カレーライス

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日本における典型的な家庭のカレーライス

カレーライスは、カレー米飯にかけて食べる料理。近年では、日本独自の進化を遂げたオリジナルスタイルのカレーライスも数多く存在する。

インド料理を元にイギリスで生まれ[1]日本には明治時代にイギリスから伝わり[2]、日本で独自に変化した料理である[3]。 イギリスでは「curry and rice(カリーアンドライス)」の他「Curried rice(カリードライス)」とも呼ばれる。日本語では省略して「カレー」と呼ばれることが多く[注 1]ラーメンと並んで『日本人国民食』と呼ばれるほど人気がある料理である[4]。 小中学校の給食メニューの人気アンケートでもつねに上位に挙げられている[5][6]

インドのカレーよりとろみが強くなっているのは、インドからイギリスに伝わった際に、シチューと同様に小麦粉によってとろみをつけるようにレシピが変化したため[7]。また、ソースを重視するフランス料理の手法を取り入れたからという説もあり[8]、イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル社により生産されたカレー粉フランスに渡り、フランス料理のカリー・オ・リ(curry au riz)の名の西洋料理になった[9]ともいわれている[10]

日本における歴史

調理・内食

日本で初めて「カレー」という料理の名を紹介したとされる書物は福沢諭吉の「増訂華英通語」(1860年、万延元年)で、「Curry コルリ」という表記があり、これが始まりであると言われている[11]

カレーライスの調理法を初めて記載したのは、1872年(明治5年)に出版された敬学堂主人『西洋料理指南』[12]である。食材として「ネギショウガニンニクバターエビタイカキアカガエル小麦粉・カレー粉」を挙げている[13]。同書はインドのチャツネも掲載しているが、カレーとは結び付けられていない[14]。また、同年に出版された仮名垣魯文『西洋料理通』では、食材として「牛肉鶏肉・ネギ・リンゴ・小麦粉・ユズ・カレー粉」を挙げている。

小菅桂子は、材料に肉が入っているところから、フランス料理の要素が取り入れられた可能性を指摘している[9]。しかし蛙肉を使ったレシピはあまり普及せず、ネギ(長ネギ)も大正時代にはほぼタマネギに置き替わった[10][15]後述)。現在、カレーの具として普及しているジャガイモニンジン・タマネギは、明治のはじめにはまだ珍しい「西洋野菜」であったが、開拓地の北海道を中心に徐々に生産が広がった[3]。国産の安価なカレー粉が登場したこともあいまって[3][16]、大正時代の頃に現在の日本のカレーライスの原型が完成したと考えられる[3]

1905年(明治38年)、大阪・瓦町の薬種問屋の二代目今村弥兵衛が、国産初のカレー粉「蜂カレー」を発売した[17]。この会社は現在もハチ食品としてカレーの製造販売を行っており、日本最古のカレーメーカーである。

1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」から、初めての即席カレーといわれる「カレーライスのたね」が発売された。その内容は不明だが、肉やカレー粉の固形化されたものであり熱湯を注げばカレーとなるものとされる[18]。さらに1914年(大正3年)には、東京・日本橋の「岡本商店」から「ロンドン土産即席カレー」という即席商品が発売されている[19]

1926年(大正15年)にハウス食品が、カレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分などを固形化した「インスタントカレールウ」を「ホームカレー粉」の商品名で発売した。

1945年(昭和20年)11月、オリエンタルが、カレーが家庭料理に普及しつつあることに着目し、当時のカレーは炒めた小麦粉にカレー粉を混ぜるなど調理に手間がかかるものであったことから、その手間を省いて簡単に調理できれば売れると考え、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレールウ「オリエンタル即席カレー」を完成させた。当時は日本の一般家庭の食卓にスプーンがなかったため、オリエンタル即席カレーの景品としてスプーンを付け、洋食のスプーンを一般家庭に広めた。

固形カレールウは、1954年(昭和29年)にエスビー食品が初めて発売した。昭和30年代からテレビによるCMを主とした各製造販売会社の販売合戦が起こり、即席カレーの生産と消費が急増した[20]1960年(昭和35年)江崎グリコが板チョコの生産技術を生かし、ブロックごとに割って量を加減できる「グリコワンタッチカレー」を発売した。現在の日本の家庭では、インスタントカレールウを使って調理することが多い。

2017年(平成29年)、個食ニーズと時短ニーズ満たすレトルトカレーの需要が拡大、調理が必要なルー消費は減少が続き、レトルトの購入額が初めてルーを上回る[21]

外食

明治時代初期においてカレーライスは、限られたレストランで食することが可能な高額のハイカラ料理だった[16]鹿鳴館時代神田の「丸久」という店では九銭だったという(同店ではコーヒーが一銭五厘だった)。

1905年(明治38年)、道修町の薬種問屋「大和屋」(現・ハチ食品)の二代目今村弥兵衛が日本初の国産カレー粉を開発し、この店に使用された[22]

明治時代後期頃までは西洋料理店がカレーライスの主な媒介的存在となっていたが、明治時代末期より食堂のメニューにライスカレー・カレーうどんカレーそばが出るようになってから次第に大衆化されていった[15]

