カワカミプリンセス

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カワカミプリンセス
第48回宝塚記念出走時
(2007年6月24日)
欧字表記 Kawakami Princess[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1][2]
毛色 鹿毛[1][2]
生誕 2003年6月5日[1][2]
死没 2023年9月11日(20歳没)
抹消日 2009年11月19日[3]
キングヘイロー[1][2]
タカノセクレタリー[1][2]
母の父 Seattle Slew[1][2]
生国 日本の旗 日本北海道三石町[1][2]
生産者 三石川上牧場[4]
生産牧場 三石川上牧場[1][2]
育成 高昭牧場(北海道浦河町[5]
馬主 有限会社三石川上牧場[1][2]
調教師 西浦勝一栗東[1][2]
調教助手 柳田三千男[6]
厩務員 深川享史[6]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀3歳牝馬(2006年)[1][2]
JRA賞最優秀父内国産馬(2006年)[1][2]
生涯成績 17戦5勝[1][2]
獲得賞金 3億5089万2000円[1][2]
WTRR 115L(2006年)[7]
勝ち鞍
GI 優駿牝馬 2006年
GI 秋華賞 2006年
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カワカミプリンセス(欧字名:Kawakami Princess2003年6月5日 - 2023年9月11日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

2006年の優駿牝馬(オークス)、秋華賞を無敗で制し、牝馬二冠を達成した。同年のJRA賞最優秀3歳牝馬およびJRA賞最優秀父内国産馬である。

概要[編集]

2003年6月5日、遅生まれで生まれた父キングヘイロー、母タカノセクレタリーの牝馬である。北海道日高地方三石町川上地区にある、GI級競走未勝利の三石川上牧場が生産した。日高生産の牝馬であるために買い手がつかず、牧場自らが所有して競走馬となった。牧場主の実家である浦河町の高昭牧場で育成が施された後、中央競馬栗東トレーニングセンター西浦勝一厩舎に入厩し、キャリア初期は、本田優主戦騎手を務めた。2001年の桜花賞秋華賞を制し、牝馬二冠を果たしたテイエムオーシャンと同じ、西浦本田タッグで出世を果たした。

3歳2月の新馬戦で初出走初勝利を果たし、3月の君子蘭賞(500万円以下)と4月のスイートピーステークス(OP)で3連勝を果たし、クラシック戦線に加わった。続いて挑んだ牝馬クラシック第二弾の優駿牝馬(オークス)(GI)を優勝し、1943年クリフジ、1946年ミツマサ、1957年ミスオンワードに続いて史上4頭目49年ぶりとなる無敗優勝を成し遂げた。さらに1982年シャダイアイバーの78日に次いで史上2番目の早い、デビューから85日での戴冠を果たした。

それから秋、直行で臨んだ牝馬三冠の最終戦・秋華賞(GI)も優勝し、2002年ファインモーション以来5年ぶり史上2頭目となる無敗優勝を成し遂げ、1986年メジロラモーヌ、1997年メジロドーベル、2003年スティルインラブに続いて史上4頭目となる二冠目、三冠目の牝馬二冠も果たした。したがって史上初めてとなる無敗で二冠目と三冠目を優勝した牝馬二冠だった。

5連勝で迎えたエリザベス女王杯(GI)でも1位入線は果たした。しかし直線でヤマニンシュクルの進路を妨害したという判定により、1991年天皇賞(秋)メジロマックイーン以来となる1位入線馬の降着処分が下った。2位入線のフサイチパンドラを1着に繰り上げさせて12着降着、初めてとなる敗戦を喫した。この後は3年間走ったが一度も勝利できず、12連敗を喫して競走馬を引退した。通算成績17戦5勝。

誕生までの経緯[編集]

三石川上牧場[編集]

三石川上牧場は、北海道日高地方三石町川上地区にある競走馬生産牧場である[8]。1988年に20歳の上山浩司[注釈 1]が、川上地区に広がる農業を止めて耕作放棄地となっていた土地を買い取って敷地を確保し、繁殖牝馬3頭で生産を開始していた[8]。上山の実家は、北海道浦河町の高昭牧場であり、次男だったために独立を果たしていた[8]。高昭牧場のすぐ近くには、1957年の桜花賞優駿牝馬(オークス)を無敗で制したミスオンワードの生産牧場があり、上山は幼少の頃から「牝馬二冠」のミスオンワードを認識しながら育っていた[8]

牧場のある三石は、これまでオグリキャップハクタイセイヒシミラクルなど、どういうわけか芦毛の活躍馬を輩出する馬産地だった。しかし馬産地といえど、三石川上牧場だけは立地が悪かった[8]。海が遠くて山がちであり、夏は暑く、冬は寒く、鹿が放牧地に頻繁に出る厳しい環境に置かれていた[5]。おまけにアクセスが悪く、馬主や調教師が気軽に訪れることができないことから、生産馬のオーナー探しは苦戦を強いられた[5]。上山が一人で始めた牧場だったが、ある時妻帯し、従業員を雇えるようになって4人での運営となり[8]、10頭以上の繁殖牝馬を繋養できるようになっていた[9]

これまで生産馬では、1995年生産のカネトシガバナー(父:アンバーシャダイ)が出世していた。2歳、1997年夏にデビューし、14戦3勝の身で1998年の神戸新聞杯(GII)に参戦し、重賞初参戦していた[10]

カネトシガバナー

14頭立てとなる中、キングヘイローが本命に推されていた。キングヘイローは、皐月賞2着、東京優駿(日本ダービー)1番人気であり、ダンシングブレーヴグッバイヘイローという欧米のG1級競走11勝の両親に持っており、1.9倍の抜けた1番人気に支持されていた[10]。それでもレースでは、人気のないカネトシガバナーがキングヘイローなどを下し、重賞初優勝を果たしていた[10]

日高地方の小牧場は、それぞれ受け継いできた名牝系を頼りにするところが多かった。しかし三石川上牧場には、名牝系の後ろ盾がなかった[11]。そのため、上山は、盛んに外に出かけて牝馬を調達しなければならなかった[11]。繁殖牝馬を探していた1990年代後半、アメリカのキーンランドで行われるセプテンバーセールにて、父シアトルスルーの牝の幼駒(後のタカノセクレタリー)に出会っていた[11]

タカノセクレタリー[編集]

血統[編集]

その牝の幼駒は、父シアトルスルー、母サマーセクレタリー、三代母サマーゲストという血統構成だった[12]

