エイシンワシントン

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エイシンワシントン
1996年6月16日 阪急杯本馬場入場
欧字表記 Eishin Washington
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1991年5月5日
死没 2014年7月8日(23歳没)
オジジアン
Shamaritan
母の父 Sham
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ケンタッキー州
生産者 Mr. & Mrs. Shannon A. Wolfram
& Fred J. Seitz
馬主 平井豊光
調教師 内藤繁春栗東
厩務員 高橋範顕
競走成績
生涯成績 25戦8勝
獲得賞金 3億5973万5000円
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エイシンワシントンとは日本競走馬外国産馬)である。中央競馬CBC賞など重賞2勝を含む通算8勝をあげた。GI未勝利ながらもフラワーパークとのスプリンターズステークスでの1センチメートル差の死闘などの名勝負を繰り広げた生粋のスプリンターである。引退後は種牡馬として静内レックススタッドにて供用されていた。

馬齢は当時の表記(数え年)とする。

戦績

1993年11月の中京芝1200mの新馬戦で溝橋秀吉を鞍上にデビュー。このレースをいきなりのレコードタイムで勝利し、次走を2戦目にしてGIの朝日杯3歳ステークスに進み、初戦を評価されて2番人気に推された。しかし後の三冠ナリタブライアンの6着と敗れる。このレース以降、全レースで熊沢重文が騎乗した[1]

1994年は、1400m、1600mのレースに出走し共に差の無い2着となるが、1200mの萌黄賞では勝利し、スプリンターとしての適性をうかがわせた。この後重賞初制覇を狙ってアーリントンカップ[2]に出走するが、2着に敗れたうえに骨折も判明し、一時休養に入ることになる。

同年9月の朝日チャレンジカップ[3]で復帰。このレースでは生涯唯一の2000mのレースだったが、やはり適性の違いからか5着に敗れ、この後からは完全に短距離路線に絞ったレースに出走していくことになる。そして次走のセントウルステークス[4]で初重賞制覇を成し遂げた。次のスワンステークスでは3着に敗れはしたが、サクラバクシンオーノースフライトという二頭のGIホースに次いでの3着ということで決して評価を落とすものではなかった。この後のシリウスステークス[5]を単勝1.0倍の人気に応えて2着に6馬身、1秒の差をつけて優勝し、GIスプリンターズステークスに出走、3番人気に推されるも、レースではサクラバクシンオーの4着に敗れた[6]

明けて1995年は、初戦の洛陽ステークスで生涯初の1600m戦で勝利し、次走の淀短距離ステークスでは58.5kgの斤量を背負いながらもレコードタイムで勝利と、重賞レースでは無いものの充実した時期をむかえていた。しかし、この後またも骨折が判明し、療養を余儀なくされることになった。

同年の10月に復帰を果たしたのだが、以前のスピードが戻ってはおらず、復帰戦のセントウルステークス[7]で1番人気に支持されながら5着。その後も得意の1200mのレースでも精彩を欠く走りが続き、マイルチャンピオンシップ10着、スプリンターズステークス9着でこの年を終えた。

1996年マイラーズカップから始動。3着に敗れたが、勝ち馬からハナ、クビの差であり、復調を予感させるレースであった。次走陽春ステークスでようやく勝ち星をあげ、復活かとも思われたが、シルクロードステークスでは12着に敗れた。この後今年からGIに昇格した高松宮杯を目指すもフレグモーネを発症して回避。次走阪急杯では14着と大敗し長い休養に入ることになった。

その後、この年のマイルチャンピオンシップで復帰。5ヶ月ぶりのレースでいきなりのGIレースではあったが、3着に入る好走をしている。翌週には連闘でCBC賞に出走。この春GI高松宮杯を勝ったフラワーパークを破り、レコードタイムで自身2度目の重賞制覇を成し遂げた。

そして第30回スプリンターズステークスでは、前走の走りは評価されつつも、連闘などの疲れを懸念されて3番人気にとどまった。レースはいつものように逃げて他馬を引っ張るエイシンワシントンを好位置からフラワーパークが追い詰めて2頭並んでゴールイン。結果は写真判定に持ち込まれ、異例の長時間の判定の結果、わずか1cmの差で2着という判定が下された。しかしこの長時間の判定はファンの記憶に残るものとなり、また3着のシンコウキング以下には5馬身の差をつけて1200m戦での強さは見せ付けた格好であった。