1910年(明治43年)、大阪・難波新地に、西洋料理店・「自由軒」が開業した。1940年(昭和15年)、織田作之助が小説『夫婦善哉』でこの店の「混ぜカレー」(または「名物カレー」)[注 2]を紹介して有名になった。当時の店主が「ご飯は冷めても[注 3]、熱いカレーと混ぜることで、熱々のカレーになる」[24]「どっちみちご飯とカレーを混ぜるのやったら、はじめから混ぜといて、熱々をたべていただくのがよろし‥」との考えから、カレーソースとライスをあらかじめ混ぜる提供方法にし、中心に生卵を載せて出される[22]ウスターソースをたっぷり掛けて食べることが勧められている。

大正時代後期(関東大震災後)には、東京庶民が気軽に利用してきた外食店の蕎麦屋が、カレー南蛮カレー丼のような和洋折衷料理を出すようになり、また和・洋・中となんでも扱う大衆レストランでも、比較的安価な洋食として、人気メニューとなった[16]

1927年(昭和2年)、東京の「新宿中村屋」が喫茶部を開業し、「純インド式カリ・ライス」を80銭(当時の大衆食堂のカレーライスの10倍の値段)で出した。日本で初めての本格的な「インドカレー」で[注 4]、高値にもかかわらず1日300食を売り上げたという[25]

1929年(昭和4年)、大阪・梅田に開業した阪急百貨店大食堂のライスカレー(20銭)は、比較的低価格で本格的なカレーが味わえるということで人気を集めた。また、ライスカレーを食べる余裕のない客が白飯のみを注文し、卓上のソースをかけて洋風な気分だけを楽しむ「ソーライ」(ソースライスの略)という食べ方も流行した。

日本におけるインド人による初の本格的なインド料理店は、1949年(昭和24年)にA.M.ナイルが東京銀座で開店した「ナイルレストラン」である。続いて1954年(昭和29年)にジャヤ・ムールティが東京阿佐ヶ谷に「アジャンタ」を開店している。A.M.ナイルの息子G. M. ナイルはナイルレストランを引き継ぎ、そのキャラクターが買われて芸能人としてもメディアで活躍した。

一方「欧風カレー」は、1973年(昭和48年)創業のカレー専門店「ボンディ」の創業者である村田紘一によって名付けられたものである。和風のもっちりとした米飯にフィットするカレーソースを追究し、ブイヨンなどの欧風だしの研究を重ねていた日本において、村田はフランスで学んだデミグラスソースを中心においたカレーを研究し、現在より40年前に初めて“欧風カレー”の名を他店に先駆けてメニューに加えた。そして、彼の名づけた「欧風カレー」は日本の料理界を席巻した[26]

各分野における展開

北海道大学

1876年(明治9年)、札幌農学校(のちの北海道大学)に教頭として着任したクラーク博士は、ライスカレーという言葉を考案した人物として伝えられているが、開拓史の公文書『明治五年 開拓使公文録 八』(1872年)で「タイスカレイ(ライスカレー)」という言葉がすでに使われている。またクラークは寮での米食を禁止し、ライスカレーのみを例外としたといわれているが[27]、吉田よし子(『カレーなる物語』)の調べによると、その記録は北海道大学に現存していない。

発見されたカレーライスに関するもっとも古い資料は、1877年(明治10年)9月のカレー粉の納入記録と1881年(明治14年)の寮食メニュー[28]であった。当時の日本では、ニンジン、ジャガイモ、タマネギといった西洋野菜がほとんど普及していない状況であった。北海道の気候は、ケプロンやクラーク博士出身のアメリカ合衆国マサチューセッツ州とよく似ており、彼の地の西洋野菜の栽培技術を学ぶに最もふさわしい土地であった。

札幌農学校には、次々と多様なアメリカ産野菜の栽培品種が持ち込まれ、数々の成果を収めた。北海道はこれを機に大規模な西洋野菜の作付を行い、欧米野菜の大衆化に貢献した。日本のカレーライス普及には、ホーレス・ケプロンのほうが、より貢献しているという説もある[29]

軍隊・自衛隊

海自掃海母艦「うらが」の給食[注 5]

前述の通り、明治5年(ほぼ1872年)に「西洋料理指南」と「西洋料理通」にカレーライスのレシピが紹介されているが、翌年の1873年(明治6年)には、早くも陸軍将校生徒を養成する陸軍幼年学校において、土曜日の昼食に「ライスカレー」が導入されている[10]。1908年(明治41年)には海軍においてもイギリス式のカレーが採用された[1][30]。また1910年(明治43年)には、陸軍においても陸軍将兵全般が、日常の軍隊生活で食す「兵食」として「カレー、ライス(カレー汁掛飯)」が採用された。徴兵期間を終えて除隊した兵士達が、軍隊生活で慣れ親しんだカレーライスを郷里の家庭などで作ったことも、カレーライスが広まることに大きく寄与した[1][30][31]

レシピにおいて、『海軍割烹術参考書[注 6]によると、海軍の「カレイライス」はヘットで狐色に煎った小麦粉にカレー粉を加え「スープニテ薄トロノ如ク」溶くと書かれているのに対し[32]、陸軍の「カレー、ライス」(『軍隊料理法(明治43年)』[注 7])には出汁についての記載はない。『軍隊料理法』をもとに昭和期に改訂された『軍隊調理法(昭和12年)』では、第2章調理法24項のカレー汁の備考に「ア、温き御飯を皿に盛りて其の上よりかくればライスカレーとなる」との記述があり、カレーを汁物として記載している。

