オーランド・マジック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。エリクセン (会話 | 投稿記録) による 2016年4月3日 (日) 23:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎年代別主要選手)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

オーランド・マジック
Orlando Magic
チームロゴ 青の大文字でORLANDO MAGICと描かれたロゴ。
所属リーグ  NBA アメリカ合衆国の旗カナダの旗
カンファレンス  イースタン・カンファレンス 
ディビジョン  サウスイースト 
創設 1989年
チーム史 オーランド・マジック
(1989年 - )
本拠
オーランド・マジックの位置(アメリカ合衆国内)
オーランド・マジック

フロリダ州の旗 フロリダ州オーランド
アリーナ アムウェイ・センター
チームカラー 青、白、銀、黒
オーナー リッチ・デヴォス
社長 アレックス・マルティンス
GM ロブ・ヘニガン
ヘッドコーチ スコット・スカイルズ
優勝歴 0回
ファイナル進出 2回(1995年, 2009年)
ディビジョン優勝 4回(1995年,1996年,2009年,2010年)
永久欠番  6 
NBAGL提携チーム エリー・ベイホークス
Homeのジャージ
チームカラー
Home
Awayのジャージ
チームカラー
Away
3rdエディションのジャージ
チームカラー
3rdエディション
テンプレートを表示

オーランド・マジックOrlando Magic)は、アメリカ合衆国フロリダ州オーランドに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョン所属。チーム名の「マジック」は、オーランドに本拠を置くテーマパークディズニーワールドのキャッチコピー「魔法の世界へようこそ」に因んでいる。

歴史

初期

NBAの好調な業績に後押しされ、1980年代末に二つの新興チームが設立された。1989年創設のオーランド・マジックはその一つだった。

1989-90シーズン(最初のシーズン)、スコット・スカイルズ、ドラフト全体11番目に指名したニック・アンダーソンなどがプレイ、11月4日、ニュージャージー・ネッツとの試合がチーム最初の試合で、その2日後のニューヨーク・ニックス戦で初勝利をあげて、最終的に18勝64敗に終わった。

1990-91シーズンドラフト全体4番目で指名したシューターデニス・スコットが加入、31勝51敗だった。

1991-92シーズン、この年はけが人も多く、17連敗を記録するなど、21勝61敗とファンを失望させた。

シャックの時代

シャキール・オニール

苦境にある新興チームの光明となったのが、1992年のドラフト全体1位で獲得したシャキール・オニールだった。オニールは1年目から23.4得点13.9リバウンドと大物ぶりを発揮し、オールスターの先発、そして新人王を受賞した。この1992-93シーズンのチーム成績は41勝41敗だったが、勝敗で並んでいたインディアナ・ペイサーズがイースタン8位となり惜しくもプレイオフ進出を逃した。プレイオフに進出できなかったチームの中で最も勝率が良かったものの1993年のドラフトでは2年連続で全体1位指名権を獲得するという幸運に恵まれ、指名したクリス・ウェバーをただちにゴールデンステート・ウォリアーズの指名を受けたアンファニー・ハーダウェイとトレードした。オニールとハーダウェイのコンビは若いチームマジックをリーグの強豪へと成長させていった。

1993-94シーズンからブライアン・ヒル監督に率いられたマジックは50勝32敗の好成績でレギュラーシーズンを終え、第4シードで初のプレイオフに進出したが1回戦でインディアナ・ペイサーズに3連敗で敗れた。

