ジャック・オトテール

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ジャック・オトテール
Jacques-Martin Hotteterre
基本情報
生誕 1674年9月29日
フランス王国パリ
死没 (1763-07-16) 1763年7月16日(88歳没)
フランス王国、パリ
職業 作曲家フルート奏者
担当楽器 フルート
活動期間 盛期バロック音楽

ジャック=マルタン・オトテール(Jacques-Martin Hotteterre, 1674年9月29日 - 1763年7月16日)は、フランス盛期バロック音楽作曲家フルート奏者。パリ管楽器職人の家庭に生まれ、パリに没した生粋のパリジャンである。名前は単にジャック・オトテール(Jacques Hotteterre)とも呼ばれ、またローマ留学をしたことから、オトテール・ル・ロマン(Hotteterre Le Romain)という愛称でも知られている。1705年に宮廷楽団「グランデキュリー」(Grande Écurie)の一員となった。

オトテールの名声は、ほとんどフルート演奏の能力によっており、この楽器のためにオトテールが作曲したたくさんの楽曲は、レパートリーをかなり押し広げた。オトテールはファゴットミュゼットの演奏も得意とした。

オトテールは、フラウト・トラヴェルソの設計に数々の変更を付け加えた。最も重要なのは、フルートを3つの部分に分け、頭部(マウスピース付き)、胴体(ほとんどの音孔つき)、脚部(いくつかの音孔あり)としたことである。このような分割は、現代式フルートにも受け継がれている。

オトテールはバロック・オーボエの改造にも寄与し、ジャン=バティスト・リュリヘンリー・パーセルの管絃楽曲でオーボエが活用されるきっかけを作った。

生涯[編集]

オトテールは、マルタン・オトテール(1712年死去)とマリー・クレスピーの息子としてパリで生まれた[1]。1704年頃、ジャック=マルタン・オトテールは従兄弟のジャックの後任として宮廷の「basse de hautbois et taille de violon」の職に就いた[2]

脚注[編集]

  1. ^ Giannini 1993,[要説明] 377–78.
  2. ^ Giannini 1993,[要説明] 379

外部リンク[編集]