ウノ・カマキリ

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ウノ・カマキリ
生誕 (1946-01-01) 1946年1月1日(78歳)
愛知県碧海郡知立町(現・知立市
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
ジャンル 風刺画、一コマ漫画
受賞 日本漫画家協会賞
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ウノ・カマキリ1946年1月1日 - )は、日本の漫画家。本名、宇野文雄[1]。主に『東京新聞』などに一コマ漫画と、書籍のイラストなどを描く。日本漫画家協会協会員、協会理事も歴任した。

来歴[編集]

2021年夏、出身地の愛知県知立市で作品展が開かれた。

愛知県碧海郡知立町(現・知立市)に生まれる[2]。父親は小学校の教員。知立町立知立小学校3年生のときに岡崎市に引っ越す[3]。中学のとき「カマキリ」とあだ名をつけられる[4]

愛知県立岡崎北高等学校在学中、名古屋市で開かれたオノレ・ドーミエの展覧会を見て「これだ」と思い、プロを目指す。阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業[1]。アニメーション制作会社のTCJ映画部(現・エイケン)にアニメーターとして勤務。久里洋二のアニメーションに憧れ退社。イラスト作成に没頭し、描きためた作品を持って久里を訪ねる。そこで『平凡パンチ』への持ち込みを示唆され実行。同誌1968年12月2日号にグラビアが8ページ掲載され、同時にペンネームを「ウノ・カマキリ」とした[5][3]

週刊少年マガジン』1970年2月22日号掲載の『あしたのジョー』において登場人物の力石徹が死ぬと、社会に与える影響は想像以上に大きく、版元の講談社は力石の葬儀を3月24日に開くことなった。ウノは平凡出版の依頼を受けて葬儀を取材。パロディ漫画「きのうのジョー 力石は生きていた」は『平凡パンチ』4月13日号に掲載された[5]

1971年、青春出版社の小澤和一から青春新書プレイブックス・シリーズの表紙のイラストの依頼を受ける。同年刊行の後藤基巳著『陽明学入門―迷いを許さぬ行動の哲学』から始まり、約600冊分のカバーの表紙を手がけた[5]

2021年7月17日から9月5日までの期間、出身地の知立市歴史民俗資料館で作品展「ウノ・カマキリワールド-Cartoon(カートゥーン)-」が開催された[6]

作品[編集]

  • はちプラスむげんだい(1978~)
  • 漫腹食堂(個展)
  • 読売新聞」政治漫画(〜2009年)
  • 週刊朝日「ギロン堂のイラスト」シリーズ
  • 東京新聞「時事川柳のイラスト」シリーズ
  • PR誌・百味「あじのヒトコマ」連載

代表作[編集]

  • はちプラスむげんだい
  • 漫腹食堂(個展)
  • 読売新聞」政治漫画(〜2009年)

受賞歴[編集]

  • 「はちプラスむげんだい」で、第8回日本漫画家協会賞 優秀賞(1979年)
  • 「CARTOON COLLECTION」(共著、FECO NIPPON として)で、第20回日本漫画家協会賞 大賞(1991年)
  • 「落画」他一連の作品(池袋演芸場展覧会作品)で、第40回日本漫画家協会賞 大賞(2011年)
  • オランダ・カーツーン・フェスティバル 2位
  • マケドニア共和国・ワールド・カーツーン・ギャラリー大賞
  • 知立文化賞

“JAPUNCH”の一員として[編集]

  • 『VIVA, CHEF!』で、平成13年度(第5回)文化庁メディア芸術祭・マンガ部門 優秀賞
  • 『CIN CIN』で、平成14年度(第6回)文化庁メディア芸術祭・マンガ部門 審査委員会推薦作品

所属団体[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.474
  2. ^ わがまちづくりシンポジウム(平成18年11月25日)/知立市 -輝くまち、みんなの知立‐
  3. ^ a b 岡村淳司「こころは三河 私の古里 漫画家 ウノ・カマキリさん」 『中日新聞』2013年6月17日付朝刊、三河版、14面。
  4. ^ 神谷慶 (2021年8月10日). “漫画家・ウノさんの原画ずらり 知立で作品展”. 中日新聞. https://www.chunichi.co.jp/article/308331 2021年8月17日閲覧。 
  5. ^ a b c 知立市歴史民俗資料館、企画展「ウノ・カマキリワールド-Cartoon(カートゥーン)-」。
  6. ^ 企画展「ウノ・カマキリワールド-Cartoon(カートゥーン)-」を開催します”. 知立市. 2021年8月17日閲覧。