三代母サマーゲストは、1972年アメリカの3歳牝馬戦線をスーザンズガールと争い、コーチングクラブアメリカンオークスを優勝[13]。また3歳牝馬ながら臨んだウッドワードステークスでは、キートゥザミントに次ぐ2位入線を果たしていたが、降着となり3着となった[13]。牝馬によるウッドワードステークス3着以内は、この後37年現れない貴重な記録だった[注釈 2]。そしてグレード制導入後の1974年には、G1競走のスピンスターステークスを優勝していた[12][13]。G1競走を含む通算13勝を挙げたサマーゲストは、競走馬引退後繁殖牝馬となり、14勝を挙げたキートゥザミントと交配した[12]。そして産まれた牝馬ゴールデンサマーもまた繁殖牝馬となり、1973年のアメリカ三冠馬セクレタリアトと交配[12]。そうして生まれた牝馬がサマーセクレタリーだった[13]

母サマーセクレタリーは、主にハリー・アレン・ジャーケンス英語版厩舎[注釈 3]に属して、1989年から1991年のボーゲイハンデキャップ英語版にて2勝2着1回したほか、通算11勝を挙げる活躍を果たした[13]。競走馬を引退して繁殖牝馬となったサマーセクレタリーは、1977年に無敗でアメリカ三冠を果たしたシアトルスルーと交配、牝の幼駒が宿されていた[12]。サマーゲストに、キートゥザミント、セクレタリアト、シアトルスルーが注入されたその牝の幼駒を[12]、上山は「最初から繁殖として意識するというわけではなく、走らせるつもり[11]」で落札し、1997年に日本に持ち帰った[14]


上山自身はまだ、馬主資格を取得していなかった[11]。そこで実家の高昭牧場の所有で競走馬となり[15]、「タカノセクレタリー」という名前が与えられてデビューを目指した[16]。しかしアメリカから取り寄せたタカノセクレタリーは、心房細動を患っていた[17]。デビューを果たすも4戦全敗し、上山の期待に沿うことができなかった[11]。競走馬として早々に用途がなくなったタカノセクレタリーは、すぐに繁殖牝馬への転向を余儀なくされた。初めは、高昭牧場に繋養される話もあったが、上山の父の取り計らいにより三石川上牧場で繋養された[11]

繁殖牝馬となって初年度はハンセルと、2年目はスキャターザゴールドと交配して初仔、2番仔を得ていた[14]。そして3年目、キングヘイローと交配していた[14]。キングヘイローとタカノセクレタリーの交配には、いくつかの理由があった。

キングヘイロー

まずタカノセクレタリーは、シアトルスルーの傾向を強く受け継いで、体が大きかった[18]。そのため上山は、反対に体の小さな仔が産まれやすいキングヘイローを選択していた[19][18]。それから小牧場の上山は、身の丈に合わない種付け料の高い種牡馬を選ぶという危険なギャンブルに挑むのを避け、堅実な経営を志向していた[11]。このため、種付け料の安いにもかかわらず、父ダンシングブレーヴ、母グッバイヘイローという良血のキングヘイローは、あまりに都合が良かった[19][11]

さらに上山は、キングヘイローが出走したかつての神戸新聞杯――牧場生産馬カネトシガバナーの重賞初勝利を現地で観戦しており[10]、その際に見たキングヘイローの実物に良い印象を持っていた[19][11]。これ以来上山は、キングヘイローを高く評価し、スペシャルウィークセイウンスカイなど大物がいる世代で、最も良い印象を持っていた[11]

幼駒時代[編集]

オーナー決定の経緯[編集]

2003年6月5日、北海道三石町の三石川上牧場にて、タカノセクレタリーの3番仔(後のカワカミプリンセス)が誕生する。遅生まれのため、早く生まれた他の仔より小さかった[20]。上山によれば「妹みたいな感じで、甘えん坊の、きかない馬[20]」だったという。

上山は、牧場の生産馬を自らで抱えず、すべて売却してお金に変換するのが、経営的に健全であると考えていた[18]。しかしそもそも日高地方の生産馬、それも牝馬を、良い価格で売ることは難しかった[18]。この3番仔もまた、初めは売却を目指した。上山は、3番仔に250万円という価格設定で、ある顧客に突き付けていたが決裂[18]。行先がないまま、結局牧場名義、有限会社三石川上牧場の所有で競走馬となることになった。

牧場は、2002年に馬主登録をしていた[11]。馬主登録をしてからは、自ら生産した牝馬を、できる限り自己所有する方針を取るようになっていた[11]。誰かに譲らず、未来の牧場の繁殖牝馬にするためであり、父を踏襲した考え方だった[11]。上山は3番仔に、冠名「カワカミ」に「お姫様」を組み合わせた「カワカミプリンセス」という競走馬名を与えていた[4]

調教師、騎手決定の経緯[編集]

西浦勝一[編集]

西浦勝一

カワカミプリンセスは、栗東トレーニングセンターの西浦勝一調教師に託された[5]。西浦と上山の出会いは、栗東の布施正調教師の引退がきっかけだった[20]。かつて上山が生産、上山父名義で所有したパウダースノーの管理を布施が請け負っていた[20]。しかししばらくして布施は引退、厩舎は解散。西浦は、旧布施厩舎の馬たちを引き継いで、布施と入れ替わる形で開業をしていた。このときパウダースノーも引き継がれて、二人の関係が構築されていた[20]

西浦は、タカノセクレタリーの初仔が産まれた際に、タカノセクレタリーに好感を持っていた。そこで上山に対し「これからいい産駒ができたら、ぜんぶ私が預かりたい[21]」と申し出ていた。以来、2番仔も請け負い、カワカミプリンセスの管理も担うことになっていた[21]。しかし初仔の兄と2番仔の姉は、勝利すらできなかった。兄姉が低調であるため、上山は、カワカミプリンセスに対して、大きな期待をかけてはいなかった[21]

牧場で成長したカワカミプリンセスは、上山の実家である高昭牧場で育成が施されている[5]。騎乗育成では、担当者が手応えを感じていたと振り返っている[5]。2歳秋には、西浦が視察に訪れていた。西浦は、カワカミプリンセスを見て「俺の最後の秘密兵器かな[5]」とも話していたという。

デビューを前に西浦は、騎手本田優をカワカミプリンセスの主戦に起用していた。本田は、このとき中央競馬の平地の騎手で最年長、40代後半の騎手だった[22]

本田優[編集]

本田優

1980年に栗東の星川薫厩舎からデビューした本田は[22]、1981年京都記念(春)にてロビンソンシチーを導き重賞初勝利[23]。1986年の阪神3歳ステークスにてゴールドシチーを導きGI初勝利を挙げた。また1991年の天皇賞(秋)では、プレジデントシチーに騎乗していたが、メジロマックイーンの斜行により多大な不利を受けていた[24]ブービー賞から大差の最下位18位入線、メジロマックイーンがGI級競走において史上初めてとなる1位入線後の降着処分、最下位となったために、ブービー賞17着となっていた[24]