海軍では、土曜日の昼食はカレーライスと決められていた[1][31]。これは海上自衛隊にも引き継がれ[1][31]た。巷間、交代勤務となる長期航海中に曜日感覚を取り戻すためだと言われている[33]が、これは謝りである(海軍カレー#誤り3:金曜のカレーは曜日を忘れないようにするため[34]。週休2日制となってからは、金曜日に変更されているが、全ての部署でカレーライスを食べ[1][31]、行事の際に来賓に振舞ったり、防衛省公式サイトなどを通じて一般へのレシピ公開を行ったり、かつて軍港のあった町の名前を冠した「海軍カレー」がレトルト食品缶詰製品を発売している。

陸上自衛隊でも、各部隊ごとに独自のレシピ[注 8]によるカレーライスがあり[注 9]、催事などでは一般の見学者に振舞われている[注 10]

第二次世界大戦後、アメリカ空軍に倣いながらも、旧陸海軍航空部隊(陸軍航空部隊海軍航空部隊)の元将兵らによって創設された航空自衛隊にも同様のカレーがあり、基地の食堂毎にアレンジしたカレーがある。神奈川県横須賀の海軍カレーは今も名物である。

学校給食

第二次世界大戦後には、学校給食のメニューにもカレーライスが全国的に採用されるようになった。カレーライスが学校給食のメニューに登場したきっかけは、食糧事情の悪かった終戦直後の1948年(昭和23年)、連合国中では日本の友好国だったインドから大量にスパイスの提供を受けたこと[35]エスビー食品創業者の山崎峯次郎などカレー業界関係者が需要拡大のため尽力した[36]ことが関係している。

ただし米飯給食が開始された1976年以前には、カレーライスとしてではなく、カレーシチュー[注 11]としてうどん玉(地域によってはソフト麺)やコッペパンとの組み合わせで出されることが多かった。

カレーシチューはカレーと比較すると、特に初期においては粘度が低い点[37]クリームシチュー同様牛乳脱脂粉乳など乳成分が大量に使用され白みがかっている点が特徴となっている。粘度が低かった理由としてはコッペパンやソフト麺との親和性が高かったこと、原材料の不足により、濃度を薄くせざるを得なかったことなどが理由であるとされている[36]昭和35年頃、ラジオ民間放送に次いでテレビCM合戦が激化し、学校給食のメニューであったカレーが、一般家庭で多く作られるようになった[20]

