ウルズラ・フォン・デア・ライエン
ウルズラ・フォン・デア・ライエン Ursula Gertrud von der Leyen | |
---|---|
ウルズラ・フォン・デア・ライエン(2010年) | |
生年月日 | 1958年10月8日(65歳) |
出生地 |
ベルギー ブリュッセル首都圏地域イクセル |
所属政党 | ドイツキリスト教民主同盟 |
配偶者 |
ハイコ・フォン・デア・ライエン (1986年 - ) |
公式サイト | Ursula von der Leyen: Aktuelles |
第17代 国防相 | |
内閣 | 第3次アンゲラ・メルケル内閣 |
在任期間 | 2013年12月17日 - 現職 |
内閣 | 第2次アンゲラ・メルケル内閣 |
在任期間 | 2009年11月30日 - 2013年12月17日 |
内閣 | 第1次アンゲラ・メルケル内閣 |
在任期間 | 2005年11月22日 - 2009年11月30日 |
在任期間 | 2003年3月4日 - 2005年11月22日 |
ウルズラ・ゲルトルート・フォン・デア・ライエン(Ursula Gertrud von der Leyen, 旧姓:Albrecht, 1958年10月8日 - )は、ドイツの政治家。ドイツキリスト教民主同盟(CDU)副党首。ドイツ連邦共和国国防相(第3次アンゲラ・メルケル内閣)。
ニーダーザクセン州社会・婦人・家族・保健相、ドイツ連邦共和国家族・高齢者・婦人・青少年相(第1次メルケル内閣)、ドイツ連邦共和国労働・社会相(第2次メルケル内閣)などを歴任した。
来歴
生い立ち
ベルギーのブリュッセル首都圏地域のイクセルで生まれる。父エルンスト・アルプレヒトはキリスト教民主同盟(CDU)に属していた政治家で、のちにニーダーザクセン州首相を務めた。兄弟が5人いる。
1977年、アビトゥーアに合格し、ゲッティンゲン大学とミュンスター大学で経済学を学ぶが、1980年に中断した。1978年にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学している。
医師
1980年、ハノーファー医科大学に転じて医学を学び始め、1987年に医師国家試験に合格し、医師としてのインターンを終えた。続いて母校で婦人科の助手を務める。1991年に医学博士号を取得。
1986年に医学教授で経営者でもあるハイコ・フォン・デア・ライエンと結婚。夫妻は7人の子供をもうけた。1992年に第3子を出産したのち、一家はアメリカ合衆国に移った。1996年にドイツに帰国し、同年より2002年まで母校ハノーファー医科大学の疫学・社会医学・保健システム研究部で助手を務めた。2001年には公衆衛生学修士号を取得している。
フォン・デア・ライエンはニーダーザクセン州ハノーファー広域連合に含まれるバインホルンに居住している。フォン・デア・ライエンと家族はハノーファー福音ルター派州教会に属している。
地方自治
1990年、キリスト教民主同盟(CDU)に入党。1996年から1997年まで、CDUニーダーザクセン支部の社会政策委員会委員を務める。続いて、CDUニーダーザクセン支部医師会に属した。2001年から2004年までゼーンデ市議会議員に選出され、CDU 議員団長を務める。同時期、ハノーファー郡議会議員を務め、議会の保健・病院委員会会長を務めた。
2003年3月、ニーダーザクセン州首相クリスティアン・ヴルフ内閣に社会・婦人・家族・健康相として入閣した。在任中、強い抗議にも関わらず失明者に対する補助金を廃止して注目された。2003年より2005年までニーダーザクセン州議会議員を務める。2004年12月のCDU党大会では、予想に反してCDU執行部員に選出された。2005年2月よりCDUの「両親・子供・仕事」委員会の委員長を務める。
第1次メルケル内閣
2005年8月、CDU党首アンゲラ・メルケルの2005年ドイツ連邦議会選挙の選挙対策チームに家族・保健政策担当として招聘された。選挙後の2005年11月、第1次メルケル内閣に家族・高齢者・婦人・青少年相として入閣する。
子供手当制度導入
2007年1月、従来の養育補助金制度を廃止して子供手当制度を導入した。
保育所増設をめぐる論争
同年、保育所の大増設を提案したため、あるべき家族の姿をめぐって論争を巻き起こすことになった。保育所増設の主張に対して、キリスト教社会同盟(CSU)を中心とする与党から「伝統的家族観を捨て去ったもので、従来の支持層が離反する」と批判が巻き起こったのに対し、首相メルケルをはじめとする党執行部や連立相手のドイツ社会民主党(SPD)、野党同盟90/緑の党、左翼党からは支持の声が出るなど、議論は錯綜した。カトリック教会のヴァルター・ミクサ・アウクスブルク司教は猛反対したのに対し、ベルリン枢機卿ゲオルク・シュテルツィンスキーやドイツ福音主義教会(プロテスタント)の常議員会議長マルゴート・ケースマンは賛意を示した。しかし、フォン・デア・ライエンの提案は連立内の委員会で審議停止とされた。
雑誌デア・シュピーゲルでのクリスタ・ミュラー(元財務相オスカー・ラフォンテーヌの妻で、左翼党ザールラント州家族政策広報官)との論争で、ミュラーは「保育所は子供の情操上好ましくない」とフォン・デア・ライエンの政策を批判し、ミクサ司教による批判に同調した。このため左翼党内でもミュラーを批判する声が上がった。
インターネット規制
2009年には児童ポルノ規制のためインターネット規制を強化することを提案して大きな議論を巻き起こした。インターネットサービスプロバイダーに対して児童ポルノ提供サイトの基本的な秘密情報を連邦刑事局に提供することを義務づけるもので、法学者やIT専門家、人権活動家、被害者、被害者保護団体による議論を巻き起こした。この法律案は大統領ホルスト・ケーラーが署名を拒否したこともあり、2010年2月に取り下げられた。
第2次メルケル内閣
2009年ドイツ連邦議会選挙ではニーダーザクセン州の比例代表リストから当選してドイツ連邦議会議員に初当選した。
同年10月に成立した第2次メルケル内閣では、保健分野を外した家族相として留任する。保健相には自由民主党のフィリップ・レスラーが就任した。同年11月、労働・社会相フランツ・ヨーゼフ・ユングが国防相当時の不祥事の責任を取って辞任したため、その後任に転じた。
第3次メルケル内閣
2013年12月17日に発足した第3次メルケル内閣では、ドイツでは初となる女性の国防相に就任した[1]。
著書
- Ursula von der Leyen, Maria von Welser 共著『Wir müssen unser Land für die Frauen verändern.』
- C. Bertelsmann Verlag|C. Bertelsmann, München März 2007, ISBN 978-3-570-00959-8
- Ursula von der Leyen, Liz Mohn 共著『Familie gewinnt.』
- Bertelsmann-Stiftung, April 2007, ISBN 978-3-89204-927-2
脚注
外部リンク
- 公式ホームページ(ドイツ語)
|