1999年、本田は調教師試験の一次試験を合格していた[25]。年を取るにつれ、騎手の引退と調教師への転身を視野に入れており、成績の低下を決断のきっかけにしようと考えていた[25]。翌2000年に本腰を入れて受験と考えていたその矢先に出会ったのが、西浦厩舎のテイエムオーシャンだった[25]

テイエムオーシャン[編集]

本田が星川厩舎の所属騎手だった頃、西浦調教師の長男は、競馬学校厩務員過程を卒業して、星川厩舎に属していた時期があった[26]。そのとき、本田は新人の長男の手助けをしていた[26]。やがてその長男は、父の厩舎に入り、テイエムオーシャンを担当し[26]。父西浦は、テイエムオーシャンの鞍上に本田を指名していた[26]。本田によれば「俺も長男の面倒を見たから、先生も俺のことを面倒見てくれたのかもしれない[26]」と述べている。西浦本田ともに義理堅い思想の持ち主であり、テイエムオーシャンの鞍上は、本田で固定された[26]

ダンシングブレーヴ産駒のテイエムオーシャンは、2歳夏の札幌競馬場開催でデビューし2連勝[27]札幌3歳ステークスこそ牡馬のジャングルポケットタガノテイオーに敗れる3着だったが[28]阪神3歳牝馬ステークス(GI)を優勝しJRA賞最優秀3歳牝馬に輝いていた[29]。3歳となって牝馬三冠競走、春のクラシックに参戦。トライアル競走のチューリップ賞勝利を経た一冠目の桜花賞は、抜けた1番人気だった[29]。本田にとって大レースでのこれだけの支持は、初めての経験だったが[29]、克服して優勝。二冠、三冠が期待されるほどの勝利であった[30]

映像外部リンク
2001年 優駿牝馬(オークス)(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

しかし続く二冠目の優駿牝馬では、レディパステルローズバドに敗れる3着。本田は、折り合いを欠いたテイエムオーシャンを宥めることができず、矯正してからは無難に立ち回ってしまっていた[30]。それゆえに伸びを欠き、終いで対抗することができず[30]、後に本田は「下手に乗った[31]」と回顧していた。 その後、夏は休養して、古馬と対決するエリザベス女王杯など先を見据えて、敢えてぶっつけ直行で三冠目の秋華賞に臨んでいた[30]。優駿牝馬の反省から折り合いをつけて、積極的な位置を確保して優勝し、牝馬二冠を成し遂げていた[32]

映像外部リンク
2001年 エリザベス女王杯(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

続いてエリザベス女王杯に臨み、古牝馬と対しながら1番人気だった。直前で早めに抜け出していたが、トゥザヴィクトリーティコティコタックという古牝馬と、レディパステルやローズバドという同期が迫り来ていた[33]

粘ってゴール手前で横一線の争いにまで持ち込み、一団のまま決勝線通過を果たしたが、トゥザヴィクトリーがハナ差先着を許して敗退した[33]。5頭による一団の争いで最も後れを取ってレディパステルとローズバドにも敗れ、トゥザヴィクトリーからハナ、ハナ、クビ、クビ差の5着だった[33]

本田は、このテイエムオーシャンなどを導いた結果、成績が良化してしまっていた。成績低迷をきっかけにしようとしていたために、良い引退のタイミングが見つからないままに、ついに40代後半に突入していた[25]。調教師の定年が70歳で固定されており、満足いく厩舎経営には最低でも20年間は必要と考えていた本田は、その期限が間近であることを悟っていた[25]。しかし、そんな頃にローレルゲレイロや西浦厩舎のアグネスラズベリ、そしてカワカミプリンセスと出会うこととなる[25]

競走馬時代[編集]

クラシックまでの道程[編集]

2005年、2歳秋にカワカミプリンセスは、西浦厩舎に入厩した。しかし、後ろ脚が未熟で2歳のうちにデビューすることができなかった[34]。年をまたいで2006年2月26日、阪神競馬場の新馬戦(芝1400メートル)でデビューを果たした。ルミナスポイント[注釈 4]、シャドウストリーム[注釈 5]が人気を集める中、カワカミプリンセスは単勝オッズ33.0倍の9番人気だった[37]。本田によれば「ようやくレースに使えたって感じ[38]」の状態でのデビューだった。

スタートから本田が促してもいないのに先行して、ハナを奪取し逃げる形となった[39]。直線では後続を突き放して独走となる。ただ1頭メイショウトッパー[注釈 6]が付いてきたが、他は千切っていた[41]。メイショウトッパーに1馬身4分の1差、それ以下に7馬身以上差をつけて入線、初勝利を挙げる[42][41]。上山にとってはこれが馬主としての初勝利だった[43]

続いて3月26日、同設定の君子蘭賞(500万円以下)に参戦した。音に敏感だったため、覆面を装着するようになっていた[37]。ここでは、18頭立てのなか、11.3倍の6番人気だった[44]。逃げた新馬とは異なって後方を追走し、大外から進出した[45]。直線では末脚で全て差し切り[45]、後続に1馬身半差をつけて優勝し、連勝を果たした[44]。本田は、これまでカワカミプリンセスの実力をあまり評価していなかった[38]。しかし君子蘭賞での勝利を機に、クラシック、具体的には優駿牝馬を意識するようになっていた[39][38]

続いて4月9日、牝馬三冠競走の一冠目、クラシックの桜花賞に出走登録を行った。しかし賞金が足りず、除外となり、出走が叶わなかった[34]。切り替えて目標を二冠目の優駿牝馬(オークス)に切り替えた[34]。それに向けて4月30日、優駿牝馬のトライアル競走であるスイートピーステークス(OP)に臨んでいた。18頭立てのなか2.2倍、初めて1番人気に支持された[46]

スタートから中団を追走し、第3コーナーから進出。直線では大外から追い上げ[46]、末脚を発揮してすべて差し切った[47]。半馬身差をつけて入線し、3連勝[46]。2着のヤマニンファビュルとともに優先出走権獲得を果たした[46]。本田は、戦前まで優駿牝馬の出走権を得ることを第一に考えていた。しかしトライアル競走を勝利して初めて、優駿牝馬の勝ち負けまでを、強く意識するようになっていた[23][39]

二冠[編集]

優駿牝馬[編集]

