エル・アル航空426便ハイジャック事件

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エル・アル航空426便ハイジャック事件は、1968年7月23日に発生したハイジャック事件である。

イスラエルに対する航空機ハイジャック事件の先駆けであり、エル・アル航空のハイジャックでは唯一の成功例でもあった。

経緯

1968年7月23日、ロンドンヒースロー空港発ローマフィウミチーノ空港経由イスラエルテルアビブ・ロッド空港(現在のベン・グリオン国際空港)行きのイスラエル国営・エル・アル航空426便(ボーイング707、乗客51人、乗員10人)が、ローマを離陸した直後に、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のテロリスト3人にハイジャックされた。

犯人グループは進路を変えさせ、アルジェリアアルジェにあるダル・アル・バヤダ空港(現在のウアリ・ブーメディアン空港)に機体を着陸させた。事件は第三次中東戦争の翌年の事件であり、アルジェリアはイスラエルに宣戦布告していた。

アルジェリア当局は犯行グループを保護しただけでなく、イスラエル国営のエル・アル航空がイスラエル空軍の貨物輸送も担当していたことから、エル・アル航空を準軍事組織と認定、機体とイスラエル人乗客・乗務員22人はアルジェで人質にされた。40日に及ぶアルジェリア政府との交渉でやっとイスラエルは、機体の返還・イスラエル人の釈放を実現した。

このハイジャックの成功例は、パレスチナ人テロリストによるハイジャックの引き金であり、以降、対イスラエルのハイジャックが連鎖することになる。