ガエターノ・ダゴスティーノ

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ガエターノ・ダゴスティーノ
ウディネーゼ時代(2008年)
名前
ラテン文字 Gaetano D'AGOSTINO
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1982-06-03) 1982年6月3日(41歳)
出身地 パレルモ
身長 183cm
体重 81kg
選手情報
ポジション MF (DMF)
利き足 左足
ユース
1990-1998  イタリアの旗 パレルモ
1998-2000  イタリアの旗 ローマ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2001 イタリアの旗 ローマ 1 (0)
2001-2003 イタリアの旗 バーリ 63 (2)
2003-2005 イタリアの旗 ローマ 22 (1)
2005-2006 イタリアの旗 メッシーナ 42 (5)
2006-2010 イタリアの旗 ウディネーゼ 114 (12)
2010-2011 イタリアの旗 フィオレンティーナ 20 (5)
2011-2014 イタリアの旗 シエーナ 40 (7)
2013 イタリアの旗 ペスカーラ (loan) 7 (0)
2014 イタリアの旗 アンドリア 9 (0)
2014-2015 イタリアの旗 ベネヴェント 17 (1)
2015-2016 イタリアの旗 ルーパ・ローマ英語版 19 (1)
2000-2016 通算 354 (40)
代表歴
1998-1999 イタリアの旗 イタリア U-16 15 (6)
1999-2001 イタリアの旗 イタリア U-18 10 (3)
2002-2004  イタリア U-21 17 (4)
2009 イタリアの旗 イタリア 5 (0)
監督歴
2016-2017 イタリアの旗 アンツィオ英語版
2017-2018 イタリアの旗 フランカヴィッラ
2018-2019 イタリアの旗 アレッサンドリア
2019-2021 イタリアの旗 レッコ
2021-2022 イタリアの旗 ヴィボネーゼ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ガエターノ・ダゴスティーノGaetano D'Agostino, 1982年6月3日 - )は、イタリアシチリア州パレルモ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

経歴[編集]

クラブ[編集]

ウディネーゼ時代(2009年)

ASローマの下部組織出身。2001年にはASバーリとの共同保有選手になり、アントニオ・カッサーノと入れ替わるようにバーリに移籍した。2004年に移籍したFCメッシーナでは中心選手となり、2006年にはウディネーゼ・カルチョに移籍した。

ウディネーゼ加入当初は実力を発揮しきれなかったが、2007-08シーズンは中盤の要としてギョクハン・インレルと共にシーズンを通じて奮闘、卓越した戦術眼とパスセンスで賞賛され、UEFAカップ出場権獲得を果たした。

2010年6月3日にウディネーゼが公式にダゴスティーノをACFフィオレンティーナに売却したと発表[1]。続く6月7日にフィオレンティーナ側も保有権を獲得したと公式に発表し移籍することが決定した[2]。フィオレンティーナ側が保有権の50パーセントを450万ユーロで買い取る形となった[3]。フィオレンティーナでは怪我による離脱で年間を通しての活躍は叶わなかったが、復帰後の後半戦では重要な得点を決めチームに貢献した。このシーズンは20試合出場、5得点を挙げる。

2011年6月末に共同保有権についてフィオレンティーナとウディネーゼで話し合いが行われ、その後交渉が破談、保有権は入札によって決まることになった。本人はフィレンツェに留まることを希望していたが同25日にウディネーゼに復帰することが正式に発表された[4]

2015年6月17日、ベネヴェント・カルチョとの契約を1シーズン早く解除[5]。6月22日にルーパ・ローマFCに加入した[6]

2015-16シーズン限りで現役を引退。翌シーズンよりセリエDに所属するアンツィオ・カルチョ1924の監督に就任した[7]

2017年6月9日、セリエCヴィルトゥス・フランカヴィッラ・カルチョに指揮官として招聘された[8]

2018年6月12日、USアレッサンドリア・カルチョ1912の監督に就任した。

2019年10月4日、カルチョ・レッコ1912の監督に就任した[9]

2021年6月27日、USヴィボネーゼ・カルチョの監督に就任した。

代表[編集]

イタリアU-21代表では17試合に出場して4得点を挙げた。2004年にドイツで開催されたU-21欧州選手権で優勝した。2008年11月にはフル代表に招集されたが、出場機会はなかった。2009年6月6日の北アイルランドとの親善試合でフル代表デビューした。

エピソード[編集]

  • 父のジュゼッペ・ダゴスティーノは10件の殺人事件に関与したシチリアマフィアの元幹部である。彼はマフィア引退後、検察のマフィア対策部に協力した“裏切り者”としてかつての“同僚”から死の脅迫を受けていた。息子のガエターノも脅迫を受け、シチリアのチームでプレーすることに危険を感じ、ローマでプレーすることを選んだ。しかし、ローマでもボディーガードを付けて練習したり、トラブルを避けるために非公開で練習することもあった[10]

個人成績[編集]

シーズン クラブ リーグ
リーグ 出場 得点
1999-00 ローマ セリエA 0 0
2000-01 1 0
2001-02 バーリ セリエB 30 1
2002-03 33 1
2003-04 ローマ セリエA 16 1
2004-05 6 0
2004-05 メッシーナ 15 2
2005-06 27 3
2006-07 ウディネーゼ 23 0
2007-08 35 0
2008-09 36 11
2009-10 20 1
2010-11 フィオレンティーナ 20 5
2011-12 シエーナ 24 3
2012-13 8 0
2012-13 ペスカーラ 7 2
2013-14 シエーナ セリエB 16 4
2014-15 アンドリア セリエD 9 0
2014-15 ベネヴェント レガ・プロ 0 0
通算 318 34

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ローマ

代表[編集]

イタリア U-21

脚注・出典[編集]

  1. ^ ウディネーゼ公式(イタリア語) (2010年6月3日). “Ceduto Gaetano D'Agostino alla Fiorentina”. 2010年6月3日閲覧。
  2. ^ フィオレンティーナ公式(イタリア語) (2010年6月7日). “Mercoledì la presentazione di D'Agostino”. 2010年6月7日閲覧。
  3. ^ Sky: D'Agostino viola in comproprietà per 4,5 milioni di euro” (2010年6月7日). 2010年6月7日閲覧。
  4. ^ ウディネーゼ公式(イタリア語) (2011年6月25日). “Apertura "buste": D'Agostino bianconero, Forestieri al Genoa”. 2011年6月25日閲覧。
  5. ^ UFFICIALE: Benevento, risoluzione anticipata per D'Agostino”. TuttoMercatoWeb.com (2015年6月17日). 2015年12月29日閲覧。
  6. ^ UFFICIALE: Lupa Roma, colpo D'Agostino per il centrocampo”. TuttoMercatoWeb.com (2015年6月22日). 2015年12月29日閲覧。
  7. ^ L'Anzio ha ripreso gli allenamenti c'è D'Agostino a guidare il gruppo”. Il Messaggero. 2016年12月3日閲覧。
  8. ^ UFFICIALE: V. Francavilla, D'Agostino è il nuovo tecnico”. TUTTOmercatoWEB.com (2017年6月9日). 2018年1月4日閲覧。
  9. ^ "Comunicato Ufficiale: Gaetano D'Agostino nuovo allenatore della Calcio Lecco 1912" (Press release) (イタリア語). Lecco. 4 October 2019.
  10. ^ スポーツナビ (2009年1月18日). “ビジャレアル、イタリアマフィアの脅迫を受けるウディネーゼMFにアプローチ”. 2009年1月19日閲覧。

外部リンク[編集]