5月21日、牝馬三冠競走の二冠目である優駿牝馬(オークス)(GI)に無敗で参戦する。出走が叶わなかった一冠目の桜花賞は、逃げるアサヒライジングに、コイウタアドマイヤキッスキストゥヘヴンが差し込み、このうち最も伸びたキストゥヘヴンが優勝していた[48]。この上位4頭など、桜花賞出走組は挙って二冠目にも出走。なかでも桜花賞優勝のキストゥヘヴン、2着のアドマイヤキッスは有力視され、共にオッズ3倍台で2番人気までを占めていた。そしてその次に、カワカミプリンセスが推されていた。6.7倍の3番人気だった[49]。以下桜花賞3着のコイウタ、桜花賞2番人気14着のフサイチパンドラ忘れな草賞優勝のニシノフジムスメ、桜花賞4着のアサヒライジング、忘れな草賞2着のブルーメンブラットと続いていた[49]

映像外部リンク
2006年 優駿牝馬(オークス)(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

5枠9番からスタート。ヤマニンファビュルが大逃げを敢行、それ以外は一団、2番手アサヒライジングを先頭とする縦長馬群が形成していた。カワカミプリンセスは、第1コーナーで我を忘れかけたが、本田が宥めて折り合うことに成功し[31]、フサイチパンドラと並ぶ中団前目を追走した[31]。人気のキストゥヘヴンとアドマイヤキッスの2頭は、後方待機だった。大逃げ1頭はハイペースに対し、馬群のペースは早くはなかった[50][49]

大逃げがいたため各々、早めに仕掛ける競馬を強制された[49]。フサイチパンドラと並びながら5番手で最終コーナーを通過した後、直線では、馬場の中央から先頭を奪取したアサヒライジングに迫った[31]。残り400メートルからスパートして、アサヒライジングに詰め寄り、外から差し切りを果たした。そして伸びあぐねるフサイチパンドラを出し抜き[34]、さらに後方から追い込むアドマイヤキッス、キストゥヘヴンに接近を許さなかった。後方に4分の3馬身差をつけ、先頭で決勝線通過を果たした[49]

無敗馬の優駿牝馬での成績(1975年以降)[51]
馬名 主な勝ち鞍 人気 着順 優勝馬(2着馬)
1981 ブロケード 桜花賞 4 13着 テンモン
1987 ラブリーサンライズ 400万以下 4 13着 マックスビューティ
1988 タニノセブンツー 400万以下 13 16着 コスモドリーム
1990 アグネスフローラ 桜花賞 1 02着 エイシンサニー
トーワルビー 忘れな草賞 7 10着
1991 シスタートウショウ 桜花賞 1 02着 イソノルーブル
1998 アドマイヤサンデー 500万以下 8 11着 エリモエクセル
2003 ピースオブワールド 阪神JF 3 13着 スティルインラブ
2004 ダンスインザムード 桜花賞 1 04着 ダイワエルシエーロ
2006 カワカミプリンセス スイートピーS 3 01着 フサイチパンドラ

無敗の4連勝、重賞及びGI初勝利、そしてクラシック戴冠を成し遂げた。1943年クリフジ、1946年ミツマサ、1957年ミスオンワードに続いて史上4頭目、49年ぶりとなる無敗の優駿牝馬優勝だった[52]。このうちクリフジとミツマサは、日本中央競馬会(NCK→JRA)発足以前であり、制度や施行時期が今とは異なっていた[53]。そのため、発足し制度などが整備された1954年以降としては史上2例目[53]、過去にアグネスフローラシスタートウショウダンスインザムードなどが果たせなかった行いを成し遂げていた[54][55]

さらに2月末のデビューから85日で戴冠、1982年シャダイアイバーの78日に次いで史上2番目の早さだった[31][56]。また馬体重は484キログラムで戴冠し、1975年の牝馬クラシック二冠馬テスコガビーの486キログラムに次いで史上2番目に重かった[52]。それから走破タイム2分26秒1は、1990年エイシンサニーのレースレコードに0.1秒差[49]。1990年とはコース形態が違うため、新しいレースレコードと言っても差しつかない記録だった[50]

また本田と西浦は、3着に終わったテイエムオーシャンの雪辱を果たしていた。二人は、テイエムオーシャン以来のGI級競走勝利であり[56]、3歳限定牝馬競走完全制覇を成し遂げていた[55]。おまけに47歳4カ月の本田は、1967年にヤマピットで制した保田隆芳の47歳1カ月を上回り、優駿牝馬史上最年長優勝を成し遂げている[52]。この栄冠に本田は、テイエムオーシャンの経験が活きたと振り返っている[26]

またキングヘイロー産駒は、産駒のGI級競走初勝利[52]。三石川上牧場は、開業18年目のGI級競走初勝利、馬主資格を得て5年目のGI級競走初勝利だった[57][18]。レース後の記念撮影では、馬主と生産者が同一であるために、どちらかが空席にせざるを得なかった[14]。そこで上山は、育成を担った兄を馬主席に招き、自らが生産者席に立った。兄弟で両席を埋めて写真に納まっていた[57][14]

秋華賞[編集]

優駿牝馬優勝後は、高昭牧場での夏休みとなった。夏休み中は軽種馬育成調教センターを用いて調整された[58]。秋の最大目標は、一線級の古牝馬と対するエリザベス女王杯となった。また秋初戦は前哨戦を用いず、牝馬三冠競走の最終戦である秋華賞直行が決断された。

西浦には、ある牝馬を前哨戦のローズステークスから秋華賞に臨ませていたが、良績を残せなかった経験があった[59]。この原因について西浦は、秋初めの前哨戦を使うために、暑い夏の入厩をさせた結果、馬に負担をかけたためではないかと考えていた[59]。この教訓から、秋華賞直行という発想が生まれていた[59]。また目標をエリザベス女王杯にしていたことや、同じく直行で秋華賞を優勝し先輩テイエムオーシャンの経験が、直行の決断の後押しとなっていた[60][61]。夏休み中の6月24日、主戦の本田は函館競馬場に参戦していたが、落馬し腰と首を骨折する負傷をしていた[62]。しかし2か月間の治療を経て戦線に復帰を果たして、秋を迎えていた[62]

10月15日、秋華賞(GI)に直行で参戦する。いまだ無敗だったが、3.6倍の2番人気だった[63]。1番人気は、2.6倍のアドマイヤキッスだった[59]。アドマイヤキッスは、優駿牝馬4着の後、ローズステークスを制して臨んでいた[59]。3番人気以下は、キストゥヘヴン、フサイチパンドラ、アメリカ帰りのアサヒライジングだった[63]

映像外部リンク
2006年 秋華賞(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

6枠12番からスタートし、中団を確保し対抗馬のアドマイヤキッス、キストゥヘヴンよりも前方を追走していた[63]。先行勢はトシザサンサンやコイウタ、シェルズレイが争っており、ハイペースとなっていた[63]。ハイペースを追走したものの、本田は早めに仕掛けて、第3コーナーからムチを入れるなど促してスパートしていた[62]

