イヴィツァ・ヴァスティッチ
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2015年のヴァスティッチ | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | Ivo | |||||
ラテン文字 | Ivica Vastić | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
オーストリア クロアチア | |||||
生年月日 | 1969年9月29日(54歳) | |||||
出身地 |
ユーゴスラビア クロアチア スプリト=ダルマチア郡スプリト | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 81kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右 | |||||
代表歴 | ||||||
1996-2009 | オーストリア | 50 (14) | ||||
監督歴 | ||||||
2009-2010 2010-2011 2012- |
FC Waidhofen/Ybbs FKアウストリア・ウィーン・アマチュア FKアウストリア・ウィーン | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イヴィツァ・ヴァスティッチ(Ivica Vastić、1969年9月29日 - )は、クロアチア・スプリト出身のオーストリア代表の元サッカー選手、サッカー指導者。愛称はイヴォ(Ivo)。
略歴
クロアチアで生まれ育つが、1991年から始まった内戦の混乱によりクロアチアを離れてオーストリアに帰化し、代表に選出され活躍を見せた。SKシュトルム・グラーツに在籍時はイヴィツァ・オシムが指揮を執るチームの下で活躍。ほぼ同時期に同じクラブに所属していたマリオ・ハース(後にジェフユナイテッド市原・千葉でプレー)と共にゴールを量産、クラブの黄金時代を築いた。
2002年からは名古屋グランパスエイトに在籍。ストイコビッチ引退後、初の欧州選手とあってか、「ピクシーの後継者」とも言われていた。在籍した1年半の間で、公式戦31試合13得点と期待通りの活躍はできなかったものの、劇的なゴールを決めるなど、サポーターから愛されていた選手でもあった。
2003年、チームの退団を表明したあとの試合では活躍し、最後のホームゲーム(この試合で警告を受け、次節出場停止だったためこのゲームが実質上ラストゲームとなった)となった5月18日のベガルタ仙台戦では、終了間際にFKの流しから素晴らしいシュートで劇的な逆転ゴールを決め、勝利に貢献[1](ちなみにこのゴールは、Jリーグの8500ゴール目の記念ゴールであった)。この試合の後には、ヒーローインタビューを兼ねての即席でセレモニーも行い、最後に選手たちの胴上げで有終の美を飾った。
38歳を迎えた07-08シーズンは得点ランク上位に食い込んでいる。その活躍を受けて代表にも復帰した。
2008年6月12日、EURO2008においてそれまでの記録を4歳上回る大会最年長記録ゴールを決め[2]、オーストリアに同大会における史上初の勝ち点をもたらした。
2009年5月18日、08-09シーズンをもって現役引退する事が発表された。
引退後はアマチュアチームを指導した後、2012年1月よりFKアウストリア・ウィーンの監督に就任したが、同年中に辞任。
エピソード
- ドイツ語圏に帰化したクロアチア出身のサッカー選手の中では飛び抜けてドイツ語がうまい。
- 接触プレーではすぐに倒れるため、あるとき敵チームのサポーターがこれを皮肉り「ヴァスティッチにバイアグラを男性器より長く立っていられるために」という横断幕を張ったことがある。
所属クラブ
- アドリアケム・スプリト
- 1990年-1991年 NKスプリト
- 1991年-1992年 ファースト・ヴィエンナ
- 1992年-1993年 VSEザンクト・ペルテン
- 1993年 FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング
- 1994年 MSVデュイスブルク
- 1995年-2002年 SKシュトゥルム・グラーツ
- 2002年-2003年 名古屋グランパスエイト
- 2003年-2005年 FKアウストリア・ウィーン
- 2005年-2009年 LASKリンツ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ユーゴスラビア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | NKスプリト | 22 | 5 | ||||||||
オーストリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オーストリア杯 | 期間通算 | |||||||
1991-92 | ヴィエンナ | 23 | 8 | ||||||||
1992-93 | ザンクト・ペルテン | エルステリーガ | 34 | 18 | |||||||
1993-94 | FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング | 18 | 7 | ||||||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
1993-94 | デュイスブルク | ブンデスリーガ | 10 | 0 | |||||||
オーストリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オーストリア杯 | 期間通算 | |||||||
1994-95 | SKシュトゥルム・グラーツ | ブンデスリーガ | 35 | 7 | |||||||
1995-96 | 31 | 20 | |||||||||
1996-97 | 33 | 13 | |||||||||
1997-98 | 30 | 14 | |||||||||
1998-99 | 30 | 14 | |||||||||
1999-00 | 35 | 31 | |||||||||
2000-01 | 24 | 8 | |||||||||
2001-02 | 32 | 17 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 名古屋 | 9 | J1 | 18 | 10 | - | 3 | 0 | 21 | 10 | |
2003 | 9 | 3 | 2 | 0 | - | 11 | 3 | ||||
オーストリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オーストリア杯 | 期間通算 | |||||||
2003-04 | アウストリア・ウィーン | ブンデスリーガ | 35 | 4 | |||||||
2004-05 | 32 | 10 | |||||||||
2005-06 | LASKリンツ | エアステリーガ | 31 | 19 | |||||||
2006-07 | 31 | 23 | |||||||||
2007-08 | 9 | ブンデスリーガ | 32 | 13 | |||||||
2008-09 | 7 | ||||||||||
通算 | ユーゴスラビア | 22 | 5 | ||||||||
オーストリア | ブンデスリーガ | 349 | 151 | ||||||||
オーストリア | エルステリーガ | 114 | 67 | ||||||||
ドイツ | ブンデスリーガ | 10 | 0 | ||||||||
日本 | J1 | 27 | 13 | 2 | 0 | 3 | 0 | 32 | 13 | ||
総通算 |
代表歴
- オーストリア代表(48試合13得点)1996-2005、2008
獲得したタイトル
- オーストリア・ブンデスリーガ優勝2回 (1998,1999)
- オーストリア・カップ優勝4回 (1996,1997,1999,2005)
- オーストリア・スーパーカップ優勝3回 (1996,1998,1999)
- エルステリーガ(オーストリア2部)優勝、オーストリア・ブンデスリーガへ昇格1回 (2007)
脚注
- ^ “サッカーの奇跡”. ジェレミー・ウォーカーのA View From A Brit (2003年5月25日). 2012年6月7日閲覧。
- ^ “元名古屋ヴァスティッチが千金PK弾”. スポーツニッポン (2008年6月14日). 2013年9月21日閲覧。