年表

  • 1860年万延元年)福沢諭吉が「増訂華英通語」でカレー(コルリ)を紹介。
  • 1864年文久4年)、江戸幕府横浜鎖港談判使節団の岩松太郎が、船中でアラビア人が食事する様子を見て「飯の上へトウガラシ細味に致し、芋のどろどろのような物を掛け、これを手にてまぜ手にて食す。至って汚き人物の者なり」と日誌に記している。
  • 1872年明治5年)、北海道開拓使東京事務所でホーレス・ケプロン用の食事にライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供された。また、同年にカレーライスのレシピを記した本『西洋料理指南』(敬学堂主人)、『西洋料理通』(仮名垣魯文)が出版された。
  • 1873年(明治6年)、陸軍幼年学校の生徒隊食堂の昼食メニューに、ライスカレーが加えられる[10]
  • 1876年(明治9年)、当時、札幌農学校の教頭として来日していたウィリアム・スミス・クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定める。
  • 1877年(明治10年)、東京の「米津凮月堂」が、初めて日本でライスカレーをメニューに載せる。
  • 1889年(明治22年)、神戸居留地にあるオリエンタルホテルのカレーライスをラドヤード・キップリングが新聞「The Pioneer.」誌上で絶賛する[38]
  • 1905年(明治38年)、大阪の薬種問屋「大和屋」(現ハチ食品)が、初めて日本でカレー粉を製造販売。
  • 1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」を発売。
  • 1908年(明治41年)、海軍が配布した『海軍割烹術参考書』に、「カレイライス」のレシピが載る[39]海軍カレーの起こり。
  • 1910年(明治43年)、陸軍が配布した『軍隊料理法』に、「カレー、ライス」のレシピが載る[40]
  • 1924年大正13年)、東京・神田の簡易食堂「須田町食堂」(現在の聚楽)が、初めて廉価(8銭)でカレーライスをメニューに載せる。当時の大卒初任給70円、日雇労働者日当1円63銭。
  • 1926年(大正15年)、「浦上商店」(現:ハウス食品)が、カレールウ「即席ホームカレー」を発売。翌年、商品名を「即席ハウスカレー」に変更。
  • 1927年昭和2年)、東京の「新宿中村屋」「資生堂パーラー」が、高級カレーライス(80銭、50銭)をメニューに載せる。
  • 1929年(昭和4年)、大阪・梅田の「阪急百貨店」の大食堂が、廉価(25銭)でライスカレーを販売。
  • 1930年(昭和5年)、山崎峯次郎(エスビー食品の創業者)が、「ヒドリ印カレー粉」を発売。
  • 1931年(昭和6年)、「C&Bカレー事件」発生。イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル (C&B) 社のカレー粉は、品質がよいとされていたが値段が高く、偽造したC&B社の缶に中身を国産品に詰め替えたり、本物のC&B社の缶に増量材を入れた安価な偽物が出回った。これは日英間の国際問題にまで発展し、偽造グループが逮捕された。しかし国産品のカレー粉に中身を入れ替えた偽物でも、コピーの達成度が高かった為に本家C&B社の物と味に変わりが無く気がつく人が殆ど無かったことから、これを機に国産のカレー粉が一気に普及した。
  • 1932年(昭和7年)、東京・田端の山田商会が、即席カレールーを発売し製法特許を申請。
  • 1935年(昭和10年)、雲仙観光ホテルが創業と同時にカレーライスをメニューに載せる[41]
  • 1935年(昭和10年)、東京・大塚[要曖昧さ回避]足立[要曖昧さ回避]など多数の店が「(南蛮)カレー粉」を発売。当時は、きそば屋の南蛮カレーが主流であったため。
  • 1936年(昭和11年)、「東京都ソース・カレー製造業協会」を結成。
  • 1941年(昭和16年) - 1945年(昭和20年)、第二次世界大戦太平洋戦争)による食料統制のため、軍用以外のカレー粉製造・販売が禁止された。
  • 1945年(昭和20年)11月、オリエンタル (食品メーカー)が、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレーであるオリエンタル即席カレーを完成させた。
  • 1946年(昭和21年)、終戦によりカレー粉の製造・販売が再開された。
  • 1949年(昭和24年)、浦上商店がカレールウ「即席ハウスカレー」の製造を再開。
  • 1951年(昭和26年)、熾烈なカレー販売競争に敗れて、「関西カレー工業協同組合」と「中部カレー工業協同組合」が解散。
  • 1954年(昭和29年)、エスビー食品が即席カレールウ分野に進出。
  • 1955年(昭和30年)、カレーメーカーは宣伝カーを使用して主婦へカレーのレシピを教えたり、肉屋店頭における試食販売を行う事によって、一般家庭への普及に努める。
  • 1960年(昭和35年)、ハウス食品工業株式会社(旧浦上商店)がカレールウ「ハウス印度カレー」を発売。以後、インスタントカレールウの主流は固形タイプになる。江崎グリコが板チョコの生産技術を生かし、ブロックごとに割って量を加減できるワンタッチカレーを発売。同年、ラジオの民間放送に次いでテレビCM合戦が激化し、学校給食のメニューであったカレーが一般家庭で作られるようになる。その結果カレーの生産と消費が急激に増加する[20]
  • 1963年(昭和38年)、ハウス食品工業が「子供も大人も一緒に美味しく食べられるカレー」をコンセプトにした、甘口(後に、辛口と中辛も発売された)のカレールウ「バーモントカレー」を発売。
  • 1969年(昭和44年)、大塚食品、初のレトルトカレー「ボンカレー」を発売。
  • 1972年(昭和47年)、エスビー食品「ゴールデンカレー」が3種類(甘口、中辛、辛口)の辛さを表記[42]
  • 1978年(昭和53年)、「カレーハウスCoCo壱番屋」1号店オープン[43]
  • 1982年(昭和57年)、全国学校栄養士協議会が1月22日を「カレーの日」と決め、全国の小中学校で一斉に「カレー給食」を出す[44]。しかし既に献立が決まっていた学校が多く、実施率は2割に止まった[44]。当初は戦後に給食が復活した12月24日が検討されていたが土日、冬休みと被るため1か月ずらした1月24日を中心とした一週間を学校給食記念週間、22日を統一献立日にした[44]。カレーライスになったのは協議会の調査で全都道府県で一番人気で材料がどこでも入手でき、調理もしやすいためだった[44]。以後この日が、「カレーの日」とされている。
  • 1986年(昭和61年)、激辛ブームを受けて江崎グリコが激辛カレー「LEE」を発売し、「辛さ×○倍」という表記を採用[注 12]

作り方と食べ方

作り方と材料

カレーライスが家庭料理として普及しはじめた大正時代は、小麦粉とカレー粉をバター等で炒めてカレールウを作り、これを鰹だしなどで伸ばしてカレーソースを作っていた[46]。現在は湯で溶かすだけでカレーソースが作れるインスタント・カレールウ製品が普及している。カレーソースはターメリック(ウコン)に由来する「黄」が本来の色であるが、時代を下るとともに色が濃くなる傾向が指摘されている[47]。その理由として、黒くて激辛の「カシミールカレー」で有名な東京上野のカレー店デリー[注 13]や、フォン・ド・ヴォーグレイビーソースを使う「欧風」カレー店の影響が考えられる。現在は着色料としてカラメルイカ墨黒ゴマココアなどが積極的に利用されている。白色、緑色、青色を売りにするカレーも登場している。

NHKの番組が、プロが用いる隠し味トップ3として、1位オイスターソース、2位ココア、3位生クリームと伝えたことがある[48]

日本のカレーの具にはジャガイモ[注 14]ニンジンタマネギ[11]が使われている。これらが定着したのは明治時代の終わり頃である[10]。タマネギが使われ始めたのは明治20年以降であり[15]、それ以前はタマネギの代わりに長葱が使われていた[10]。野菜は具材として煮込む以外にも、素揚げやふかすなどした温野菜として添える場合もある。昭和期にはグリーンピースを飾りとして散らす事が、よく行なわれていた。