ブライアン・ヒルHC

1994-95シーズンはシカゴ・ブルズからリバウンドの取れるホーレス・グラントをフリーエージェントで獲得してベストの布陣を築き上げ、57勝25敗でイースタン1位でシーズンを終えた。プレイオフでは、セルティックスマイケル・ジョーダンが復帰したばかりのブルズ、そしてペイサーズを破り、チーム設立5年目でNBAファイナルに進出した。ヒューストン・ロケッツとのファイナルはアキーム・オラジュワンとオニールのセンター対決に加え、お互いにいいシューターが揃っていた点で「3ポイントシュートの雨あられが降るだろう。」と言われた。レギュラーシーズンをウェスタン6位と苦しみながら2年連続ファイナルに進出したヒューストン・ロケッツと比べて、若さや勢い、チーム戦力などから、下馬評ではオーランド・マジック優位との声が強かった。しかし、戦いが始まってみると経験豊富なヒューストン・ロケッツの前にリードしては逆転されるという試合展開が続き、大方の予想とは異なり4連敗で敗れ去った。シリーズ第2戦では、後にオニールと共にロサンゼルス・レイカーズでNBAファイナル優勝を果たしたロバート・オーリーにファイナル新記録の7スティールを喫した。

1995-96シーズン、マジックは60勝22敗の成績で第2シードとなり、プレイオフではデトロイト・ピストンズアトランタ・ホークスを破ったが、シーズン72勝10敗という記録を作った最強のシカゴ・ブルズに4連敗で敗れ、前年の雪辱を果たされた。シーズン終了後、オニールは「ブライアン・ヒルのもとでは優勝できない」という言葉を吐き、ロサンゼルス・レイカーズに移った。

シャック退団後

1996-97シーズン、マジックはハーダウェイやダレル・アームストロング、新しくフリーエージェントで加入したロニー・サイカリーを軸に戦って45勝37敗の成績を残した。このシーズンの開幕2連戦で、オーランド・マジックは日本を訪れ、ニュージャージー・ネッツと対戦した。プレイオフではマイアミ・ヒートと1回戦で対戦、最初の2ゲームで連敗したが、第5戦までもつれこませることができた。

1997-98シーズン、マジックは監督にチャック・デイリー、フロントにはジュリアス・アービングを迎え、新たな体制を整えた。しかしハーダウェイの怪我もあり、ニック・アンダーソン、新しく加入したボー・アウトローを中心に戦ったが41勝41敗と苦戦してプレイオフには進出できずに終わった。シーズン途中にサイカリーをニュージャージー・ネッツにトレードして複数の選手や将来のドラフト指名権と交換した。

1998-99シーズンはハーダウェイが故障から復帰、ドミニク・ウィルキンスジェラルド・ウィルキンス兄弟の獲得などをして33勝17敗でイースタン1位タイ(この年はロックアウトのためシーズン短縮)と躍進したがプレイオフでは1回戦でアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズに敗退した。シーズン終了後、ハーダウェイはフェニックス・サンズダニー・マニング(マジックではプレイしなかった)、パット・ギャリティなどとトレードされ、アンダーソン、ホーレス・グラントもトレードでチームを去った。

1999-2000シーズン、スター選手がいない中で、アームストロング、アウトロー、そして若き日のベン・ウォレスの活躍で41勝41敗と踏みとどまり、新ヘッドコーチのドック・リバースはコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞した。2000年のオフシーズン、前シーズンに節約した選手年俸ティム・ダンカントレーシー・マグレディグラント・ヒルといった大物選手の獲得を狙った。ダンカンはスパーズに残留したが、マグレディとグラント・ヒルを獲得した。

2000-01シーズン、マグレディがこの年開花してトップスコアラーの仲間入りをした。またドラフトで獲得したマイク・ミラーは新人王を受賞した。しかしグラント・ヒルは怪我で4試合しか出られずに43勝39敗と平凡に終わった。

2001-02シーズンパトリック・ユーイング、ホーレス・グラントを獲得したが、グラント・ヒルは故障がちで、マグレディ、アームストロング、マイク・ミラー中心の戦いを強いられ44勝38敗、プレイオフではバロン・デイビス率いるシャーロット・ホーネッツ)に1勝3敗で敗れた。

2002-03シーズンショーン・ケンプを獲得したが浮上のきっかけを掴めず、マイク・ミラーメンフィス・グリズリーズに放出され42勝40敗、プレイオフではデトロイト・ピストンズを後一歩のところまで追い詰めた処で、マグレディの挑発で怒られたピストンズ全員は3連勝で逆転され、屈辱な敗北を喫した。2003-04シーズンも、マグレディは得点王を獲得するため無理やり得点を上げたせいで、マジックはさらに苦しみ19連敗を含む21勝61敗の結果に終った。

