ウィリアム・スタンリー (第6代ダービー伯爵)
第6代ダービー伯爵、ウィリアム・スタンリー(英語: William Stanley, 6th Earl of Derby, KG、1561年 - 1642年9月29日)は、イングランドの貴族。
経歴
1561年、第4代ダービー伯爵ヘンリー・スタンリーとその妻マーガレット(第2代カンバーランド伯爵ヘンリー・クリフォードの娘)の間の次男として生まれる。兄に第5代ダービー伯爵となるファーディナンドがいる[1][2]。
1594年4月11日、兄のファーディナンドが男子なく死去したため、第6代ダービー伯爵位を継承した[3]。兄の未亡人アリスと所領の分割相続をめぐる裁判となり、15年にもわたって争うことになった[4]。最終的にこの件は1607年に議会にかけられ、故ファーディナンドの遺領に関する法律が定められたことで決着した[5]。
1603年にはチェスターのチェンバレンに任命された[1]。1607年にはランカシャー知事に就任した[6]。
アリスとの熾烈な遺産争いが終わった頃から平穏な生活を希望するようになり、音楽や演劇など趣味の世界に時間を費やすことが増えた[5]。1625年にチャールズ1世が即位した頃にはほぼ引退生活に入っていた。高まる国王と議会の対立にも巻き込まれないようにしていた[7]。
栄典
家族
1594年に第17代オックスフォード伯爵エドワード・ド・ヴィアーの娘エリザベス・ド・ヴィアーと結婚した[8]。彼女との間に2男1女を儲けた。長男は先立って死去。次男が第7代ダービー伯爵となるジェームズ・スタンリーだった。娘のアンははじめヘンリー・ポートマン准男爵と結婚し、ついで初代アンクラム伯爵ロバート・カーと再婚した[1]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f Lundy, Darryl. “William Stanley, 6th Earl of Derby” (英語). thepeerage.com. 2014年5月19日閲覧。
- ^ バグリー(1993) p.138
- ^ バグリー(1993) p.137-138
- ^ バグリー(1993) p.137-140
- ^ a b バグリー(1993) p.143
- ^ バグリー(1993) p.142-143
- ^ バグリー(1993) p.144
- ^ バグリー(1993) p.141
参考文献
- ジョン・ジョゼフ バグリー 著、海保真夫 訳『ダービー伯爵の英国史』平凡社、1993年(平成15年)。ISBN 978-4582474510。
公職 | ||
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先代 第4代ダービー伯爵 (最後の在任者) |
チェシャー知事 ファイル:FlagOfLancashire.svg ランカシャー知事 1607年 – 1642年 同時在任者 ストレンジ卿(1626年 – 1642年) |
次代 空位時代 |
チェシャー副提督 ファイル:FlagOfLancashire.svg ランカシャー副提督 1607年 – 1638年 |
次代 ストレンジ卿 | |
イングランドの爵位 | ||
先代 ファーディナンド・スタンリー |
第6代ダービー伯爵 1594年 – 1642年 |
次代 ジェームズ・スタンリー |
マン島の元首 | ||
先代 ロバート・セシル |
マン卿 1609年 – 1612年 |
次代 エリザベス・ド・ヴィアー |