日本でカレーの具によく使われる肉は、豚肉牛肉鶏肉である[50][51][52]。NTTドコモ「みんなの声」にて投票を実施した2012年調査では『1位:豚肉、2位:牛肉、3位:鶏肉、4位:野菜のみ、5位:シーフード』[50]であり、ドゥハウスの2010年アンケートでも『豚肉42%、牛肉35%、鶏肉25%の割合順で好まれる』[51]という結果が発表されている。地域・年齢・性別による違いがあり[53]、50歳以上(とくに男性)は牛肉を好む傾向があるという[52]1960年代の高度経済成長以降、肉の塊をたっぷり入れたカレーライスも珍しくなくなっている。

これ以外にも様々な具を使用したカレーがある(バリエーション、ご当地カレーを参照)。日本ではカレーの辛味の度合いに応じて「辛口」「中辛」「甘口」などの区分があるカレールウやレトルトカレーも存在する。ただし辛味の度合いは日本国内で統一された基準は存在せず、メーカー各社の区分けになっている。

ライス

日本においては伝統的な嗜好からジャポニカ米が用いられるのが一般的である。インドや東南アジアやヨーロッパでは、粘り気がなくパラパラとした食感のインディカ米が使用される。日本では1993年米騒動の際に、タイ王国からインディカ米が緊急輸入されたものの、ジャポニカ米との風味の違いにより日本人に忌避された。やがて南国風のカレーと相性が良いことが知られるようになった。香り米の一種として知られるジャスミンライスや、サフランで香り付けしたインディカ米を使うアジア料理店も増え、日本人にも支持層が広がってきている。

付け合せ

日本のカレーにおける付け合せは、福神漬ラッキョウ漬けを使用する事が一般的である。店によっては紅しょうがピクルスレーズンナッツ、あるいはチャツネオニオンスライスアチャールなどを添えることもある。最初に福神漬を添えることを考案したのは、日本郵船のヨーロッパ航路船でコックを務めていた「タキサダ・サダイチ」とされている。また、それらの付け合せ以外に、サラダをカレーの副食として食べることも多い。飲み物は辛さを和らげる牛乳ラッシーなど、あるいはが添えられる。

派生メニュー
  • カツカレー - カツレツをトッピングしたカレーライス。ポーク、チキン、ビーフなどのバリエーションがある。
  • カレー丼 - 和風出汁にカレー粉と片栗粉を混ぜてカレー味の餡を作り、米飯に掛けた料理。似た料理にカレー南蛮(カレー蕎麦)がある。
  • ドライカレー - カレー風味の炒飯。または挽肉を使った汁気の少ないカレーソースを米飯に乗せたもの。
  • カレーピラフ - カレー風味の炊き込みご飯。インドにもプラオビリヤニと呼ばれる同種の料理がある。
  • カレーシチュー - 学校給食において出されるカレー。#学校給食節を参照。
  • あいがけカレー - 米飯にカレーとハヤシソース、あるいはカレーと牛丼の具という風に、カレーとそれ以外のソース(具や汁)を掛けたもの。あいがけ神代カレーなど。米飯を「天橋立」に見立てる場合がある(あいがけではない際には「ダム」に見立てる)。
  • 石焼きカレー - 石焼きピビンパのように、石鍋で焼いた米飯にカレーをかけたもの。
  • マーボーカレー - 麻婆豆腐とカレーを混ぜたソースを米飯に乗せたもの。レトルト食品が販売されている。
  • スープカレー - スープ状のサラサラしたカレーで、札幌市2000年代にブームになった。
  • スパイスカレー - カスリメティを大量に振りかけるなど、スパイスやハーブのざらざらした食感が特徴で、大阪市2010年代後半からブームになった。

食べ方

日本では、カレーが米飯の上部かつ横にかけられ皿に盛られた状態と、ソース・ボート(Sauce boat)またはグレイビーボート(Gravy boat)と呼ばれる金属の容器に、カレーソースが分けられた状態のどちらかで供されることが多い。後者の場合はソースボートの容器からカレーを米飯にかけて食す。容器の名称は、日本では「ソースポット」「グレイビーポット」という表記も見られる。

カレーライスを食する際、スプーンに米飯とカレーを乗せるのみで混ぜない食べ方と、あらかじめカレーと米飯を混ぜる食べ方とがある。インドスリランカなど南アジアでは、混ぜて手で掴んで食べるのが作法であり、また日本でもカレー粉を用いて作る「黄色いカレー」の時代には、ウスターソースをかけた上でよく混ぜる食べ方がスタンダードであったが、近年の日本では前者が多数派であるとされ、混ぜた上での食べ方を「汚い」と断ずることで、しばしば後者との対立が引き起こされる。生卵を割り入れたり、ソース以外にも醤油マヨネーズなどの調味料をかけて食べる向きもあり、食べ方は多岐に渡る[54][55]このため食べ方が話題になったり議論が発生したり[54]、性格判断の要素に用いられたりする[55]

黒部ダム(富山県)、八ツ場ダム(群馬県)の近くにある観光施設では、トンネル工事の従事者が飯に汁をかけることを、崩落や落盤を連想させて縁起が悪いと嫌ったことから、カレーを米飯にかけず、スプーンに乗せた米飯をカレーに浸して食べるようテーブルマナーとして要請する場合がある。

