20日付)の記事において、応募総数は全国で27名、うち9名が以前に不合格となり再受験した者であったと記されている[136]。
- ^ 『競輪四十年史』の別のページや『競輪三十年史』では229名との記述がある[137][149]。
- ^ 正式には、1964年10月31日付「競輪審判員、選手および自転車登録規則第二〇条第一号」により選手登録消除[148]。
- ^ 当日の招待者は、石村美千代、川崎喜登美(以上山口)、松川光子(香川)、庄司絹子(京都)、森耐子、奥野真弓、西村喜代香(以上大阪)、田中和子<家庭の都合で欠席>、松下五月、中西美和、東口節子(以上兵庫)、渋谷小夜子(神奈川)、加古政子(群馬)。この他、第12回優勝者の中村金子(熊本)は1964年に事故死したことが語られている(正しくは、1963年9月30日に行われた会津競輪場でのレース中における頭蓋底骨折による事故死)[150]。
- ^ 田中和子は高橋恒と、畑田美千代は石村正利と結婚した他、多くの例がある。
- ^ 1953年10月31日に行われた第8回全国争覇競輪(大阪中央)3日目第4レースの女子一次予選において、人気を集めた田中和子とほか2選手が激しく牽制し合っている間に人気薄の選手が1着2着となり、連勝式で56,520円もの超高配当となった。田中含め6選手は「敢闘精神欠如」として後に6か月間出場停止の処分が下されている[158]。
- ^ 当該レースが8名ないし9名で出走したとすると、5着以下。
- ^ 黎明期の強豪選手であった渋谷小夜子も「女は結婚しなければ」という思いから僅か3年で現役を引退している(詳細は当人の項目を参照)。
出典
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- 原田節子『女子競輪物語 青春をバンクにかけて』文芸社、2017年。ISBN 978-4-286-14361-3。
関連項目
- 日本競輪選手会
- ガールズケイリン選手一覧
- オートレース・ウーマンズリーグ
- 全日本実業団自転車競技選手権大会
- 日本女子野球連盟(1950年から1951年までは「女子プロ野球」として存在し、1959年まで存続)
- 日本女子プロ野球機構(2010年より開始した女子プロ野球団体。実質的に存続したのは2021年まで)
- 閃光ライド(ガールズケイリン漫画)