ハイペースは、末脚を利かせる後方待機勢が台頭する傾向にあり、ロングスパートでは不利、太刀打ちできないはずだった[17]。折しも最終コーナーでは、内にいたサンドリオンにぶつけられていた。バランスを崩し大きく外に膨れる不利を受けていた[17][62]。しかしカワカミプリンセスは、直線で加速して進出を果たした[17]

内のアサヒライジングに先んじて決勝線を通過するカワカミプリンセス。

直線では、逃げるシェルズレイとアサヒライジング、先行して抜け出しを図るフサイチパンドラを外から詰め寄った。さらに大外から追い込むアドマイヤキッスには、接近を許さなかった[17]。半ばを過ぎてから加速して[17]、フサイチパンドラを差し切り、アドマイヤキッスを置き去りにしていた。しかし抜け出すアサヒライジングには、残り200メートルではまだ3馬身のビハインドがあった[62]。それでもゴール手前でもうひと伸びして、寸前で差し切りを果たした[64]。半馬身差をつけて先頭で決勝線通過を果たした[63]

無敗の5連勝、GI連勝を果たす。グレード制導入以降では1986年メジロラモーヌ、1997年メジロドーベル、2003年スティルインラブに続いて史上4頭目となる二冠目の優駿牝馬と、三冠目を制した「牝馬二冠」を果たした[65][66]。また2002年のファインモーション以来史上2例目となる無敗の秋華賞優勝[65]。すなわち史上初めて無敗で優駿牝馬と秋華賞を制した「牝馬二冠」となった[65]。ぶっつけ参戦での優勝は、ホンダと西浦によるテイエムオーシャン以来だった[65]。レース直後の記念撮影では、上山の父が馬主席に収まり、上山親子で写真に納まっている[67]

12連敗[編集]

降着[編集]

続いて11月12日、目標のエリザベス女王杯(GI)に参戦した。アドマイヤキッスやキストゥヘヴン、アサヒライジング、シェルズレイ、フサイチパンドラなどクラシックを戦った同期とともに古馬に挑んだ。古馬勢では、前年優勝で宝塚記念優勝馬でもあるスイープトウショウ、重賞4連続3着中のディアデラノビア、重賞2連続2着中のサンレイジャスパーなどが立ちはだかっていた[68]。注目は、3歳のカワカミプリンセスと古馬スイープトウショウの2頭だった。オッズは共に2倍台後半だったが、わずかにカワカミプリンセスが支持されて1番人気となった[68]。当日の馬場状態は、稍重から良に回復していたが、芝は水分を多分に含んでいた。

映像外部リンク
2006年 エリザベス女王杯(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

8枠16番からスタートし、中団後方を追走した[17]。前方では、シェルズレイが果敢に逃げており、ハイペースを演出していた[68]。秋華賞のように第3コーナーから進出し、先行勢との距離を縮めながら、最終コーナーを通過し[69]、。直線で追い込んでいた。馬場の状態が悪く、進出には手間取っていたが、直線入り口で本田がムチを振るうと加速[24]。隣にいたヤマニンシュクルやシェルズレイの前に取り入り、2頭を置き去りにしていた[24]

先頭で入線するカワカミプリンセス

さらに抜け出していたディアデラノビアやアサヒライジング、フサイチパンドラに取り付いてすぐに差し切り、大外から追い込むスイープトウショウも寄せ付けず[24]、抜け出してからは独走を果たした。脅かされることなく先頭を守って決勝線に到達。2位入線のフサイチパンドラに1馬身半差をつけて通過していた[24]。デビュー以来6戦連続となる1位入線を果たしていた[24]。しかし着順が確定せず、審議となっていた。そして入線から15分後、以下のような判定がなされた後に、着順が確定した[69]

【降着】カワカミプリンセス号は、1位(タイム2分11秒4、2位との着差1馬身)に入線したが,最後の直線コースで急に内側に斜行して「ヤマニンシュクル」号の走行を妨害したため12着に降着
【制裁】カワカミプリンセス号の騎手本田優は、最後の直線コースで急に内側に斜行したことについて平成18年11月18日から平成18年11月26日まで騎乗停止 — 日本中央競馬会[70]
審議中の着順掲示板
確定後の着順掲示板

カワカミプリンセスは、日本のGI競走において1991年天皇賞(秋)のメジロマックイーン以来15年ぶり史上2頭目となる1位入線後の降着に処された[69]。直線の残り300メートルにて左側、コースの外側からムチが入れられたカワカミプリンセスは、内側に斜行してシェルズレイとヤマニンシュクルの前方を得て進出しているが、斜行の際に、シェルズレイとヤマニンシュクルの顔面と接触していた。ヤマニンシュクルを挫かせたほか、そのあおりを受けてシェルズレイ、そしてレクレドールの進路も塞いでしまっていた[71]

シェルズレイは余力なく後退中だったが、後方追走のヤマニンシュクルにとっては勝負所であり、この事象によりヤマニンシュクルの可能性が大きく損なわれたと判断された[71]。このため、カワカミプリンセスは、12位入線のヤマニンシュクルまでを繰り上げさせる降着、12着となる[24]。よって2位入線フサイチパンドラの、1991年天皇賞(秋)のプレクラスニー以来となる繰り上がり優勝で決着となっていた。カワカミプリンセスは、デビューから先頭入線を続けていたが、降着により初めての敗戦を喫することとなった[24]。この降着に対して、競馬場には抗議の電話が70件あったという[69]

斜行による接触で、カワカミプリンセスは、右後ろ肢の飛節に外傷があったが、大事ではなかった[72]。それでも年内休養となり、高昭牧場に放牧となった[72]。5戦1位入線5回、4勝で終えたこの年のJRA賞では、全289票中287票を集めて最優秀3歳牝馬[注釈 7]を、177票を集めて最優秀父内国産馬[注釈 8]を受賞している[73]

骨折[編集]

この後、カワカミプリンセスは2009年、6歳秋まで走り続けたが、1位入線を一度も果たすことができなかった[43]

古馬となった2007年2月末には、主戦を務めていた本田が引退する。試験に合格して調教師に転身し[74]、西浦厩舎で技術調教師として研修を経て、6月から厩舎を開業することになる[75][76]。本田は引退式にてカワカミプリンセスを「間違いなく自分が乗った馬の中で一番強い馬[77]」だったと述べていた。主戦の引退に伴い陣営は、新しい主戦として、武幸四郎を起用する。西浦は、武に直接依頼[78]、武なら激しい気性を宥められると評価していた[79]

