ウィットビー

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ウィットビー
Whitby
イングランドの旗
座標 : 北緯54度29分 西経00度37分 / 北緯54.483度 西経0.617度 / 54.483; -0.617
行政
イギリスの旗 イギリス
 カントリー イングランドの旗 イングランド
 リージョン ヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー
 カウンティ ノース・ヨークシャー
 ディストリクト スカーブラ
 タウン ウィットビー
人口
人口 (2011年現在)
  タウン 13,213人
その他
等時帯 西ヨーロッパ時間 (UTC+0)
夏時間 西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1)
Postcode

ウィットビー(Whitby)は、イングランドノース・ヨークシャー北海に面するにある港町ノース・ヨーク・ムーアズ国立公園の一部でもある。7世紀から歴史的な港、灯台とビーチから、イギリス有数のリゾート町として知られる。1768年ジェームズ・クックは、この港で建造されたエンデバー号に乗り込み、初の太平洋航海に乗り出した。

2011年の国勢調査での人口は13,213人で、2001年の13,594人から減少傾向にある。

歴史[編集]

ウィットビーの町は657年、修道院の建立とともに誕生した。

イギリス海軍士官にして海洋探検家であり海図製作者であったジェームズ・クック が大型帆船エンデバー号で出航した港町として知られている。クックの彫刻はエスク川の西側に立っている。18-19世紀前半、木造船または鯨油採取の基地であった。

18世紀に温泉町して人気ができたウィットビーは、1839年にはウィットビー=ピッカリング、その後まもなくヨーク間に鉄道が開通し、海浜リゾートとして発展していった。

文学の接続[編集]

ウィットビーは、19世紀を舞台にした文学作品の重要な舞台にもなっている。ブラム・ストーカーはウィットビーに住んでいた1897年に『吸血鬼ドラキュラ』を著した。

映画にもなった A・S・バイアットの「抱擁」(Possession: A Romanceブッカー賞を受賞小説では、不議の関係の19世紀詩人の男女がウィットビーを中心に旅をし、ウィットビー名産のジェット・ブローチを買う。この小説はブローチが19世紀と20世紀末を結ぶ鍵となる推理小説めいた物語である。

観光地など[編集]

ウィットビー修道院の日没の空
ウィットビー・ゴス・ウィークエンドのスチームパンクファッション

スポーツ[編集]

1880年に創立され,ノーザンプレミアリーグ・プレミアディヴィジョン所属のウィトビー・タウンFCというフットボールクラブがあり、シーサイダズ(The Seasiders)の愛称で親しまれる。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ PIE BOOKS『世界の絶景鉄道』パイインターナショナル、2016年、14頁。ISBN 978-4-7562-4833-6 
  2. ^ https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2014/jan/23/britains-best-fish-and-chip-shops

関連項目[編集]