一晩寝かせたカレー

一晩寝かせたカレーはうまい、との説が巷間に広まっており、家庭において残り物のカレーを鍋ごと常温で放置する例が見られる。確かに具材の旨みがカレーソースに溶け出すことや、日本人の苦手な刺激臭が和らぐことなどの効果は認められる。

だが、その一方で常温で急速に細菌が繁殖し、特に100度以上の高温でも芽胞として生存するウェルシュ菌の増殖を促進することになる。ウェルシュ菌は最速で10分に1回増殖し、菌数は倍々で増えて行くため、調理後、常温で半日(5時間 - 12時間)以上経過すると、食中毒が発生する可能性が高くなる。さらに、インドカレーの大きな特徴である、スパイスの香りの大部分が揮発してしまうため、調理後はなるべく早く食し、残ったものも小分けして冷蔵庫で保管すべきである[56]

一晩ねかせたカレーが美味であるのは、具材、ブイヨン、スパイスのそれぞれについて理由があるとするメーカーもある[57]

カレーライスとライスカレー

ソースボートでの提供

カレーライスは、「ライスカレー」と呼ばれる事もある。2つはどう違うのか、また「カレーライス」との名称が主流となっていった理由については諸説があり定かではない。

  • 両者は元来異なるものを指すとみる説
    • 米飯とカレーソースが別々に、あるいは横長の深皿で左右に寄せて出されるハイカライメージのものがカレーライス、ご飯の上にカレーをかけた大衆的なものがライスカレー[58]
    • 和風のだしを用いたものがライスカレー、洋風のスープを用いたものがカレーライス。
    • 黄色みの強いものがライスカレー、茶色っぽいものがカレーライス。
    • とろみの強いものがライスカレー、さらっとしたものがカレーライス(逆の意見もある)。
    • 「ライスが多けりゃライスカレー、カレーが多けりゃカレーライス」(「ククレカレー」発売当時テレビで流されていたCMのコピー)。
    • 「高粘度のカレーソース」「福神漬とラッキョウが添えられている」「水の入ったコップにスプーンが入っている」「ニンジンとジャガイモは大きめ、グリーンピースが三つ」「冷えるとカレーソースに膜が張る」と「ライスカレーを定義している」(テレビドラマ『ライスカレー』)
  • 両者はもとより同じものを指すとみる説
    • コメを主食とする日本人の感覚から「ライス」を強調する意味で前に出したものである[59]

歴史的に見ると、イギリス人から「カリードライス(英語: Curried rice)」として紹介され、明治後期から大正時代にかけ新聞や雑誌では「ライスカレー」と呼ばれる事が多かった[58][59]。1872年、北海道開拓使の公文書で「タイスカリイ」(ライスカレー)という語が、樺太の医師・三田村多仲の日誌『三田村多仲日誌』1875年1月3日付けの記録で「カレーライス」という語が使われており、日本では当初から2つの言葉が使われていたことが分かっている。

戦前の軍隊の場合、陸軍において明治期編纂(明治43年制定)の『軍隊料理法』では「カレー、ライス」と、昭和期編纂の『軍隊調理法』では「ライスカレー(「備考 イ、温き御飯を皿に盛りて其の上よりかくればライスカレーとなる。」)、海軍において『海軍割烹術参考書』では「カレイライス」と称されていた。昭和期の一般市民の間では出身者が圧倒的に多い陸軍式の「ライスカレー」という名称が優勢であった。同じデパートの中で、別の食堂がライスカレーとカレーライスをメニューに載せていた例も存在した。『阪急百貨店二十五年史』によれば、1959年(昭和34年)のメニューにおいて、大食堂のライスカレーが70円、グリルではカレーライスが100円で供されている。

敗戦後の高度経済成長期を迎えると共にカレーライスという呼び名が台頭してきた。高度成長期の昭和30年代以降に家庭用の固形ルウが市販されるようになった頃から、広告宣伝やマスコミなどの影響により「カレーライス」という名称が浸透していったと推定される。時期的には1964年東京オリンピック開催の前辺りから「カレーライス」呼称が優勢になったとされる[58][59]

インスタントカレー

国民食とも言えるカレーライスは、さまざまな方式でインスタント食品化され人気を得ている。

総務省の家計調査(平成20 - 22年平均)によると、カレールウの年間消費金額は新潟市で1800円程、年間消費量は佐賀市の2100g程となっている。2004年(平成16年)度の「カレールウ」の国内出荷額は約676億円で、各社のシェアはハウス食品約61%、エスビー食品約28%、江崎グリコ約10%と推計されており(日本経済新聞社)、ほぼ大手3社による寡占市場となっている。固形タイプ以外にも、フレーク状のものや顆粒状の製品もある。
調理されたカレーをパッケージした製品で[60]、日本で広く消費される商品であり[61][62]、宇宙食としても採用されている[62]2011年東日本大震災を機に非常食としても広く認知されるようになり、2017年にはカレールウの購入額をも上回った[63]。ご当地もの、名店の監修もの、などその種類も多岐にわたる。