ドワイト・ハワードの時代

ドワイト・ハワード

2004年のオフシーズン、チームは大胆な再建に取りかかり、マグレディはスティーブ・フランシスらとトレードでヒューストン・ロケッツに放出され、フリーエージェントでヒド・ターコルーを獲得した。ドラフトでは1993年以来の全体1位指名権を獲得し、ドワイト・ハワードジャミーア・ネルソンを指名、時間を掛けて育成する方針を採ることになった。

2004-05シーズンは、健康になったグラント・ヒルがオールスターに出場する活躍を見せたものの、36勝46敗と負け越した。

2005-06シーズンは、ブライアン・ヒルがヘッドコーチに復帰、再びグラント・ヒルが故障したこともあり、序盤は大きく低迷した。チームはフランシスをニューヨーク・ニックスへ放出し、デトロイト・ピストンズよりカルロス・アロヨダーコ・ミリチッチを加えた。オールスター後、チームは快進撃を続け、前年と同じ36勝46敗まで持ち直しシーズンを終えた。

2006-07シーズン、前シーズン後半の勢いを続けイースタン首位を快走している。最終的になんとかプレーオフに進出するが、4年連続カンファレンスファイナル進出中のデトロイト・ピストンズを止めることができず4連敗し、ブライアン・ヒルは解任された。

スタン・ヴァン・ガンディHC
ハワードとジャミーア・ネルソン

2007-2008シーズン前、マジックは大きな動きを見せた。スタン・ヴァン・ガンディをヘッドコーチに招聘し、長年チームに在籍したグラント・ヒルはフェニックス・サンズに移籍、シアトル・スーパーソニックスからラシャード・ルイスを獲得した。前年29位という得点力の低さを改善する為で、この動きはとても注目された。そして迎えた開幕戦、ミルウォーキー・バックスに19点差をつけ快勝。その後同じく大型トレードで成功を収めていたボストン・セルティックスに初めて勝利し、8連勝を止めてみせた。特に大黒柱のドワイト・ハワードの活躍は目覚しく史上最年少でリバウンド王に輝き、またヒド・ターコルーMIPを受賞、チームはシャック&ハーダウェイ時代以来の好成績となる52勝30敗でレギュラーシーズンを終えた。プレーオフでは1回戦でトロント・ラプターズを降し、カンファレンス準決勝まで進出するが、ピストンズの前に2年連続で敗退した。

2008-2009シーズン、チームはNBAファイナルに進出したがロサンゼルス・レイカーズに1勝4敗で敗れた。シーズン後、主力のターコルーがチームを離れ、ニュージャージー・ネッツからビンス・カーターを獲得した。

2009-2010シーズンのプレイオフでは1回戦、2回戦を無傷の8連勝で勝ち上がったがカンファレンスファイナルでボストン・セルティックスに2勝4敗で敗れシーズンを終えた。

2010-2011シーズン12月、主力メンバーでルイスをワシントン・ウィザーズへ、カーター、マルチン・ゴルタットミカエル・ピートラスフェニックス・サンズへ放出した。代わりにウィザーズからギルバート・アリーナスを、サンズからジェイソン・リチャードソン、ターコルー、アール・クラークを獲得するビッグトレードを行ったが、このトレードが失敗となり、プレーオフには第4シードで進出したが、ファーストラウンドで昨年スイープしたアトランタ・ホークスに2勝4敗で敗れる結果となってしまった。

2011-2012シーズンは、ロックアウトで開幕が遅れ、チームはドワイト・ハワードの契約問題に振り回された。そのハワードは契約を1年延ばしトレード期限後もチームに残留したが、腰の故障に悩まされシーズン終盤とプレーオフを欠場。大黒柱を失ったチームが勝てるわけがなく、第6シードとなったチームは、ファーストラウンドでインディアナ・ペイサーズに1勝4敗で敗れシーズンを終えた。

