エイドリアン・ゴンザレス

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エイドリアン・ゴンザレス
Adrian Gonzalez
ロサンゼルス・ドジャース #23
2013年4月21日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
メキシコの旗 メキシコ
二重国籍[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンディエゴ
生年月日 (1982-05-08) 1982年5月8日(41歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 2000年 MLBドラフト1巡目(全体1位)でフロリダ・マーリンズから指名
初出場 2004年4月18日 マリナーズ
年俸 $21,857,142(2013年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム メキシコの旗 メキシコ
WBC 2006年2009年2013年

エイドリアン・ゴンザレスAdrian Gonzalez , 1982年5月8日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身のプロ野球選手一塁手)。左投左打。現在は、MLBロサンゼルス・ドジャースに在籍している。

両親はともにメキシコ人であり、ゴンザレス自身はアメリカ合衆国とメキシコの二重国籍保持者である[1]。国際大会のワールド・ベースボール・クラシックには3大会連続でメキシコ代表として出場している。兄はエドガー[3]氏で、2008年からの2年間はサンディエゴ・パドレスでともにプレー、NPB読売ジャイアンツOB兼駐米スカウト。

MLBを代表する一塁手、中距離打者。

経歴

アマチュア時代

アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴで1982年、メキシコ人の両親の間に生まれる。父はエアコン会社を経営する実業家で、若い時にはメキシコのナショナルチームで一塁手として活躍した人物でもあった[4]。父の仕事の関係で、2歳のときに一家で国境を越えてメキシコ合衆国バハ・カリフォルニア州ティフアナに移住[4][5]。4 - 5歳になったころ、父や2人の兄の影響から野球を始める[6]。10年ほどのメキシコ暮らしの後に一家はサンディエゴに戻り、ゴンザレスはEastlake High School に進学する。

2000年初め、ベースボール・アメリカ誌の高校生有望株ランキングでゴンザレスは100人中26位にランクインされ、その後打率.645・13本塁打・34打点を記録したことで注目されるようになる[7]。同年のドラフトでは、1巡目全体1位でフロリダ・マーリンズがゴンザレスを指名。過去に高校生野手で全体1位指名を受けた選手には、ケン・グリフィー・ジュニアチッパー・ジョーンズアレックス・ロドリゲスなど後のMVP受賞経験者が並んでおり、当時からゴンザレスがどれほどの高評価を得ていたかがわかる。ゴンザレスは「マネーの心配は一切しなかった。1巡目の、それもトップで指名されたのだから、それだけで十分だった」とマーリンズから提示された条件は度外視し[6]、指名から1日後の6月6日に契約金300万ドルで入団を決めた。

メジャーデビュー

同年からマーリンズ傘下のマイナーリーグで試合に出場。2001年にはA級ケーンカウンティ・クーガーズで17本塁打・103打点を記録し、ミッドウエストリーグMVPに選出された[8]2002年もAA級ポートランドで17本塁打・96打点を記録。しかしシーズン終了後の12月に手首の手術を受けたため評価を下げることとなる[9][10]。また、当時マーリンズの一塁にはデレク・リーがいた。2003年、優勝争いしていたマーリンズは救援投手の補強を目指してトレードを模索。テキサス・レンジャーズウーゲット・ウービナを獲得するため、マーリンズは他のマイナー選手2人とともにゴンザレスの放出を決定。7月11日にトレードが成立し、ゴンザレスはレンジャーズへ移籍した。

2004年のシーズン開幕前に発表されたベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングで、ゴンザレスはレンジャーズ傘下での最高評価を受け[11]、その期待に応えるように2004年4月18日にメジャーデビュー。しかしレンジャーズの一塁には強打者マーク・テシェイラがいたため、ゴンザレスの出場機会はここでも限られたものとなり、実力を発揮できないでいた。2006年1月6日にゴンザレスはクリス・ヤングターメル・スレッジとともにトレードでサンディエゴ・パドレスに移籍。パドレスが放出したのが、ビリー・キリアンアダム・イートン大塚晶則といった3選手を放出したのに対し、レンジャーズの出した交換相手は若手主体だった。

パドレス時代

2006年開幕前の3月には、第1回WBCメキシコ代表に選出された[12]。この大会では、チーム全6試合中5試合に出場した。

シーズンでは、ここでも当初の扱いは控えの一塁手だった。しかし、レギュラーで起用される予定だったライアン・クレスコが左肩の故障で離脱したため、開幕から主軸として起用されることになった[13]。4月3日の開幕戦には5番・一塁で先発出場。その後も出場を続け、月間打率は4月が.256、5月が.244と低迷したが、6月6日から6月26日にかけて17試合連続安打を記録し復調。打者に極めて不利とされるペトコ・パークを本拠地球場にしているにもかかわらず、最終的にはシーズン通算で打率.304・24本塁打・82打点の好成績を記録し、チーム二冠王(打率・本塁打)に輝いた。