武幸四郎

年またぎの放牧中も休むことなく運動し、体重を減らした状態で3月1日に帰厩[78]。古牝馬のGI級競走であるヴィクトリアマイル(JpnI)に直行する。厩舎では、体重を増やしながら仕上げるという常道ではない調整を敢行[79]。西浦が完璧と評するほどの状態だった[79]。同厩舎のアグネスラズベリと同乗して臨戦する[80]。ここまで対した96頭すべてに先着していたカワカミプリンセスは、スイープトウショウ、アドマイヤキッス、ディアデラノビアなどを差し置く1番人気だった[81]。しかし10着に敗退し、初めて先着を許した[82]。スタートから出遅れて後方を追走して直線に向いたが、追い上げる進路がなかった。大外に持ち出してから追い上げても敵わなかった[83]

続いて宝塚記念(GI)に臨む。直前の調教では、厩舎開業前日の本田が騎乗していた[84][85]。古牡馬に加えて、この年の東京優駿を優勝した牝馬ウオッカとの対決となっていた[83]。ウオッカが1番人気となる中、カワカミプリンセスは信頼得られず6番人気の支持で6着だった[86]。5番手追走から抜け出す積極的な騎乗を試みたが、直線で失速しアドマイヤムーンなどに敗れた[86]

この後は、9月初めの札幌記念(GII)を目指して札幌競馬場で調整されていたが、7月25日の調教中に右第1趾節種子骨を骨折、全治1年の休養を余儀なくされた[87][88]

エリザベス女王杯2着[編集]

休養中に年をまたぎ2008年、5歳となる。4月2日に厩舎に帰厩[89][90]。5月31日の金鯱賞(GII)で復帰し、エイシンデピュティに約1馬身半差の3着だった。続いて前年と同様に宝塚記念を目指したが、直前で腰から右後肢にかけての筋肉痛を発症して回避した[91]

横山典弘

厩舎に戻って養生してから、10月19日の府中牝馬ステークス(GIII)で復帰する[92]。この日は、京都で秋華賞で行われており、武はリトルアマポーラに騎乗していた[92]。このため、横山典弘に乗り替わった[92]。以降引退まで、横山が主戦を担った。1番人気で参戦したコンビ結成初戦は、2番手追走から直線でアサヒライジングを捕えて先頭となる場面があった[93]。しかし後方外から追い込むブルーメンブラットにゴール手前で差し切りを許し、半馬身差及ばない2着だった[93]

11月16日のエリザベス女王杯では、ベッラレイアポルトフィーノ相手に1.9倍の1番人気に推された。ポルトフィーノがスタート直後に落馬し、競走を中止する中、6番手を追走して直線で抜け出しを図っていた[94]

映像外部リンク
2008年 エリザベス女王杯(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

しかし前には、追い込みを信条とするはずのリトルアマポーラが、クリストフ・ルメールに導かれて先行し、一足先に抜け出していた[43]。道中をスムーズにこなし、末脚を使って伸びていたカワカミプリンセスだったが、谷川善久曰く「ハーツクライディープインパクトを破った有馬記念を髣髴とさせるファインプレー[注釈 9][43]」に阻まれた[94]。リトルアマポーラに1馬身半届かず2着に敗れて、復活の勝利は挙げられなかった[94]

そして暮れの有馬記念(GI)では、1枠1番を得たため果敢に先行したが、ハナをダイワスカーレットに奪われ、2番手追走に甘んじて終いに失速、7着だった[43]

引退[編集]

2009年、6歳は京都記念(GII)で始動し、アサクサキングスらにおおよそ1馬身半差の4着。続く産経大阪杯(GII)ではドリームジャーニーディープスカイに2馬身差の3着と牡馬相手に好走した[2]。この後は牝馬限定競走に臨んだがいずれも入着すらできなかった。ヴィクトリアマイルではウオッカに敵わず、秋の府中牝馬ステークスではムードインディゴ、ベッラレイア、レジネッタなどに敵わず、エリザベス女王杯ではクィーンスプマンテテイエムプリキュアブエナビスタなどに敵わなかった[2]

エリザベス女王杯に臨場していた上山は、成熟して既に母親の体つきになっていると思い「もうお母さんになりたいんだな[98]」と感じ取り、引退が決定した[98]。結局、1位入線しながら取りこぼしたエリザベス女王杯を取り戻すことはできなかった[43]。11月19日付で日本中央競馬会の競走馬登録を抹消される[99]

引退翌年の2010年には、インターネット投票で人気の過去の優駿牝馬優勝馬の名前を、JRAプレミアムレースの副名称に使用する催しがあった[100]。その投票では、全体の24パーセントである5061票を集めた[101]。19パーセントの1996年優勝馬エアグルーヴ、15パーセントの2005年優勝馬シーザリオを押しのけて1位となった[101]。この結果により、同年5月23日、優駿牝馬の直後のレースである第12競走は「東京クラウンプレミアム(カワカミプリンセスメモリアル)」という競走名で実施された[100]

繁殖牝馬時代[編集]

競走馬引退後は、生まれ故郷の三石川上牧場で繁殖牝馬として繋養された[4]。初年度の2010年はディープスカイと交配し、不受胎だったが、2年目の2011年の交配は受胎[4]。2012年に初仔を産んでから2020年まで毎年のように交配して受胎し仔を産み続けた[4]。2021年の出産を最後に繁殖活動から引退し、三石川上牧場で余生を過ごしていたが、2023年9月11日、起立不能となり、20歳で死亡した[102]

競走成績[編集]