ハワード移籍後

シーズン終了後、ハワードはロサンゼルス・レイカーズフィラデルフィア・セブンティシクサーズデンバー・ナゲッツの4チーム12人が絡むトレードでレイカーズに放出され、アーロン・アフラロアル・ハリントンらを獲得。チームは再建期に突入した。

ジャック・ヴォーンHC

2012-2013シーズンは、スタン・ヴァン・ガンディヘッドコーチ、オーティス・スミスGMが解任され、ロブ・ヘニガン新GMのもと、ハワードをロサンゼルス・レイカーズに放出後、新ヘッドコーチに、サンアントニオ・スパーズからジャック・ヴォーンを迎え、騒動を一先ず収束させた。ネルソンとターコルー、J・J・レディックグレン・デイビスの残留するところへ、中堅のアフラロ、ハリントン、ジョシュ・マクロバーツを補強し開幕を迎えた。シーズン後半に故障者が続出し最終的に、20勝しか挙げられずディビジョン最下位にまで沈んで、プレーオフ進出は逃したものの、ニコラ・ブーチェビッチらの成長は見られた。

チーム再構築

2013-2014シーズンは、前年の戦績から、ドラフト2位指名権が得られ、名門インディアナ大学出身のビクター・オラディポを指名した。PG、SGの両方をこなすことができるオラディポは、新人王こそマイケル・カーター=ウィリアムスに譲ったものの、44試合に先発出場し、トリプルダブルも記録するなど、ルーキーイヤーとしては十分な活躍を見せた。しかしながら、戦績は23勝と振るわずディビジョン最下位が続いた。

2014-2015シーズンは、ネルソンとアフラロの放出、チャニング・フライベン・ゴードンルーク・リドナーウィリー・グリーンらのベテラン勢の補強と、ドラフト4位指名で、アーロン・ゴードンを獲得し、これまでのチームカラーが薄まる形で開幕に臨んだが、チーム状況は好転せず、2015年2月5日にジャック・ヴォーンヘッドコーチは解任された。その後も調子は上がらず、25勝止まりで3年連続で30勝に届かなかった。そして5月29日に、マジックOBでもあるスコット・スカイルズのヘッドコーチ就任が発表された。

シーズンごとの成績

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
オーランド・マジック
1989-90 18 64 .220
1990-91 31 51 .378
1991-92 21 61 .463
1992-93 41 41 .500
1993-94 50 32 .610 1回戦敗退 ペイサーズ 3, マジック 0
1994-95 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
マジック 3, セルティックス 1
マジック 4, ブルズ 2
マジック 4, ペイサーズ 3
ロケッツ 4, マジック 0
1995-96 60 22 .732 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
マジック 3, ピストンズ 0
マジック 4, ホークス 1
ブルズ 4, マジック 0
1996-97 45 37 .549 1回戦敗退 ヒート 3, マジック 2
1997-98 41 41 .500
1998-99 33 17 .660 1回戦敗退 シクサーズ 3, マジック 1
1999-2000 41 41 .500
2000-01 43 39 .524 1回戦敗退 バックス 3, マジック 1
2001-02 44 38 .537 1回戦敗退 ホーネッツ 3, マジック 1
2002-03 42 40 .512 1回戦敗退 ピストンズ 4, マジック 3
2003-04 21 61 .256
2004-05 36 46 .439
2005-06 36 46 .439
2006-07 40 42 .488 1回戦敗退 ピストンズ 4, マジック 0
2007-08 52 30 .634 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
マジック 4, ラプターズ 1
ピストンズ 4, マジック 1
2008-09 59 23 .720 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
マジック 4, シクサーズ 2
マジック 4, セルティックス 3
マジック 4, キャブス 2
レイカーズ 4, マジック 1
2009-10 59 23 .720 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
マジック 4, ボブキャッツ 0
マジック 4, ホークス 0
セルティックス 4, マジック 2
2010-11 52 30 .634 1回戦敗退 ホークス 4, マジック 2
2011-12 37 29 .561 1回戦敗退 ペイサーズ 4, マジック 1
2012-13 20 62 .244
2013-14 23 59 .280
2014–15 25 57 .305
通算勝敗 1,027 1,057 .493
プレイオフ 57 66 .463

