オウサナー

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オウサナービルマ語: ဥဇနာ1219年 - 1256年、在位:1249年 - 1256年[1][2])は、パガン王朝の第10代の国王。日本語ではウザナとも表記される。史料にはシュリー・トリバワナ・アディトヤ・ダンマ・ラージャ・ダーナパティ(神聖、三界、太陽、法王、勝利者)の別名でも書かれる[3]

略歴

オウサナーの出自については、先代の王チャゾワーの子[4]、あるいはチャゾワーの甥[3]と考えられている。

ビルマ語王統史では、冗談と酒を好み、象狩りを趣味とする快活な人物として書かれる[4]。1255年(あるいは1256年)に南方のダラ(現在のヤンゴン近郊の都市)で没したため、ダラ・ピャン・ミャン(ダラで没した王)とも呼ばれる。彼の死因について、王統史には狩りで捕らえた象に踏み殺されたと書かれるが[4]、暗殺[3]、あるいはダラで起きた反乱の鎮圧中に戦死した[5]と考える研究者も存在する。

宗室

  • タンブーラ:1255年にタンブーラ寺院を建立した[6]

脚注

  1. ^ 17世紀の王統史『出生票集王統史』に準拠。(大野『謎の仏教王国パガン』、56頁)
  2. ^ 大野徹は碑文の記録より、在位年を1249年 - 1256年としている。(大野『謎の仏教王国パガン』、179頁)
  3. ^ a b c 大野『謎の仏教王国パガン』、179頁
  4. ^ a b c G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』、92頁
  5. ^ 伊東「イラワジ川の世界」『東南アジア史 1 大陸部』、132頁
  6. ^ 大野『謎の仏教王国パガン』、93頁

参考文献