この後も現役続行する予定であったが、調教中にまたも骨折。それも今回は競走能力喪失とみられるほどの重症であり、安楽死処分も検討されたが種牡馬入りを目指して治療が行われた。患部をギプスで固定したため蹄葉炎の発症も危惧されたが、完治後にJRAの馬名登録を抹消され現役を引退、北海道のレックススタッドにて種牡馬入りした。

競走成績

  • 1993年(3歳・2戦1勝)
  • 1994年(4歳・9戦3勝)
    • 1着 セントウルステークス(GIII)、シリウスS(OP)
    • 2着 アーリントンカップ(GIII)
    • 3着 スワンステークス(GII)
  • 1995年(5歳・7戦2勝)
    • 1着 洛陽ステークス(OP)、淀短距離ステークス(OP)
  • 1996年(6歳・7戦2勝)
    • 1着 陽春ステークス(OP)、CBC賞(GII)
    • 2着 スプリンターズステークス(GI)
    • 3着 マイラーズカップ(GII)、マイルチャンピオンシップ(GI)

引退後

血統的には父母ともに日本ではあまり発展していない血統であり、オジジアンの後継種牡馬として期待されていた半面、オジジアンと共に配合の難しさもあり、これといった産駒はまだ出ていない。産駒は一定の勝ち上がり率をあげているが、父親同様堅実に上位に食い込むがなかなか勝ちきれないという産駒もいる。同じエイシンの冠名を持ち、同じく短距離路線で活躍しながらGIには一歩届かなかった逃げ馬エイシンバーリンとの間の子供を期待するファンも多いと牧場関係者は語っていたが、2005年に実際に交配が行われ、翌2006年に無事牡馬が誕生した。しかしその仔は2010年現在で、競走馬登録が行われていない。

産駒の半分以上は栄進牧場の生産馬だが、日本の主流血統であるノーザンダンサーヘイルトゥリーズンナスルーラを血統内に含んでおらず、異系血統として評価をする生産者もおり、産駒からは未だ重賞勝ち馬を出していないものの、毎年ある程度の数の産駒を送り出していた。

2009年の種付けを最後に種牡馬を引退し、鹿児島県湧水町のホーストラストにて功労馬として第三の馬生を送っていた[8][9]が、 2014年7月8日に右後肢脛骨骨折のために死亡した。

代表産駒

血統表

エイシンワシントン (Eishin Washington)血統ダマスカス系 / Princequillo5×4・4=15.63%、Sickle5×5=6.25%) (血統表の出典)

*オジジアン
Ogygian
1983 鹿毛 アメリカ
父の父
Damascus
1964 鹿毛 アメリカ
Sword Dancer Sunglow
Highland Fling
Kerala My Babu
Blade of Time
父の母
Gonfalon
1975 栗毛 アメリカ
Francis S Royal Charger
Blue Eyed Momo
Grand Splendor Correlation
Cequillo

Shamaritan
1981 鹿毛 アメリカ
Sham
1970 鹿毛 アメリカ
Pretense Endeavour
Imitation
Sequoia Princequillo
The Squaw
母の母
La Griffe
1974 栗毛 アメリカ
Prince John Princequillo
Not Afraid
Grafitti Graustark
Fictitious F-No.1-l


母の弟にプール・デッセ・デ・プーランハリウッドゴールドカップの勝ち馬ブラッシングジョン(本邦輸入種牡馬)、京成杯3歳ステークス3着馬インディードスルーがいる。

脚注

  1. ^ 1997年に出走する予定であった淀短距離ステークスでは、熊沢が同日に行われるフェブラリーステークスストーンステッパーに騎乗するため、村本善之が騎乗する予定であったが、その村本が騎乗しての調教時に故障し、レースを回避、引退することとなった。内藤調教師は村本に、「(故障は)君の責任ではない。」と慰めたという。
  2. ^ この年は京都競馬場改修の関係で、中京1700mで開催。
  3. ^ 中京2000mでの開催。
  4. ^ 中京1200mでの開催。
  5. ^ 現在、同競走は阪神のダート1400mの重賞であるが、当時はおおむねジャパンC前日に行われ、京都芝1200mのオープン特別であった。この年は京都競馬場が改修中だったため中京芝1200mにて開催。
  6. ^ このレースはヒシクレバーをはじめ同型の逃げ馬が多数出走し、前半3F32秒4、1000m通過が55秒2というハイペースで、先行馬がサクラバクシンオーを除いて総崩れとなる中、4着に粘っている。
  7. ^ 当時は阪神芝1400mのGIIIであったが、阪神大震災の影響で京都1400mで開催。
  8. ^ エイシンワシントンがやってきた! - ホーストラスト日誌
  9. ^ エイシンワシントン - 競走馬のふるさと案内所

外部リンク