主な選手

現役選手

オーランド・マジック ロースター
プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
G 50 コール・アンソニー (Cole Anthony) アメリカ合衆国 23 (2000/05/15) 6 ft 3 in (1.91 m) 190 lb (86 kg) ノースカロライナ大学 
F 5 パオロ・バンケロ (Paolo Banchero) アメリカ合衆国 21 (2002/11/12) 6 ft 10 in (2.08 m) 250 lb (113 kg) デューク大学 
C 35 ゴガ・ビターゼ (Goga Bitadze) ジョージア (国) 24 (1999/07/20) 6 ft 11 in (2.11 m) 250 lb (113 kg) ジョージア 
G 0 アンソニー・ブラック (Anthony Black) アメリカ合衆国 20 (2004/01/20) 6 ft 7 in (2.01 m) 220 lb (100 kg) アーカンソー大学 
C 34 ウェンデル・カーター・ジュニア (Wendell Carter Jr.) アメリカ合衆国 25 (1999/04/16) 6 ft 10 in (2.08 m) 255 lb (116 kg) デューク大学 
G 20 マーケル・フルツ (Markelle Fultz) アメリカ合衆国 25 (1998/05/29) 6 ft 3 in (1.91 m) 195 lb (88 kg) ワシントン大学 
G 14 ゲイリー・ハリス (Gary Harris) アメリカ合衆国 29 (1994/09/14) 6 ft 4 in (1.93 m) 210 lb (95 kg) ミシガン州立大学 
G 8 ケボン・ハリス (Kevon Harris)  アメリカ合衆国 26 (1997/06/24) 6 ft 6 in (1.98 m) 216 lb (98 kg) スティーブン・F・オースティン州立大学 
G/F 2 ケイレブ・ヒュースタン (Caleb Houstan) カナダ 21 (2003/01/09) 6 ft 8 in (2.03 m) 205 lb (93 kg) ミシガン大学 
F 13 ジェット・ハワード (Jett Howard) アメリカ合衆国 20 (2003/09/14) 6 ft 8 in (2.03 m) 215 lb (98 kg) ミシガン大学 
F 7 ジョー・イングルス (Joe Ingles) オーストラリア 36 (1987/10/02) 6 ft 9 in (2.06 m) 220 lb (100 kg) イスラエル 
F 1 ジョナサン・アイザック (Jonathan Isaac) アメリカ合衆国 26 (1997/10/03) 6 ft 11 in (2.11 m) 210 lb (95 kg) フロリダ州立大学 
F 3 チュマ・オキキ (Chuma Okeke) アメリカ合衆国 25 (1998/08/18) 6 ft 8 in (2.03 m) 229 lb (104 kg) オーバーン大学 
F 25 アドミラル・スコフィールド (Admiral Schofield)  イギリス 27 (1997/03/30) 6 ft 5 in (1.96 m) 241 lb (109 kg) テネシー大学 
G 4 ジェイレン・サッグス (Jalen Suggs) アメリカ合衆国 22 (2001/06/03) 6 ft 4 in (1.93 m) 205 lb (93 kg) ゴンザガ大学 
G 12 トレベリン・クイーン (Trevelin Queen)  アメリカ合衆国 27 (1997/02/25) 6 ft 5 in (1.96 m) 190 lb (86 kg) ニューメキシコ州立大学 
F 22 フランツ・バグナー (Franz Wagner) ドイツ 22 (2001/08/27) 6 ft 9 in (2.06 m) 220 lb (100 kg) ミシガン大学 
F/C 21 モリツ・バグナー (Moritz Wagner) ドイツ 26 (1997/04/26) 6 ft 11 in (2.11 m) 245 lb (111 kg) ミシガン大学 

記号説明


外部リンク


更新日:2016年04月3日


年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人

栄誉

コーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

チーム記録

脚註

外部リンク