この活躍を受けてパドレスは、2007年開幕直前の4月1日にゴンザレスとの契約を2010年まで4年総額950万ドル(2011年のオプションを含めると総額1,500万ドル)で延長している[14]。開幕からクリーンアップで起用されたゴンザレスは、シーズン全162試合が終了した時点で打率.279・29本塁打・96打点という成績を残した。本来ならこの時点でレギュラーシーズン終了だが、この年はポストシーズン進出を争っていたパドレスとコロラド・ロッキーズが同率で並んでいたためにワンゲーム・プレーオフが開催されることに。チームは8-9で敗れてポストシーズン進出を逃したものの、成績がレギュラーシーズンに含まれるこの試合でゴンザレスは満塁本塁打を含む3安打を放ち、滑り込みで成績を30本塁打・100打点の大台に乗せた。30本塁打到達は、ペトコ・パーク移転後のパドレスでは史上初だった。

2008年は全162試合に出場し、打率.279・36本塁打・119打点・OPS.871と成績を伸ばした。7月にはオールスター初選出・初出場を果たし、シーズン終了後にはゴールドグラブ賞も初受賞。エースのジェイク・ピービーが故障離脱したり、正遊撃手カリル・グリーンが不振に陥ったり、さらにチームも地区最下位に沈んだなかでゴンザレスは腐ることなく活躍し続けた。

2009年開幕前の3月には、第2回WBCのメキシコ代表に選出され[15]2大会連続2度目の選出を果たした。

シーズンでは、160試合に出場し、打率.277、40本塁打、99打点、OPS.958を記録。昨年同様チームは低迷したが、成績はキャリアハイを記録し、2年連続のオールスター出場、またゴールドグラブを獲得した。昨年にも増して回りの打者が打てず、結果として四球が激増し、リーグトップの119個を記録した。

2010年も30本塁打、100打点、OPS.900をクリアするなど、貧打に苦しむチームの中で孤軍奮闘の活躍を見せた。パドレスはシーズン最終戦でジャイアンツに敗れてプレーオフ進出を逃した。

レッドソックス時代

2010年12月5日にケイシー・ケリーらマイナー有望株3名と後日指名選手1名の合計4選手とのトレードでボストン・レッドソックスに移籍した[16]。7年契約で年俸総額は1億5400万ドル。

2011年は極端な打者不利とされているペトコ・パークから、打者有利と言われるフェンウェイ・パークに本拠地が移ったこともあり、打率.338、27本塁打、117打点の成績を残し打率と打点は自己最高の数字であった。年間を通して打線の核として働いたが、チームは9月以降大失速しプレーオフ進出も逃す結果になった。

2012年はオールスター終了時点で5本塁打、37打点と物足りない数字であったが、オールスター以降は好調を維持していた。しかしチームは前年以上に低迷し、ゴンザレス自身もこの年から監督に就任したボビー・バレンタインとの確執が噂されていた[17]

ドジャース時代

2012年8月25日、ジョシュ・ベケットカール・クロフォードニック・プントと金銭と共に、ジェームズ・ローニーイバン・デヘスースアレン・ウェブスターとのトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。ドジャースからはさらに後日発表予定の2人の選手が移籍した[18]

2013年開幕前の3月に、第3回WBCのメキシコ代表に選出され[19]3対会連続3度目の選出を果たした。

シーズンでは、157試合に出場し打率.293・22本塁打・100打点という成績を記録。4年連続で100打点以上(6度目の100打点以上)をマークし、本塁打は2年ぶりに20本を超えた。2006年以降、毎年156試合以上に出場するタフさを発揮している。

2014年、2年ぶりとなる159試合に出場し、打率.276・27本塁打・116打点という打撃成績をマーク。シーズン終盤にマイアミ・マーリンズジャンカルロ・スタントン死球で故障離脱した事により、逆転して自身初の個人タイトルとなる打点王に輝いた。打率はレギュラー定着後で最低の数値だったが、3年ぶりに25本塁打のラインをクリア。守備面では6失策で守備率.996、守備防御点+12を記録し、引き続き高い守備力を発揮した。ナショナルリーグでは、自身初めてシルバースラッガー賞を一塁手部門で受賞した。

選手としての特徴

左の中距離打者で、外角球にも逆らわず速く鋭い打球が飛ばせる、いわゆる広角打法が持ち味である[20]

メジャーリーグでもっとも打者不利とされている本拠地ペトコ・パークによって打撃成績が大きく影響を受けている。パドレス在籍時の2006年から2010年までの成績は、ホームでは397試合57本塁打(162試合換算23本塁打)・打率.267・出塁率.367・長打率.442・OPS.808であるのに対し、ビジターでは402試合104本塁打(162試合換算42本塁打)・打率.307・出塁率.381・長打率.579・OPS.960である。