他にも缶詰の製品やフリーズドライ(凍結乾燥)による携帯用カレーなどが支持されている。

外食

カレーライスは外食店の定番メニューともなっている。京王電鉄沿線では 、JRにおける立ち食い蕎麦店の位置をカレーライス専門店のカレーショップC&Cが占めているほどである。チェーン店は、カレーハウスCoCo壱番屋カレーの王様など多数あり、ゴーゴーカレーなどは松井秀喜選手との関係で海外でニュースになることもある。 2013年(平成25年)には、「カレーハウスCoCo壱番屋」が「世界で最も大きいカレーレストランのチェーン店」として、ギネス世界記録に認定されている[64]

日本各地のカレーライス

ご当地カレー

みなかみダムカレー(アーチ式ダム[65]

1990年代後半頃から町おこしを目的として、日本の各地方の特産物を使用したカレーが続々と発売されており、それらは「ご当地カレー」と呼ぶ。地方のカレー店(ホテルなど)のカレーもこれに含む。

カレーは地元をアピールする為の食材を利用しやすく、地名を入れて名づけた製品が多い。インターネットの発達によりパッケージや調理例の写真が簡単に広く宣伝をする事が出来るので、このような町おこしの材料として開発されるご当地カレーは日本各地に見られる[66]昭和時代初期頃には、地元で豊富に存在した食材(北海道 - タコ福島県 - ホッキ貝熊本県 - 馬肉など)を利用したカレーが、地方によって食べられていた[3]が、新たに作り上げた名物が多い。

沖縄県

沖縄県のカレーライス

戦後27年間米軍統治下にあった沖縄県では、日本本土とは異なり戦前のレシピに基づくカレー粉から作るルーを使用した「黄色いカレー」が今も現役である[67]。調理法は作りおきではなく、注文が入ってから野菜と肉を炒め、そこにスープや和風だしを加えて少しだけ煮込み、小麦粉とカレー粉を炒って作ったルーを溶かし入れるというスタイルが多い。また定番の野菜として、たまねぎ、にんじん、じゃがいもの他にピーマンが入るのが大きな特徴である。

行事

日比谷公園にある松本楼が「10円カレーチャリティ」と銘打って、毎年9月25日にチャリティーとして10円のカレーライスを供している。1971年(昭和46年)11月19日、いわゆる「日比谷暴動闘争」で中核派の投げた火炎瓶を受け全焼したが、これを1973年(昭和48年)9月25日に再建した事に対する記念行事である。

各国のカレーライス

インド・パキスタン

イギリス領インド帝国は、第二次世界大戦後の1947年に、インドパキスタン分かれて独立した。インドには菜食主義者が多く、などの野菜を使ったカレーソースが主流である。またインドに多いヒンドゥー教では牛肉が、パキスタンに多いイスラム教徒では豚肉禁忌になっているため、鶏肉羊肉山羊肉が使用される。使用するスパイスは多岐を極め、一般家庭でも日本では入手困難なものまでを独自に配合する。

イギリス

イギリスのカリーアンドライス

日本にカレーライスを伝えたイギリスには、日本のカレーライスの原型といえる「カリーアンドライス」(curry and rice)がいまでも存在する。パブ(大衆酒場)、クラブハウス(ゴルフ場)、学生食堂などで気軽に食べられる庶民性は日本のカレーライスと共通し、冷凍食品もスーパーマーケットで売られている[68]。もともとポピュラーな家庭料理であったが、現在は家で作られることは少ない。その理由として、元植民地だったインドパキスタンバングラデシュから来た移民たちによって、本格的なインド料理を出す店が数多く生まれたことが挙げられる。

中国

「咖哩」(カーリー)もしくは「珈竰」(発音同じ)と表記される。中華料理の咖哩飯は、カレー味の中華丼と考えれば理解しやすい。中国ではホテルのレストランなどで洋風、インド風のカレーが提供されるほか、日本料理レストランや日式拉面店(日本式ラーメンの店)では日本のカレーが出される。日本風のカレーライスは一般の中国人にはあまりなじみのない料理だったが、CoCo壱番屋などの進出により徐々に広まりつつある。

香港

香港のカレーライス

イギリスの統治を長く受けていた香港では、茶餐廳と呼ばれる喫茶レストランにカレーライスを出す店が少なくない。その場合、日本のものよりもとろみが少ない、ココナッツの風味を加えた品を出す店が多く、カレーと白飯が別容器で出ることもよく見られる。また、香港ではたびたび日本食ブームが発生しており、日本式のカレーライスも広がっている。一方でインドなど南アジア系の住民が多いため、本場の味を継承する店舗も多々見られる。

台湾

台湾には日本統治時代にカレーライスが持ち込まれ、「日式咖哩飯」(リーシーカーリーファン)という名前で、今でも屋台や食堂で気軽に食べることができる。片栗粉でとろみをつけた、具の少ない日本統治時代のカレーライスに近いものである。近年はココイチが進出しており、日本のカレールーも浸透してきた。

韓国

韓国のカレーライス

大韓民国でも日本統治時代に伝えられた食べ物であるカレーライスを食べる。「カレバップ(카레밥、カレー飯)」とも呼ぶ。韓国のカレーは、汁気が多く、甘口である。カレーそのものは日本の黄色味が強い合成カレールーがベースであり、子供向けのカレーにそっくりである。平成以降の韓国国内においては、日本の大手チェーン店が出店し人気となっている[69]