以下の内容は、JBISサーチ[103]およびnetkeiba.com[104]、『優駿』[2]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
備考
2006.02.26 阪神 3歳新馬 芝1400m(不) 15 3 5 033.00(9人) 01着 R1:25.4(36.9) -0.2 0本田優 54 (メイショウトッパー) 476
0000.03.26 阪神 君子蘭賞 500万下 芝1400m(良) 18 8 17 011.30(6人) 01着 R1:23.0(35.3) -0.2 0本田優 54 (サウスティーダ) 482
0000.04.30 東京 スイートピーS OP 芝1800m(良) 18 4 8 002.20(1人) 01着 R1:48.4(34.6) -0.1 0本田優 54 (ヤマニンファビュル) 488
0000.05.21 東京 優駿牝馬 GI 芝2400m(良) 18 5 9 006.70(3人) 01着 R2:26.2(35.5) -0.1 0本田優 55 フサイチパンドラ 484
0000.10.15 京都 秋華賞 GI 芝2000m(良) 18 6 12 003.60(2人) 01着 R1:58.2(34.4) -0.1 0本田優 55 アサヒライジング 492
0000.11.12 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 15 8 16 002.70(1人) 12着 R2:11.4(34.5) -0.2 0本田優 54 フサイチパンドラ 490 [注釈 10]
2007.05.13 東京 ヴィクトリアM JpnI 芝1600m(良) 18 3 6 002.10(1人) 10着 R1:33.4(33.7) -0.9 0武幸四郎 55 コイウタ 488
0000.06.24 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 18 4 7 010.20(6人) 06着 R2:13.2(37.5) -0.8 0武幸四郎 56 アドマイヤムーン 494
2008.05.31 中京 金鯱賞 GII 芝2000m(稍) 17 2 4 010.00(5人) 03着 R1:59.3(35.0) -0.2 0武幸四郎 55 エイシンデピュティ 496
0000.10.19 東京 府中牝馬S GIII 芝1800m(良) 18 4 7 002.30(1人) 02着 R1:45.6(34.0) -0.1 0横山典弘 55 ブルーメンブラット 508
0000.11.16 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 18 7 15 001.80(1人) 02着 R2:12.3(34.5) -0.2 0横山典弘 56 リトルアマポーラ 498
0000.12.28 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 14 1 1 019.00(6人) 07着 R2:32.5(37.0) -1.0 0横山典弘 55 ダイワスカーレット 488
2009.02.21 京都 京都記念 GII 芝2200m(良) 12 5 7 003.30(2人) 04着 R2:14.9(35.6) -0.3 0横山典弘 55 アサクサキングス 488
0000.04.05 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(良) 12 2 2 011.50(4人) 03着 R2:00.0(33.8) -0.3 0横山典弘 55 ドリームジャーニー 480
0000.05.17 東京 ヴィクトリアM GI 芝1600m(良) 18 7 14 007.10(2人) 08着 R1:33.9(34.5) -1.5 0横山典弘 55 ウオッカ 482
0000.10.18 東京 府中牝馬S GIII 芝1800m(良) 18 8 18 004.40(1人) 06着 R1:45.5(35.5) -0.9 0横山典弘 56 ムードインディゴ 490
0000.11.15 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 18 4 8 015.10(5人) 09着 R2:15.2(34.3) -1.6 0横山典弘 56 クィーンスプマンテ 484

繁殖成績[編集]

生年 馬名 毛色 馬主 管理調教師 戦績 備考 供用 出典
2011年 不受胎 ディープスカイ [4]
初仔 2012年 ミンナノプリンセス 黒鹿毛 コマンズ英語版 タ-フ・スポート 栗東・西浦勝一 15戦2勝 繁殖 [105]
2番仔 2013年 ミュゲプリンセス 鹿毛 エンパイアメーカー 雅苑興業 栗東・西浦勝一
西脇・玉垣光章
15戦1勝 繁殖 [106]
3番仔 2014年 ハルノヒダマリ 三石川上牧場 栗東・西浦勝一 5戦0勝 繁殖 [107]
4番仔 2015年 カズアピアーニ ヘニーヒューズ 雅苑興業
→蟹江知彦
→杉本剛彦
→高橋貢
栗東・西浦勝一
北海道・安田武広
園田・田中一巧
→栗東・杉山晴紀
高知・田中伸一
名古屋・迫田清美
→名古屋・栗田和昌
盛岡・平澤芳三
75戦8勝 抹消 [108]
5番仔 2016年 クイーンハーツ キングカメハメハ Tスポート 栗東・西浦勝一 3戦0勝 繁殖 [109]
6番仔 2017年 グランプリアルザン 栗毛 ヘニーヒューズ 三石川上牧場
→上山浩司
栗東・西浦勝一
→北海道・田中淳司
9戦1勝 抹消 [110]
7番仔 2018年 ジョージバローズ 黒鹿毛 ダイワメジャー 猪熊広次
→吉田啓
栗東・清水久詞
船橋林正人
水沢・及川良春
24戦2勝 抹消 [111]
8番仔 2019年 ティグル 鹿毛 ドゥラメンテ 加藤誠 栗東・中竹和也
→西脇・松浦聡志
33戦1勝 現役 [112]
9番仔 2020年 カワカミエレガンス 栗毛 デクラレーションオブウォー 三石川上牧場
→上山浩司
栗東・本田優
→名古屋・川西毅
10戦1勝 現役 [113]
10番仔 2021年 ラブアンドラッキー 鹿毛 カリフォルニアクローム 三石川上牧場 栗東・本田優 1戦0勝 現役 [114]
2022年 種付けなし [4]
  • 2024年2月23日現在


血統表[編集]

カワカミプリンセス血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 リファール系
[§ 2]

キングヘイロー
1995 鹿毛
父の父
*ダンシングブレーヴ
Dancing Brave
1983 鹿毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Navajo Princess Drone
Olmec
父の母
*グッバイヘイロー
Goodbye Halo
1985 栗毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Pound Foolish Sir Ivor
Squander

*タカノセクレタリー
Takano Secretary
1996 鹿毛
Seattle Slew
1974 黒鹿毛
Bold Reasoning Boldnesian
Reason to Earn
My Charmer Poker
Fair Charmer
母の母
Summer Secretary
1985
Secretariat Bold Ruler
Somethingroyal
Golden Summer Key to the Mint
Summer Guest
母系(F-No.) タカノセクレタリー(USA)系(FN:4-m) [§ 3]
5代内の近親交配 Hail to Reason=4×5、Bold Ruler=4×5、Sir Gaylord=5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ [115]
  2. ^ [116]
  3. ^ [115]
  4. ^ [115][116]


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 牧場名が上山牧場ではなく、"三石川上"牧場であるのは、牧場名が地名から採られていることによる。また川上牧場ではなく、三石川上牧場であるのは、既に新冠町に同名の牧場があり、区別するためである。また本項で取り上げる馬が、カミヤマプリンセスではなく、カワカミプリンセスなのは、地名を由来とした牧場が、所有した競走馬であるためである[8]
  2. ^ 2009年にレイチェルアレクサンドラが優勝し、牝馬初の優勝を果たす[13]
  3. ^ 初めは、ティムケリー厩舎にいた[13]
  4. ^ 後の、2016年デイリー杯2歳ステークス、2017年函館スプリントステークス優勝のジューヌエコールの母。2022年の安田記念などを優勝したソングラインの祖母である[35]
  5. ^ 1993年の京都4歳特別(GIII)を優勝したケイウーマンの仔[36]
  6. ^ 2005年フェブラリーステークス優勝馬メイショウボーラー(父:タイキシャトル)の半弟、テイエムオペラオー産駒[40]
  7. ^ 残る2票はフサイチパンドラ[73]
  8. ^ 次点の55票にデルタブルース、以下40票ドリームパスポート、5票のカネヒキリブルーコンコルド、1票シーイズトウショウバランスオブゲームフサイチホウオーロジック、残る3票は該当馬なし[73]
  9. ^ 2005年の有馬記念、無敗で菊花賞を制しクラシック三冠を果たした直後のディープインパクトと、ジャパンカップにて中団から追い込みアルカセットにハナ差だけ敗れたハーツクライの対決を指す[95]。無冠のハーツクライが、ジャパンカップとうってかわって先行[96]。直線抜け出してディープインパクトの追い上げを半馬身凌ぎ、ディープインパクトに初敗戦を食らわせた[97]
  10. ^ 1位入線12着降着(被害馬:ヤマニンシュクル

