オールパシフィック王座

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オールパシフィック王座
詳細
管理団体 全日本女子プロレス
創立 1977年
廃止 2005年4月17日
別名 ハワイアンパシフィック王座
統計
最多保持者 みなみ鈴香
井上京子
前川久美子
(3回)
初代王者 池下ユミ

オールパシフィック王座は、全日本女子プロレスが管理、WWWAが認定していた王座。

歴史[編集]

1977年全日本女子プロレスが初の海外遠征でハワイに行った記念でハワイアンパシフィック王座を創設。9月1日、全日本女子ニール・ブレイズデル・センター大会で行われた初代王座決定戦に勝利した池下ユミが初代王者になった。12月、ロサンゼルスで行われたWWWAの総会で全日本女子の企画広報部長である小川宏の提案で王座名をオールパシフィック王座に変更。

ベルト部分の色から「白いベルト」と呼ばれている。

WWWA世界シングル王座につぐ格を持つ王座と位置づけられてオールパシフィック王座を足がかりにWWWA世界シングル王座を獲得した選手も数多かった。

2005年4月17日、全日本女子の解散により封印。

歴代王者[編集]

歴代 選手 戴冠回数 獲得日付 獲得場所
(対戦相手・その他)
初代 池下ユミ 1 1977年9月1日 ハワイ州ホノルル
ジェーン・オブライエン
1978年に負傷のため返上
第2代 チャベラ・ロメロ 1 1978年5月20日 大宮スケートセンター
マキ上田
第3代 マキ上田 1 1978年8月9日 日本武道館
1979年2月27日に引退のため返上
第4代 トミー青山 1 1979年9月27日 大阪府立体育館
レイラニ・カイ
1979年に負傷のため返上
第5代 池下ユミ 2 1980年2月21日 愛知県体育館
ルーシー加山
第6代 ミミ萩原 1 1981年2月25日 横浜文化体育館
1981年8月29日にWWWA世界タッグ王座に専念するため返上
第7代 ジャンボ堀 1 1982年1月12日 千葉公園体育館
ワイルド香月
1982年6月15日にWWWA世界タッグ王座に専念するため返上
第8代 ジュディ・マーチン 1 1982年10月5日 大阪府立体育館
大森ゆかり
第9代 ミミ萩原 2 1982年11月4日 姫路厚生会館
1983年11月26日に引退のため返上
第10代 デビル雅美 1 1984年4月1日 後楽園ホール
ジュディ・マーチン
1985年12月12日にWWWA世界シングル王座を獲得したため返上
第11代 長与千種 1 1986年4月15日 両国国技館
ダンプ松本
第12代 レイラニ・カイ 1 1986年8月25日 後楽園ホール
第13代 長与千種 2 1987年4月27日 大阪府立体育会館
1989年5月6日に引退のため返上
第14代 ブル中野 1 1989年6月18日 後楽園ホール
西脇充子
第15代 立野記代 1 1989年11月13日 足利市民体育館
第16代 アジャコング 1 1990年4月30日 一宮GSSセンター
第17代 みなみ鈴香 1 1990年6月17日 後楽園ホール
1990年6月17日に反則勝ちを理由に返上
第18代 豊田真奈美 1 1990年10月7日 後楽園ホール
バイソン木村
第19代 みなみ鈴香 2 1991年3月17日 後楽園ホール
第20代 北斗晶 1 1991年4月29日 大田区体育館
第21代 みなみ鈴香 3 1991年10月4日 後楽園ホール
第22代 バイソン木村 1 1991年10月26日 富山市体育館
第23代 井上京子 1 1992年6月5日 旭川市総合体育館
第24代 北斗晶 2 1992年11月26日 川崎市体育館
1993年8月に負傷のため返上
第25代 山田敏代 1 1993年11月28日 大阪城ホール
豊田真奈美
第26代 井上京子 2 1994年3月27日 横浜アリーナ
第27代 豊田真奈美 2 1994年8月24日 日本武道館
第28代 山田敏代 2 1995年3月26日 横浜アリーナ
第29代 堀田祐美子 1 1995年9月24日 川崎市体育館
1996年5月にWWWA世界シングル王座と総合格闘技戦に専念するため返上
第30代 レジー・ベネット 1 1996年6月22日 札幌中島体育センター
伊藤薫
第31代 井上貴子 1 1996年11月21日 ワールド記念ホール
第32代 井上京子 3 1997年1月20日 大田区体育館
1997年5月11日の伊藤薫戦が引き分けだったことを理由に返上
第33代 井上貴子 2 1997年6月18日 札幌中島体育センター
山田敏代
第34代 ZAP-T 1 1998年4月21日 後楽園ホール
第35代 前川久美子 1 1998年5月5日 後楽園ホール
第36代 紅夜叉 1 1998年11月29日 後楽園ホール
第37代 前川久美子 2 1999年2月26日 後楽園ホール
第38代 日向あずみ 1 2000年2月11日 後楽園ホール
第39代 渡辺智子 1 2000年7月15日 フジテレビ屋上庭園
第40代 前川久美子 3 2001年9月16日 大田区体育館
2001年10月24日の中西百重戦後に返上
第41代 中西百重 1 2002年2月24日 横浜文化体育館
2002年9月8日にWWWA世界シングル王座に専念するため返上
第42代 noki-A 1 2002年10月20日 川崎市体育館
第43代 納見佳容 1 2002年12月22日 川崎市体育館
第44代 西尾美香 1 2004年7月18日 後楽園ホール
第45代 Hikaru 1 2004年11月7日 後楽園ホール
第46代 ライオネス飛鳥 1 2005年2月20日 児玉町民体育館
2005年2月20日にHikaruの負傷による勝利を理由に返上
2005年4月17日封印

エピソード[編集]

1981年2月25日、チャンピオンベルトが紛失したため、タイトルマッチは全日本ジュニア王座のチャンピオンベルトを代用していた。その後、新調されたチャンピオンベルトは「勝利の女神」をモチーフにして、ベルトのウエストサイズは王者のミミ萩原に合わせて作られた。これは萩原が「オールパシフィックは私の恋人」と発言して、自身のイメージカラーである白になる等、彼女を象徴しているチャンピオンベルトとなっていたからである。