当初は選球眼が良くなくボール球に手を出してしまうことも多いので三振も多かったが[20]2009年はこの点が飛躍的に改善し、自身初めて四球が三振を上回り、出塁率も四割を突破した。 一塁の守備には高い評価を与えられている[20]。大柄な体型に似合わず守備範囲も広く、パドレスではウォーリー・ジョイナー以来の名手である[5]。 MLB球団首脳・監督へのアンケートの結果、ゴンザレスはフィラデルフィア・フィリーズジェイソン・ワース(当時)と並んで、ナ・リーグで最も過小評価されている選手に選ばれた[21]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2004 TEX 16 44 42 7 10 3 0 1 16 7 0 0 0 0 2 0 0 6 0 .238 .273 .381 .654
2005 43 162 150 17 34 7 1 6 61 17 0 0 0 2 10 2 0 37 3 .227 .272 .407 .678
2006 SD 156 631 570 83 173 38 1 24 285 82 0 1 1 5 52 9 3 113 24 .304 .362 .500 .862
2007 161 720 646 101 182 46 3 30 324 100 0 0 0 6 65 9 3 140 6 .282 .347 .502 .849
2008 162 700 616 103 172 32 1 36 314 119 0 0 0 3 74 18 7 142 24 .279 .361 .510 .871
2009 160 681 552 90 153 27 2 40 304 99 1 1 1 4 119 22 5 109 23 .277 .407 .551 .958
2010 160 693 591 87 176 33 0 31 302 101 0 0 2 4 93 35 2 114 15 .298 .393 .511 .904
2011 BOS 159 715 630 108 213 45 3 27 345 117 1 0 0 5 74 20 6 119 28 .338 .410 .548 .957
2012 123 527 484 63 145 37 0 15 227 86 0 0 0 7 31 4 5 81 9 .300 .343 .469 .812
LAD 36 157 145 12 43 10 1 3 64 22 2 0 0 1 11 1 0 29 1 .297 .344 .441 .785
'12計 159 684 629 75 188 47 1 18 291 108 2 0 0 8 42 5 5 110 10 .299 .344 .463 .806
2013 157 641 583 69 171 32 0 22 269 100 1 0 0 10 47 6 1 98 12 .293 .342 .461 .803
2014 159 660 591 83 163 41 0 27 285 116 1 1 0 11 56 9 2 112 13 .276 .335 .482 .817
2015 156 643 571 76 157 33 0 28 274 90 0 1 0 3 62 10 6 107 21 .275 .350 .480 .830
通算:12年 1648 6974 6171 899 1792 384 12 290 3070 1056 6 4 4 61 696 145 40 1207 179 .290 .363 .497 .860
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰

代表歴

脚注

  1. ^ a b Chris Jenkins Union-Tribune Staff Writer, "Padres are model of diversity," SignOnSanDiego.com, April 15, 2009. 2009年5月17日閲覧。
  2. ^ Adrian Gonzalez Contract, Salaries, and Transactions” (英語). Spotrac.com. 2013年10月24日閲覧。
  3. ^ Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。
  4. ^ a b 友成那智村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、464項頁。ISBN 978-4-331-51370-5 
  5. ^ a b Bill Center, "Happy to be home / Former Eastlake star Adrian Gonzalez welcomes trade to Padres," SignOnSanDiego.com, February 6, 2006. 2008年11月15日閲覧。
  6. ^ a b 三浦勝夫 「連載企画 カルトヒーローを探せ/パドレス編 エイドリアン・ゴンザレス」 『月刊スラッガー』2008年7月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-7、67-69頁。
  7. ^ 福島良一 「ミレニアム・ドラフト指名選手の実力」 『月刊メジャー・リーグ』2000年8月号、ベースボール・マガジン社、2000年、雑誌08625-8、72頁。
  8. ^ Andrew Seidler, "Cougars' milestone on deck," The Chronicle, August 26, 2008. 2009年5月17日閲覧。
  9. ^ Jamey Newberg / Special to MLB.com, "Swapping Stories: The Urbina trade / Timing is key when it comes to both sides of acquisitions," texasrangers.com, July 5, 2007. 2009年5月17日閲覧。
  10. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、200項頁。ISBN 978-4-331-51093-3 
  11. ^ "Top 10 Prospects: Complete Index," Baseball America. 2009年5月17日閲覧。
  12. ^ 2006 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年8月12日閲覧
  13. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、399項頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  14. ^ Associated Press, "Gonzalez agrees to 4-year deal with Padres," ESPN.com, April 1, 2007. 2008年11月15日閲覧。
  15. ^ 2009 Tournament Roster WBC公式サイト英語 2015年8月12日閲覧
  16. ^ Buster Olney(2010-12-05), Sources: Adrian Gonzalez to Red Sox, ESPNBoston.com(英語), 2010年12月5日閲覧
  17. ^ 反ボビー派一掃…レッドソックス ベケットら主力4人放出,スポーツニッポン、2012年8月24日閲覧
  18. ^ http://www.mlbtraderumors.com/2012/08/red-sox-dodgers-complete-nine-player-blockbuster.html
  19. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年8月12日閲覧
  20. ^ a b c Adrian Gonzalez - San Diego Padres - Sportsnet.ca”. 2008年2月11日閲覧。
  21. ^ Werth, Gonzalez NL's most underrated”. MLB.com. 2009年5月18日閲覧。

関連項目

外部リンク