米飯とカレーをよくかき混ぜて食べる。付け合せはキムチやタクァン(沢庵漬け、近年では固有語式にタンムジと呼称)であり、外食店では日本スタイルの味噌汁やかつおだしのスープが付くことも多い。日本にカレーライスの類似料理でハヤシライスがあるように、韓国にはカレバップに並ぶ料理としてチャジャンバップ(チャジャン飯)がある。レトルト食品もカレーソースとチャジャンソースの比重がほぼ同等である。

北朝鮮

北朝鮮にもカレーライスは伝わっており、韓国と同じく戦前の日本統治時代に持ち込まれた。現在では家庭料理としても定着している。平壌のデパートでは日本製のカレールウが販売されている。

ハワイ

明治初期から日本人移民の多いハワイでは、日本料理店だけでなく、大衆レストランや伝統的なハワイ料理店のメニューにもカレーライスが載っていることが多い。日本の明治・大正期的な黄色いカレーが主流であるが、近年はカレーハウスCoCo壱番屋の進出や、タイベトナムなどからの移民の増加により、さまざまなバリエーションのカレーが食べられるようになっている。

作品

楽曲

漫画

絵本

小説

テレビドラマ

映画

舞台

ゲーム

脚注

注釈

  1. ^ 一般的に「今夜はカレー!」など。ご当地カレーも単にカレー。
  2. ^ 傍系の「せんば自由軒」は「インデアンカレー」と呼んでいるが、「自由軒」側は同店を「無関係」として扱っている[23]
  3. ^ 原因として「当時はご飯を保温できる機械がなく、お客様に熱々のカレーをお出しすることができませんでした」との説明があった。
  4. ^ インド独立運動家として知られていたラース・ビハーリー・ボースがレシピを考案したもので、当時「恋と革命の味」と宣伝された。
  5. ^ 海軍割烹術参考書』の該当箇所が、ランチョンマットの左半分に印刷されているのが見て取れる。
  6. ^ 「初メ米ヲ洗ヒ置キ牛肉(鶏肉)玉葱、人参、馬鈴薯ヲ四角ニ恰モ賽ノ目ノ如ク細ク切リ別ニ「フライパン」ニ「ヘッド」ヲ布キ麥粉ヲ入レ狐色位ニ煎リ「カレイ粉」ヲ入レ「スープ」ニテ薄トロノ如ク溶シ之レニ前ニ切リ置キシ肉野菜ヲ少シク煎リテ入レ(馬鈴薯ハ人参玉葱ノ殆ンド煮エタルヲ入ル可シ)弱火ニ掛け煮込ミ置キ先ノ米ヲ「スープ」ニテ炊キ之ヲ皿ニ盛リ前ノ煮込ミシモノニ塩ニテ味ヲ付ケ飯ニ掛ケテ供卓ス此時漬物類即チ「チャツネ」ヲ付ケテ出スモノトス」。
  7. ^ p117「其の九 カレー、ライス(カレー汁掛飯) 鍋に少量のヘットまたはラードを入れ、その中にできるだけ細かに刻みたるタマネギとカレー粉とを適宜に入れてよく焚き、これにメリケン粉と賽の目形に切りたる肉とを混ぜ、湯をつぎ塩を加え、またわずかの酢を入れ、1時間ほど煮るなり。これを飯に注けて用いるなり。飯はなるべく硬めに炊くを可とす。(注意)カレーの中に金物を長く浸け置くときは毒あり。またこの料理は毎日用いるはよろしからず。1週間に1,2度を適度とす」。原文縦書き。平仮名、新字体等に変更、句読点を補った。原文は下記出典を参照。
  8. ^ カレーのスープに豚骨や鶏ガラ・各種野菜等をベースにした出汁を使用し、駐屯地栄養士による材料や調理法の指定以外に実際に調理を行う糧食班の責任者によるアレンジがあり、その調理法や味の決め手はそれぞれ担当者により異なる。同じ材料であるはずが調理責任者が替わることで味が大きく変化する場合も存在している。
  9. ^ 主に地域の特性を生かした材料等を活用しており、その代表としては旭川第2師団の「北鎮(大雪)カレー」等が存在する。
  10. ^ 旭川駐屯地の北鎮カレーは通常金曜日に提供されているが、防衛省の高官等が来隊する際に来隊日に合わせて提供される事もある他に、地元関係者が来隊する際にも振る舞われることがある。関係者以外でも味わえるようベル食品によるレトルトカレーとして再現され、旭川駐屯地内厚生センターや北鎮記念館などで購入することができる他に、ベル食品のサイトでも購入できる
  11. ^ カレーシチューは、シチューを食したいイギリス人の船乗りが、航海中に長持ちしない牛乳のかわりに日持ちのする香辛料(カレーパウダー)を使って、シチューと同様の食材で作った料理が由来とされる[1][30][31]
  12. ^ 「辛さ○倍」という表現は1974年東京に創業したインドカレー専門店「ボルツ」とされる[45]
  13. ^ 小野員裕はその黒さについて「神秘的に見せるためのパフォーマンスかな」と述べている(『最後の贅沢 週末はカレー日和』講談社α文庫、p147-158)。
  14. ^ 一部では、ジャガイモ入りのカレーライスに抵抗感を持つ者や否定派も存在する[49]

出典

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参考文献

関連項目

外部リンク