エイダイクイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。202.215.110.14 (会話) による 2015年7月7日 (火) 12:25個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

エイダイクイン
品種 サラブレッド
性別
毛色 芦毛
生誕 1995年4月15日(29歳)
メジロマックイーン
ユキノサンライズ
母の父 ホリスキー
生国 日本の旗 日本北海道鵡川町
生産者 東振牧場
馬主 東振牧場
調教師 鈴木康弘美浦
競走成績
生涯成績 19戦4勝
獲得賞金 1億5634万2000円
テンプレートを表示

エイダイクインとは日本競走馬で、現在は繁殖牝馬である。

なお、馬齢は旧表記(数え年)で統一する。

戦績

3歳時(1997年)

1997年中山競馬場ダート1200mでデビューし、単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持されたがモールドオプトレーにアタマ差届かず2着に敗れる。2戦目の新馬戦で再び1番人気に支持され4馬身差の圧勝。しかし、続くプラナタス賞ではのちにスプリンターズステークスを勝利するマイネルラヴ、ダート重賞で5勝するスマートボーイ、その他重賞に顔を出すメンバーが多数揃って9着に敗れる。ちなみにこのレースを勝ったのは2番人気のヘイアンウインザーであり、次走のヒヤシンスステークスを勝利した。次走はの赤松賞。エイダイクインにとっては初めての芝で9番人気と評価が低かったがエアデジャヴーを抑え勝利。続いては中京2歳ステークスに出走。前走のつわぶき賞を快勝したエモシオンが単勝1.2倍の圧倒的1番人気に支持され、エイダイクインは2番人気だったが11.2倍と評価が低かった。レースはエイダイクインがエモシオンの猛追をクビ差封じ勝利した。

4歳時(1998年)

1998年の初戦はクイーンカップに出走。単勝2.7倍の2番人気に支持されエアデジャヴーに1 1/4馬身差をつけて快勝。続いて桜花賞にぶっつけ本番で挑む。単勝3.9倍の2番人気と多くの支持を集めたが、レース中に骨折し6着に敗れ余儀なく休養、クラシック制覇のチャンスを棒に振ってしまった。

5歳時(1999年)

骨折休養明けのレースダービー卿チャレンジトロフィーに約1年ぶりの出走。最後方からレースを進めたがブービーの13着に敗れる。休養を挟み11月の富士ステークスに出走。人気はなかったが、レッドチリペッパーブロードアピールの3着と好走。続く阪神牝馬特別に出走。5着に敗れた。

6歳時(2000年)

2000年の初戦は京都牝馬特別に出走。勝馬のスティンガーとは0.3秒差の7着に敗れる。続いて中山牝馬ステークスに出走。レッドチリペッパーの2着と好走。しかし、次走のエイプリルステークスは1番人気に支持されたが4着に敗れた。その後、新潟大賞典に出走。14着と大敗を喫した。続くエプソムカップに出走したが不良馬場が影響し9着に敗れた。次走のクイーンステークスでは一気に捲ってトゥザヴィクトリーのクビ差2着と好走。しかし府中牝馬ステークスで3番人気に支持されるが6着に敗れる。次のエリザベス女王杯では桜花賞以来2年7ヶ月ぶりのGIで10番人気と低評価だったが最後方追走から一気に追い込み、ファレノプシスフサイチエアデールの3着と好走。しかし次の阪神牝馬特別は12着に敗れ、これがラストラン。生まれ故郷の東振牧場で繁殖牝馬になった。

血統表

エイダイクイン血統パーソロン系 / 5代内アウトブリード) (血統表の出典)

メジロマックイーン
1987 芦毛 日本
父の父
メジロティターン
1978 芦毛 日本
メジロアサマ *パーソロン
*スヰート
*シエリル
Cheryl
*スノッブ
Chanel
父の母
メジロオーロラ
1978 栗毛 日本
*リマンド
Remand
Alcide
Admonish
メジロアイリス *ヒンドスタン
アサマユリ

ユキノサンライズ
1987 芦毛 日本
ホリスキー
1979 黒鹿毛 日本
マルゼンスキー Nijinsky
Shill
オキノバンダ *オンリーフォアライフ
メジロビーナス
母の母
サリュウジョウ
1979 芦毛 日本
*カラード
Karad
*ゼダーン
Embellie
ニットウコトブキ *ハードリドン
テルギク F-No.16-b


外部リンク