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q カワカミプリンセス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年5月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『優駿』2011年5月号 85頁
  3. ^ カワカミプリンセス引退、繁殖生活へ”. ラジオNIKKEI. 2022年10月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g カワカミプリンセス(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022‐10‐12時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月12日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 『優駿』2006年7月号 41頁
  6. ^ a b 『優駿』2007年2月号 25頁
  7. ^ The 2006 World Thoroughbred Racehorse Rankings”. IFHA. 2021年11月6日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g 『優駿』2006年7月号 38頁
  9. ^ 『優駿』2006年9月号 64頁
  10. ^ a b c d 『優駿』1998年11月号 144頁
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『優駿』2006年7月号 40頁
  12. ^ a b c d e f 『優駿』2006年12月号 77頁
  13. ^ a b c d e f g Summer Secretary: the mare who just loved standing in water tubs Topics: Secretariat”. Thoroughbred Racing Commentary. 2022年10月10日閲覧。
  14. ^ a b c d e 『優駿』2006年7月号 77頁
  15. ^ 3R サラ系3才 新馬|1998年11月29日(日)4回中京2日”. www.jbis.or.jp. 2022年10月11日閲覧。
  16. ^ タカノセクレタリー(USA)”. www.jbis.or.jp. 2022年10月11日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g 『優駿』2011年5月号 83頁
  18. ^ a b c d e f 『優駿』2006年9月号 65頁
  19. ^ a b c 「無敗のオークス馬」は過去4頭だけ。絶好枠13番のラヴズオンリーユーは?(島田明宏)”. Number Web - ナンバー. 2022年10月11日閲覧。
  20. ^ a b c d e 『優駿』2006年9月号 62頁
  21. ^ a b c 『優駿』2006年9月号 63頁
  22. ^ a b 『優駿』2006年7月号 27頁
  23. ^ a b 『優駿』2007年4月号 86頁
  24. ^ a b c d e f g h i 1着→12着、カワカミ悲劇のプリンセス…エリザベス女王杯”. スポーツ報知. 2006‐11-15時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月12日閲覧。
  25. ^ a b c d e f 『優駿』2007年4月号 84頁
  26. ^ a b c d e f g 『優駿』2006年7月号 25頁
  27. ^ 『優駿』2008年4月号 48頁
  28. ^ 『優駿』2008年4月号 49頁
  29. ^ a b c 『優駿』2008年4月号 50頁
  30. ^ a b c d 『優駿』2008年4月号 52頁
  31. ^ a b c d e 【GI復刻】カワカミプリンセス49年ぶり無敗V デビューから85日、4連勝で戴冠/オークス”. p.nikkansports.com. 2022年10月11日閲覧。
  32. ^ 『優駿』2008年4月号 53頁
  33. ^ a b c 『優駿』2008年4月号 54頁
  34. ^ a b c d カワカミ無敗の樫女王~オークス”. スポーツニッポン. 2007年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022‐10‐11閲覧。
  35. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|ルミナスポイント”. www.jbis.or.jp. 2022年10月12日閲覧。
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  37. ^ a b 『優駿』2011年5月号 79頁
  38. ^ a b c 『優駿』2006年7月号 23頁
  39. ^ a b c 『優駿』2006年7月号 24頁
  40. ^ メイショウトッパー”. www.jbis.or.jp. 2022年10月12日閲覧。
  41. ^ a b 【新馬】(阪神5R)〜カワカミプリンセス 逃げ切りV”. ラジオNIKKEI. 2022年10月10日閲覧。
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参考文献[編集]

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1998年11月号
      • 「【重賞データファイル】第46回神戸新聞杯(GII)カネトシガバナー」
    • 2006年6月号
      • 「【重賞プレイバック】第66回桜花賞(GI)キストゥヘヴン」
    • 2006年7月号
      • 黒須田守「【優駿ロングインタビュー】本田優 想いに応えたい」
      • 須田鷹雄「【第67回オークス】カワカミプリンセス 約半世紀の歳月を経て 無敗のオークス馬がここに誕生」
      • 阿部珠樹「【優駿たちの故郷を訪ねて】オークス馬カワカミプリンセスの故郷 三石川上牧場 小牧場ゆえの工夫」
      • 「【重賞プレイバック】第67回優駿牝馬(オークス)(GI)カワカミプリンセス」
    • 2006年9月号
      • 篠原美穂子「【秋競馬開幕目前! 気になる有力馬の動向をチェック】クラシックロード(牝馬)カワカミプリンセス」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(256)】上山浩司さん」
    • 2006年12月号
      • 及川博嗣「【第11回秋華賞】カワカミプリンセス お姫様が演じた『新女王の襲名劇』」
      • 「【重賞プレイバック】第11回秋華賞(GI)カワカミプリンセス」
    • 2007年1月号
      • 優駿編集部「【第31回エリザベス女王杯】カワカミプリンセスは12着に降着 フサイチパンドラが繰り上がりでGI初戴冠『その時、淀の直線で何が起こったのか?』」
      • 「【重賞プレイバック】第31回エリザベス女王杯(GI)フサイチパンドラ」
    • 2007年2月号
      • 「【2006年度JRA賞決定!】年度代表馬に2年連続でディープインパクト」
    • 2007年4月号
      • 「【杉本清の競馬談義(263)】本田優調教師」
    • 2008年4月号
      • 阿部珠樹「【サラブレッド・ヒロイン列伝】テイエムオーシャン Beauty and Dynamism」
    • 2008年12月号
      • 「【重賞プレイバック】第56回府中牝馬ステークス(GIII)ブルーメンブラット」
    • 2011年5月号
      • 谷川善久「【優駿激闘譜】カワカミプリンセス 真のドラマチックホース」
    • 2018年7月号
      • 河村清明「【未来に語り継ぎたい名馬物語(35)】4歳秋から急成長で世界レベルに。 ハーツクライのポテンシャル」

外部リンク[編集]